68. 最後に立つ者

 最後に母の顔を見たのは、家を追い出された時のこと――


 私は剣術道場の娘として育った。

 剣を振る門下生達を見ていて、触発されて木刀を握ったのは十二の時。

 父も母も、剣を持つ私に良い顔をしなかった。


 剣術を学び始めて一年が経つ頃、私は道場で一番の使い手を倒した。

 父に褒めてもらえる、母に喜んでもらえる、そう思って精進した結果だった。

 しかし、二人は私を認めてはくれなかった。

 女だてらに剣を学ぶ私を、両親は良しとしなかったのだ。

 それは兄達も同様で、私に剣を辞めさせようと突っかかってきては、返り討ちにする日々。

 道場にも、家にも、私の気持ちをんでくれる者はいなかった。


 私はすでに父や兄を超え、道場での稽古にも退屈を感じていた。

 父や兄達は私を煙たがり、門下生も私に近づく者はいない。

 家の外でも私と触れ合おうとする者は大人も子供もいなくなった。

 そんな中、母だけが私から目を逸らさないでいてくれた。

 母は私を嫌悪していて、事あるごとに癇癪をぶつけてきた。

 けれど、それでもよかった。

 私という存在を無視しないでくれる人がいるならば、ここが私の帰る家だと思っていた。


 さらに一年が過ぎようという頃、私は十四の誕生日を迎えた。

 早朝から道場に呼び出された私に、父は銅銭と木刀一本を突きつけ、勘当を言い渡した。

 私は家に置いてもらえるよう食い下がったけれど、その条件が剣術を捨てることでは受け入れることなどできなかった。

 勘当ともなれば、もう町にはいられない。

 私の帰る家は無くなるということだ。


『あんたなんて産まなきゃよかった』


 ――それが母から送られた最後の言葉だった。





 ◇





 屋敷が倒壊するのを目の当たりにしながら、私は庭に背中から叩きつけられた。


「ぎゃっ!」


 その衝撃で胴から頭が離れる。

 わずかな滞空時間を終え、は花壇の中へと突っ込んだ。

 目も口も鼻も土に埋もれてしまったため、息ができない。

 しかも、胴体は背中を思いきり打ち付けたせいか、全身が痺れてまったく身動きが取れない。

 これでは頭を拾い上げたくてもどうしようもない。


「「「くははははは! 滑稽な姿よな、太陽よりの救世使ソル・クリスト!!」」」


 テリオンの声と共に、凄まじい振動が地面を伝ってきた。

 奴め、どうやら庭に降り立ったらしい。

 しかも、私の胴体(?)の方へと歩を進めている様子。

 ……まずい。

 胴体はとても動かせる状態じゃない。

 それに視界が塞がれている今、胴体が動かせたとしても、とても戦える状態にはない!


「「「さぁ、立ち上がれ! 兄者を破ったという貴様の実力を見せてみろ!!」」」


 見せれるものなら見せてやりたいけれど、胴体が動かないのだ。

 というか、それよりも先になんとか頭をひっくり返さないと、本当に窒息してしまう。


「「「おい!? どうした太陽よりの救世使ソル・クリスト!!」」」


 テリオンがどんどん近づいてくる。

 くそっ。このままではなぶり殺しにされてしまう……!


「「「……死んだか」」」


 え?


「「「デュラハンとやらも存外もろいものよな」」」


 な、何を言ってる!?


「「「せっかく手に入れたこの力。兄者を倒した仇敵にこそ試したかったが……どうやらあてが外れたようだ。つまらんなぁ……実につまらん!!」」」


 ……私が死んだ?

 違う。動けないだけだ!


「「「まぁよい。首都アクシスには手練れが他にもいよう。適当に暴れていれば向こうから現れるだろう!」」」


 まさか奴は首都アクシスで暴れるつもり!?

 そんなことさせられない!

 ……でも、駄目だ。

 怒りで奴を殺したい気持ちは満々なのに、体がどうしても言うことを聞いてくれない。

 加えて、息ができないせいで意識が遠のいてきた。


 ……地面を蹴った後、空を羽ばたいていく音が聞こえてくる。

 翼の音は八つ――テリオンと取り巻き達か。

 程なくして、遠くから破壊音が聞こえてくる。


「んむむ……む……っ」


 もう……駄目だ……意識が……遠く……。


 目の前が真っ暗になりかけたその時、突然私の頭が持ち上げられた。


「ぷはぁっ!!」


 息を吹き返した私が最初に見たのは、シフの顔だった。


「やはり生きておりましたか、サキさん」

「し、シフ……」

魔星龍マスターは、動かなくなったあなたの体を見て死んだと思った様子。体を強く打ち付けたことで一時的に麻痺しただけでしょうに。……ですわよね?」

「五体満足ならば、たぶん」


 シフが私の頭を持ちかえて、庭に倒れている胴体を視界に映してくれた。

 見事に大の字になって寝ているな。

 胴体は全身に鈍痛が残っているものの、骨や臓器にまで傷は及んでいなさそう。

 意図せず死んだふりをすることになって助かるとは、運がいい。


 しかし、そのさらに奥――倒壊した屋敷の向こうでは、テリオンが七匹の赤いドラゴンと共に首都アクシスを炎で焼いていた。

 ……あまりに酷い。

 魔皇龍を倒して防いだと思っていた地獄絵図が、目の前で実現しているのだ。

 許しがたい。

 でも、私は町の人々の心配よりも、別のことに意識が向いていた。


「アルシノエ殿は……ウィッカは、マオマオは、レムは!?」

「レムはあちらに」


 シフが私の頭を横に動かした。

 視線の先には、壁に寄りかかっているレムの姿が映る。

 彼女は頭部から血を流しているものの、胸で息をしていた。


「生きている? ……よかった」

「庭に落ちた直後、わたしが回収しました。ポーションを飲ませたのでなんとか一命は取り止めています」

「ありがとう……ありがとうシフ!」


 私はシフに精一杯の謝辞を伝えた。

 しかし、彼女はそんな私の頭を抱きしめる。

 ……その腕はにわかに震えている。


「シフ?」

「……しかし、我が主は……もう……」

「何を言ってるんだ! まだ生きてるかもしれないじゃないかっ」

「サヴァンに――いいえ、魔星龍マスターに心臓を取られるのを見ておりました。純血のヴァンパイアといえど、心臓を奪われては……」

「早く胴体のところにを持っていって!」


 ウィッカとマオマオの安否も気になるけれど、私には倒壊に巻き込まれたアルシノエ殿がもっとも心配だった。

 まだ、おかえりとも言ってもらっていない。

 せっかく生きて帰ってこれたのに、挨拶ひとつ交わせずに今生の別れなんて絶対に嫌だ!


 シフはを抱えたまま、小走りに胴体へと駆けだした。

 そして、倒れている私の首へと頭を戻してくれた。


「動けますか?」

「……ごほっ、ごほっ!」


 首の付け根に頭が戻された瞬間、喉元から熱いものが込み上げてきた。

 ……血だ。口から吐血するなんて。


「どうやら内臓を痛めたようですね」

「くっ。あの高さから落ちたのであれば当然か…‥」

「これをお飲みください」


 シフはポーションを差し出してきた。

 でも、それを飲むわけにはいかない。

 ウィッカにマオマオ、アルシノエ殿が必要としているはずなのに、私が使うわけにはいかないのだ。


「いい。それよりも、瓦礫をひっくり返すのを手伝って」

「サキさん……」


 身を起こそうとすると、全身に激痛が走った。

 骨や臓器は無事……とはいえ、背中を打ちつけた痛みがいまだ残っている。

 呼吸も乱れていて、これではしばらくまともな剣を振るえそうにない。


「大丈夫ですか?」

「だい、じょう、ぶ……っ」


 私はアマギリを杖代わりにして、なんとか立ち上がった。

 刀を杖にするなんて剣士として不本意極まるところだけれど、背に腹は代えられない。

 すぐにでも倒壊した屋敷へと向かわなければ。


 その時、街で暴れ回るテリオン達に青い光が向かうのが見えた。

 あれは魔法銃士隊の光線に違いない。

 でも――


「「「虫けらどもが!!」」」


 ――テリオンにはまったく効果がない。

 奴の取り巻き達にも同様だ。


「どうやら首都アクシス兵と勇者部隊が駆けつけたようですね」

「今のうちに三人を助けよう」


 私がふらふらと屋敷の前へたどり着いた時、積み上がった瓦礫の一部が突然空へと舞い上がった。

 まるで地面の下から突風が吹きあげたかのよう。

 瓦礫のどいた場所から出てきたのは――


「リーナ!?」


 ――ルーラの石像を引きずるリーナだった。

 気が動転していてすっかり忘れていたけれど、侯爵邸にはルーラの像とリーナもいたんだった。

 リーナは屋敷の倒壊に巻き込まれて、全身傷だらけでドレスもぼろぼろ。

 しかし、脇に抱きかかえているルーラの像には傷ひとつない。

 彼女は体を張って妹を守ったのだ。


「さ、サキ様……ご無事、で……」


 リーナは私を見て安堵したのか、糸が切れた人形のようにその場に倒れてしまった。

 合わせてルーラの像もごろりと転がる。

 あわや石像ルーラがリーナを圧し潰してしまうところだった。


「シフ。リーナを頼んだ」

「……承知しました」


 シフがリーナへと駆け寄るのを横目に、私は倒壊した屋敷のへりへと向かう。

 屋根や壁の瓦礫が完全に押し潰れている。

 これでは三人は……。


「大丈夫。大丈夫っ。絶対に大丈夫!」


 私は最悪の可能性を無理やり頭から振り払い、瓦礫を除け始めた。


「アルシノエ殿っ。ウィッカッ。マオマオッ。みんな無事でいて……っ!!」


 しばらく瓦礫をどかし続けていると、積み上がった瓦礫の下から血が流れ出てきた。

 私は全身に寒気がするのを感じながら、恐る恐るその瓦礫をどかした。


「……!」


 瓦礫の下からは、アルシノエ殿を世話していた女中の遺体が出てきた。

 彼女がいるということは、おそらくこの近くにアルシノエ殿も……。


「アルシノエ殿、どこっ!?」


 私は全身の鈍痛も忘れて、一所懸命に瓦礫をどかし続けた。

 そして、傾いた柱に倒れていた瓦礫を避けた時、ようやくアルシノエ殿を見つけた。


「アルシノエ殿!!」

「う……」


 彼女は生きていた。

 幸いなことに、倒れかかった柱が彼女を瓦礫の直撃から守っていたのだ。

 しかし、全身傷だらけでとても安心してはいられない。


 私はアルシノエ殿を抱き上げるや、可能な限り優しく瓦礫の山から庭へと連れ出した。

 彼女を抱き上げた後、私の着物は瞬く間に赤く染まっていった。

 ……予想以上に傷が深い。


「アルシノエ殿、しっかりっ!」

「……あ、あなたなの……?」


 庭に寝かせて早々、アルシノエ殿は目を開けてくれた。

 私の顔を見て、安心したように表情を緩めている。


「また会えてよかった。……おかえりなさい」

「あ……っ」


 その言葉を聞いた瞬間、私は涙で視界が滲んだ。

 激痛など何のその、喜びが私の全身を駆け巡っていく。


「あの人もじきに帰ってくるのでしょう? 親子で誕生日を祝いましょう」

「誕生日……?」


 彼女は意識が混濁しているようだった。

 顔色はどんどん悪くなっていく。

 ……このままじゃ危ない!


「シフ! シフ!! どこにいるのシフッ!?」


 シフはポーションを持っている。

 ポーションさえあれば、この人はまだ助かるはず。


「どうされました?」

「シフ!」


 シフが瓦礫を除けながら庭へと戻ってくる。

 彼女の手には先ほどのポーションが握られていて、それを見た私は多少なりとも冷静さを取り戻すことができた。


「お願い、シフ! この人にポーションを使って!!」

「そのご婦人は、ユニコルヌス侯爵夫人ですか?」

「そう! お願い、早く! まだ間に合うからっ!!」

「……」


 シフの顔が暗い。

 アルシノエ殿の傍に座った時、私の目にはその顔が一層暗く映った。


「残念ですが、ポーションではとてもこの方の傷は……」

「やってみなくちゃわからないだろうっ!?」

「シェイプシフターは、どんな姿にでも化けられますが、それは簡単なことではないのです」

「こんな時に何を言ってるの!!」

「変身する時には、変身対象の種族について十分な研究をします。骨の数、関節の可動域、臓器の位置――どうすればそれらしく振る舞えるのか理解に努めるのです」

「それが何だって言うんだ!!」

「だからこそ、どうしたら死ぬかもわかる。……この出血量、内臓が破裂しています。もう助かりません」


 シフはアルシノエ殿から目を逸らしたきり、うつむいたまま。

 私は彼女の言葉をとても受け入れることはできなかった。


「ふざけるな!」


 私はシフからポーションの瓶を奪い取り、蓋を開けてアルシノエ殿の口へと運んだ。


「飲んで! これを飲めば助かるから!!」

「……なんだか眠くなってきたわ。飲み物はまた後でいただくから……」

「駄目だ! 今飲んで!! でないとあなたは……っ」

「どうして泣いているの? 何か悲しいことでもあった?」


 こんな状態なのに、アルシノエ殿は穏やかな笑みをたたえたままだった。

 いつ閉じてしまうかわからない細い目……。

 私には怖くてたまらなかった。


「誕生日プレゼント……リボン……」


 そう言いながら、アルシノエ殿は私の髪に触れた。

 否。私の髪を結んでいるリボンに触れていた。


「あら。誕生日プレゼントにするつもりだったリボン、もう渡していたのね」

「あ……あぁ……」

「わたしったら、うっかり。うふふふ」


 アルシノエ殿の手が私の頬に触れた。

 ……暖かい手のひら。


「あなたを産んでよかった。だって、こんなに幸せな気持ちになれるんだもの」

「だ、駄目です……!」

「もう眠いわ……。明日の朝、またお話ししましょう」

「アルシノエ殿!!」

「あら、嫌だわ。母さんと呼んで?」

「か――」

「明日は、あの人と一緒に紅茶を……」

「――母さん……!」


 私の頬に触れていた手が、するりと落ちていく。

 彼女は笑顔を絶やさぬまま――


「母さん!!」


 ――眠るように目をつむってしまった。

 もう私の呼びかけにも応えない。


 この人は私の母親になってくれるかもしれない人だった。

 私の帰る場所になってくれるかもしれなかった。

 大切な人のはずだった。

 なのに、もう取り返しがつかない。

 私は……私は帰る家を――帰る場所を失ってしまった。


 気持ちが落ちる。

 深い海の底に沈みこんでいくような感覚。

 ウィッカも助けられず、マオマオも守れず、アルシノエ殿まで失って。

 私は何のために剣を振るってきたのか……。

 強くなればなるほど、剣の道を極めれば極めるほど、私の手の届く範囲だけでも大事な人を守れると思っていたのに。

 それは私の幻想だったのか……?


「何をしているサキ」

「え?」


 背後から聞こえてきた声。

 振り向くと、すぐ傍にシーザリオン殿が立っていた。

 彼は鞘に納めた破邪刀を持ち、じっと私を見下ろしている。

 その表情は普段見る彼とは違う――険しく、厳しいものだった。


「今、中央市街ではドラゴンの伏兵が暴れている。すでに兵も市民も多くの命が奪われている」

「……わかっています」

首都アクシスに残る全兵力が奴らの討伐に向かっている。お前はここで何をしているのだ」

「何を? 何をですって?」


 妻の遺体を前にして、何を言っているんだこの人は。

 戦う意思を示すよりも先に、なぜ悲しみを露わにしない?

 それでも血が通った人間なのか!?


「戦える者が座してどうする。立て! 立って戦え!!」

「あなたは悲しくないのか!? 妻が死んで平然としていられるなんて、あなたには愛がないのかっ!?」


 私が叫んだ瞬間、シーザリオン殿に胸倉を掴み上げられた。

 彼の顔が近づいた時、私は――


「戦士が死者に手向けるべきは、涙などではない!!」


 ――その瞳に涙が溜まっていることに気が付いた。


「戦えサキ! お前が真の太陽よりの救世使ソル・クリストならば、ここで足を止めることは許されない。皆の帰る場所を守るため、お前は誰よりも前に立って戦わねばならんのだ!!」

「皆の帰る場所を……守る……」

「人々が新たな朝を迎えるために、お前の力が必要だ!!」

「新たな朝を……」


 シーザリオン殿の手が私から離れた。

 彼を見上げた時には、その顔は夜空を見上げていて表情がうかがえなかった。

 しかし、その言葉の意味は理解できた。


「……前向きなお説教は初めてです。ありがとう、シーザリオン殿」


 私は血まみれになった羽織を脱ぎ捨て、きびすを返した。

 赤く燃える首都アクシス

 その炎に照らされながら、黄金の三つ首龍が猛威を振るっている。


 奴を止めなければ。

 人々の帰る家を守るために。

 人々が新たな朝を迎えるために。

 私が悪を斬らずして、誰が斬る!?


「サキよ――」


 シーザリオン殿は持っていた破邪刀を差しだしてきた。


「――受け取れ。代々、勇者の手を渡ってきた破邪刀エクスキューター……お前ならば使いこなせよう」

「よろしいのですか」

隻腕この腕では宝の持ち腐れ。剣は剣士・・の手にあってこそ意味を成す」


 受け取った破邪刀はずしりと重い。

 それは物質的な意味ではなく、彼の言葉通り――受け継ぐ想いの重さゆえか。


「この剣の特性はすでに知っているだろうが、魔性なる者の力を抑え込むことにある。あの黄金のドラゴンがいかに強大であろうとも、この剣ならば勝機が見いだせるはずだ」

「はい。必ず斬ります」


 破邪刀が黄金色に輝き始めた。

 この輝き――なんて美しく、優しい光なのだろう。

 アマギリやシロボシと同じように、私の意思に呼応しているかのよう。


「お前の魂に共鳴して輝いている。実に二十年ぶりに見る光景だ」

「二十年ぶり」

「先代の太陽よりの救世使ソル・クリストより預かった物だ。少々遅れたが、太陽よりの救世使ソル・クリストに返そう」

「……たしかに受け取りました」

「帰ってこい。わたしは――わたし達は、ここでお前を待っている」


 今、この剣の重さの意味がわかった。

 シーザリオン殿の心が宿っているから重いのだ。

 私が昔受け取った木刀とはわけが違う――父親の心が宿っているのだ。


「約束します」


 私はテリオンのもとへ歩きだした。

 やるべきことも覚悟も定まった。

 あとは実行あるのみ。


「サキさん! せめてポーションを……」

「いや、いい」

「でも、その傷であの化け物に挑むなんて自殺行為では!?」

「いいんだ。この状態がいい」

「……?」


 シフが不思議そうな顔をしている。

 でも、本当にこれでいいんだ。

 今の私は全身にうずく痛みで体が強張り、激しく動き回ることは難しい。

 魔皇龍との戦いの疲労も残っている。

 だけれど、この疲れ切った状態だからこそ余計な力を入れずに済む。

 またあの境地・・・・に達する予感がある。


「わかりました。主やマオマオ、レムとリーナのこともお任せください」

「頼んだ」


 シフから視線を切った後、私は再びシーザリオン殿と顔を合わせた。


「怒りを忘れろとは言わん。しかし怒りに飲まれるな。真の剣の道とは、怒りを越えた先にある」


 初めて父に・・教えを受けた気がする。

 私は目頭が熱くなったが、涙はしばらくお預けだ。


「行ってきます」





 ◇





 私は、侯爵邸の近くにあったやぐらのような建物から首都アクシスを見渡していた。

 奴が侯爵邸から飛び立ってからわずかの間に、首都アクシスは酷い有り様と化していた。

 目に見える範囲の三分の一は炎に包まれている。

 通りには逃げ惑う人々の姿が。

 そして、無惨な死体となった兵達がそこかしこに倒れている。


 空中を舞いながら赤いドラゴンと戦う魔法使い達も、次々と落とされていく。

 勇者部隊の一員らしき戦士達も含めて、赤いドラゴン達に阻まれて、テリオンのもとへたどり着いた者は皆無。

 その間もテリオンは街を破壊しながら、前方にそびえ立つ太陽宮へ向かっている。


「まずい!」


 太陽宮が倒壊すれば、それこそ首都アクシスは再起不能なほどの被害を被ることになる。

 すぐにでも仕掛けなければ……!


 私はやぐらを飛び降り、通りを逃げる人々の波を逆走した。

 全身の痛みは我慢できる。

 だけれど、これ以上の犠牲は我慢ならない。


 横転した馬車に飛び乗り、それを踏み台として民家の屋根へと飛び移る。

 そして、そこからは屋根伝いにドラゴン達のもとへ駆けた。

 何軒もの建物を伝って、ようやく黄金龍の背中が見えてきた頃。

 私の正面に赤いドラゴンが二匹降り立って壁となった。


「貴様、太陽よりの救世使ソル・クリストか!」

「生きておったのか貴様ぁ!!」


 ドラゴン達が口を開いて炎を蓄え始めた。

 だが、こんな雑魚どもの相手をしている暇はない。

 私は破邪刀を鞘から抜き放ち、火炎を吐き出そうとする直前に二匹の首をね飛ばした。


「ば、馬鹿な!?」

「なんだとぉ……っ」


 ちょうど通りに落ちたドラゴンの首を橋にして、私は向かい側の建物へと飛び移った。

 黄金龍の背中がまた近づく。


「!!」


 上方から熱を感じ、私は屋根の上を転がった。

 直後に、寸前まで私の走っていた場所を火炎が薙いでいく。

 上空には三匹のドラゴンの姿がある。


太陽よりの救世使ソル・クリストが生きていたとは!」

「殺せ! その死体を我が主に捧げるのだ!!」

「同胞の仇を今こそ討たん!」


 奴らは揃って急降下してきた。

 わざわざ高いところから近づいてきてくれて好都合。


っ!!」


 最寄りの一匹目の首をねた後。


っ!!」


 その首を踏み台にして、後ろの二匹目の首を断ち。


とうっ!!」


 その頭を踏みつけて空に飛び出し、三匹目の肩口から脇腹を袈裟切りに両断。


「がはっ! ば、化け物……かっ」


 二つに分かれたドラゴンの間をすり抜けて、私はさらに黄金龍との距離を縮めた。


「おのれ人間!!」

「八つ裂きにしてくれる!!」


 さらに二匹のドラゴンが建物を崩しながら迫ってきた。

 テリオンはもう目と鼻の先だというのに、なんて邪魔な連中……!


 その時、ドラゴン達の横から青い光線が割り込んできた。

 光線はそれぞれ二匹の顔に直撃し、奴らはとっさに顔をかばった。


「サキ殿、今のうちです!」


 光線の飛んできた方角には、建物の屋根に並ぶ銃士達と共にウーザの姿が見えた。

 彼女を含めてその場の兵達は全員ぼろぼろ。

 まさに命懸けで私に突破の隙を作ってくれたのだ。


「ありがとう、ウーザ!!」

「ウーズァ・・です!」


 目がくらんでいるドラゴン達の間を通り抜けて、私はようやくテリオンの背中に追いついた。


「テリオンーーーッ!!」

「「「……貴様、生きていたのか」」」


 黄金龍の三つ首が揃って私へと向いた。

 そして、三つの口から黄金の火炎が放たれたのも同時だった。


「廻天風車かざぐるま!!」


 速度を緩めることなく、私は指先で破邪刀を回し続けた。

 刀身の残像が真円の盾を成し、正面から吹き付けてくる火炎を真っ向から払い除けていく。

 しかし、その熱は私の想像を超えるものだった。

 回転の軸にしている指先が焼け落ちるかと思うほどの温度。

 一瞬でも回転を緩めれば、炎が真円の盾を突き抜けてくる。


「うおおおおおっ」


 私が炎を突っ切るより先に、足場の屋根が倒壊していく。

 あまりの高温で建物がいち早く焼け落ちたか。

 ひやりとしたが、屋内へと落ちたおかげで火炎地獄から脱することができた。


「「「こざかしい!!」」」


 ホッとしたのも束の間。

 私が建物の中を走り出して間もなく、壁の外から大きな破壊音が聞こえてきた。

 奴が七本の尾を使って建物を薙ぎ倒し始めたらしい。

 間一髪、通りに飛び出した私はその尾を跳んで躱すことができた。


「「「ちょこまかとよく動くっ!!」」」

「貴様を斬るっ!!」


 私はついにテリオンと向かい合うに至った。


「「「やはり貴様でなければ俺の相手は務まらぬ! 行くぞ!!」」」


 テリオンは両腕を凄まじい速度で変化させ、長大な剣を形作っていった。

 さらに七つの尻尾も同様に、尾先が鋭い刃へと瞬く間に変化。

 それらは私一人に狙いを定め、一斉に振り下ろされた。


「ちぃっ!」


 ただでさえ残り少ない体力を、ここまで走ってくるのにかなり消耗してしまった。

 奥義はあと一回が限界というところか。

 しかも、二刀の技は体力の消耗が激しいのでさすがに使えない。 

 破邪刀の特性に賭けて、一刀の奥義で仕留めるしかない。


「「「踊れ踊れ! くははははは!!」」」


 縦から横から斜めから、まるで暴雨のように降りそそぐ七つの尾剣。

 それらを躱しながら奴に迫ろうと試みるも、右腕の剣が地面を薙ぎながら私へと向かってくる。

 跳んでそれを躱した後も、左腕の剣が間髪入れずに振り下ろされてくる。


「くっ」


 先んじて奴の剣の腹を打ち、その衝撃でなんとか最後の一撃を回避した。

 だが、奴の剣は地面を砕き割り、着地の後も地面を揺らしていたため即反撃というわけにもいかなかった。


「「「やる! それでこそ我が兄の仇敵よ!!」」」


 少し距離が離れれば、再び七つの尾剣が咲き乱れる。

 受け、躱し、弾き、避ける。

 この繰り返しでは、体力ばかりが消耗していくばかり。


「くそぉ!」


 精神が集中できない。

 無我の境地には程遠い。

 なんとか突破口を開かねば……!


 私が躍るようにして尾剣の五月雨さみだれを躱していると、テリオンの体から強大な魔力が放たれるのを感じた。


「雄大なりし天地を結ぶ雷公よ。彼方かなたの門より来たれ」「我願うは、地を這う盲目なる獣への雷霆らいていの断罪」「くだれ、天地割る威風なりし厳つ霊イカヅチ


 三つ首が別々に口を動かしている。

 これは、呪文詠唱を三つの口で同時に行っているのか。

 つまり間もなく魔法が放たれる……まずい!


「「「ケラウノ・スプリィム・ゴーン!!」」」


 直後、夜空を裂くかのように巨大な稲光が輝いた。

 あまりにも巨大な雷……とても私の剣で斬るのは無理だ。

 とっさにその場を飛び退いたものの、一瞬後には私の目の前に極太の雷が落ちて、凄まじい爆発を起こした。

 衝撃波に煽られた私は空に飛ばされ、わずかに遅れて鼓膜が破れそうなほどの雷鳴が街中へととどろいた。


「うぐっ……ぐうぅ!」


 雷の落ちた先から、さらに無数の稲光が周囲へ飛び散る。

 それに触れてしまったのか、私の全身をびりびりした衝撃が駆け巡っていく。

 体の内側から焼き焦がされているようだ。


「ぎゃあっ」


 屋根の上に落ちた直後、私は身動きが取れなかった。

 しかも、全身が痺れて体の反応が鈍い。

 まずい……隙だらけだ!


「「「くはははは! 兄を殺せたのは魔女の助けがあったからこそか。しょせん貴様自身の力はこの程度よな」」」

「くっ」

「「「それに対して、俺は二匹の魔女の心臓によって魔力が極限まで高まっている。今の俺ならば魔王すら殺せるだろうよ!!」」」

「うぐぐっ」

「「「そこそこ楽しめた。もう死ねぃ!!」」」


 テリオンが右腕の剣を空高く掲げる。

 駄目か……あれは躱しようがない……!


「「「ぬうっ!?」」」


 その時、突風が私とテリオンの間を吹きつけた。

 その風は炎に焼かれる家屋の方から煙を運んできて、私の姿を奴の目から隠した。


「間一髪でしたわね」

「えっ」


 煙に紛れて私の傍に現れたのは――


「わ、私!?」


 ――私自身だった。


「違います。わたしですよ」

「誰!?」

「シフです」

「シフ!?」


 どうやら目の前に立つ私は幻覚ではなく、シフが化けた姿らしい。

 でも、なぜ今この時に私なんかに化けたんだ?


「これ、お借りしますわ」


 シフは私の腰からアマギリとシロボシを取り上げた。

 そして、鞘から二刀を引き抜くや、危なっかしい手つきでそれらを構える。


「ウィッカ様はまだ生きています。マオマオさんもなんとか一命を取りとめました」

「シフ、何を……!?」

「ウィッカ様をよろしくお願いいたします。さようならサキさん」

「待って! シフ――」


 彼女は私に笑いかけると、二刀を構えたまま煙の中へと消えていった。


「「「おのれ、ちょこまかと!!」」」


 シフが走っていった方向へと、テリオンの声が遠ざかっていく。

 まさか……私に化けて囮となったのか!?


「サキ様!」


 今度はリーナが空から落ちてきた。


「まだ動けますね!?」

「も、もちろん」

「シフが最後の隙を作ってくれています。どうかこの一瞬をお役立てください」

「シフは死ぬ気なの!?」

「彼女は我が主のために責任を果たすつもりなんです」

「ウィッカのために」

「だからこそ、その気持ちをんであげたい」


 リーナは覚悟を決めた顔をしている。

 すべてはウィッカのために――その意思が伝わってくるようだ。


「私も同じ気持ちだ」


 私の言葉に、リーナが頷いた。


「わたくしにできることは、風魔法であなたを奴のもとに運ぶだけ。そこから先はあなた様に託します」

「わかった!」


 徐々に煙が晴れていく。

 私が煙の隙間から目にしたものは――


「……シフ」


 ――七つの尾剣にめった刺しにされているシフの姿。


「頼むリーナ!!」

「ウインド・バンク・リリース!!」


 リーナの前に方陣が煌めいた瞬間、私の体は空中へと飛ばされた。

 その方向はテリオンの背中。


「「「ぬぅ!?」」」


 ……気付かれた。

 首のひとつが目ざとくも私を見つけ、すぐに全身が振り返った。


「「「こやつは囮か! つまらぬ真似をぉぉ!!」」」


 三つ首が同時に口を開き、炎の渦を蓄え始めた。

 今、炎を放たれたら避けようがない。

 こうなれば炎を耐えて突っ切るしかない!


「サキ、ワタシタチヲ、ツカッテ」

「オマエノコエニ、ワレラモ、コタエル」


 突然、頭の中に響いてくる声がふたつ。

 誰だ……?

 否。私はそれを知っているじゃないか。


「アマギリとシロボシか!!」

「ソウヨ」「ソウダ」


 二刀の声が同時に聞こえる。

 私は独りで戦っているんじゃない。

 シフに、リーナに、そして愛刀達と共にいるのだ。

 ……だったら怖いものなどありはしない。


「輝けぇぇぇっ!!」


 私が叫んだ瞬間、テリオンの真後ろで赤と白の閃光が放たれた。

 シフの傍に落ちている二刀の刀身が輝きを放っているのだ。


「「「伏兵かっ!?」」」


 とっさにテリオンの首のうち、二つが背後へと振り返った。


「「刀が光を!? えぇい、小細工か!!」」 

「燃え尽きよぉぉぉ!!」


 こちらに向く首から黄金の火炎が吐き出された。

 炎が空を焼きながら私へと迫ってきた瞬間、強風が吹き荒れて周囲の瓦礫ともども火炎の方向を捻じ曲げた。

 これはリーナの風魔法の援護に違いない。


「小癪な真似をっ」

「だがぁ!」

「隙をつけると思うなぁぁぁ!!」


 テリオンが両腕の剣を重ねて突き出してくる。

 刀剣は緋色に輝き、奴の全身を覆う黄金の光と相まって神々しい輝きをたたえた。


「「「絶技・黄白おうびゃく緋鏖殲神戟ひおうせんじんげき!!!!」」」


 私の落下する先に待ち構える最強の一撃。

 ウィッカの手助けもなく、一刀に賭けるしかない今、例え奥義でもってしても奴の一撃を破ることは敵わないだろう。

 だが、私の命も乗せた渾身の一太刀ならば!


「勇者の剣よ、今こそその使命を共に果たさん!!」


 空中に弧を描いていた体がテリオンに向かって落ち始める。

 抜き身の破邪刀を両手で握り、構えは上段。

 狙うは眼下の怨敵――否。すでに怒りも憎しみも超えた。

 この剣は、ただただ奴を斬るために。

 無我の境地へ――


「「「終わりだぁぁぁぁぁぁ!!!!」」」


 ――今こそ奥義の先へ至る時!!


「鬼眼流奥義のきわみ其之先そのさき――ただの一太刀・瞬華終刀しゅんかしゅうとう


 刹那。

 振り下ろした一太刀は、私の人生でもっとも美しい剣閃を走らせた。

 音もなく。手応えもなく。

 私の剣は、テリオンの突き出す両腕の剣を砕き、中央の首の頭頂部から股座までを一息に斬り裂いていた。


「「「な」」」


 肉体だけではない――この世ならざる場所にある奴の魂まで。

 今この瞬間、それ・・を斬った確信がある。


「「「なぁぜぇだああぁぁぁぁぁ」」」


 断末魔の中、テリオンは二つに分かれた体が光に包まれて崩れていく。


「「「俺はぁ最強の力を得たはずだぁぁぁ」」」

「さようならテリオン」

「「それがぁなぜ貴様などにぃぃぃ」」

「貴様の帰る場所は地獄にもありはしない」

「ソル……クリ……ス……ッ」

「無へと還れ」


 光が止んだ瞬間、奴の体は中心から爆ぜてばらばらに千切れ飛んだ。

 もはやどれが首か翼か手足かすらもわからないほどに、無惨な肉片となって黄金の龍は飛び散っていく。

 もはやそこに黄金の輝きなどなく、血と肉と臓物の色だけが映る。


 私が地面に降り立った時――


「……綺麗な満月」


 ――夜空には満月が輝いていた。

 月の光に照らされた首都アクシスは、地平の彼方まで真っすぐと大地の裂け目が続いている。

 私は高揚する今の気持ちとこの光景を、生涯忘れることはないだろう。

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