66. ゾディアック連合 対 魔皇龍陣営 (死)

 魔力――私の知らない力。

 それが今、我が身に宿って恐ろしく感覚が研ぎ澄まされている。

 大地に伝わる振動。

 周囲に流れる風の色。

 魔皇龍の息遣いや、筋肉が軋む音までも。


「見える。聞こえる。感じるぞ。今、私は世界と共に在る」


 ウィッカから受け取った魔力この力、私のまだ見ぬ扉を開いてくれたようだ。


「「気に入らぬ……っ。その立ち振る舞い、その表情! 再び・・余の前に立ち塞がり、余の野望を挫くと言うかっ!!」」


 魔皇龍は二つの口に炎を蓄え、四つの目と五本の尾に赤光を灯し始めた。

 一斉攻撃に打って出る気か。

 ならば私はそれを真っ向から打ち破り、最短距離で斬り伏せる!


「「砕け散れぇぇぇぇ!!」」


 二つの炎の渦が放たれ、九つの赤光が私に向かって照らしだされる。

 だが……遅い。

 体に食い込む破邪刀の影響か、明らかに技の切れ・・が鈍っている。

 これなら着物を駄目にすることはなさそうだ。


 灼熱の熱波と赤い閃光が迫る中、私は地面を蹴って正面からそれらに飛び込んだ。

 両手の刀を、それぞれ指先を使って急速旋回――


「廻天二刀風車かざぐるま!!」


 ――二刀が回転する軌道に赤い残像と白い残像が現れ、真円の盾と成す。

 本来なら私に直撃したはずの九つの赤光は、回転の勢いで狙いが逸れて斜め後方へと流れていく。

 続いて吹き付けてきたふたつの火炎は、回転に巻かれて拡散し、まるで洞穴のような炎に包まれた道を形作った。

 私はその中を一気に駆け抜けていく。


「「こ、こんな馬鹿なぁぁっ!?」」


 炎を突破した時には、魔皇龍は目と鼻の先に。

 奴が怯んで一歩後退った拍子に合わせて、軸足へと二刀の風車かざぐるまをぶつけた。

 分厚い筋肉を抉り、血肉を掻き上げ、姿勢を損ねた奴が片膝をついた瞬間――


「今だ!!」


 ――私は地面を蹴り、凹凸の著しい奴の体につま先を引っ掻けながらよじ登った。

 腕を駆け登って肩口にまで達した時、奴の二つの首が私を見下ろす。


「「おのれっ」」


 その口が炎の渦を灯し始めた矢先、肩から胸部へと滑り落ちる。

 狙いは逆鱗付近に突き刺さった破邪刀――


「十六刃衝!!」


 ――その柄頭を、二刀のみねで瞬間同時に十六回打ち付けた。

 その勢いで破邪刀の刀身は奴の体内へと埋没する。


「「ごはぁぁっ」」


 周囲の傷口は拡がり、さらに体の内側を壊しながら伝わる衝撃は魔皇龍の口から大量の血を吐き出させた。

 とっさに奴の腹を蹴って血の雨を浴びるのを回避。

 私は地上に着地してから、転がるようにして奴から離れた。

 奴が両膝をついたのは、それからすぐのこと。


「「がはぁっ。余が……無様にも大地に膝をつくとはぁぁ~~~っ」」


 破邪刀は体内にまで深く突き立てた。

 柱へと平らになるくらい釘を打ち付けたようなもの――もう引き抜くことはできまい。


「そこまで貴様を追い込んだのは、貴様が虫けら扱いしてきた人間達だ。人間の強さを、気概を、信念を、その身に刻んで死んでいけ!!」

「「なんと不遜な……! これで余を殺せると思っているのならば、思い上がりも甚だしい!!」」


 魔皇龍が尻尾を支えに体を起こした。

 破邪刀によって再生力が阻害され、積み重なる負傷ですでに瀕死に近い状態のはずなのに、まだ倒れないとは……。

 無理に立ち上がるものだから、奴の脚は裂傷が拡がり、流れ落ちる血液が足元に大量の血だまりを作っている。

 その血の臭いがこちらまで届いてきて、鼻が曲がりそうだ。


「「この世に生を受けて千年……これほど余を追い込んだのは汝が初めてよ。だが、余とて龍族を率いる長として負けられぬ!」」

「長としての面目か」

「「支配者としての矜持だ!!」」


 二つ首が怒りの形相で私を睨みつけてくる。

 さっきまではざらついて痛みを伴っていた殺意も、今は何も感じない。

 私の心が強くなったのか、奴の殺意が緩んだのか……。

 どちらにしても、私の剣は奴を斬る境地に達した。

 ウィッカのくれた魔力が私の体を――剣を取り巻いているおかげで、さっきまでとはまったく手応えが違う。

 今や魔皇龍より私に分がある。


「「恐怖は克服した時にさらなる強さを与える――」」


 魔皇龍はおもむろに左手を掲げた。


「「――かつて太陽よりの救世使ソル・クリストにそれを抱いた時、余は折れずにその先へと至った。それが余の覇道の始まり……余は敗北を知って真の強さを得たのだ――」」


 奴の左手が、肉の下から妖しく蠢き始めた。

 加えて、全身から緋色の混じった黄金の光を放出し始める。


「「――此度こたびも恐怖が余の肝を飲み込もうとしておる。しかし、余は再びその先へと至る。至るが運命さだめ――覇者の務めよ!!」」


 黄金の光は火柱となって天に昇り、黒雲を貫いた。

 薄暗かった周辺がまるで真昼のように照らし出されていく。


「……覇者の務めか。いつの時代も、どの世界も、暴力と恐怖で天下を治めようとする者ばかり……その陰で一体どれほどの人々が傷つき、泣き寝入りしてきたか」

「「弱き者が虐げられるのは必然! 上辺だけの秩序で成り立つ世において、強き者こそが手綱を握らねば社会など立ちゆくまい!!」」

「強き者は――本当に強き者は、暴力も恐怖も用いない。ただただ優しく、暖かい笑顔を振りまき、罪深い過ちをも許してくれる包容力と慈悲の心を持つ者――それが真に強き者だ。貴様は違う」


 口上のさなかも、魔皇龍の変化は止まらない。

 背後の翼が、尾が、左腕にまとわりつくように融合していき、巨大な尖塔のような形へと変貌していく。

 ざらつく殺意はそのままに、灼熱の熱波が私の体まで届いてくる。

 この光景が示すところは、最後の一撃。

 ドラゴンどもの最終奥義――絶技とやらを繰り出す前兆だ。


「「余は神に選ばれし龍族の長! すべてを支配する皇帝ぞ!! 余の示す強さこそがまことたりえる! それ以外はまがい物よ!! 偽物よ!!」」


 魔皇龍の左腕は、もはや腕とは呼べない異様な形状に変化していた。

 その一方、喉元の傷口からは全身に亀裂が生じ始め、そこから蒸発した血が煙を立てている。

 破邪刀の影響を無視して、無理やり形態変化を続けている代償か。

 死も辞さない勝利への飽くなき執念――さすが皇帝を名乗るだけのことはある。

 その威容は、魔卿龍ロードの絶技を遥か凌駕する気配。

 今の私でも勝利の確信がないほどの脅威。


「真に強き者達を、暴力と恐怖で踏み躙る悪。私はその悪を許さない。悪を斬ることが、私の生まれた使命なのだと信じている」


 ……だけれど、この渦中にあって私の心は清流のように穏やかだ。


「「抜かったな! 余が備える前に攻めれば勝利もあり得た。汝は最後の最後で詰めを誤ったのだ!!」」

「それは違う。あえて・・・備えさせた。貴様の全力を真っ向から打ち破る――その先・・・が無い・・・ことを知らしめ、完全なる敗北を突きつけるために」

「「侮辱が過ぎる……! その自惚れ、他の虫けらともどもあの世で後悔するがいい!!」」


 魔皇龍の左腕は先端が盛り上がり、巨大な銃口のような形を呈していく。

 奴の全身を覆う緋色の混じった黄金の光が先端へと移っていく間、私は二刀を鞘に納めた。

 そして、シロボシの鞘だけを右腰に差し直し、両の手を交差させて二刀の柄を握る。


「これが最後――」


 もしも私が倒れれば、後ろの戦場はあの光に飲み込まれ、そのさらに後方にある首都アクシスもまた無事には済まないだろう。

 この一太刀で終わらせる。


「――二刀抜刀術、見せてやる」


 師が酒の席で出来たら最強、と語っていた幻の奥義。

 やってやる。今の私なら必ずできる。


「「大陸すら削り取る余の絶技、その身に味わえることを光栄に思うがよい!」」


 ウィッカ。

 レム。

 マオマオ。

 おうめ殿。

 リンクス殿。

 ラーサー殿。

 シーザリオン殿。

 アルシノエ殿。

 そして、ルーラ。


「見ていて。この一太刀ですべてを終わらせる」


 全身から魔力とも闘気ともわからぬ光がほとばしっていく。

 内側に収まりきらない力が外に漏れだしているのだ。

 高まっていく闘争心、破壊衝動、殺意、敵意、負の感情のすべてがひとつとなって私の中に溶けていく。

 ……無だ。

 私の意識は、今ここに斬る・・ためだけに存在する。


「無我の境地!!」


 私が地面を蹴った瞬間。


「「終わりだ!!」」


 魔皇龍も岩盤をひっくり返すほどの勢いで大地を蹴った。

 向かってくる金色こんじきに緋色混じりの光――なんと神々しく荘厳で力強い光なのか。

 対してこちらは、白と赤と青――三色が重なり合い、藤の花を想起させる美しく穏やかな色をたたえている。


 互いが大地を割りながらその距離を縮めていく。

 魔皇龍の腕が爆裂するかのような膨張を見せ、私は鞘から同時に二刀を抜き放つ。

 それはまさに刹那のとき――


「「ついの絶技・黄白おうびゃく緋鏖大瀑布ひおうだいばくふ!!!!」」

「鬼眼流奥義のきわみ――双刃絶唱・天羽々斬あめのはばきり!!!!」


 ――ふたつの光が衝突した。


 まぶしい。

 熱い。

 多くの色が混ざり合いながら、台風のような衝撃が周囲へと伝わっていく。

 そんな混沌とした視界の中、私が見たのは――


「「く、口惜しや……三つ首だったならば……こんな……敗……北……」」


 ――×ばつ印に刻まれた魔皇龍の姿。

 二つ首は根元から千切れ、胸部と腹部は分かれ、光を放った左腕は石を砕いたかのように細かく粉砕されていく。

 奴は混沌とした光の中、消えていった。


「私の……勝ちだ」









 光が去った。

 遅れて響き渡る轟音。

 私の意識がはっきり戻ったのは、太陽光に目がくらんだ時だった。


「……」


 目の前には、下半身のみを残した魔皇龍の死骸が仰向けに倒れている。

 上半身は周囲に散らばっているようだが、いずれも真っ黒に焼け焦げてしまっていて原形を留めていない。

 大将首を取るはずが、その首がどこにもないなんて笑えない冗談だ。


 太陽の日に釣られて空を見上げると――


「美しい」


 ――黒雲が×ばつ印の形に分かれ、合間から太陽が光を差している。

 薄暗かった地上は徐々に光を取り戻し始めた。

 周囲を見回しても、暗い場所などもうどこにもない。


 今はもう輝きが止んでいるアマギリとシロボシを鞘へと戻し、私はきびすを返した。

 振り向いた先、こちらを見守っている者達の姿を見て思わず涙腺が緩む。

 ウィッカを抱きかかえているリンクス殿。

 手を振っているおうめ殿。

 ヴァルゴ伯にウーザ、そして魔法銃士隊と首都アクシス兵の面々。


 ……合戦は終わった。





 ◇





 主の死を目にしたドラゴン達は、すぐさま戦闘を中断して撤退を始めた。

 600騎いた敵の数は、最後の観測では半分以下にまでなっていたようだ。

 とは言え、ドラゴンを直接倒した者は少なく、その多くは開幕時のウィッカの大魔法、そして終盤の魔皇龍の攻撃に巻き込まれて死亡した者達が大半の様子。

 対して、私達――ゾディアック連合と言うべきか――は2000騎いた兵のうち、生き残ったのはたった400人ほどだった。

 戦闘時間は、おおよそ五分弱。

 それだけの間に五分の四の兵達が倒れた。

 この戦いは、結果だけ見れば薄氷の勝利だった。


 戦場となった平野に日が傾き始めた頃。

 戦場の始末――負傷者の介抱や死亡者の回収――がおおむね完了し、兵達は首都アクシスへと戻り始めた。

 戦闘が終わった直後は、勝利に湧き上がって兵達は大騒ぎだった。

 今ではもう落ち着いているが、その盛り上がりはウーザや生き残った勇者部隊の面々に怒鳴りつけられるほど。

 英雄だとはやし立てられ、持ち上げられた――(物理的に)――私を、どさくさに紛れて触ってくる不心得者まで出る始末。

 しかしまぁ、この勝利の場においては無礼講。

 殴るだけで許してやった。


 西に沈み始めた夕日を眺めながら、私はだらしなく地面に足を投げ出していた。

 勝利の実感を得た時、気が抜けて立てなくなってしまったのだ。

 我ながら情けないけれど、それほどの戦いだった。

 たかだか数分の戦い――されど生涯忘れ得ぬ死闘に違いない。

 今の私は、侯爵邸に戻ったらアルシノエ殿に頭を撫でてもらいたいと本気で思っているくらいだ。


「終わったねぇ」

「……ウィッカ」


 杖をつきながらウィッカが歩いてきた。

 その後ろからは、心配そうにリンクス殿とおうめ殿が見守っている。


 ウィッカは私の隣に座ると、一緒に夕日を眺め始めた。


「デュラハンも太陽よりの救世使ソル・クリストになれるんだね」

「デュラハンと呼ばないで」

「キスした時、感じたよ。お姉ちゃんの心というか、魂というか、その本質を」

「本質」

「お姉ちゃんは人間だよ。頭が取れるちょっとだけ変わった、ね」

「頭が取れるのは、ちょっとだけとは言わなそうだけれど」

「いいじゃん。あたしだって首を切られた直後ならくっつくし」

「ああ、そう考えるとばんぱいや・・・・・であるウィッカも私と同じか」

「そ。同じだね」


 不意に、ウィッカが肩に寄り添ってきた。

 私の目線からだと髪の毛に隠れて彼女の表情は見えない。


「あたしのママはね、魔王陣営との戦いでデュラハンと戦ったの」

「デュラハンと……」

「奴らは総力をあげてゾディアックに侵攻してきた。敗色濃厚だったのに、ママはこの土地を守るために魔女陣営を率いて戦ったんだ」

「そう」

「でも、奴らはあまりにも強くて……多くの下僕げぼくが死んじゃった」

「……」

「ママは生き残ったけれど、戦場でデュラハンに魂漏こんろうの呪いをかけられてしまった」

「こんろうの呪い」

「魂に穴を開けて、大切な・・・中身・・を漏出させてしまう最悪の呪い。デュラハンは魂を直接傷つける力を持ってるの」

「そんなことが……」

「呪いのせいでママは戦えなくなって、ある時アジトに押し入った賊に殺されちゃった。犯人はきっと他の陣営からの刺客だったんだろうけど、それもわからず終い。あたしがデュラハンを憎んでる理由わけがわかった?」

「ああ。とんだ逆恨みで困ってしまう」


 私がウィッカの頭を撫でながら言うと、彼女は小さく笑った。


「……ウィッカはこれからどうするの?」

「わかんないよ。ただ、太陽王には恩を売ったから、廃都になったキャンサーやジェミニを報酬に要求しようかなって」

「それはまた揉めそうだな……」

「……」

「ウィッカ?」

「お姉ちゃんこそ、これからどうすんの? 太陽よりの救世使ソル・クリストとして、悠々自適の生活を送るの?」

「まさか。平和な土地に私みたいなのは不要だよ。だから、また旅に出る」

「どこへ?」

「どこだろう。……どこでもいいかな。剣の修行を積みながら、悪の蔓延はびこる魔境を旅するのもいいかもしれない」

「世直しの旅か。いいんじゃない」

「……」

「ウィッカ?」

「あたしも――」


 彼女が何か言いかけた時、背後に気配を感じた。

 振り向くと、そこにはウィッカの従者である大男が立っていた。

 そのさらに後ろには、赤い頭巾を深々とかぶった奇妙な出で立ちの七人組が並んでいる。

 彼らの表情ははっきりとは見えないが、頭巾の下に覗く顔は全員揃って赤焼けた肌をしていた。


「お嬢様。お迎えに上がりました」


 そう言うなり、従者が片膝をついて頭を垂れた。

 後ろの赤頭巾達もそれにならう。


「……ったく。空気読みなよね。せっかく人が勝利に酔いしれてる時にさぁ……この木偶でく!」


 ウィッカは目の前にひざまずく従者に悪態をついた。

 ……こんな横暴な主に、よくも素直に従えるものだと改めて思う。


「申し訳ございません。しかし、長らくアジトを空けてしまうと配下の不審を買ってしまう恐れがございます」

「問題あるの? あんたが統制してくれてんでしょ」

「恐れながら、主の代わりなど務まるはずがございません」

「はぁ……。わかったよ。ただし今日はもう疲れたから、戻るなら明日の朝ね」

「御意に」

「明朝、また向かいに来てよ」

「承知しました」


 従者は立ち上がり、赤頭巾達を連れて北に向かって歩き去っていく。

 奴ら、従順ではあるが何とも薄気味の悪い連中だな。

 まぁステンノに比べればずっとましな部類だとは思うけれど。


「彼らも戦闘に参加していたの?」

「うん。レッドキャップって言ってね、ウチの陣営の切り札」

「切り札」

「そう。邪魔な奴がいたら、敵陣のどこにでも忍び込んで暗殺してきてくれる便利な奴らだよ」

「……殺し屋か。物騒な部下を持ってるな」

「ま、あんまし使う機会もなかったけどね。今回も思ったより活躍してくれなかったし、ちょっとガッカリなんだよね」

「はは……」


 積極的に戦える武闘派ならともかく、暗殺任務を主とするような者がドラゴンを相手にすれば活躍できないのは当然だろうに。

 必要以上に期待をかけられて、彼らも辛いところだろう。


「ところで、さっき何を言おうとしたんだ?」

「……別に」


 ウィッカはふてくされたような顔を見せて、おもむろに立ち上がった。


「それじゃね」


 彼女は私に一瞥するや、きびすを返して行ってしまう。

 私は困惑しながら彼女の背中を見送った。

 傍にいたリンクス殿も、私と同じ面持ちでウィッカの後ろ姿を見送っている。


「私、何か気に障ることを言ってしまったんでしょうか……」

「さぁなぁ。あの年頃の子は難しいからな」

「そうか。リンクス殿にも……あっ。す、すみません」


 うっかりタビィのことを引き合いに出すところだった。

 リンクス殿の前で、亡くなったあの子の話は口にし難い……。


「いいさ。俺も今回生き残れてよかった。死んじまったら、娘の墓を掃除できる奴がいなくなっちまうからな」

「そうですね」


 その時、首都アクシスに戻る兵達の列を掻き分けて、逆走してくる者がいた。

 それは――


「おぉーいっ! リンクス・バウアーッ!!」


 ――魔法銃を肩に担いだヴァルゴ伯だった。


「げっ! 見つかっちまった!!」

「え?」

「そんじゃサキ。俺ぁもう行くわ!」

「ええ?」

「またいつかどこかでなっ!」


 そう言うや、リンクス殿は近くに停まっていた荷馬車の馬に飛び乗って、荷台ごと走り去っていってしまった。

 その後を怒鳴りながら兵達が追いかけていくが、とても追いつけそうもない。


「くそーっ! まぁた逃がしたかっ!!」


 ヴァルゴ伯は悔しそうな顔で地平線へと走り去るリンクス殿を見入っていた。


「あの、ヴァルゴ伯。一体どういうことです?」

「リンクス・バウアーめ。せっかくウチの都で子種をもらってやると誘っているのに、ぜんぜん乗ってくれないんだ」

「こ、子種っ!?」

「魔眼も持たずにあれほどの射撃技術を持つ男、他にいない。なんとしても奴の子供を設けて、ヴァルゴの魔法銃士隊の強化に努めたいと思っていたんだが、上手く行かないものだよ」

「……」

夜伽よとぎの候補は二十人だぞ? ハーレムじゃないかっ。男はそういうのが好きなんじゃないのかぁ~!?」

「……彼が逃げるわけだ」


 そこに突然、ヴァルゴの箱馬車が走ってきた。

 私とヴァルゴ伯の前で停まったと思ったら、御者台からおうめ殿が顔を出した。


「ヴァルゴ伯、今ならまだ追いつけます! 急いでお乗りくださいっ」

「おおっ! さすがオーメイス。わたしの一番弟子っ」


 瞬く間にヴァルゴ伯が客車に飛び乗ってしまった。


「サキ殿――」


 不意におうめ殿と目が合った時、彼女は私に片目をまばたいた。


「――またお会いしましょう。必ずっ!」


 そう言い残して、馬車を走らせて行ってしまった。

 私はその場に独りぽつんと残され、唖然としながら砂煙を立てて去っていく馬車を見送った。


「……戻ろう」


 私も疲れた。

 今日はもうぐっすりとベッドに横たわって寝入りたい。


 戦いは終わったのだ。

 これで約束通りルーラの石化も解除してもらえるし、魔女陣営との摩擦もなくなりそうだし、デュラハン扱いもされなくなるだろうし、ゆっくりと今後のことを考える時間ができそうだ。

 あとは、ニコとウシワカの墓参りもしてやらないとな。

 それに、ライブラ候が流行らせたというミョウジョウ娘人形とやらも禁制品にしてもらわないと……。

 やれやれ。なんだかんだ、やることが山積みだ。


 でも、一番最初にするべきことは決まっている。

 侯爵邸に戻って、レムに。マオマオに。リーナに。そして、アルシノエ殿に言わなくてはならないことがあるのだ。


「ただいま。……なんてねっ」


 帰る家があることは、素晴らしい。

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