破章

〈破章・シーズン1〉

27. 旅立ちの日

「ん……」


 目を覚ました時、私は体が重いことに気が付いた。

 視界の端でもぞもぞと何かが動き、私の鼻をこすってくる。

 何かと思ってみてみると――


「むにゃむにゃ……サキ様ぁ」


 ――ルーラが私に抱き着いて眠っていた。

 この子はまたいつの間に布団の中に入ってきたのか……。


「ルーラ」

「むにゃ……」

「起きて」

「んん……」

「起きなさい」

「……はっ」


 ルーラが目を覚ました。

 彼女は私を見上げてぼぅっとしている。

 どうやらまだ意識がはっきりしていない様子。


「あ……。サキ様、おはようございます」

「おはよう」


 私は寝具から降りて寝間着を脱ぐや、胸周りにさらしを巻き始めた。

 その間、背中にずっとルーラの視線を感じてむず痒い。


「今日もその布を胸に巻くのですか?」

「うん」

シュミーズ(女性用下着)を着て下さればよろしいですのに」

「あれはどうも、ひらひらしているのが気になって……」


 魔女が去ってから今日で二度目の朝。

 その間、この子は毎夜私の布団に入り込んできた。

 私に気付かれずに何度もそんなことをやってのけるので少々驚かされたが、朝起きるのは決まって私の方が早い。


「姉がいなくなって寂しいのはわかるけれど、せっかく部屋があるのだからそこで寝ないと」

「……そうですね」


 姉のリーナがいなくなってから、ブラキウム家は空気が重い。

 ラーサー殿は、ライブラの復興と兵の立て直しで家を空けてばかり。

 男爵夫人は、体調を崩されてお部屋に閉じこもったままだ。

 夫人の部屋と厨房とを忙しなく駆け回るメイドを見るたび、申し訳ない気持ちになる。

 リーナを逃がさなければ、こんなことにはならなかったのではないか……?

 あの時、腕や足の一本を落としてでも彼女を止めるべきだった。


「サキ様。今日が旅立ちの日ですが、私の覚悟は変わりませんから」

「わかってるよ。一緒にリーナを助けに行こう」

「はいっ!」


 ルーラは元気よく返事をするや、寝具から飛び降りて部屋の入口まで駆けて行った。

 そして、扉の握り(ドアノブ)を掴んで私に笑いかけてくる。


「わたくし、精一杯頑張りますからっ」


 笑顔で告げた後、彼女は廊下へと出ていった。

 静かになった部屋で、私は壁に立てかけてあるアマギリに目を向け――


「……腕や足を落とすのはやり過ぎだな」


 ――そう思い直した。

 リーナを傷つけていたら、例え彼女が町に残ったとしてもルーラがあんな笑顔を向けてくれることはなかったと思う。

 斬り捨てるばかりでは解決しないこともある。

 敵が身内ならば尚更のこと。





 ◇





 旅支度を整えた後、食堂に向かった。

 先んじてルーラは食卓についており、その場にはラーサー殿と夫人の姿もある。

 二人とも元気がないのは、家族が一人欠けているからだろう。


「おはようございます」

「うむ。よく眠れたかね」

「はい。すっかり疲れは取れました」


 いつも通りルーラの隣に座ると、女中が料理の乗った皿を運んできた。

 皿には、ぱん・・という麦粉を使った固形物と、いわしに似た焼き魚、そして動物の肉を炒めたものがよそわれている。

 ライブラでは――というよりもこの国では――肉料理は高価なものらしく、口にできるのは貴族くらいだという。

 私は肉料理はあまり好まないが、配膳されたものに口を付けないのは無礼だという思いから食べるようにしている。

 しかし、日本食に染まっている私の舌には、ぱんも肉もいまいち合わない。

 ……米と味噌汁と漬物が食べたいな。


 静寂の中、食事が進んでいくうちにラーサー殿が口を開いた。


「気持ちは変わっていないのだな、ルーラ?」

「はい」

「ウェヌス神殿への旅、か。一度経験があるとはいえ、大変な旅だぞ」

「だからこそサキ様の案内役が必要と考えます。道を知っているわたくしがご一緒すれば、旅程も効率化できますもの」

「神殿が魔女の手に落ちたことはもはや明白。そんなところに乗り込んでは、魔女の罠に落ちるのが関の山ではないか?」


 ラーサー殿の視線がルーラから私へと移った。

 父親の立場としては、今回の旅は気が進まないというのが正直なところだろう。

 内心では、きっと私に娘を置いていってほしいと思っているに違いない。

 でも、ごめんなさい。私はルーラの気持ちを尊重したいのです。


「先日申し上げました通り、リーナを取り戻すには魔女の拠点を見つけだすのが得策。その場所がわからぬ以上、魔女の息がかかったえぬす・・・神殿こそが唯一の手がかりなのです」

「それはわかる。しかし、ライブラ候でさえ神殿への派兵は首都アクシスの返事を待っている状況なのだ。急いで旅立たなくともよいのではないか?」

「今だからこそなのです。今なら魔女は傷を負って動けないはず」

「奴はヴァンパイアだぞ。傷など一日あれば完治してしまう。血を多く失っていたとしても、数日あれば快復には十分な時間だ」


 たしかにばんぱいや・・・・・という存在の話を聞く限り、すでに体の傷は癒えていると考えて間違いないように思う。

 しかし、心の傷はそうはいかない。

 奴の心には私への恐怖が深く刻まれている。

 一度折れた心が立ち直るためにそれなりの時間を要するのは、ばんぱいや・・・・・とて同じはず。

 今ならば、魔女の執拗な干渉を受けずに行動できる可能性が高いのだ。


「魔女の様子から察するに、私への敗北感が奴の行動を尻込みさせている可能性があります。現に、ライブラへの再侵攻がない。間を置かずに攻めてくれば、今度こそ壊滅的な損害を与えられるにも関わらずです」

「なるほど。恐怖で縮こまっている今こそが、魔女に付け入る隙というわけだな」

「そのためにもルーラの案内は必要なのです」

「……」


 ラーサー殿は渋い顔を見せている。

 それを見て、本当に娘の身を案じているのだとわかった。

 こんな風に思ってもらえる親がいるなんて、ルーラが少し羨ましい。


「きみの言う通りだな。攻めるなら今――わたしもできるだけ助力しよう」

「ありがとうございます」

「だが、魔女には腹心の部下もいるはずだ。安心できんぞ」

「心得ています。神殿での罠も含め、道中の警戒は怠りません」


 ラーサー殿の顔にわずかばかり笑みが差した。


「きみは不思議な人だな、サキ殿」

「え?」

「きみが言うと何事も間違いないように思えてくる」

「私は、私にできることをするだけです」

「ならば、わたしも男爵としての務めを果たそう――」


 ラーサー殿は食事の途中にも関わらず、椅子から立ち上がって背を正した。

 彼は胸に手を当て、真摯な態度で私を見つめる。


「――ライブラ候並びにライブラ貴族連盟より、サキ殿に魔女の拠点探索、およびその討滅任務を命ずる。命懸けの任務となるゆえに強制はできないが、これはライブラの民、ひいてはゾディアックすべての人々のための特命である」


 私も立ち上がり、彼にならって胸に手を当てて答える。


「その旨、謹んで拝命いたします。魔女討滅をもって、受けた借りをお返しする所存」

「そしてこれは私信となるが……我が娘リーナを頼む」

「もちろんです」


 その時、食堂に拍手が響いた。


「素敵ですサキ様。どこまでもお供しますからね!」


 ……ルーラ。

 この子、本当に危険な旅だとわかっているんだろうな。





 ◇





 その日の午後、私はルーラと共にライブラの正門前で馬車の準備を手伝っていた。

 馬車はライブラ候が用立ててくれたもので、彼がお忍びで他都市よそへと出向く際に使うものを譲っていただいたのだ。

 荷馬車に比べると大きな箱馬車ではあるが、最低限の寸法で車体は軽く、一頭の馬でもかなりの速度を期待できるとのこと。

 ちなみに私は馬車を操れないので、御者はルーラがすることになっている。


「なんだか騒ぎになっていますね……」

「気にするな。皆、太陽よりの救世使ソル・クリスト候補の旅立ちを見送りたいのだ」

そるくりすと・・・・・・ですか。たしか魔界の支配者層と戦う英雄的人物の呼び名……恐縮してしまいます」


 その場には、ライブラ候を始めライブラの貴族や市民も集まっていた。

 私の首のことは一部の者の秘密ということになっているので、特にその件に触れてくる者はいない。

 けれど、いつの間にか私がそるくりすと・・・・・・の生まれ変わりではないかという噂が広まっていたせいで、正門に来るのも一苦労だった。


「サキ様。準備が出来たのでいつでも出られますよ!」


 ルーラが馬を撫でながら手を振っている。


「サキ殿、ルーラ嬢。壁の外に法はない。くれぐれも道中油断召されるな!」

「もちろんです。魔女が攻めてこないとも限りませんので、ライブラ候も警戒を怠らずに」

「わかっておる。おぬしは旅の心配だけすればよい!」

「それと――」


 私は馬車に向かうさなか、ライブラ候のお腹にアマギリの柄頭を当てた。


「――不埒な悪戯はほどほどに」

「わ、わかっておるわっ」


 ラーサー殿いわく、この人の欠点は女好きということ。

 初夜権の件はリーナの虚偽であることが判明したけれど、色々と女性を泣かせてきたのは事実のようだからしっかり釘を刺しておかないと。

 それさえなければ立派な侯爵なのだから、今後とも権威に恥じない理性ある振る舞いをお願いしたい。

 ……次は斬り落としますからね、首。


「サキ様!」


 ライブラ候と入れ替わりに、男爵夫人が駆け寄ってきた。


「見送りに間に合ってよかったわ! あなたにこれを差し上げたいの」

「これは?」


 夫人は手にしていた物を手渡してきた。

 それは海のような青色に銀色の刺繍が施された、薄く細長い布だった。


「チョーカーといいますの。これを首にお巻きになれば、布を巻くよりも自然に、かつエレガントに首の切れ目を隠すことができますわ!」

「あ、ありがとうございます」


 衆目を前に、あまり大きな声でそれを口にしないでほしい……。

 でも、夫人からの贈り物は私にとってもありがたい話だった。

 布を巻いたままだと首がこすれて痛くなるので、替えを探していたところだから。


「ルーラのことよろしくお願いしますわね。我慢強い子ですけれど、寂しがりやなところもありますの」

「承知しました」


 夫人は片目をまばたいた後、きびすを返した。

 次に話しかけてきたのはラーサー殿だった。


「サキ殿。リーナのことは――」

「わかっています」


 私は、ライブラ候とラーサー殿から事前にリーナの処遇について伝えられていた。

 彼女が婚約者の身の安全と引き換えに、魔女に協力していたのならば罪には問わない。

 しかし、もしも裏切りが自身の都合によるところが大きければ……。


「けじめはつけます。……つけさせます」

「すまない」


 彼はそれ以上何も言わなかった。

 またも娘を心配する父親の顔を見せられて、私はリーナあの人に嫉妬してしまった。


「開門んんっ!!」


 ライブラ候の声が響く中、鉄格子の扉が吊り上がっていく。


「いよいよですね、サキ様」

「うん。いよいよだ」


 格子の先には、野山が地平線の彼方まで続いている。

 未知なる土地の旅がどんなものになるのか想像もつかない。

 けれど今、私の胸は高鳴っている。


 この気持ちは、前世で初めて故郷くにを出た時に似る。

 強さを求めた武者修行の旅――結果は惨憺たるものだったけれど、私は今一度その機会が訪れたことに感激している。

 あの頃の大志を再び胸に、私はライブラの門をくぐった。

 その時――


「待ってぇ~~! 待ってヨ~~!!」


 ――私達の馬車を慌ただしく追いかけてくる者がいた。


「ワタシ置いてくなんて酷いな!」

「マオマオ。まさかついてくるのか?」

「当然ネ! ウェヌス神殿にはすっごいお宝あるって聞くし、ライブラこの町に留まるよりあんたと一緒の方が安全ネ!」

こすい奴だなぁ……。悪いことはさせないぞ」


 その言葉を了承と受け取ったのか、マオマオは私の隣に並んで歩き始めた。

 一方、御者台ではルーラが口を尖らせて睨んでいる。


「マオマオ? あなたがついてくるなんて、聞いていませんけど!」

「旅は道ずれって言うじゃないカ! よろしくルーラ♪」


 ルーラは露骨に嫌そうな顔をしている。

 マオマオの魔法は魔女との戦いでも役立ったし、案外頼れる奴だから拒む理由はない。

 悪事を働けば、その時に首を落とすだけだ。

 それに――


「ルーラ。マオマオ。道中、よろしく頼む」


 ――独りよりはずっと楽しいに違いない。

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