「それは誰かの記憶」

 クラハシと共に本の中へと入るも、そこはいつものビルジングではなかった。


(…ダメですね、症状が改善しません。もはや、薬の問題ではないようですね)


 目の前に見えるのは1人の少年。

 それも、初等部に入るか入らないかぐらいの幼い子供。


 彼は、泣き腫らした顔でベッドの中に半身をうずめ、床には飲みかけの錠剤が輪ゴムでくくられ、束となって落ちていた。


(診断結果では、これは彼自身の生まれ持った性質によるものでしょう)


 そこは簡素な部屋。ベッドに本棚が1台あるきりの室内。

 扉を隔てた先にはリビングキッチンと思しき部屋が見えていた。


(本来、成人として見えていなければならない彼がこうも幼く見えるのは彼自身の精神の不安定さもありますが、お母さまのお話やテスト結果を見る限りでは、もともと制御ができない体質の人間だったとしか言いようがありません)


(…そう、ですか)


 リビングには2人の人間。

 片方は白衣姿の医者と思しき人間で、もう片方は疲れ切った顔の女性。

 

(これは、治るものなのでしょうか?)


 すっかり老け込んだ女性の問い。

 それに医者は(先ほども申し上げましたが…)と首を振る。


(これは生まれつきのものでしょう。安定剤を始めいくつか抑制剤の投与も試みてはみましたが、こうも拒絶反応が見られる以上は経過観察をするほかには…)


 それに母親は(でもっ…!)と言葉を詰まらせる。


(あの子は薬を飲んでは吐いて。それでも働きたいと言っているんです。それは、私も同じこと…もう、家の貯金は底を尽きかけているのに。周りと違うというだけで、こんな扱い…!)


 頭を抱える女性。リビングの隅には大きな黒いケースが埃ひとつなく磨かれた形で置かれており、窓辺に飾られた写真は女性の若い頃のものであろうか…楽器を手に持ち、微笑んでいる様子が見えた。


 そのとき(…ごめんなさい)とか細い声が被さった。


(僕がいけないんだ。働かなきゃいけないのに、ちょっとしたことで動揺して、子供の姿になってしまって、仕事にならなくなくなって。でも、仕事をしても、どうすれば周りに接していいのか解らなくて。余計に迷惑ばかりかけて)


 少年のベッド。

 その周囲に黒い影が湧き上がり、次第に人の形をとっていく。


(…どうして、君は動揺すると幼い姿になってしまうんだ?仕事をさせても失敗ばかり、ウチの会社に与えている損失がどれほどのものかわかっているのかね?ああ…!また、子供の姿になって。まるで俺が悪いことを言っているみたいじゃないか。不愉快だ、気分が悪い!)


 怒鳴りつける男の影。

 その隣にいた女の影も(…君さあ)と続ける。


(迷惑なんだよね?昼休み中、本を読む以外になにもしないしさ。周りと打ち解けようともしないし…聞けば、会社のマニュアルも読んでいるみたいだけどさ。実戦で何もできなきゃ意味ないんだよね?努力してもダメなものはダメだし?病気でもあるんじゃない?いっそ病院に行って検査してもらいなよ。しかるべき場所に行って、身の丈にあった生活をしろよ!)


 上から落ちてくる彼らの暴言。

 そんな彼らの言葉にベッドにいる少年は(ごめんなさい)と声を震わせる。


(…わかってる。あの人たちの言うことは正しいんだ。僕は常に人に迷惑をかけていて、生きていること自体が間違っていて、検査の結果もそうだって…!)


 思い詰めたような顔。

 少年の背は、ますます縮んでいく。


(だから、僕は早くいなくならないと…迷惑をかけないためにも!)


 もはや、プレッシャーとストレスで動けないのか、ベッドの中でポロポロと涙を流す少年に母親のため息が重なる。


(あの子は不器用で。自分なりに考えて行動はしてはいるみたいですけれど、そのたびに周りの足を引っ張って苛立たせてしまうようで…まわりに煙たがられて、会社を転々とすることになって。私も、そんなあの子に母親として我慢をしていましたが、もはやこれ以上の状況は限界で…!)


 そう言って、勢い任せに立ち上がろうとする母親。

 だが、その足元はすぐにふらつき椅子へと腰を落とす。


(あ…!)


 それに(奥さん!無理なさらないでください)と立ち上がる医者。


(腰に持病をお持ちでしょうに。お身体にさわりますよ)


 その言葉に(すみません…主人がいた頃に少し無理をしたもので)と母親。


(昔…今とは別の仕事をしていたのですけれど。子供ができて、夫の要望で仕事を変えざるを得なくて。それでも、毎晩ワタシたちに暴言を吐く夫との生活に耐えきれなくて。子供と一緒に家を出たのに…もう、どうにもならない状況で)


 それに医者は(…ああ。先日お話しされた、現在は専用の病院に入院中の前のご主人のことですよね?)と聞く。


 その言葉にビクリと身体を強ばらせ(…ええ)と答える女性。


(そうです。主人は惑星間チャンネルにのめりこんで、星座間のコミュニティでは今も人を操作する装置を作っているという話を信じ込んでいて。寝もせずチャンネルを見ては息子と私を叩き起こしてその話ばかりして。職を失ってから、ますますそれがひどくなって。日を追うごとに外観も恐ろしげになって。もはや人の顔では無くて…それに、耐えきれなくて)


 憔悴した母親に医者は深いため息をつく。


(お話では息子さんと似た症状をお持ちだったとか…そして後年になるにつれて凶暴性が高くなっていったと病院側からも聞いております)


 そして、医者がちらりと目を落とした電子カルテには、竜のような相貌となった男が口から火を吐いている様子が映っていた。


(あなたが病院側に提出した静止画はこちらも受け取っております。前のご主人はひどい火傷を負って現在入院中だそうで。奥様も大変でしたね)


 当時のことを思い出したのか、さらに身体を震わせる母親。


(役所の計らいで、私ども親子は主人と二度と会わないようになっています。でも心配なんです。息子も同じ病を抱えている以上、夫と同じような最後にならないかと。実の子である以上、信じたいとは思うのですが。それが検査結果で…)


 身体を震わせ、さらに老け込んでいく母親。その様子に医者のそばにいた2体の看護型アンドロイドのうち1体が寄り添う。


(身よりも無くて、役所の勧めるままに財産のほとんどを手放して、ここまで質素な生活にして。それなのにあの子が今後まともに働くことができないと知って…もう、私は今後どうしたら…!)


 母親はとうとう我慢できないと言わんばかりに顔を覆い、すすり泣く。


(でもどこまで、私たちは生活の質を落とせば良いのでしょう。どこまで、この状況を生き抜くことに堪えなければならないのでしょうか?)


 みれば狭い部屋には中古で購入したと思しき旧式家具が目につき、置いてある食料なども乏しい様子から、生活環境もかなり苦しいことがうかがえた。


(…ごめんなさい)


 そのとき、再び聞こえる少年の声。


(何もできなくてごめんなさい。我慢できなくて、大人の姿を保てなくて。頑張らなければならないのに…できなくて、ごめんなさい)


 少年の姿は、ますます幼くなっていく。

 子供から幼児へ、幼児からさらに小さくなっていき…


(生まれて来て…ごめんなさい)


 ほぼ、空洞のようになった布団の中。

 そこには、自身の涙でおぼれるように小さな胎児が蠢いていた。


「歴史は繰り返す。形は違えど、このような問題はどの時代でも発生した」


 気がつけば、ホタルの横にはクラハシの姿があった。


「…心因性の視覚退行化現象しかくたいこうかげんしょう。自分の精神を肉体に反映できる能力が不安定な時に起きる発作だ。そしてこの星では彼のような症状の人間が5人にひとりの割合で見つかり、社会問題となっていた」


 胎児の姿を横目で見つつ、落ち着いた様子で眺めるクラハシ。


「精神的に追い詰められた状態で発症することが多く、本来であれば体内リズムを整え、本人の要望に沿った環境とすり合わせすることでなんの支障もなく生活できるもの…しかし、惑星連合の経済悪化に巻き込まれ。かつネットワーク社会における急速な情報過多に振り回された結果、この星では連帯責任的な経費削減と孤立化が進み、次第に人々の間に余裕というものがなくなっていった」


「…この星に住む人々の心が荒みきってしまうほどにね」と付け加えるクラハシ。


「限界まで仕事を詰め込み、己の体を顧みずに働き続け、けれども景気は良くならない…まあ、結果としてストレスのはけ口になるように彼らは犠牲となってしまったというわけだ」


 ついで1体のアンドロイドが胎児の前で(大丈夫かい?)と声をかけた。


 それは、医者についていたはずの1体であり胎児はアンドロイドに対しても(…ごめんなさい)と必要のない謝罪を口にする。


 しかしアンドロイドは謝罪を無視し、(そも君は)と話しかけた。


(生きていくことが辛いかい?)


 それに胎児はピクリと反応し(ええ、消えたいほどに)と素直に答える。


(僕は何も出来ないから。仕事もまともに出来ない、身内に迷惑をかけてばかりいる…そんな存在、あってはいけなくて。生きている資格なんてなくて、僕は、僕は…!)


 それにアンドロイドは(…では)続ける。


(もし、何もかもできる人間を10として、死んでいる状態を0とするのなら、今の君は果たしていくつだ?)


 それに胎児はしばらく考えたあと(それは、1…です)と答える。


(できないけれど、生きてしまっているから0ではないと思います)


 それにアンドロイドは(そう、そのとおり)と、うなずく。


(人は1あるだけで、つまりは生きているだけで十分だ。何かを成すには1あれば良い。あとは足し算で自分が何者であるか、何をしたいか。経験や学習を重ねていけば良いだけなのさ)


(経験。でも、どうしたら良いかなんて。そもそも、僕は動いても…)


(君は、怖いのかい?失敗することが)


 アンドロイドの質問に胎児はハッとした顔をする。


(世間の目に触れることが。自分の行いが失敗した時に、人からどう思われるかかが怖いのかい?)


 それに胎児は目を泳がせ(…そう、かもしれません)と答える。


(僕の父さんも同じことをよく口にしていたから。世間様が見ているって。人に顔向けできないことをするんじゃないって。僕にも母さんにもよく言っていた)


(世間の目とは、そもそもなんだろうね?)


 ついで、リビングに置かれたケースへと目をやるアンドロイド。


(君の母親が大事にしているあのケース、あの中に入っているのは写真に写っている楽器かい?)


 その言葉に胎児は(ええ)と答える。


(母さんはすごい楽器奏者で、僕にもそれを教えようと自分の楽器を取っておいたんだ。でも、僕にはできなくて。学校まで出たのに、どうしても楽器をうまく弾けるコツがわからなくて…父さんも母さんも失望して)


(それは、君が本当に望んでいたものかい?)


 胎児はそれには答えない。だが、その視線の先には、小さな本棚…生物図鑑や専門書が詰め込まれた本棚があった。


(そう、本当は僕もわかっていたんだ)と続ける。


(母さんに色々なことをさせてあげたいと思って。そのためにお金を稼いで少しでもラクをさせてあげたいと思って。色々、仕事を変えて働いてもみて。でも、どうしてもうまくいかなくて。僕のしたい事とは何かが違う気がして、それでも働かなきゃいけないと思って…でも、もうやり直しなんてきかなくて)


 そう言ってうなだれる胎児に(そんなもの、生きていればいくらでもきくさ)とアンドロイド。


(必要なのはやり方と手順を自分で身につけることさ。ただ、この惑星の人間はそれらの時間がまるでないほど切羽詰まってしまっている。そのためは、君も、君を含めたこの惑星の大多数の人々もこの星から一時期離れ、自分たちが何をすべきか改めて学ぶ時間を作った方が良いと私は思うのだよ)


(…え?)と尋ねる胎児にアンドロイドは(安心したまえ)と続ける。


(君たちは本来、どのような環境でも生き延びる才能を持っている。成りたい形になり生きることができる強みを持っている。それは他のどの惑星の住人でもなし得ない能力なのだよ)


「成りたい…形?」


 それに声をあげたのはホタルであり「…そも」とクラハシは解説を始める。


「彼らの体質は『アンカー』以前の時代に人の手によって作られたもの。ゆえにどのような環境下でも身体を変えられる彼らの体質は惑星開拓の際にかなり重宝される…であった」


「しかしながら」と続けるクラハシ。


「『アンカー』の設置によって、簡単に惑星内の環境を整える設備が輸送できるようになると、彼らの能力は次第に不必要とされ、また惑星間の足並みを揃えるためにコミュニティ内で連帯性と協調性を求められるようになり、結果として、心理状態が身体に出てしまう人間に対し、仲間内でも差別をするようになってしまったのさ」


「え…そんな。『アンカー』の話もそうだけど、そんな過酷な環境で生きられるように遺伝子操作された人たちの話なんて、学校でも聞いたことない」


 驚くホタルに「これは、君よりひとまわり上の世代では誰もが知っている話。ただ50年もすれば、忘れられてしまう物事などいくらでもあるのさ」と続けるクラハシ。


「だからこそ、体験しろとはまでは言わないが知識を正しく伝えられる教育が重要になるのさ。まあ、彼らの話以上に『アンカー』の理論と歴史を正確に記憶している人間はごくわずか。それも、この50年の惑星間の出来事を完全に把握している人間なんぞ惑星中を探しても私ぐらいのものだがね」


 そう言って笑うクラハシに「クラハシ博士…あなたは一体?」と、思わずそう問いかけてしまうホタル。


 しかし、そこから先の質問は(じゃあ、アナタは神様なの?)と、問いかける胎児の声で遮られてしまう。


 それに対し気怠げにため息をつく、アンドロイド。


(それは私が一番嫌う呼び名だな)


 ついで、アンドロイドは胎児の元へと行くとベッドの中に手を入れる。


(私はただの人間。あきらめの悪い1人の人間でしかない…しかし、)


((…しかし君たちには、できうる限りの援助ことはしたいね))


 そこで初めて、ホタルはアンドロイドの声が部屋だけではなくリビングからも聞こえていることに気がつく。


「…そうそう、ここで私の名を呼ぶのはお勧めしないね。本当に必要な時に呼ばないと迷ってしまうはずだよ?」


 気がつけば、ホタルの腕を取りながらクラハシがそう告げた。


「迷うって…どこに?」


 思わずホタルはクラハシを見上げるも質問に答えないクラハシは「それより、この先の光景を見たほうが良い」と前方に注意を向けさせる。


 みれば、胎児はいつしか幼児へ成長し、その手を取ったアンドロイドも足元から消えていく。


「…誤解の無いよう、このあと彼らの身に何が起こったかだけは話しておこう」


 ホタルの腕を取りながらも、淡々と語るクラハシ。


「彼らは、あの後…ね」


 そう話すクラハシにホタルは目の前の光景から目を離せない。

 今や幼児の姿は少年へ、少年からさらに背が伸びていき…


「以前君に話した、惑星集団失踪事件の当事者となったのさ」


 瞬間、室内の様子が変わり…ホタルは真っ白な空間の中に立っていた。

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