第66話 六花の父

 六花について、俺は特別な指示を受けていた。

 「お前があいつの面倒をみろ」

 それだけであるが。


 「お前の部に入れれば一番なんだがなぁ」

 「勘弁してください」

 「お前、大分懐かれてるようだしなぁ」

 院長は声を出して笑った。

 笑い事じゃねぇ。

 毎回抱いて欲しいなんて挨拶は、本当に冗談じゃねぇ。

 まあ、流石に人前では控えてくれるようになったが。





 10月中旬に六花の父親が亡くなった。

 しばらく音信を絶っていたようだが、俺の勧めもあり、一ヶ月ほど前から電話で時々話すようになっていた。

 酒で肝臓を壊し、六花が連絡するようになったときには、もう手が施せないほどのステージの肝臓ガンになっていた。

 嫌っていたとはいえ、六花はやはりショックを受けたようだ。


 十日前、六花から父親の危篤の報告を聞き、俺は無理矢理に彼女を故郷の栃木へ帰らせた。

 余命一週間と聞いたからだ。


 しかし、一週間後、まだ六花の父親は生きていた。


 医師の判断は多少の個人差はあれど、末期ガンの場合、家族への危篤の報は意識を喪い食事を受け付けなくなったときになる。

 要は、そのまま全身が衰弱し、間もなく死ぬ、ということだ。

 遺族の状況によって、ある程度点滴などで延命させることもある。

 その後は遺族の判断で、点滴を外す。

 六花の父親の場合、最初から点滴は入れられなかった。

 唯一の肉親である六花がすぐに向かったからだ。


 しかし一週間が過ぎ、10日が過ぎても、父親の心肺は動いた。

 医学的にはあり得ない。

 病院を長期間休むことに困惑した六花は、俺に電話をしてきた。


 俺は病院のことは何の心配もするなと言い、俺も一度そちらに行くと伝えた。

 何度も恐縮して断られたが、俺は住所を聞いて、翌日向かうと言って電話を切った。



 栃木駅で六花は近所の人に借りたという車で俺を出迎えに来ていた。

 「石神先生、雨の中、ほんとうに申し訳ないです。先日はあんな大手術もありましたのに」

 しきりに恐縮する六花をなだめた。

 季節はずれの超大型台風が来ていた。

 関東に上陸しそうだった。


 車の中でも容態を聞いたが、今日で12日目。

 まったくあり得ないことだった。

 飲まず食わずで、人間が何日生きるのか。

 そう考えて欲しい。

 ガンに冒され新陳代謝が低下していると言っても、一週間が限度だ。

 それを倍近く生きている。


 俺が病院へ着いた日の夕方、雨が激しくなってきた。

 台風は予想通り、関東を直撃し、栃木を通過するのは翌朝未明になるそうだ。

 しばらくベッドの横に六花と一緒にいた。

 また、特別に身分を明かした上で、カルテを拝見させてもらった。

 血液検査の結果からも、ここの医師たちの判断が妥当であることが確認できた。




 翌朝、俺が六花がとってくれたホテルで朝食をとっていると、六花が現われた。


 「明け方に、父が逝きました」


 そう言って、六花は涙を零した。

 しばらく、彼女は自分が泣いていることに気付かなかった。


 「あ、アレ?」


 自分のことに驚いている六花を、俺は抱きしめてやる。

 しばらく戸惑っていた六花は、やがて声を出して泣き始めた。



 「すいませんでした。自分は父親のことを、恨んでばかりだったと思っていましたから」

 「恨むってことは、その裏がちゃんとあるからだよ。まあ、これから葬儀もあるんだから、しっかりな」

 「はい」


 俺は気になったことがあったので、一江に電話をした。

 恐らくこの後葬儀になるから、二、三日帰れないということ。

 「それとな、今回の台風の発生場所を確認してくれ」


 その後で便利屋へ連絡し、俺の家から喪服と葬儀のもの一式を運んで欲しいと頼んだ。

 こちらで喪服などを借りようかとも思ったが、六花のために、ちゃんとしたものを、と考えた。

 長距離の仕事で、便利屋にも金を渡せる。

 亜紀ちゃんに連絡し、喪服などの場所を教え、便利屋に渡してもらうよう頼む。


 俺が台風のことを一江に確認させたのは、六花の話が気になったからだ。





 病室で一緒にいるとき。


 「お父さんは、結構お年だよな」

 「はい。実は私は父が50代半ばで出来た子どもなんです」


 そうすると、お父さんは戦前の生まれか。


 「他に親しい人なんかはいるのか?」

 「いえ、うちがこんなですから、親戚付き合いもほとんど。父の飲み仲間なんかはいるのかもしれませんが、私には分からなくて」

 「そうか」


 しばらくの沈黙の後、六花は思い出したように言った。


 「そういえば、子どもの頃に聞いたんですが、父には仲のよい年の離れた兄がいたそうです」

 「……」

 「本当に仲良しだったそうで、お兄さんの話をするときだけは、いつも父も上機嫌でした」

 「そのお兄さんは今は?」


 「戦時中、南洋の島で、たしかレイテって言ってました。輸送の船が沈められ、亡くなったそうです」

 「そうか」


 間もなく、一江から電話が来た。

 やはり予想通り、今度の台風はフィリピン沖で発生したそうだ。






 ホテルの食堂で、ようやく六花は落ち着いて来た。

 俺は自分の考えを六花に話した。


 「これはまったく俺の予想と言うか、俺の勝手な想像と思ってくれ」

 「はい」

 「なぜお父さんがあんなに頑張って生きていたのか。医学的にはあり得ないことは、お前でも分かるよな」

 「はい」

 「俺は、お兄さんが迎えに来るのを待っていたのだと思う」


 「!!!」


 「一江に調べてもらったが、10月の後半で、本当に季節はずれの台風だった。その発生場所は、レイテ戦の海域だったよ。緯度経度も調べて確認している」


 六花はテーブルに握り締めた拳を置いて、小さく身体を震わせていた。


 「お前にとって父親がどうだったかは分からんが、少なくともお兄さんへの思慕は死ぬまであったということだ。俺は良いお父さんだと思うぞ」


 六花はテーブルに突っ伏してまた泣いた。

 台風の中、ホテルの食堂には俺たちしかいなかった。




 俺は好きなだけ泣かせてやった。




しばらくすると、六花は落ち着きを取り戻した。


そして、無理矢理笑顔を作って俺に向かって言った。
























 「先生、最後に父は、本当に嬉しそうに笑っていたんです」

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