富豪外科医はモテモテだが結婚しない:シャルダンの「Ω点」―あるいは親友の子を引き取ったら大事件の連続で、困惑する外科医の愉快な日々ー

青夜

第1話 遠い、あの日

 山中の娘、亜紀ちゃんが電話の向こうで泣き叫んでいた。


 「石神さん! 石神さん!」


 八月中旬の土曜日午後7時。

 俺は休日で家にいた。

 電話は知らない番号で、相手は名乗らなかったが、その声で山中の長女の亜紀ちゃんだとすぐに分かった。


 「どうした、亜紀ちゃん、何があった!」

 「石神さん、助けてください! 父と母が!」

 「!」


 俺はなんとか亜紀ちゃんから場所を聞き出した。

 激しいショックを受けていて、それ以上のことを聞き出せない。

 とにかく、急いで向かうことにする。


 「亜紀ちゃん、分かった。俺がすぐに行くからな。そこで待ってろ! 俺が必ず助けてやる! 俺に任せろ!」

 泣きじゃくる声しか聞こえない。

 

 「いいか、俺に任せろ!」


 電話の向こうで、亜紀ちゃんが必死に「はい」と言った。





 俺はガレージのリングシャッターを開け、ベンツのエンジンをかける。

 暖気まで待たない。

 すぐに門を開け、車道に飛び出した。


 亜紀ちゃんが言ったのは、山中の家の近くの病院だった。

 俺は詳細は知らずとも、とても良くないことだと分かった。


 病院の駐車場に車を入れ、すぐに救急外来に向かう。

 山中たちが事故か急病で運ばれたのだろうことは予想していた。


 恐らく急病ではない。

 夫婦で運ばれたのだから、事故だろう。


 俺は港区の病院で外科医をしている。

 容態を見て、うちの病院へ搬送することも考えた。

 うちの病院はとにかく設備が最新鋭で充実している。

 あらゆる想定を繰り返し、俺はめまぐるしく思考していた。



 救急の窓口で、山中の名前を告げ、場所を聞いた。

 「病室」の番号を知らされた。

 オペ室ではないのだ。


 俺は、もう何も出来ないだろうことを知った。


 病室では、亜紀ちゃんが両親のベッドの横で泣き崩れていた。

 山中と奥さんの顔には、白い布が乗せられていた。




 俺が近づくと亜紀ちゃんが気付き、俺に抱き付いてきた。

 「石神さん、父と母がぁ!」

 俺は亜紀ちゃんを抱き締めの背中をさする。

 

 「亜紀ちゃん、俺は来たぞ!」

 「石神さん!」

 「俺はちゃんと来た。来たぞ!」

 

 亜紀ちゃんは一層激しく泣き、俺の胸に顔を埋めようとする。

 

 




 長い間泣き続けた亜紀ちゃんが、少しずつ話してくれた。

 俺は無理に話すなと言ったが、亜紀ちゃんは聞いて欲しいと言った。


 二人で車で買い物に行った帰りだったらしい。

 交差点で居眠り運転のトラックに正面衝突された。

 ほとんど即死で、病院へ搬送されたときには、すでにこと切れていた。


 山中には四人の子どもがいるが、今は亜紀ちゃんだけしかいない。

 他の三人は、都内に住む伯母が面倒を見てくれているらしい。

 亜紀ちゃんが少し落ち着いた頃、親戚の方らしい人が何人か来た。

 俺は挨拶をし、亜紀ちゃんを任せて病室を出た。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 あれは大学二年の夏だった。


 俺と御堂、そして山中の三人で居酒屋で飲んでいた。

 広い座敷では、K大の野球部が祝勝会を開いていた。

 何に勝ったのかは分からないが、大いに盛り上がっていた。


 しばらくして、化粧室の帰りだったのか、野球部のマネージャーだという二人が俺たちの席に来て、俺が声をかけられた。


 カッコイイだのなんだのと言い、勝手に山中を押しのけて俺の隣に座る。

 俺が怒鳴って追い返そうとすると、座敷から数人の野球部員らしき男たちが出て来た。


 「おい、表に出ろ!」

 俺たちは、支払いを済ませ、外に出た。


 10人ほどの学生たちに囲まれた。


 「またかよ、石神」

 山中が言う。


 「お前といると、こんなのばっかりだよ」


 学生たちが何か言っていたが、覚えていない。


 俺がぶちのめしている間、山中は何度か顔面を殴られていた。

 御堂はいつも通りに少し離れた場所で、俺たちを見ている。


 学生の一人が、俺の右腿にバットを当てたが、それで最後だった。

 警察が来る前に、俺たちは離れた。




 「おい、待てよ山中!」

 俺は痛みで少し足をひきずり、御堂の肩を借りて歩いていた。


 「待てって!」

 山中はさっきから憮然とし、どんどん先を歩いていく。


 「山中ぁ!」

 振り向いた山中は、殴られた頬を押さえて言った。


 「石神、お前いい加減にしろよ!」

 「だって、あいつらが絡んできたんだろう!」

 「お前ばかり女にモテて、俺はいつもとばっちりで殴られるだけだ!」


 俺は御堂と顔を見合わせて笑った。


 「そんなこと言ってもしょうがねぇだろうが。俺だって今日はこのザマだ。あいつらバットなんか持ってやがった」

 「野球部なんだから、バット持っててもおかしくないだろ!」


 「ああ、そうか!」


 御堂は身をよじって笑っていた。

 「たしかにそうだよねぇ」


 山中はまたさっさと行こうとする。


 「おい、だから待てって!」


 「御堂、そんな奴はほっとけよ!」


 「そんなことを言うなよ、なあ待ってくれよ」


 「俺はもう石神とは何も話さないからな!」


 「お前、そんなことを言うなよ、なあ、待てって」


 山中は待ってくれない。













 山中、どうしてお前は待ってくれなかったんだよ。

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