A beautiful day(14)
…………
血筋。ソニア。ユウキ。父親。
…………
プツン、と頭の中で何かが弾ける感覚が走る。
「――はあぁ!?」
次の瞬間には、一切の躊躇無く大声を上げていた。
「え、いや、え? 父親?」
「うん、そうそう」
「うん? そうそう? え? ソニアのユウキが? 石川の?」
「イェスイェス。私のお父さん。石川優希」
「な、は、え? ま、マジで?」
「マジマジ、大マジだよ」
語彙を無くして狼狽する僕に、彼女はあっけらかんと返してくる。その声や瞳から欺瞞の色はまったく感じられなかった。屋上で自身の右手を見られた時のような、何かを隠そうとする素振りも見せない。対して僕は、彼女の右手を目撃した時以上の喫驚に襲われていた。
「いやあ、篠宮くんがそんなに大きな声出すなんて珍しいねえ」
「い、いやいや、そりゃあ、さすがに」
その告白に声を出して驚くなと言うほうが無理な話だ。
「――あっ、じゃ、じゃあ、もしかしてそのギターも……」
「お、気づいた? さすがだねえ」
悪戯っぽく笑いながら、両手でギターを軽く掲げる。
「君が思ってる通り、お父さんの、ソニアのユウキのギターだよ」
…………マジかよ……
と、文字通り言葉を失った僕は心の中で呟いた。目の前で語られた衝撃が喉に詰まったように声が出ない。
彼女が手にしているそれはユウキと同じ装飾を施した同モデルのギターなどではなく、本当の意味でユウキ自身のギターだったということか。
「……意外と信じてくれるんだね」と、彼女は苦笑気味に言う。
「こんな話、絶対信じてくれないと思ったけど、なんだか全然疑ってなさそうな顔してる」
「……ああ、まあ」と、そこで僕はやっと口を開いた。
「なんていうか、嘘っぽさが無いからさ」
「なにそれ」
たしかに普通に考えれば彼女の話は甚だ荒唐無稽である。憧れのロックバンドのメンバーがクラスメイトの父親。仮に、初対面でそんなことを聞いたのであれば、間違いなく信じなかっただろう。
しかし、今は知っている。まだ話すようになって間もないが、彼女が嘘を吐いたり隠し事をしたりすることが絶望的に下手だということを。そういう時は挙動や語気が露骨に変わるのだ。今の彼女からは、言葉からも表情からも一切それを感じない。言動に偽りの気配が無いから真実を語っている、というのはいささか浅薄な発想かもしれないが。
「……お父さんがソニアのメンバーだったっていうことはね、べつに昔から隠そうとはしてないんだ。同年代の友達じゃあソニアを知っている人の方が少ないし」
「ああ……まあたしかに。流行ったのはもう二十年近く前だもんな」
「そう……だけど篠宮くんはソニアを知ってて、しかも好きなバンドだって言うからさ。すぐには伝えられなくなっちゃった」
「それってどういう――あっ」
言葉の意味に気づき、僕は声を漏らす。
思い出してしまったのだ。たった今暴露された事実の衝撃で完全に頭から吹き飛んでいた、つい数十分前の会話の内容を。
石川は、自身が一歳の時に、父親を病気で亡くしたと語っていた。
それはつまり、彼女の父親であり、ソニアモルトのギターボーカルであったユウキが、もうこの世にいないということ。
突如として突きつけられたその現実は、僕の胸の底に大きな風穴を開けた。遥か昔に解散したバンドで、メンバーの現在も分からない。メンバーに会ってみたいとも、いつか会えるとも思っていたわけではない。
しかしそれでも、強く憧れていたバンドの痛ましい過去を知ってしまった今、自分でも思いがけないほどの大きなショックを受けていた。
そして、空虚感に支配された頭の中では点と点が繋がっていく音がする。同級生の彼女が一歳の時ということは二〇〇五年。そしてソニアが解散したのは二〇〇四年。
ということはつまり――
「じゃあもしかして、ソニアが解散した理由って……」
「うん。お父さんが病気になって余命宣告を受けたから、なんだって」
「……そう、だったのか」
納得がいった。なぜソニアが人気絶頂の中で解散という道を選んだのか。巷で飛び交う噂は全て見当違いで、そして真実はそのどれよりも悲痛だった。きっとメンバー本人たちにとっても苦渋の決断だっただろう。
「……私もね、最初は何も知らなかったんだ」
石川は柔らかな声で語り始めた。
「お父さんがバンドをやってたこととか、しかもそれがすごく人気のバンドだったこととか。物心つく前に亡くなっちゃったからさ」
言葉を続ける彼女の横顔を、僕は静かに眺める。
「だから当然私はお父さんに何かを教えてもらったり、一緒に遊んだり、色んな話をしたりしたことはないんだ。けどそんな中で残してくれたものがあるの」
そう言って石川は、腹側に置いたギターのボディへ慈しむような眼差しを落とす。
「それがこのギターと、CDプレーヤー。どっちもお父さんのお古だけど」
「CDプレーヤーって……前に屋上で置いてたやつか?」
「あ、そうそう、あの古めかしいやつ。私は今でも使ってるけど、完全に過去の遺物だよね」
たしかに屋上で目に入った時にはずいぶんと時代錯誤な代物だと感じた。現代の高校生にとってポータブルオーディオ機器といえばスマートフォンかMP3プレーヤーが主流だ。
「たしか小一の時だったかなあ」と、石川が記憶を辿るように言う。
「学校から家に帰ったら、お母さんがあのCDプレーヤーでCDを聴いててね。その時の私はイヤホンを使ったことすらなかったから、すごく物珍しいものに感じてさ、すぐ飛びついて一緒に聴かせてもらったの。その時聴いてたのは篠宮くんもご存知『ordinary end』だったよ」
それはソニアの最初で最後のアルバム。今ならそのタイトルの真意も分かる。きっと発表前にはユウキの病気が発覚していて、解散の意思が固まっていたのだろう。
「もう、初めて聴いた瞬間にガシッと心を鷲掴みにされちゃってさあ。それからは毎日暇があれば聴いてたよ」
彼女は当時の興奮を思い出したかのように声を弾ませる。
「それで、私がCDを聴くようになって少し経った頃にお母さんがやんわりと教えてくれたの。『その曲を作ったのはお父さんで、歌ってるのもお父さんだよ』って。それを聞いた時はさすがにビックリしたね」
そこで彼女は大きな両目を僅かに細めた。狭まった瞳には郷愁を滲ませた光が見える。
「けど同時にすごく嬉しかったのも覚えてるよ。『私のお父さんはこんな素敵な曲を作る凄い人なんだ。今はもういないけど私たちにこんなに素晴らしいものを残してくれたんだ』ってさ」
それを聞いた僕の脳裏にはふと、ある言葉が蘇った。
『私の生きた証を残すこと』
先日、石川がバンドを組む理由として言い放った台詞。今、目の前で彼女が語った言葉とどこか重なるものがある。もしかすると、石川がバンドを組んでやり遂げようとしていることは、父親への憧れゆえに思い立ったことなのだろうか。
「それでね」と、彼女は続ける。
「ある日聴くだけじゃなくて、自分の手でも曲を演奏してみたいなって思い始めたの。それでお母さんにせがんだら、このギターを渡してくれたんだ。押入れに大事に置いてたみたいで」
彼女はギターのボディにそっと左手を重ねた。まるで稀少な宝石を触るように、橙色の艶めきを優しく撫でる。
「それからは学校が終わったらすぐ家に帰ってひたすら練習してたね。ちょっとしたフレーズが弾けるようになるたびにお母さんに見せてたよ」
小さく笑った後で石川は一度口を噤んだ。彼女の顔に視線を置いたまま続く言葉を待つ。沈黙の中で、薄く開いたその両目が少し揺らいでいるようにも見えた。
数秒経った後、石川はおもむろに口を開いた。
「……私がギターを弾き始めたきっかけはソニアのアルバムを聴いたことも一つだけど、きっと本当の理由は、お母さんを元気づけてあげたかったからなんだろうなあ」
「母さんを?」
「うん……お母さんさ、お父さんのCDを聴く時、ちょっとだけ寂しそうだったんだ。きっと聴くたびにお父さんのことを思い出してたんだと思う。だから私はお父さんと同じぐらいギターを上手くなって、できる限り同じ演奏をして、それをお母さんに聴いてもらって少しでも喜んでもらえたらなって、子供っぽい単純な発想だけどそう思ってたの」
言葉を続ける石川は、斜め上の空に向かって右手を掲げる。高く上っている太陽の光を受けて手の甲が銀色に光る。その光沢を仰ぎながら彼女が次に発した声は、歌を歌う時と同じように脆く儚げなものになっていた。
「お母さん、最初は弾いてみせるたびに喜んでくれてたし褒めてくれてたんだ……けどある時を境にキッパリと聴いてくれなくなっちゃった。今じゃギター弾いてたら止められるぐらいに」
「……何かあったのか?」
「ん……いや、まあ、ちょっとね」
彼女は苦笑交じりに呟いたが、それ以上は語らなかった。明らかに言い辛そうにしている空気を感じ、僕も口を閉じる。
どんな理由にしろ、自分が奏でる音を厭う人がいるということは、石川にとって非常に悲痛なことだろう。彼女の音楽に寄せる思いを間近で見ているからこそ分かるし、強い憐憫の情を抱いてしまう。
かといって今、なんと声をかけたらいいのか自分には分からなかった。励ます言葉も慰める言葉も見つからない。もし思いついたとしてもそれを彼女に言いかけることは憚れる。同じ境遇を経験していない者がどんな言葉を吐いても、それは無責任な行為だと思うから。
だけど――
「俺は好きだよ。石川のギター」
次の瞬間には、その一言が口を衝いて出ていた。彼女のギターの音色に対して抱いている素直な感情が、自分でも驚くほど無意識に。
僕の言葉を聞いた石川は細くしていた両目を大きく見開いた。三日月から一瞬で満月に移り変わったかのような瞳をこちらへ向ける。そしてすぐに三日月に戻った。先ほどとは違った嬉しそうな輝きを湛えて。
「うぇっへっへ」
「……なんだその不気味な笑い方」
「いやいや、ついね……ありがとね、篠宮くん」
「べつに……俺はなにも」
彼女の無邪気な顔を前に気恥ずかしさを覚え、僕は正面に目を逸らす。
すると間髪入れずに、視界の端で再び石川がギターを弾き始めた。軽やかなストロークで綺麗に弦を震わせ、美しい音色を生み出す。五月の晴天下の空気に調和する、穏やかな旋律が広がっていく。
彼女の母親が、どんな理由で彼女のギターを拒んでいるかは知らない。
けれど、少なくとも僕は、今、空間を包んでいるこの音が好きだ。
ソニアの曲に似ているからというわけではなく、純粋に、彼女が奏でるギターの音が。
聴けば、胸を暖かさが満たす、この音が。
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