38.空虚 ＊＊＊
どれほどの惨劇が起きようとも、時は止めどなく流れ風化させてゆく。大陸最強を謳われる魔導師パーティ・
二人は事件後まもなくして王都・ギノバスへ帰還した。負った外傷の治療と騎士からの事情聴取を終えた彼らが足を運んだのは、王都の集団墓地。
守れなかった。いや、抜群の才能を持ち合せる彼女を守るなど、もはやおこがましいまである。守れなかったことへの後悔というよりは、あまりに呆気ない最期へ誘われたことへの虚しさだろうか。
二人がクアナに尽くすには、もう彼女の名が刻まれた墓石をただ見つめることだけに限られた。一件それはただの石柱であろうとも、苦しいほど鮮明に彼女の笑顔が映る。
フェイバルはエンティスに呟く。
「エンティス、ありがとよ」
「……なんだ？」
「お前が俺を止めてくれなきゃ、俺は街一つ破壊してるとこだった」
それは明らかな虚勢だった。フェイバルはあの日以来、酷くやつれている。そしてそばに居るからこそ、エンティスはそれが辛くてたまらない。
「……ったく。水くせぇのは無しだ。昔から言ってんだろ」
ここで会話はついえた。
あの日とは打って変わって快晴の空。肌寒い風が吹きつける。しばしの沈黙の後、フェイバルはある決断を下した。
「……俺は
少し間を開けてエンティスが応える。彼は驚かなかった。
「……ああ。だと思ったよ。そうならなくとも、俺は魔導師稼業から足を洗うつもりだった」
「……そうか」
「フェイバル、お前は国選魔道師だ。そっちはまだ続けるんだろ？」
フェイバルは返答しなかった。エンティスは勝手な返答を想像すると、そのまま寂しそうに零す。
「なら、お前とも疎遠になるだろーな」
「……ああ。かもな」
グリモンで起こった一連の事件は王国騎士団も注目した。そして彼らは実体の見えない事件を探るべく、参考人としてとある少女を王都へ召還する。少女フィーナ。クアナを殺した張本人の少女である。
彼女は事件後に精神を取り戻し、瞳に浮かんでいた魔法陣もいつの間にか消失していた。魔法の解除により心神喪失が回復すると仮定すれば、現場に居合わせた彼女は最も太い頼みの綱なのだ。
騎士は質問を続ける。まずは最も基本的なところから、のつもりだった。
「君と一緒に居た男に面識は？」
「……わからない」
「そうか……なら、君の故郷は？」
「……わからない」
「ご両親のとこは覚えているかな？」
「わからない……の」
フィーナは涙ながらに頭を抱え塞ぎ込む。騎士は別の騎士に尋ねた。
「洗脳魔法の被害者で、他に生き残りはいたか？」
「え、ええ。グリモンのギルド魔導師が多数おりました。彼らは一時的な記憶の混濁こそあったものの、その後すぐに回復しています」
「……そうか。ならばこの少女は幼いがゆえに、ギルド魔導師たちより強く魔法の影響を受けているのかもしれないな」
「……そうですね」
「この子がただのグリモンで騒動に巻き込まれた子なのか、それとも敵の一員なのかも分からんが、これ以上は無意味だ。切り上げよう」
後日の騎士団本部にて。動員された第一師団の騎士たちは、一連の事件の概要を報告書として纏める作業へと従事していた。
「――というわけでして、フィーナという少女から情報を得ることは出来ませんでした。記憶喪失と不安障害も見受けられ、グリモンで彼女の親を名乗る者も現れないため、このまま王立病院で長期療養する予定です」
第一師団長のライズは部下からの報告を受けながらも、真剣な眼差しで手元の資料を読み進めてゆく。
「……パルケード＝コミュレイトは、居合わせた恒帝ことフェイバル＝リートハイトの手によって死亡。パルケードの連れらていた少女・レイシュは路地の奥で自死。そしてフィーナという少女は記憶喪失か」
ライズは纏められた資料をパラパラとめくりながら尋ねた。
「それで、ギルド・グリモンの魔導師たちからもめぼしい情報は無しか？」
「それがですね……彼らも詳しいことは覚えていないようでして。ただギルドに居たところから先は、まるで眠りに落ちるような感覚を覚えた、とだけ」
手詰まりだった。それでもライズは少し考え込んで指示を出す。
「……パルケード＝コミュレイトを洗い直そう。魔導書作家以外に、きっと何か別の顔があるはずだ」
同日のこと。王国騎士団第三師団のうち数部隊は遠征任務からの帰還を果たした。そしてそこには、元・
検問を抜けてすぐ、道先の小さな事故で小隊の車は停止する。狡猾な新聞売りの男は、良いところに居合わせたと車列に片っ端から商いを仕掛けた。
「やあ、前に進まなくてお暇でしょう。新聞はいかかです？」
そして男はロベリアらの乗る騎士団の車列にも、恐れることなく声を掛ける。
「騎士様や、ご苦労様です。新聞はいかがでしょうか？ しばらく王都離れていたのなら、ぜひ最新の情報を」
ロベリアはこういうところで妙に乗り気になる性である。
「あら、じゃあいただくわ」
同期の騎士であり第三師団の副長を努める騎士・マディーはそれを横目に見る。
「まーたそんなの買って。経費じゃ落ちませんよ、それ」
「いいのいいの、退屈なんだし」
快く購入した新聞で、彼女はついに事実を目にすることとなる。刻まれた文字は、まさに信じがたいものだった。
"大陸最強・
「……は？」
ロベリアはそれを疑うように、続けて細かな本文を読み漁る。タチの悪い夢かと思った。意識せずとも表情は深刻なものへと変貌してゆく。
「し、師団長？」
マディーは彼女の異変にいち早く気がついた。
「ええ、だ……大丈夫よ。大丈夫だから」
ロベリアは慌ただしく新聞を閉じると、強引に話を逸らす。それでもマディーは話を引き戻した。
「師団長……」
「大丈夫だから！ なんでもなくて――」
「あなたは大丈夫じゃないです」
「……え？」
「だってあなた、泣いていますよ」
ロベリアは指摘されて気がついた。頬に指の腹を添えれば、そこには確かに一滴の雫が垂れる。
「こ、これはその、違くて……！」
新聞の見出しは大々的にその悲劇を報じていた。ゆえにマディーは、その記事の内容を確かに捉えてしまった。そしてまた彼は、ロベリアと同期で騎士へと入団した身。同期であるロベリアの前職など当然に知っている。だから男は耐えられなかった。
同じ車両に乗り合わせる数名の騎士たちは師団長の異変に気がついているようだったが、それでもマディーは妙な文句を並べ始める。それは歪ながらも、彼女の抱えた師団長としての誇りを傷つけない為だった。
「し、師団長、顔色が悪いです。きっと長い移動で疲れたんでしょう。もう今日はお帰りになってください」
「え……？」
ロベリアは突然の頓狂な発言に戸惑った。しかしマディーは続ける。
「無理はダメです。ほらみんな、師団長の顔色悪いよな？」
同じ車に乗る他の騎士は、新聞の事情を知らずともマディーの意図を汲んだ。徐々に賛同が集まってゆく。
「そ、そうかも」
「たしかに……師団長は休んだほうがいいです……！」
マディーは少し勢いづいた。
「ほ、ほら師団長！ 帰るべきです！」
ロベリアもようやくマディーの意図を理解した。強引に自分を帰らせようとするマディーの優しさを察すると、少しばかり冷静さを取り戻す。まだ内容が事実であると決まったわけではないのだ。この目で確かめるまでは、鵜呑みになどしない。
あまりに不器用な優しさに微笑みつつ、ロベリアは口を開いた。
「ご、ごめんねみんな。マディーにはバレちゃったけど、ちょっと体調が悪くなっちゃって」
部下の騎士たちはそれを聞くと威勢良く口々に話し始める。
「師団長、無理なさらないでください！」
「たまには俺たちに頼ってくださいよ」
マディーは安堵すると彼らに続く。
「そういうことです。確か師団長の家、ちょうどこの辺でしょ？ さ、ここで降りてください」
「みんな、ありがとう。第三師団は、私の誇りよ」
ロベリアはマディーにひっそりと瞬きして目配せすると、そのまま車から降りた。
ロベリアはただひたすらに駆けた。クアナの死。そしてパーティのリーダーを務めながらも、彼女の死に直面することとなったフェイバルの苦悩。慮るのはあまりにも容易だった。
彼がそこに居る根拠は無かったが、ロベリアはフェイバル宅を目指した。それでも彼女の居る検問からそこまでは、まだ相当の距離がある。しかし男の傷の深さに比べれば、ひどく短いものだろう。
（クアナが……どうして？ どうしてあの子が？）
目にした事実に対する拒絶だけが頭を巡る。かつての同胞のあまりに突然な死など、決して受け入れたくなかった。
しかしたとえどんなに否定しようとも、ギノバスで発刊される新聞が虚偽を語ったことは一度たりとも無い。それが事実であるへの覚悟少しずつ彼女の心に芽生えてゆく。そして同時に、耐えがたい後悔が彼女を襲った。
（もし私がまだ
王都は随分と栄えているので、走るよりも早い移動手段などいくらでもある。それでもロベリアは錯覚していた。自分の息を切らし、肺を潰して足を棒にすることが、彼らへの贖罪であるのだと。
【玲奈のメモ帳】
No.38 王国騎士団の師団・部隊・班制度
王国騎士団は三師団で構成される。各師団は二〇部隊を保有し、一部隊あたり十二人が所属する。組織図上では部隊が最小単位となるが、便宜上部隊内では頻繁に班が編成される。班は作戦の性質に応じて柔軟に変動するが、一班あたり三名から四名とされることが多い。
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