第二十七話 決着
レイラに暴走状態を解除されて。
俺達は、『第一の眷属』の元に集まっていた。
本当に立っているのがやっとの状態だったんだろう。俺がレイラに抱き締められると同時に、『第一の眷属』は地面に倒れ込んだ。
仰向けに寝転んで、瞼を開けているのも億劫そうな表情をして、金と紅のオッドアイでこちらを見上げる。
「どうした……早く殺せよ……」
俺が近付くと開口一番、今にも消えそうな声で、『第一の眷属』はそう言った。
「僕はレイラに復讐しようとして……君に負けたんだ……君達としても……僕を生かしておく理由は……ないだろう?」
「……まあ、確かに生かしておく理由はないんだけど」
「じゃあ、早く殺してくれ……レイラ」
と言って、『第一の眷属』はレイラの方を見た。
唐突に名前を呼ばれて、隣に立つレイラはビクッと反応する。
「……そんなに驚かなくてもいい……」
それを見た『第一の眷属』は、レイラを安心させるように優しく笑った。
俺は『第一の眷属』だけでは不安は軽減されないと思ったので、繋いでいた手でレイラの太ももを軽く叩いて、安心するように合図をした。
レイラがこちらを見上げたので、目線でも俺は言う。
――大丈夫。
――俺がいるから。
目線を合わせて言いたいことが伝わったのか、レイラは俺から視線を外して、『第一の眷属』の方をまっすぐ見た。
レイラが自分の方を見たのを確認して、『第一の眷属』は小さく笑う。
それから言った。
「君が僕を殺してくれ……かなめくんでも僕を……殺すことはできるけど……彼はまた暴走するから……レイラ。君だったら、確実に安全だ……だから」
だから君が僕を殺せ――と。
『第一の眷属』は呟いた。
レイラは――その言葉にとても困った顔をした。
どう返事をしたらいいのか、わからないという顔。
すぐに、レイラは俺に視線を向けて助けを求めて来たので――助け船を出すわけではないが、俺は口を開いた。
「『第一の眷属』」
ちょうど、気付いたこともあるし。
俺はどうでもいいけど……レイラが勘違いしたまま終わるのは――どうだろう?
あまりよろしくない気がする。
「訊きたいことがある」
「…………なんだい?」
ゆっくりと二テンポほど遅れて。
『第一の眷属』は、こちらに目を向けた。
反応が遅い。
というか――血を失い過ぎて意識が朦朧としているのだろう。
「まあ……訊きたいことっつーか……正確には確認したいことなんだけど?」
俺は訊いた。
「お前――レイラに復讐する気なかっただろ?」
えっ? ――と。
三方向から驚きの声と、驚きの顔を向けられた。
いや――声は出ていないが、驚きの顔は四つだった。
レイラ。佐々木。海鳥――それに『第一の眷属』も、俺に驚きの顔を向けている。
代表するように佐々木が尋ねて来た。
「……どういうこと? 『第一の眷属』は『
「違う――俺も確信を持ったのは今さっきだけど……つーか、この目的が確定って思ったのは、本当に今だけどよ……こいつの目的は、レイラに復讐することじゃない」
俺は言った。
復讐以外となると――言動を振り返っても、『第一の眷属』の目的はこれしかなった。
「お前の目的は――死ぬことだろ?」
死。
「お前は死ぬことが目的だったんだ……自分が死にたいから俺達の前に現れて……俺やレイラに殺してもらうために……わざわざ殺人事件を引き起こしたんだろ?」
『第一の眷属』は驚いたような、困惑したような表情をしていた。
それからやがて諦めたような表情になって、彼は言った。
「……どこで気付いた?」
「だから今さっきだよ」
俺は言った。
「殺せ――ってお前言ったよな? 血を吸われまくった瀕死の状態で。自力で立つこともままならず、『
確認したが、『第一の眷属』は何も言わなかった。
返事をするのも億劫と思っているのか、黙って聞いている。
俺はそのまま続けた。
「復讐を目的にしている奴は――死に掛けてもそんなことを言わない」
「…………」
「復讐を目的にしているなら、自分の生死より復讐を成し遂げることを優先する……指一本動かせなくなるまで相手に嫌がらせをして……口しか動かなくなっても恨み言を吐き続ける……本気で復讐しようとする奴なら、そうするはずだ」
「……チッ」
舌打ちされた。
「……そんなこと気付いても……言わなくていいだろ」
「と俺も思ったけど……まあ、レイラが勘違いしたままなのかどうかと思って」
「……別にいいだろ……勘違いさせたままでも」
悪態を吐くように『第一の眷属』は言う。
それを聞いて、レイラの頭の上には疑問符が浮かんでいた。
「? ??? ……え、どういうことじゃ?」
「こいつは別に、お前を恨んでいないってことだよ」
「……それは違う」
俺が説明すると、『第一の眷属』は速攻で訂正してきた。
「……僕がレイラを恨んでいるのは事実さ。かなめくん……君には喫茶店でも……話したことがあるけど……あの時話したことは……全部、僕の本心だ」
「…………」
「僕はね……ずっと後悔して……生きて来た」
虚ろな目で空を見上げて。
『第一の眷属』は、語り始めた。
「レイラの眷属になってからじゃない……眷属になる前から……ずっと……僕は自分が選んだ行動と、その結果に後悔していた。……だからもう、後悔したくなくて……あの感情を味わうのが嫌で……もう失敗しないように……やれることは全部……全力でやって来たつもり……だったけれど――でも、毎回残ったのは、後悔の感情だけだった」
「…………」
「敵兵に銃を向けて、引き金を引けなかった時もそうだ……死ぬのが怖くなって……命令に背いて逃げ出した時も……『
――何もできなかった。
と――『第一の眷属』は悔しそうに言った。
色の異なる両の目から、涙が溢れ出す――その透明な液体が零れないように、『第一の眷属』は右の前腕部で、目頭を押さえた。
涙が出て感情が不安定になって来たのか、『第一の眷属』は下唇を噛んで、嗚咽が漏れるのを堪える。
しばらくして落ち着いてから、『第一の眷属』は話を続けた。
「あの時は『
「…………」
「生きろ――って言われたよ。……外に出された時に……ちゃんと生きて、今度はちゃんと幸せってやつを掴めって……しっかりしろって……そう言われたから僕は、一人で世界を回った」
俺はレイラから、『第一の眷属』は自分の元を去ったあと、『
レイラはその時に、『第一の眷属』は死んだと思い込んでいたみたいだったが……聞くとどうやら、『第一の眷属』は島にいた『彼女』に、逃がされただけみたいだった。
彼女。
そう表した人物が、『
しかし聞いた感じ――『第一の眷属』が島で過ごした時間は、彼女と言われる人物と共に過ごした時間は……悪い物じゃなかったんじゃないかと、俺は思った。
『革命戦争』――『
その時に何もできなかったことを後悔する――程度には。
「けど――後悔ばかりして来た僕には、辛いだけだった」
とうとう零れないようにしていた涙が、零れた。
手で押さえているから顔は見えないが、涙が流れて、重力に従って地面に落ちたのが、俺の位置から見える。
「どこに行っても、悲劇はあった……魔術師や吸血鬼が関わっている、関わっていない関係なく……誰かが悲しむ出来事なんて、どこにでもあったよ……もう後悔したくないから、僕が関わった悲劇は片っ端から救って行ったけど……でも、どこに行っても、どれだけ悲劇をなかったことしても……後悔した時の出来事は、頭から離れることはなかった」
「……だから、死のうと思ったのか?」
「ああ、その通りだよ」
『第一の眷属』は即答した。
神様みたいな能力を持ちながら、誰よりも人間らしい弱さを抱えた男は、自分の選択を語った。
「だから――殺してくれ」
「…………」
「君の眷属になった所為で、僕は死ねないんだ……君を探すのは苦労したけど……まさか新しい眷属を作っているとは思わなかったけど……君だけがちゃんと僕を殺せるんだ――だからもう、僕を殺してくれ」
「…………」
『第一の眷属』の懇願に、レイラは何を言わなかった。
レイラだけじゃない。
佐々木も海鳥も、無言を貫いていた。
レイラは大好きだった眷属に殺してくれと言われて、どう反応していいかわからないんだろう。
佐々木と海鳥は話が重過ぎて、自分が意見するのは間違っていると思っているのか、気まずそうに視線を逸らして口を噤んでいた。
また――レイラは助けを求めるように俺を見上げる。
それに対して俺は――思ったことを言えばいい――と返した。
俺の言葉を訊いてレイラは、『第一の眷属』の方を向いて、口を開いた。
「……や「――嫌だなんて言うなよ?」」
すると『第一の眷属』は、レイラが言い終わる前に言葉を被せた。
レイラがなんて言うかわかっていたように。
そう言われて――レイラは言葉に詰まる。
『第一の眷属』は、顔から手をのけて言った。
「……嫌だなんてわがままが通ると思うな。殺さない選択肢があると思うな。……君に殺されるために……僕は六人の女性を手に掛けたんだ――かなめくんと共に生きるなら、君は僕を殺さなくちゃいけない。かなめくんとこれからも共に生きたいなら……君に僕を殺さない選択肢は……ないよ」
「…………」
「だから――殺せ」
その言葉を聞いて、とうとうレイラが泣きそうな顔になった。
自分の感情と、『第一の眷属』の言葉に、板挟みになっている。
……このまま黙っている方がいいんだろうが、俺はまた『第一の眷属』が……レイラを勘違いさせたままにしようとしていると思ったので――口を開いた。
「殺されるために六人を手に掛けたって言ったけど……お前、誰一人殺していないだろ?」
その発言を聞いて『第一の眷属』は目を見開いた。
「……何を言っているんだ、君は?」
「事実だろ? 『第一の眷属』……お前はこの街で引き起こした殺人事件で……被害者を誰一人殺していない――佐々木……海鳥。どっちでもいいんだけど、こいつが『
「え?」
話し掛けられると思っていなかったのか、佐々木と海鳥は虚を突かれたような顔をした。
少し間を置いて、佐々木は俺の質問に答える。
「それはまあ――あるけど」
「……悪い。質問が悪かった――これまで『
「…………。ゼロ人」
記憶を少し探った佐々木は、そう呟いた。
「ゼロ……ゼロ人! ……どの事件でも『
「だよな……だと思ったけど……ゆーきが『
最初に咬み付いたあの時に、『第一の眷属』が自分の望みを優先していたら。
こいつが無抵抗に、俺に殺されていたら。
俺はそのまま、佐々木と海鳥を殺していただろう。
だけど『第一の眷属』は――それを許さなかった。
自分の死よりも、俺達を生かすことを選択した。
「お前は人を殺せない。殺さないんじゃなくて――殺せない。それは今までのお前の行動が物語っているよ――『第一の眷属』。お前は自分の死を望んでいるけど……他人の死を許容できないんだ」
「…………」
俺の考察を聞いて『第一の眷属』は――もう驚いたり、激怒することもなかった。
人間は隠している本心を指摘されると、感情的になって否定することが多いのだが――『第一の眷属』はただ無表情で、俺の言葉を聞いていた。
本当に、何を考えているのか読めない表情だった。
「……だからどうした?」
やがて『第一の眷属』は、冷ややかな瞳をこちらに向けて言った。
「僕が人を殺せないからって――殺した事実に変わりはないさ……殺人
「…………」
「まさかと思うけど……僕が直接人を殺していないからって……僕を生かそうだなんて考えていないよね? かなめくん?」
「まさか」
俺は言った。
「生憎だけどそれはないよ……つーかレイラが殺さないなら、俺が殺す……心配しなくてもそのつもりだ」
「……え?」
「「え」」
また三方向から驚きの声と顔を向けられた。
三人の意見を代表するように――佐々木が口を開いた。
「こ、殺すの? ――神崎かなめ」
「そりゃあな」
俺は佐々木の質問に肯定した。
「この戦いは『第一の眷属』が死なないと終わらない。……こいつは自分の願望のために、『
「……よくわかっているじゃないか」
俺の言葉を聞いて『第一の眷属』は淡く笑った。
「その通りだ……レイラとかなめくんしか僕を殺せないし……僕はもう、生きる気力がないからね……死ねるなら、永遠にかなめくん達を狙うさ」
「だろ?」
だから生かしておく理由はない。
こいつが死んだからって報復に来る人物、組織の心配をする必要もないし……こいつ自身も、死ぬことを望んでいる。
こいつの心は――完全に折れている。
生きることに対して。
「確認なんだけど……お前、その状態から回復するのか?」
「しないね。血を取り戻すか増やさない限り……僕は永遠にこの状態のままだし……『
「そうか」
やっぱり、レイラの再生能力は空腹状態すらなかったことにするか。
じゃあもう――本当に直接殺すしか、選択肢がない。
「レイラ――自分で殺すかどうか選べ。お前が殺さないなら俺が殺すから」
「……えっ?」
「どうする?」
目を向けると、レイラは首をふるふると横に振った。
「……じゃあ、俺が殺すぞ?」
そう言うと、またふるふると首を横に振る。
「……もうどっちかしかないんだから、選んでくれ。俺はどっちでもいいけど……引き伸ばしたら伸ばすだけ、『第一の眷属』は苦しむぞ?」
「……君が僕を殺すには……また血を吸う必要があるし……そうすれば、また暴走するけど?」
「その時はまたレイラに止めてもらう」
「……自分に対しても冷徹だね、君は」
『第一の眷属』は笑って、俺をそう評した。
それからレイラの方に目を向けて、言った。
「レイラ――僕はできるなら……君に殺されたい」
「…………」
「辛いことをさせるけど……頼む。最後のお願いだから」
『第一の眷属』の言葉を聞いて。
レイラはまた俺の顔を見て。
すると助けてくれないからとわかったら、また『第一の眷属』の顔を見て。
また俺の顔を見て。
泣きそうな顔で、悩んで、悩んで――悩んで悩んで悩んで。
そして最後に、消えそうな声で。
「……うん」
と言った。
そして、仰向けで倒れている『第一の眷属』にゆっくり近付いて。
その首筋に――そっと咬み付いた。
「……ああ、やっと死ねる」
レイラに咬まれた瞬間、『第一の眷属』は、安堵の表情でそう言った。
血を吸い尽くしたわけじゃないだろう。
歯をあててすぐ離したから……たぶん、毒か何かを注入した。
そしてレイラが離れると同時に――『第一の眷属』の身体は光り始めた。
淡く光る『第一の眷属』の身体は、少しずつ光の粒子に変わって、空気に溶けるように分解していく。
「長かった……やっとだ……やっと僕は……死ぬことができる」
……クリーチャーズは死ぬ時に灰に変わっていたが……『第一の眷属』は、光に変わるのか。
不思議だ。
「う――うう、あ」
「……こら。泣くなよ」
光の粒子に分解し始めて。
とうとう我慢できなくなって――涙を流しながら上擦った声を出し始めたレイラを、『第一の眷属』は宥めた。
動かす力はほとんど残っていないだろうが、それでもゆっくり腕を伸ばして……『第一の眷属』はレイラの頭を撫でる。
「本当に……泣き虫なのは、昔から変わらないね」
「……じゃって……じゃってぇ……‼‼‼」
「だってじゃないよ……まったく。僕なんかのために……涙を流すな」
「う――うううううううう」
「……ははっ――もう……美人が台無しだ」
泣くレイラを少しでも安心させるためか、『第一の眷属』は優しい笑みを浮かべて、そう言った。
しかし、それから急に悲しそうな顔をして。
「……ごめんね」
と、謝った。
「あの日……急にいなくなって……ごめん」
「……ううん。儂の方こそ……ごめんなさい」
「…………」
「言われたことを守らなくて。……うぬのことを何も考えていなくて……全部壊して……ごめんなさい」
「……いいよもう。昔のことだし」
謝ってくれたからいい。
……と言って、『第一の眷属』はレイラから、俺の方に目を向けた。
「……かなめくん」
「……なんだ」
「どうか……レイラを……見捨てないで欲しい」
「……言われなくても」
そんな予定はない。
そう言うと――『第一の眷属』は口元を綻ばせた。
「僕はこの子の……すべてを受け止め切れずに……逃げ出したから……僕は……家族になることができなかった――何もできなかった」
「……そんなことはないだろ」
自分のことを卑下する『第一の眷属』に、俺は言った。
「何もできなかったことなんてない。少なくともお前は――レイラの心の、土台を作った」
「…………」
「それがなかったら俺は――同じように逃げ出していたかもな」
レイラが『第一の眷属』が逃げ出したことを後悔していなかったら。
レイラが言葉を知らなかったら。
レイラの心が獣のままだったら。
俺は今と同じように――レイラと一緒に生活する道を、選んでいなかったかもしれない。
『第一の眷属』は。
俺の言葉を聞いて、目を丸くしていた。
「はっ……まさか君に……そんなことを言われるとはね。……思ってもいなかったよ」
「…………」
「まったく……後悔は嫌いだって言ったのに――最後の最後に……また後悔することができたじゃないか」
『第一の眷属』は。
後悔しているという割には、清々しい表情をしていた。
「君とレイラが……どんな未来を迎えるのか……果たして君に……ハッピーエンドがあるのかどうか」
光が強くなる。
残った頭部と胸部が、一際強い光を放ったと思ったら。
「君達の生活を見届けられないのは、死んでも後悔しちゃうじゃないか」
その言葉が聞こえると同時に。
『第一の眷属』の姿は。
もう――どこにもなかった。
これまでのように――『
消えて、跡形もなくなって。
残ったのは――立ち尽くす、俺と佐々木と海鳥と。
もう我慢できなくって、わんわんと大声で泣く、レイラだけだった。
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