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予想できていたことではあるけれど、地区総体が終わって初めての登校日は大会の結果の話でもちきりだった。県大会に進んだのは陸上部と剣道部、あとは外部の施設で練習している柔道部の先輩だけだったという。それもあってか、教室は特に代替わりや新人戦を見据えた話題で賑わっていた、ように思う。
俺の隣に座る宝井は、びっくりする程いつも通りに過ごしていた。朝読書で分厚い本を読み、給食を減らし、昼休みはふらりといなくなる。ずっと何でもないような顔をしているものだから、初めて勝利できたことは宝井にとって大した出来事じゃないのかな、とすら思ってしまう。
一方で鷲宮は、よく鈍感と言われる俺にもわかるくらいに落ち込んでいた。何というか、覇気がない、という表現が適切な気がする。俺の視界に入る鷲宮は大抵うつむいていて、昼休みも何をする訳でもなく自分の席に座り込んでいた。
「英里奈、大丈夫かなあ……? すっごい落ち込んでるみたいだったけど……」
放課後、掲示を剥がしながら大野が眉尻を下げる。地区総体一色だった掲示物も、終わってしまえばさっさと取り払われる。もし県大会に行く部が多かったら、教室の壁に貼られたポスターや目標を綴った原稿用紙ももっと日の目を見られたんだろうか──などと、誰の利にもならないことをぼんやり考える。
ちなみに、大野の所属する女子バスケ部は予選で敗退したらしい。そのおかげで──と言うのはあまりにも配慮が欠けている──以前言った通り剣道部の応援に顔を出したそうだ。試合が終わった時から鷲宮の様子はおかしかったらしく、今日は欠席するかもしれないとさえ思っていたという。
「英里奈、ものすごく気合い入れてたじゃん? その反動で燃え尽きたみたいで、心配だよ。今は昔みたく話しかけられないし……」
壁から抜いた画鋲をケースに入れて、大野が溜め息を吐く。自分の所属している部が負けたことに関して、日を跨いで落ち込む程思い詰めてはいないようだ。
鷲宮のことが心配な気持ちはないでもないが、それよりも大野が立ち直りつつあることに俺は安心する。信也と別れたこともあり、最近は塞ぎ込んでいる姿をよく見かけた大野ではあるが、月日が経てば徐々に落ち着いてくるもののようだ。信也や猫屋敷が余計なことを仕出かさないように、心の底から祈る。
「最近はいっしょに帰らないのか? 家、近いよな」
大野と鷲宮はご近所さんで、小学生の頃は同じ登校班だった。それもあってか、何かといっしょに行動しているのを昔はよく見たものだが──中学に上がってから、そういった光景はめっきり目にしなくなった。大野は猪上たちのグループとつるむことが増え、鷲宮はべたべたくっつくことはないながらも功一や剣道部の生徒といっしょにいる。二人組を作るよう言われた時には割とおとなしめの児備嶋の女子とも組んでいるから、宝井のように孤立している訳ではない。剣道に対しては並々ならぬ気合いで臨んでいる鷲宮だが、普段の学校生活になると許容範囲が広くなるのかもしれない。……ちょっと潔癖なところもあるみたいだから、クラスメートたちに対する視線は男女問わず厳しいけれど。
俺の問いかけに、大野はふるふると首を横に振った。垂れた目元が、悲しげな色を帯びる。
「……中学に入ってから、喧嘩しちゃったから。多分、英里奈は許してくれないと思うし、もうダメだと思う」
「喧嘩?」
初耳である。詮索するものではないと頭では理解していながらも、俺はついおうむ返しで聞いてしまった。
「あ、た、大したことじゃないよ。いっちゃんは関係ないし……。ただ、ちょっと……あたしとシンが付き合ったって聞いて、幻滅しちゃったみたいでね。不潔だから関わらないでって言われちゃったの。そこから、ずっと気まずい感じ」
まあ結局別れたんだけど、と大野は苦笑する。別れた、と口にする時、ほんの少しだけ声が震えた。
たしかに、鷲宮にとって中学生の惚れた腫れたは不純異性交遊に他ならないのかもしれない。以前、信也と猫屋敷が付き合っているとわかってちょっとした騒ぎになった時も、鷲宮の反応は非常に冷たいものだった。
下らないことなのだけれどね。確かそう言って、鷲宮は事の次第を教えてくれた気がする。大野と猫屋敷に向ける視線は冷えきっていて、どちらを庇う様子もなかった。
そういえば、あの時の鷲宮は、大野のことをよそよそしく大野さん、と呼んでいた。今更ながら思い出したが、小学生の頃は、春佳、と下の名前で呼び掛けていた気がする。鷲宮は児備嶋の中では珍しくあだ名で呼んだり呼ばれたりすることを嫌っており、仲の良い相手のことは名前で呼び捨てするのが常だった。俺は親しい相手として認識されていないのか、磐根君以外の呼び方を知らない。
不潔、不潔かと、口の中で単語を転がす。俺が同級生に対して違和感を覚え始めたのは中学に入ってからのことだけど、鷲宮はそれよりも前から俺たちのことを冷ややかな目で見ていたように思う。特に異性の不躾さや無神経なところを、鷲宮はひどく嫌っている。
「あたしからはどうすることもできないだろうけど……ねえ、いっちゃん。もし、もしね? 英里奈のことを心配する気持ちがあったなら、ほんの少しでも良いから、何か声をかけてあげてくれないかな。いっちゃんだったら、きっと英里奈も嫌じゃないだろうから」
「え? 俺?」
先程よりも数段声を落とした大野の耳打ちに、俺は面食らった。鷲宮を励ましたいという話で、どうして俺の名前が出てくるのだろう。
首をかしげていると、大野は秘密にしてね、と前置きしてから慎重に囁いた。
「英里奈ね、いっちゃんのことが好きなんだよ」
「好き?」
「やっぱり気付いてなかったかー。ずっと前から──そうだね、小学生の頃から、いっちゃんのこといいなって思ってたみたいだよ。他の男子とは違うからって」
「だからって、恋愛的な意味での好きに繋がるか? 俺、鷲宮に特別優しくした覚えないけど」
「もう、いっちゃんは鈍感だなあ。英里奈はね、普通のいっちゃんが好きなの。いっちゃんは他の男子みたいに大声でふざけたり、下ネタでげらげら笑ったりしないでしょ。そういうところが、英里奈にとっては好ましく映るんじゃないかな」
こういう話題になると、大野は途端に生き生きし出す。自分の恋愛よりも、誰かの恋愛模様を応援する方が楽しいのだろう。
大野に比べるとあっさりした内容ではあったが、宝井の言っていたこともあながち間違いではなかったのかもしれない。
好き。いざ言われてみても実感は湧かない。ましてやそれが鷲宮だというから、なんだかアンバランスで、上手く想像することができなかった。恋愛というと、もっと舞い上がってるようなイメージがある。いつも冷然としている鷲宮にはとてもそぐわない。
「二年生になってから、英里奈、前よりもノーメンちゃんに厳しくなったでしょ? あれね、多分ノーメンちゃんがいっちゃんの隣になったからだよ。無意識なのかもしれないけど、いっちゃんがノーメンちゃんにも優しくするから、妬いてるんじゃない?」
ふふふ、と大野は密やかに笑うが、俺としては何がおかしいのかさっぱりわからない。そんな内心ははっきりと顔に出ていたようで、大野は苦笑しながら肩を竦めてみせた。
「余計なお世話だろうけど、英里奈にも優しくしてあげてね? あの子、自分から磐根君におねだりなんてできないだろうし」
「優しく……って言われてもな。目をかけてやらなくても、鷲宮なら大体のことはそつなくできるだろ」
「それはそうだね。でも、それを言うならノーメンちゃんだって、割としっかりしてる方だと思うなあ。英里奈に怒られてるところばっかり見てたから、どんだけ頼りないのかと思ってたけど……ノーメンちゃん、ちゃんと試合で勝ってたじゃん。あ、すっごくできない子じゃないんだって、びっくりしちゃったよ」
だから逆に、英里奈も助けを求めることがあるかもよ。そう言って、大野は張り紙をクリップでまとめ、職員室に持っていくから、と教室を出ていった。
鷲宮は、俺のことが好き。他人から明確に言語化されても、するりと受け入れられるものではない。大野が勘違いしているだけという線だってあり得る。
好きってなんだろう。これまでと同じ、用があれば気兼ねなく話せるクラスメートじゃいけないんだろうか。
信也と付き合うことになった大野を不潔だと言った、鷲宮の気持ちには共感できない。それでも、あいつが俺と同じように、子供と大人のあわいにいる同級生に違和感を覚えているのだとしたら──尚更、恋愛とは結び付かないはずだ。
こういうことは向いていない。鈍い頭痛に襲われて、俺は息を吐き出しながら眉間を揉んだ。
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