3

 青葉城址にはバスを利用して向かうのが王道のようだけど、俺たちは徒歩で移動することにした。俺はそこまで手持ちに余裕がなかった訳ではないが、宝井が歩くと言ったのでそれに付き合おうと思ったのだ。


「無理に付き合わなくても良いのに」


 素っ気なく言う宝井だが、その表情はいつもより明るい──というよりは、ご機嫌に見える。つい先程、博物館でお目当ての展示を観覧できたからだろう。バス代金をケチるのも、チケットの購入に充てたからだ。

 展示に対する興味がなかった俺はしばらく待っていた訳だが、その間は不思議と苦にはならなかった。もともと退屈への耐性は高い方だから、少しの待ち時間なら大したことではない。……悪く言えば、ぼうっとしがちなんだろうけど。

 そういった事情があって、俺たち二人は絶賛ウォーキング中だ。利用する人が少ないとはいえ、徒歩移動の人のためのルートも存在しているので不安感はない。いくつか徒歩ルートはあるようだけど、今回は宝井の勧めで巽門跡を通っていく道を行くことにした。宝井いわく、穴場だが車が通れないので歩くにはこっちの方がおすすめとのこと。何度か来たことがあるのか、念入りに下調べしてから来たのか……詳しいことはわからないが、この辺りの地理に疎い俺にとって頼もしいことは確かだった。


「──で、さっきの話だけど」


 ぼんやりと石垣を眺めながら歩いていると、宝井が口を開いた。少し前から急な上り坂が続いているためか、若干息が上がっている。


「河北まで行くとしたら、休みの日が妥当だと思うけど……磐根君、部活のスケジュールとかどうなってる? 私と違って期待されてるだろうし、忙しいんじゃないの」

「忙しいのはどの部活も変わらないと思うよ。六月の地区大会はひとつの区切りなんだからさ」


 宝井の卑下を受け流しつつ、俺は脳内でカレンダーを開く。六月頭に行われる地区大会は、三年生にとって最後の大会ということもあって部活に力が入りがちだ。ここで終わったら引退の三年生が気合いを入れるのは勿論のことだが、俺たち下級生にとってはスタメンになれるかが勝負所となる。幸い、やり投げをやっているのは今のところ俺だけだから、自分に関してはその辺りを心配する必要はなさそうだった。

 剣道部も女子部員が二人しかいないから、スタメン争いとは無縁だろう。宝井に関してはあまり試合に出たくなさそうだから、手放しで喜べることではないのかもしれないけれど。


「五月中は練習量も増えると思う。今まで土曜日は午前中だけだったけど、一日になるから河北まで行くのは難しいかもしれない。日曜日は、外部での練習がなければ休みになるはず」


 去年のスケジュールも思い出しつつ、俺は今のところの予定を伝えた。冬期は雪が積もってグラウンドが使えなかったから、その分を取り戻すこともあって結構多忙だ。大会前は、土日も潰れるかもしれない。

 宝井はこちらを顧みずにそっか、と相槌を打つ。それなりに疲れているのか、頬から顎を伝って汗が流れ落ちていった。


「剣道部も似たような感じ。これから練習試合も入ってくるだろうし、確実な休みって言ったら大会直前か、大会翌日の振替休日とかになると思う」

「そっちも大変なんだな。じゃあ振休に行く?」

「いや……それは悪手だと思う」


 必ず約束されている休日なら大海が終わるまで待った方が良いと思った──のだが、宝井からは速攻で却下された。

 それにしても、なんというか……宝井は難しい表現を遣うんだなと、変にしみじみしてしまう。今回はすぐに意味がわかったから良いけど、わからなかった時はなかなか恥ずかしい状況になるのではないだろうか。

 それはさておき、却下の理由は聞いておかなければならない。清水門跡の看板を横目で見つつ、俺はなんで、と問いかける。


「……だって皆休みなら、うちの学校の人とも鉢合わせするかもしれないじゃん。私と磐根君がいっしょにいたってことがバレたら、色々ややこしいでしょ」

「あー……それは、たしかに」


 苦々しげな顔をした宝井の返答は、俺でも納得がいくものだった。彼女の言う通り、全ての部活が休みとなれば遊びに出る生徒も増える。遠出するとなると大抵は山形市内とか天童に行くみたいだけど、もしかしたら西村山の方へ足を運ぶ生徒もいるかもしれない。

 眞瀬北中は、はっきり言って規模の小さい中学校だ。他級生ならともかく、一クラスしかない同級生の顔は嫌でも覚えられる。加えて、話題に乏しいこともあって男女の仲に関する話はびっくりするくらいよく広まる。真偽が定かでなくとも、誰と誰が付き合ったとか、誰々のことが好きなんじゃないかとか、そういう話はよく盛り上がる。学年を問わず眞瀬北中のカップルはすぐに別れることが多いから、話題の移り変わりも早いのだが。

 俺は変に騒ぎ立てられなければ別に気にしないが、宝井はクラスメートから男女二人で出歩いているところを見られたくないのだろう。ノーメンちゃん、という不名誉なあだ名を付けられ、クラスでの立ち位置が強いと言えない彼女のことだ。自らが傷付く可能性をいち早く察知したのだと、最近親交を深めた俺にもわかった。


「じゃあ、思い切って大会前に行ってみるか? 多分皆出かけるって気分じゃないだろうし、鉢合わせの心配はいらないんじゃないか」


 沈黙が生まれる前に提案すると、宝井は目を丸くさせた。手の甲で汗を拭ってから、良いけど、と言い淀む。


「でも、そしたら大会に響かない? 私は大丈夫だけど、磐根君は体を休めたりしなくて良いの?」

「自分のコンディションくらい調節できるよ。それに、ずっと大会のことばかり考えててもストレスだろ。たまには気分転換するってことでどうかな」


 立ち止まり、宝井に笑いかける。意外とこちらを気遣ってくれる彼女を、少しでも安心させたかった。

 対する宝井は、いつもの仏頂面だ。薄い唇を真一文字に引き結び、こくりとうなずく。


「……じゃあ、そういうことで。待ち合わせはリスクがあるだろうし、現地集合で良い? 石碑の近くは見た感じ長居できなさそうだから、近くの公園とかになるけど」

「そうだな、その方が良いんじゃないか。時間はどうする?」

「あんまり早く行ってもあれだし、十時くらいにしたいな。別にきっかりじゃなくても大丈夫」

「じゃあ、十時過ぎに現地集合だな」


 宝井とのスケジュール調整は案外すんなりと終わった。

 とりわけ大きな石垣が見えてきたから、きっともうすぐ頂上なのだろう。運動部としてそれなりに体力作りはしてきたつもりだから、あまり疲労感はない。……少なくとも、俺は。


「……疲れた……」


 やっと頂上まで辿り着いた時、宝井はそう言ってその場にしゃがみ込んだ。まだ五月なのに汗だくだ。正直に言って仙台は地元よりも涼しいのに、宝井は汗かきなのだろうか。

 立ち止まって息を整えている宝井から少し離れ、俺は周囲を見回す。城そのものはもう存在せず、その跡地が公園のようになっている。伊達政宗の騎馬像はさすが有名どころというべきか、周囲に人が集まって写真撮影をしていた。自分が写真に映るのはあまり好きではないから、後で人波が引いた時に風景だけを撮ろう。

 人の多い場所を避け、展望台に近寄る。青葉山からは仙台市内だけではなく、晴れていることもあってか海まで見渡すことができた。


「広いよね」


 しばらく景色を眺めていると、後ろからやって来た宝井が横に並んだ。汗で濡れた前髪がぺったりと皮膚に張り付いて、いつもは見えにくい目元がすっきりしていた。

 切れ込みを入れたような一重まぶた。瞳は黒が一般的と思われがちだが、よくよく見てみると宝井のそれはコーヒーのような濃い茶色をしていた。前髪という壁がないと、案外黒目が大きいことに気付く。

 今の時代、女子は二重まぶたの大きな目が正義という風潮が強いらしい。児備嶋の女子の中にはこっそりアイプチをして教師から注意されている子もいたし、目元は女子にとって特に気になる部位なのかもしれない。

 そんなことを考えていると、宝井がそういえば、と口を開く。見れば、手すりに右手を添えた彼女がこちらを見上げていた。


「磐根君は何の用事で仙台に来たの?」

「俺?」

「他に誰もいないでしょ」


 宝井から質問されるのが珍しくて、何ともすっとんきょうな聞き返し方をしてしまった。じろりと横目で睨まれるのも仕方ない。


「墓参り。いつもはそのまま帰るんだけど、せっかくだから色々見て回ろうと思って」


 その途中で宝井と会ったんだよ、と続ける。なるべく重たく聞こえないように心掛けたが、上手くやれただろうか。宝井の表情は変わらないので、本当のところはよくわからない。

 ただ、宝井はそう、とうなずいただけで、それ以上の詮索はしてこなかった。真っ直ぐ前を向いて、再び眼下に広がる街並みを見据える。


「だとしたらすごい偶然。地元でもないのにクラスメートと会うなんて」

「たしかに、なかなかないことだよな。ある意味奇跡じゃないか?」

「この程度で奇跡の安売りして欲しくないんですけど」


 唇を尖らせ、宝井はふいと背中を向ける。もうこの場から離れるようだ。


「お土産とか見なくて良いのか? まだ全然明るいけど」


 土産物店の前を素通りする宝井に声をかけるが、ふるふると首を横に振られた。


「今日は良い。博物館でも色々買ったから」

「今日は……ってことは、仙台には頻繁に来てるのか?」


 小さな背中を追いかけながら尋ねる。俺と宝井では歩幅が違うから、すぐに横並びになることができた。

 俺からしてみれば何気ない問いかけのつもりだったけど、宝井には何か思うところがあったのだろう。はっと目を見開くと、きまり悪げにうつむいてしまう。


「ごめん、自慢とか、そういうのじゃなくて……野球の試合だったり、買い物だったり、こっちの方が便利だから。頻繁にって程じゃない」

「そうなのか。……別に、謝る程のことじゃないと思うけど。何か気になることとかあったか?」

「……そう? それなら、良いんだけど……」


 この時の宝井は、明らかに様子がおかしかった。普段のつっけんどんな口調はなりを潜め、どことなく怯えているようにも見える。振る舞いが柔らかくなるのは良いことだと思うが、こういうのは居心地が悪い。自分の発言を振り返ってみたが、何が彼女を傷付けたのかはわからなかった。


「私用で来るのはあんまりだけど、部活の関係では時々行くこともあるよ。剣道部は県外で大会とか、合同練習とかやる?」


 このまま沈黙が続くのは気まずい。多少強引な感じは否めないが、俺は話題を変えることにした。

 宝井は顎を上げて、少しの間首をかしげていた。思い当たる節を探しているのだろう。ややあってから、こちらに視線を向けてくる。


「たまに。今のところ、宮城でしかやったことないけどね」


 ひとまず先程のような空気感に戻ることはなかったので、内心で胸を撫で下ろす。部活に対して消極的な話題が目立つ宝井ではあるけれど、完全にNGという訳ではないようだ。


「県外の学校とやるのって、どんな感じ? 強豪校と当たったりするのか?」


 もと来た道を下りつつ、俺はさらに話題を膨らませる。功一が部活についてほとんど話さないこともあり、剣道については全く知らないと言っても良い。せっかくの機会なので、もう少し詳しく聞いてみたかった。

 宝井はというと、何度か瞬きをしてから、うーん、と目線を上げる。周囲の木が顔に影を落としているためか、明るいところにいる時よりも彼女の表情は読み取れない。


「正直、最北地区以外の学校のことはあまり詳しくないし、全国とか行くレベルじゃないと強豪なのかどうかすらわからないけど……でも、状況によっては段違いの学校と当たることもあるよ。女子は二人だけだから、個人戦か他校との合同チームか、後は地稽古じげいこって感じ」

「地稽古?」

「うーん、本当は色々種類があるらしいけど……簡単に言えば、試合みたいな形式で行う練習のこと。色んな学校が参加してる合同練習会だと、広い体育館で行き会った人同士、目が合ったらすぐ稽古、みたいなこともある」


 私は好きじゃないけどね、と宝井は付け足す。嫌なことを思い出したのか、彼女のスニーカーの先が道端の小石を蹴り飛ばした。

 俺は剣道のことをほとんど知らないけど、それでも宝井が積極的に練習に取り組む姿を想像できない。体育の授業の時、早く終わってくれと言わんばかりに時計を見上げているのを何度か目にしたことがある。地稽古をやっている時も、一刻も早く終了時刻が来るのを待っているのだろう。

 宝井に、他校の知り合いはいるのだろうか。いないだろうな、と思いつつも気になってしまう。俺はやり投げという種目の選手が少ないこともあって、同じ地区の選手とは挨拶をしたりいっしょに昼ご飯を食べたりするくらいには親交があるけれど、宝井はどうしているのだろう。学外での部活でも、教室にいるのと同じようにひとりぼっちで、気配を殺しながら過ごしているのか。

 わざわざ聞く気にもなれず黙りこくるしかない俺を、宝井はそっと窺い見た。何度か唇を動かしてから、前を向いて意を決したように口を開く。


「六月の地区大会、なんだけどね。私、目標にしてることがあるの」


 宝井の横顔を見る。それはあまりにも真剣そのもの、今まで見た宝井のどの表情よりも彼女の心の内が反映されている……ように、見えた。

 目標、と俺は鸚鵡返しに尋ねる。鷲宮の話を聞く限り部活に意欲的とは言えず、中学から剣道を始めた初心者の宝井は、一体どのような目標を定めたのだろう。


「試合に勝てなくたって良い。何でも構わないから、皆の前で技を決めて、一本を取りたい」


 いつもはぼそぼそと喋る宝井だが、この時の声ははっきりとしていた。

 俺は思わず沈黙する。宝井の口調こそ静かで落ち着いていたけれど、その内側にある悔しさや執念を感じ取ったが故だった。

 以前、功一に宝井の成績について聞いたことがある。最近は引き分けで終わることも多い、と言っていたが、勝ったことがあるとは言わなかった。運動神経の良いビギナーに教えた方が早い、と口にしていたのを覚えている。

 何でもないような顔をしているのだろうが、きっと宝井は気にしているのだ。そして、今度こそは勝ちたいと切望している。

 平らになり始めた道を歩きつつ、前にね、と宝井が言う。


「仙台でやった合同練習の地稽古で、すごい人と当たったの。貫禄が桁違いだったからコーチかと思ったんだけど、本当は全国にも行ったことのある選手だったんだ。後で学生だってわかって、ちょっと気まずかった」

「……まあ、防具を着けてたらわからないこともあるよな」

「私が剣道の選手に詳しくないっていうのもあるけどね。明らかに初心者で何もかも拙い私に、その選手は真剣に付き合ってくれたし、アドバイスだってくれた。私が伸ばすべきところも教えてもらえた。私、今まで駄目なところを指摘されるばかりで、誰からも期待されてないどころか、ほぼ諦められてたのに。表面上だけでも、伸び代があるって言ってくれたんだよ」


 それが嬉しかった、と、宝井は噛み締めるようにこぼす。


「だから、やれるだけのことはやってみようって思った。もらったアドバイスを無駄にしたくないし、私がダメダメなんだって思ってる人たちに、少しでも仕返ししたい。私にだってできるんだって、証明する」


 そこまで言い切ると、宝井はふうっと息を吐き出した。そのまま、照れ隠しのように目を伏せる。


「……ごめん、いきなりこんなこと言われても迷惑だよね。今のは聞かなかったことにして」

「そんなことない。俺、応援するよ。宝井が目標を達成できるようにって」

「それはどうも。社交辞令でも嬉しいよ」


 俺の返しが悪かったのだろうか、宝井はすぐにいつものひねくれた口調へと戻ってしまった。つんとそっぽを向き、歩調を速める。

 宝井に対する弁解ではないが、俺は本気で彼女のことを応援している。普段の練習態度や剣道のことなんて俺には何一つわからないけれど、それでも宝井が本気で一本を取りたがっていることは確かだ。社交辞令でも何でもなく、俺は宝井の長居が叶って欲しいと思っている。

 少し目を離した隙に、宝井は数歩前を歩いている。早く来い、とでも言うように振り返る仏頂面に、俺は苦笑をもって返した。

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