#202 異変
フレメヴィーラ王国を東西につなぐ街道を
先頭の機体が掲げる旗には紅の剣を象った紋章。
さらにはフレメヴィーラ王家を示す、草木と剣盾の紋章が大きく描かれている。
隊列の真ん中にツェンドリンブル二頭立てで牽かれる巨大な馬車があった。
一般的に用いられる
居住部の中は広く快適で、まるで屋敷の一室をそのまま動かしているかのようだった。
「少し大げさではないかという気がするんだ」
第一王子ウーゼルは手に持つカップをテーブルに戻す。
特製のこの馬車は、基部に徹底した振動軽減が施されており乗っていてほとんど揺れを感じない。
幻晶騎士大であるからこそできた贅沢な代物なのである。
ちなみに相応に値が張る代物だが、要人の移動用として案外需要がある。
何より人馬騎士二頭立ての馬車というのは非常に見栄えがよく人気の理由となっていた。
「何を言うんだ兄上。身体に負担をかけずに移動するためにはこれくらいしないとな。必要なことだ!」
向かい合って座った第二王子エムリスが笑って茶を一息で飲み干す。
彼自身が移動するならば乗騎であるゴルドリーオで歩いてゆけばいいし、自身もその方が好みである。
こんな大仰な設備を持ち出したのはひとえに身体の弱いウーゼルのためだった。
「
「はは。そんなに乱暴なことではまた礼儀の先生に怒られるよ」
「うっ。まぁ……いいではないか! 今は羽を伸ばしに来たのだから」
この遠乗りの発端は、ずっと勉強漬けだったエムリスが気分転換にと計画したことにある。
そこにウーゼルが興味を示し、あとはノリで
「実際、この馬車には助かっているよ。私の体力では幻晶騎士に乗るなんて夢のまた夢だからね……」
「……今は、病み上がりだからな。なあにもう少し元気が戻ればいくらでも訓練できるとも!」
明らかな慰めの言葉だったが、エムリスの瞳は真剣だった。
ウーゼルはやんわりと笑みを返しておく。
その時、窓の外を影が横切っていった。
馬車を追い越し異様な物体が飛んでゆく。
「ほう……あれがマガツというものだね」
「うむ。相変わらず幻晶騎士とは思えん代物だ」
多数の腕が生え、ひときわ大きな
さらに後方には飛翔騎士シルフィアーネの機体が尾のように伸びていた。
マガツイカルガニシキ――魔獣でもなかなかいない禍々しさである。
「動いているところを見るとなおさら凄まじいね。王国最強というのも頷けるよ」
「銀の長も喜ぶだろう」
窓から見えなくなるまで、ウーゼルの視線はずっとイカルガを追いかけ続けていた。
「隊列の周囲に獣影なーしっ! まーこのへんはふつーの街道だからそもそも魔獣いないけどね」
「万が一ということもあります。しっかりと見ていきましょう」
「はーい」
今回エルたちは特段なんの役目もない。言ってしまえば単なる同行者である。
とはいえただついてゆくだけなのも暇なので上空から警護などしているが、このあたりではさほど必要ではない。
「今日は魔獣狩りにいくんだっけ?」
「ウーゼル殿下はお身体が弱いので、狩りもごくごく小規模になります。ほぼ散歩のような感じですね」
エムリスあたりはゴルドリーオではしゃぐかもしれない。
ちなみにゴルドリーオは王族用の馬車に積まれている。
「幻晶騎士を眺めていれば元気が出ますからね! 騎士団の狩りを見れば殿下もきっと元気になると思います!」
「それはエル君だけだと思うけど」
とはいえエルはかなり特殊な部類としても、一般的に幻晶騎士に憧れを抱く者はけっこういる。
ウーゼルもイカルガを見て楽しんでいたので案外似たようなものかもしれない。
アディは密かに思いなおしていた。特に口にはしない。
やがて一行は街道を離れ、湖の広がる場所へとやってきた。
カルディトーレが散開し簡単な防御陣を敷く。陣の中心には大型馬車があった。
ノックの音と共に部屋に報告がやって来る。
なんと紅隼騎士団団長ディートリヒ・クーニッツ、当人であった。
「失礼します。エムリス殿下、布陣完了いたしました。狩りに向かわれるのでしたらいつなりと」
「ご苦労だったディートリヒ。やんちゃぞろいの紅隼騎士団もやればできるではないか」
「さすがにこれくらいは」
今回の護衛もやはりなんだかんだと理由をつけて紅隼騎士団が担当していた。
もちろんエルが参加するからである。騎士団長のディートリヒはそろそろ怒られるかもしれない。
実際に今回も難色を示されたのだが、ウーゼルのためにも腕利きを連れてゆきたいというエムリスのとりなしによってギリギリで許されていた。
「ああ、狩りなんだが。このあたりは街からそう遠くない、魔獣もほぼ掃われているからな。狩るには少々奥まで入る必要がある」
「うちの人馬騎士乗りに勢子をやらせましょう」
「いいな。それと獲物は見ごたえのある奴を見繕いたい。ゴルドリーオで……いや、うむ」
エムリスが迷いを浮べ、その様子を見たウーゼルが微笑んだ。
「私は構わないよ。エムリスだってずっと座りっぱなしでは外に出た意味がないだろう?」
「そうではあるが……」
「それでは殿下。僭越ながら僕がお相手を務めさせていただきます!」
「おおうどっから出てきた」
マガツイカルガにいるはずのエルがいつの間にかそこにいた。
主張が激しいわりに気付きにくい。やはりちっさいからか。
「いかがでしょう、こちらに護衛として配置されました幻晶騎士について解説差し上げるというのは。我が国の最精鋭ともいえる紅隼騎士団の雄姿をウーゼル殿下にお見せいたしたく!」
「ほう。それは素晴らしい。皆立派な騎士なんだね」
「はっ。騎士として騎操士として務めを果たすべく、日頃より弛まぬ鍛錬を積んでおります」
ディートリヒまでも真面目くさって答えるものだからエムリスは額を押さえていた。
なんだか兄が良からぬ方向に誘われているような気がしてならない。
とはいえ当人が興味深げにしている以上、止めるのも憚られた。
「ならば……銀の長、頼んだぞ。お前がいるなら少なくとも安全なのは確かだからな」
紅隼騎士団とマガツイカルガの護りを突破できる魔獣など、王国広しといえどそうはいまい。
いや世界中を探してもいるかどうか怪しいぐらいである。
「では皆降りるか」
エムリスがディートリヒと打ち合わせを進める間に、ウーゼルは馬車を下りて自らの足で大地を踏みしめた。
「……ああ。この空気、馴染み深いよ。確かこの湖の向こうあたりに私のいた療養院があるんだ」
「魔獣も少なく良い場所ですね」
ニコニコ顔のエルを伴い、ゆっくりと歩いて回る。
馬車の周りには紅いカルディトーレが配置されている。
ウーゼルの姿に気付き、腕の動きだけで敬礼した。
これは幻晶騎士の周囲に生身の人間がいる場合、動くと危険だからである。
「私の知る幻晶騎士とは主にカルダトアだったけれど。これは新しい機体なんだね」
「はい。カルディトーレ、名機カルダトアの後を継ぐ
「そのウォーリア……というのも最近に始まった分類だとか」
「幻晶騎士の機種が増えた結果、分類が進んだのです。従来よりあるものを
「ああ、馬車を牽いていた機体だね。おかげで快適な旅路だったよ」
「お褒めに与り光栄です!」
馬車を牽いていたツェンドリンブルは待機の姿勢をとっている。
動きを止めても巨体ゆえの迫力は健在だった。
ウーゼルはゆっくりとした足取りでそれぞれの機体を見て回ってゆく。
時折疑問を口にすれば、後ろに控えているエルが即座に説明していた。
この際、興味のあるところに絞って必要以上に口を出さないのがコツである。
ほうほうと頷きながら見て回ったウーゼルはやがて膝をついた蒼き鬼神の前までやってきた。
「君のイカルガ、だね。これまで話を聞いて改めて思うけれど、やはりこれは別格だよ」
「ありがとうございます! 開発者冥利に尽きます!」
怒れる人の顔を象った
当然、それが勝手に動くことはない。やはり以前のあれは見間違いだったのだろう。
じっと立ち止まり見つめるウーゼルの姿に、エルが小首を傾げた。
「如何されたのでしょうか。何か知りたいことがありましたら、どのようなことでもご質問ください!」
「えっ。あ、ああそうだね。どうやって動かすのかとか……」
「動かす、ですか」
「ああいや。すまない、今のはつい」
「構いません。ただどうやって説明すればわかりやすいかと思いまして」
これまでとは毛色の違う質問に、エルがわずかに考えこんだ。
真面目に説明しようと思えば
「もしよかったら……操縦席に乗せてもらっても、いいかい」
おずおずと言い出したウーゼルにエルの動きが止まった。
「そう……だね、すまなかった。恥ずかしながら、私は騎操士としては出来損ないだ。これほどの機体に触ることなど許されないね」
「そのようなこと一切関係がございません!」
ずいとエルが身を乗り出し、ウーゼルはむしろ引いた。
「どうしてだい? 特に旗機ともなれば団の誇りとも言える。未熟者がおいそれと触れて良いものではないはずだよ」
「そういった考えも世の中にはあるのでしょう、否定はしません。しかし! 旗機が表す誇りは普くフレメヴィーラの民全てに向けられるもの。触れてはならない者など一人たりともおりません!」
拳を握りしめて力説していたエルだったが、わずかに表情を曇らせる。
「ただ少々心苦しいのですが、御身の安全のために動かすことはどうかお控えいただきたいと……」
本当に残念そうに見えて、ウーゼルは思わず笑ってしまった。
おそらく彼は、ウーゼルの健康に問題がなければ動かしてすらいいと言うのだろう。
「わかっているよ。せっかくの機会だ、当代最強と謳われる力を感じるだけでも、私にとっては価値あることだ」
エルネスティは心底から己の役目に誇りを抱いているのだろう、事情を知らない者が聞けばそんな感じになる。
そこに打ち合わせを終えたエムリスとディートリヒがやってきた。
「む、銀の長。イカルガに乗るのか?」
「兄殿下のご希望ですので。ご安心ください。まず触っただけでは動きませんし、それにアディもいます」
「はいはーい! ちゃんと押さえておきますよ~」
マガツイカルガはイカルガ、シルフィアーネのどちらからでも操縦できるようになっている。
さすがの彼らであっても一人で全てを操り切るのは困難だが、間違いがないようみておく程度であれば訳はない。
「そうだな……それもよい経験なのだろう。羨ましいな、兄上。俺ですらイカルガの操縦席には入ったことがない!」
単純に身長の問題で入らないという真実はさておき。
アディがイカルガの腕を動かし、ウーゼルを迎え入れる。
圧縮空気が抜ける音とともに胸部装甲が開き、操縦席が露わとなった。
エルは自分で飛び上がり、装甲の上に立つ。
「ほう……これは、すごいね」
ウーゼルが目を瞬く。
その病弱な身体は、彼に訓練というものを許さなかった。
そのため幻晶騎士に詳しいとは言えなかったが、そんな彼にしてもソレが異常であるというのは理解できる。
一般の機体と配置そのものも異なっていれば、およそ意味不明な棹と釦類で空間が埋め尽くされている。
健康面の問題を抜きにしてもこれを動かすのは不可能だろう。
というか、どう動かすのかがさっぱりわからない。
「さすが、最強ともなれば作りからして凡百とは異なってくるものかな」
小さな騎士団長に合わせたのだろう、やたら小ぶりな座席が収まっている。
偏執的なまでのこだわりが漲る中、そこだけ妙に抜けた雰囲気が漂っていた。
ウーゼルは小さな座席に苦労して腰掛ける。
「それではお楽しみくださいね」
エルが飛び降り、胸部装甲が閉まってゆく。
「……はぁ。わかっていたことだ。座っただけでいきなり強くなれるなんてことはないよ」
まさか信じていたわけではないが、何しろこれほど特別まみれの機体なのだ。
少しくらい期待してしまうのも仕方がない。
「うん。貴重な体験をさせてもらったと……」
そうしてウーゼルは何気なく操縦棹に触れた。
本来であれば何の反応もないはずだった。
彼は直接制御を会得していないし、それを抜きにしても今はアディが操縦系を掌握している。
――だが。
ピリ、と何かが通じる感覚があった。
イカルガの機体がぶるりと震える。
「なん……だ」
狼狽えたウーゼルが手を引っ込めるのと同時。
操縦席のそこかしこから虹色に光る紐のようなものが現れる。
まさか幻晶騎士の操縦席でこのような異様が起こるなどと想像だにしなかった。
呆然としたままのウーゼルへとむけて、虹色の紐が一斉に突き刺さる――。
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