#82 紫燕騎士団、飛翔
王都カンカネンの近郊には、近衛騎士団のために用意された演習場がある。かつて、ツェンドルグのお披露目にも使われた場所だ。
そこには今、大勢の年若い騎士たちが集められていた。フレメヴィーラ王国の各地にて選抜され、集められた新米
彼らは背筋を伸ばし、燃え上がるように強い意志をこめた瞳で前を見つめる。どの顔にも、緊張と同時に若々しい力強さが浮かび上がっていた。
それは今後に対するいくらかの気負いと、得られるであろう名誉への期待によってなる。
演習場の地面に立った彼らの前には、せり上がった客席がある。
そのうち一段と高くでっぱった桟敷の部分に、人影が現れた。お付きの騎士を引き連れて進み出たのは誰あろう、フレメヴィーラ王国現国王リオタムスだ。
触れを受けた新米騎士たちが、一斉に跪く。国王は頷きながら一通り見回すと、さっと手を振り彼らに楽にするよう告げた。
「……数多くの試練を潜り抜け、今日この場に集まった騎士たちよ。お前たちはこれからの我が国を担う、若き旗手として選ばれた。こうしてお前たちを集めた理由、いくらかはすでに耳にしていることと思う」
全員の注目を浴びながら、国王は厳かな口調で切り出す。
「既に何度も目にしたことであろう。先の戦のあと、我らは西方より
リオタムスが広がる空をふり仰ぐ。どこまでも続く、青い世界。これまではただ当たり前に届かなかったその場所は、たった一つの新技術の登場によって、劇的に意味を転じた。
「しかし。この飛空船なるものは
リオタムスはひとつ息を置く。
「それは空を進む
静かに、息をのむ気配だけが国王まで伝わってきた。未だ新米騎士である彼らに、国王が直接声をかけるだけでも、事の大きさは十分に感じるとることができる。さらに加えて、ここに選ばれ、これから担うことになるであろう重圧を、はっきりと理解し始めたのである。
身を固くし始めた新米騎士たちを見渡し、リオタムスは再び口を開く。
「お前たちは、これより新たなる騎士団に所属してもらう。空を進む騎士のために、特別に結成される騎士団である。同時に、これからのお前たちの活動は、ある種の試しとなるだろう。お前たちが良い結果を残せば、やがて続くものが多く現れる。努々忘れず、心しておくがよい。それでは、これよりお前たちが入る、騎士団の者を紹介しよう」
そういって国王は、何かを合図するように手を挙げた。
新米騎士たちはそろって姿勢を正す――が、しばらく時がたっても何も起こらず、誰も動き出さない。何かが現れることもなく、広大な演習場を沈黙だけが過っていった。
新米騎士たちの間を疑問が走り抜けてゆく。思わず彼らが周囲の様子を窺おうとしたとき、その異変は起こった。
空の彼方に蠢く、何者かの影。青く広がる空に染みのようにある影は、僅かな間にぐんぐんと大きさを増し始めた。
空を進む影、飛空船であろうか。しかしそれは違う。飛空船よりも小さく、複数が見えた。
それらは悠然と空を進み、やがて演習場の上空へと差し掛かる。集められた新米騎士の間に、抑えきれないざわめきが広がった。
空から響く爆音の音も高らかに、その影たちの姿が、はっきりと捉えられる。
「なんてことだ……本当に、幻晶騎士が空を飛んだんだ」
新米たちだけではない、その場に集った近衛騎士たちも、唖然として上空を眺めていた。
幻晶騎士。それは、人の姿を模した兵器だ。近年は
ここに現れたその“空飛ぶ幻晶騎士”は、その人馬騎士に連なるかのような異形の存在に属していた。
なめらかな流線型によって形作られた
さらに翼にも似た鰭を備えてはいるが、地上に立つための脚がない。ある意味では、人馬騎士よりもさらに異常な存在であるといえよう。
驚愕に固まる彼らの視線の先で、半人半魚の躯体が旋回し、後方から虹色の光を排出し始めていた。
「降りてくる……のか!?」
それとともに徐々に高さが落ちているのが、地上から見れば一目にわかった。
緊張のこもる視線を浴びながら、半人半魚の騎士が高度を落としてゆく。後方へと吐き出す虹色の光が勢いを減じ、それと共に降下の速度も緩まっていった。
地上へと近づくにつれて、人々の耳に騒々しい吸排気音が届き始める。
三機の半人半魚の幻晶騎士たちは、ゆるく推進器を噴かすと演習場の空いている場所へと向けて進み、そして最後の降下手順にはいった。
鋭い噴射音とともに、機体に装備された
牽引索のワイヤーを巻き上げる音と共に、機体が降下を続ける。その間は推進器は動いておらず、周囲に土埃が舞い上がることはない。むしろ不自然なほどに穏やかな動きであるといえよう。
そうして粛々と手順が進んでゆくのを、その場にいる全員が、固唾を呑んで見守っていた。
やがて十分に高度を落とした半人半魚の騎士は、大きな鰭を脚の代わりにして地面についた。
牽引索と鰭によりしっかりと地面についた幻晶騎士が、完全に動きを止める。それからしばらくは吸排気音が響いていたが、やがて
誰もが、生まれて初めて目にする空飛ぶ幻晶騎士の姿に釘付けになっていた。しわぶきの音ひとつすら立てることなく、食い入るように見入っている。
緊張と驚愕によって硬直する一同を見回し、リオタムスは一人、溜息をもらしていた。
「……まったく、エルネスティめ。あれはどうにも、人を驚かすのが好きなようだ」
この演出を考え出した張本人に向けて、彼はこっそりと呆れの言葉をもらす。
こういった点は、エルネスティの言動の中でもとりわけ幼い部分だといえた。それを聞いて、ここで新米騎士たちにしっかりと印象付けさせようと許可を出したのは国王本人ではあるのだが。
そうしている間に、半人半魚の騎士に動きが生まれていた。
背に突き出た装甲が、圧縮空気の抜ける音とともにひらく。この機体の操縦席は、背中側にあるのだ。周囲の注目が集まる中、そこから
従来の幻晶騎士では、操縦席には前から入るし、このように幻晶甲冑を着込むこともない。
周囲がさらなる驚きを覚えるなか、重装備の騎操士たちは意外なほどに軽やかな動きで進み出た。彼らはそのまま新米騎士たちの眼前まで進み出る。
それからがぱりと甲冑の前面を開いた。固定のための革帯を手早くはずし、騎操士たちは地に降り立つ。
どよめきが起こる。
現れた、半人半魚の幻晶騎士の騎操士もまた、年若い人物だったからだ。ここに集まった新米騎士たちよりはいくらか年かさであるようだが、それでもそう大きな違いはないように見えた。
三名の騎士の中から、とりわけがっしりとした体躯の男性が歩み出る。それから全員がそろって、国王へと向けて頭を垂れた。
「……銀鳳騎士団より、飛翔騎士三機。仰せに従い参上いたしました」
リオタムスは頷くと、いまだ固まったままの一同へむけて、声を張り上げる。
「騎士たちよ! そのすべてを、十分に目に焼き付けたことであろう。これらこそが、お前たちが操ることになる新たなる幻晶騎士。“
新米騎士たちは、言葉もない様子だった。口の中は乾き、今にも足が震えそうである。
空飛ぶ船が現れ、そして今空飛ぶ幻晶騎士が現れた。それらは完全な未知の世界にあり、ただ言葉を聞くだけでは実感を得ることは叶わなかったであろう。実際にそれを目にしたが故の衝撃、まさに百聞は一見に如かずといえた。
これからを思えば、ここで甘い考えを抱いてもらっては困る。実物を見せて衝撃を与えるのは有効な手段ではあるが、それにしたところで外連味にみちすぎており、国王がやりすぎだと考えるのも無理はないだろう。
そんな考えはおくびにも出さず、彼は言葉を続ける。
「それらをもって、今ここに新たなる騎士団を設立する。その名は“紫燕騎士団”、飛翔騎士によって構成される、天翔ける騎士団である。当分は、ここにある銀鳳騎士団について働いてもらう」
飛翔騎士の所属はそのまま銀鳳騎士団でもよかったのだが、エルの気まぐれによって動く銀鳳騎士団は、間違いなくそのうちに違うことを始める。
そのため、飛翔騎士に関しては最初から別の騎士団を立てることになったのだ。
「飛空船が空へと漕ぎ出し、それを護る騎士が生まれた。これから、我が国は新たなる一歩を踏み出すことであろう。お前たちはその先陣をきることになる。これからの奮起に、期待する」
新米騎士たちを始め、近衛騎士たちもそろって姿勢をただし、力強く了解を返した。国王は満足げに頷き、ついで視線を飛翔騎士の騎操士へと向ける。
「ついては、お前たちは銀鳳騎士団から手ほどきを受けてもらう。銀鳳騎士団長よ、前に……」
先ほど飛翔騎士から現れた三人が進み出るのを見ながら、リオタムスは背後へ向かって告げる。
「後は任せたぞ、エルネスティよ。……くれぐれも、手加減するように」
「委細承知しております」
リオタムスは不安のままに小さな溜息を残すが、ひとまず下がっていった。
代わって、その背後に控えていた小柄な人影が進み出る。彼はそのまま話し始めるかと思いきや、いきなり桟敷から飛び出し演習場の中に着地した。
新米騎士たちの視線が集中する中、その小柄な少年――エルネスティは、いつも通りのにこやかな表情を浮かべて口を開く。
「ただいま陛下よりご紹介にあずかりました。僕が銀鳳騎士団の長である、エルネスティ・エチェバルリアです」
ある種、急転直下の展開に、新米騎士たちは唖然とした表情でエルを見やった。
知る人ぞ知る、銀鳳騎士団の長。彼については噂が一人歩きしすぎて、かえって謎多き存在と化している。ライヒアラ学園街に住んでいればまだしも、それ以外で直接見かけることなど滅多にないからだ。
もっとも有名なところでは、学園に通っている頃から新型幻晶騎士を続々と開発し、またその最新鋭機を自ら駆り、さらに国王から騎士団を授けられたという、立志伝中の人物もかくやというものである。
――その正体がこの、小さくまるで少女のような風貌の、とても威厳とは縁のない人物であると言われて、誰もがすぐには受け入れることができないでいた。
もちろん、そのようなことはお構いなしにエルは話を続ける。
「さあて、ここに集められた皆さんには、僕たち銀鳳騎士団にて創り上げたこの飛翔騎士を操れるようになってもらいます。飛空船は空を進む船ですが、この国の空は飛ぶには余りに危険が多すぎます。これを護る騎士を育てることは、急務であるといえるでしょう」
疑問が渦巻く状況の中、飛翔騎士の騎操士たちはごく当然のようにエルの背後に控えた。
ようく見てみれば、うち二人はいかにも歴戦とみえる堂々たる騎士であるが、一人、新米たちと同年代に思える少女が混じっている。三人とは、エドガーとディートリヒ、アディだ。
彼らが忠実に従っている様を見れば、やはり騎士団を率いる人物なのだとわかる。だんだんと新米騎士たちの認識が現実に追いつき始めた、ところで。
「いずれあなたたちが一人前となった暁には、紫燕騎士団は正式に分かれることになるでしょう。その頃にはきっと、飛空船はより遠くへと、この大地すら飛び出すことになると思います。だとしたらずるいとは思いませんか、船だけが空を飛ぶなんて。幻晶騎士だって空を飛んでも良いし、この世界中のありとあらゆるところに送り込んで……」
「……待て団長、話がずれている」
エドガーがそっと進み出て、エルの耳元でこっそりと告げた。わずかな間を挟んで、エルはずれ始めた話を修正する。
「えほん。ともかく、皆さんはここにいる先輩の指導を受けて、操縦訓練を積んでもらいます。史上初めての天翔ける騎士として、皆で歴史に名を刻みましょう」
微妙に理解が追い付かないまま、しかし勢いに押されて新米騎士たちは一斉に敬礼を返した。
このようにして、異様な空気を伴いつつも紫燕騎士団は動き出すことになったのである。
壮絶な幕開けとなった、顔合わせの時からしばらく。
紫燕騎士団は、銀鳳騎士団と同じオルヴェシウス砦を拠点としている。その周囲の森はさらに切り拓かれており、いずれ飛行場として利用される予定となっていた。
そこには、傷一つない真新しい外装に包まれた、一個中隊(一〇機)の空戦仕様機が並べられている。
これらは、
これからおこなわれる紫燕騎士団における実機訓練は、空戦仕様機の試験運用も兼ねたものとなる。様々な条件下にて動かし、その情報は逐一集められるのだ。
それにより再び設計の見直しがおこなわれる。試作を脱し本格的な制式量産機が登場するまでには、まだまだ多くの時を必要とすることだろう。
静かにたたずむ
いつかの顔合わせと同じように、エルが全員の前に立って説明をおこなっている。
「見ての通り、いくらかの機体が調達できたので、さっそく動かしたいところなのですが。その前に、皆さんには基礎の訓練をこなしてもらいます。これを完全に体得しない間は、飛翔騎士に乗せるわけにはいきません」
騎士団員たちはやる気をみなぎらせ、表情を引き締めた。実物を目前にして、彼らの気持ちも高ろうというものである。
その訓練の内容が、主にとにかく高所から落下するものだと知り決意が悲鳴に変わるまで、あと少し。
「……なんか、思っていたのと、違う」
あれから数日。連日の過酷な(射出)訓練をこなし、騎士団員たちはどんよりとした表情で呻いていた。
「空飛ぶ幻晶騎士を見たときは、感動さえ覚えたのに」
「まったく乗れないんだものなぁ」
これまでにおこなわれた訓練の内容は、まず
それは、基礎的な幻晶騎士操縦課程を卒業し晴れて正騎操士となった騎士団員たちにとっては、またふりだしに戻ったかのような錯覚を覚えるものであった。必須であるといわれる故にこなしているが、多少の失望は仕方がないところだろう。
そんな騎士団員たちを指導するのが、銀鳳騎士団の中隊長たちと若干名である。
まずはエドガーが先頭に立ち、降下甲冑の装着から着地における動きまでを指導する。
「これらの訓練にはすべて、意味がある。どのような状況でも確実に動くためには、地道な反復訓練により慣れるしかない」
そう言い、体が覚えこむまでひたすらに訓練を繰り返させた。
次第に慣れてゆくごとに飛び出す高さは上がり、妨害のあるような状況も加わりだす。それを淡々と、しかし徹底的にこなすエドガーは、騎士団員たちの間から鬼教官として恐れられるようになっていった。
それらの訓練の合間に、幻晶甲冑をきたディートリヒが、同じく幻晶甲冑を着た騎士団員たちを連れて走りこみをおこなう。
「さぁ、どんどん走りたまえ! 騎操士にとって、最後にものをいうのは体力と魔力だ。もし飛翔騎士に問題があって、墜ちても大丈夫なように、徹底的に鍛えておくんだ! これが君たちの生死を分けるぞ!!」
銀鳳騎士団の殴り込み中隊を率い、過酷な戦場を潜り抜けてきたディートリヒである。
彼だけでなく、銀鳳騎士団の団員たちはその年齢のわりにくぐってきた修羅場の数がむやみに多い。必然、体力的な面においても恐ろしく鍛え上げられており。
猛烈に走り込み、騎士団員たちがへばりにへばったところでも、ディートリヒは一人涼しげな顔をしていた。化け物だった。
エドガーに引き続き、彼までもが鬼教官となる。騎士団員たちに、救いはなかった。
そうした地獄の訓練のほかにも、基礎知識についての座学を交えた学習がある。その講師に立つのは、教官の紅一点であるアディだ。
エドガーとディートリヒでも騎士としては比較的若手であるというのに、彼女にいたっては教えられる側の騎士団員たちと年が変わらない。騎士団員たちはなんとも言えない奇妙さを感じつつも、過酷な訓練の中に癒しを求めようとして。
「
「きょ、教官。何を言っているのか、さっぱりわかりません……」
別の意味で、彼女の講義は過酷であった。
使われる教材はエルと親方が考えたものであり、それなりにまともなのだが、説明をおこなうアディが致命的に感覚に任せ過ぎているのだ。
数多くの擬音と共に繰り出される説明は理解困難で、騎士団員たちは半泣きで教材にかじりつくはめになる。
「……あれは、駄目かもしれんな」
「さすがに私たちが手を差し伸べるべきかね? このままだと肝心の操縦に差し障りそうだ」
見かねたエドガーやディートリヒが時折、説明の補足に入る。この時ばかりは、鬼教官でならした彼らも心強い味方と化すのであった。
数か月ほど地獄のような基礎訓練を積んだ後、紫燕騎士団員たちはようやく念願の飛翔騎士に乗ることになった。
といっても数が足りていないため交代制になり、乗れない者はやはり訓練を続けることになる。
「待ちに待った時が来た。これより、諸君らには空に上がってもらう。これまでの訓練を忘れてはいないな? 総員、降下甲冑着用。搭乗準備開始!」
「了解っ!」
エドガーが叩きこんだ徹底した訓練により、騎士団員たちの動きは目に見えて素早くなっている。
素早く
機能に問題がないことを確かめ、騎士団員たちがエドガーの前に整列した。
彼らの表情には期待と共に、いくらかの緊張感ものぞく。
これまでに多くの訓練を積んできたが、実際に空に飛ぶのはこれが初めてなのだ。
「ようし。それでは搭乗開始。手順は教えたとおりだが、わからない者がいればすぐに名乗り出るんだ」
騎士団員たちは威勢よく返事し、飛翔騎士へと乗り込んだ。
開いたままの操縦席に入り、まずは降下甲冑を接続する。
「うっ。聞いてはいたけど、装置が多すぎる。こんなにあるのか……」
幻晶騎士に乗った経験のある者でも、初めて飛翔騎士に乗ったときは怯みを覚える。
なぜなら飛翔騎士は、既存の機体に比べて圧倒的に
これは、銀鳳騎士団が開発した新型機にある程度共通する欠点の一つと言えた。
様々な機能を追加開発してきた彼らであるが、一つ機能が増えるとともに、それを操るための機器も増設される。そのため騎士団の機体は、機能が上がると共に操縦系の難易度も増している部分があった。
その究極がイカルガとなるが、空を飛ぶために様々な機器を組み込んだ飛翔騎士には、また別種の難しさがある。
「慌てるな! アデルトルートの……加えて、俺たちが教えたとおりにやればいい。まずは源素浮揚器の濃度を少しだけあげろ。大きくは動かすな。今回はまず、安定して浮くことだけを考えるんだ」
エドガーの助言を受けて、騎士団員は落ち着きを取り戻すとゆっくりと、教えられたとおりに桿を動かす。
地面に刺さったままの牽引索が、余ったワイヤーを張り詰めさせる。
「よし、牽引索を収納しろ。気を付けろ、機体が浮き上がるぞ。慌てずに平衡をとるんだ!」
牽引索を収納すれば、戒めから解き放たれた機体が自由に空へと浮き上がる。自らの操縦により空に上がった実感を得て、騎士団員たちは興奮を覚えていた。
この訓練では、まず安全に浮き上がることを目指す。
中には浮き上がった後、
この初飛行を皮切りとして、紫燕騎士団は飛行訓練を重ねていった。
訓練の度に上昇する高度を増やし、やがて推進器を用いた機動訓練も始まった。動く範囲を増やし、速度を上げ、半人半魚の騎士団は自在に空を泳ぐようになってゆく。
「センコウスル、タイレツヲヤジリニヘンコウセヨ……」
エドガーの乗る飛翔騎士隊長機が、
広がった鰭翼が気流を掴み、飛翔騎士は身軽に風の中を泳ぐ。それぞれが訓練の通りに位置取りを変え、空に“く”の字型の陣形を作り上げた。
「よし、なかなか様になってきたな」
風音の渦巻く上空では、少し離れてしまえばすぐに声など届かなくなる。そのため、飛翔騎士には意思疎通の手段として
魔法現象により光を放つこの機器を明滅させることで、信号とするのだ。
空中は障害物こそ少ないものの、把握すべき情報は陸に劣らず多い。ここで戦うためには、陣形をはじめとしてさらに多くの訓練を重ねねばならなかった。
「まだいくらか付け焼刃の感はあるが。まだ戦術すら見いだせていない今としては、それなりに形になってきたというところか」
教導騎士として、すっかり教官役が板についたエドガーは、自然と全員の動きを採点していたりする。
その時、彼らが組んだ編隊の上空を抜いて、シルフィアーネが一気に飛びぬけていった。
「……やれやれ。アデルトルートはまともな説明ができないが、さすがに良い動きをする」
彼らが操るトゥエディアーネに比べて、アディの操るシルフィアーネの動きの滑らかさは誰の目にも明らかだ。
彼らの操縦が機体をなだめすかしてのものだとすれば、彼女の操縦は一体となって気流を乗りこなしていると言える。
その動きには、騎士団員たちも見入るほどであった。
アディは、普段はよくわからない説明が飛び出す困った教官であるのだが、こと空における実力は随一であることは疑いようがない。
これでもう少し教えるのがうまければと、思わずにいられない彼らであった。
「このじゃじゃ魚をよくぞ、といったところか。以前からツェンドリンブルに乗っていたから、感覚が近いことも大きいのだろう。だとしても、負けていたくはないな」
シルフィアーネを追うように、エドガー機が加速の指示を灯す。
それに続いて、飛翔騎士たちはそろって速度を上げるのだった。
そうして訓練の日々が続く、ある日のことだ。
「エドガーさん、ディーさん。それに皆さんも、集まってください」
「何か、あったのかい?」
久しぶりに現れたエルが、中隊長たちを呼び集める。
彼は表情にいくらかの困惑をのせたまま、切り出した。
「大きな事件があったわけではないのですが……。これは陛下から伝えられたことなのですけど。鳴り物入りで作り出された空戦仕様機なのですが、その有用性を疑問視する声が上がっています」
「陛下がお気にされるほどに、かい?」
ディートリヒが眉根を寄せる。紫燕騎士団を作るために国中から人を集めておいて、いまさら信じるも何もないだろうと。
エルは苦笑を浮かべながら、それを否定するでもなく。
「多少の本音も混じっているのでしょうけれど、ほとんどは方便だと思います。要するに、飛翔騎士の実際の能力のほどを知りたくて仕方ないのですよ」
全員がなるほど、と思うと同時にため息を漏らす。
「多くの貴族から陳情を受けて、陛下もお困りのようでして。近いうちに何らかの実績を作るよう、命を受けました」
「……実戦か。確かに新米たちも形にはなってきた。だが少し早いな」
エドガーが唸る。飛翔騎士隊は練度を高めつつあるのも事実だが、模擬戦の回数もまだ不足しており、戦闘能力はあまり保証できない。
実戦は時期尚早と考えるほうが自然である。
「ええ、その点は陛下も案じられております。ですので、できる限りの支援をつけた舞台を用意しました。いちど定期便の護衛をおこなうことを、考えています。それも完全戦闘装備の飛空船を中心として、エドガーさんたちも加えた全戦力で任にあたります」
エドガーとディートリヒが顔を見合わせる。
空の戦いはまだ未知の部分が多い。しかしそれもいずれはこなさねばならないことだ。ならば可能な限りの戦力を集めて経験してみるのは、悪い話ではない。
「私たちも力になっていいのなら、いいんじゃない? シーちゃんで頑張るわ! あ、エル君は、どうするの?」
「アディだけでなく、銀鳳騎士団からもできる限りの人間を出しますよ。僕は……残念な、とても、残念ながら。本当に、すごく残念ですが。今回はあくまでも空戦仕様機のお披露目なので、イカルガはお供できません……」
エルは握り拳を震わせながら、絞り出すように言った。
「いや。そこまで残念なら、素直に飛翔騎士に乗ってついてきたらどうだい」
投げやりなディートリヒのツッコミに、エルはくわっと目を見開き。
「それではきっと、僕一人で獲物を殲滅してしまいますよ! あるいは、それもありかもしれませんが……。いえ、できる限り標準的な戦闘能力を見たいのです。だから、ダメなのです……」
エルが操っては、どの騎士も標準をぶっちぎった性能を発揮する。それは飛翔騎士でも同じこと、彼の台詞は決して杞憂ではないだろう。
これでも自重を知っていたのだな、などと失礼なことを考えつつ、エドガーは勢いに押されて頷いた。
「あ、ああ。わかった。陛下の命とあらば、従わないわけにもいくまい。いずれは避け得ないことでもあるしな。搭乗者には、できる限り筋の良い者を選んでおこう」
「よろしくお願いしますね」
こうして、紫燕騎士団は銀鳳騎士団、近衛騎士団の飛空船と協働し、初の実戦へと向かうことになったのである。
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