#80 空の住人

 渦巻く風の流れの中を帆を膨らませて“飛ぶ”、一隻の船の姿があった。

 フレメヴィーラ国王直下、近衛内特設飛空船団に所属する輸送飛空船カーゴシップである。この船は荷物を船倉に満載し、東部国境線へと運ぶ役目をおっていた。飛空船レビテートシップがフレメヴィーラ王国にもたらされてより始まった、俗にいう“定期便”だ。


「……いつもより風が強い、帆を絞れ。何せこいつは身重だからな、速度の上げすぎには注意するんだ」


 船体前方の上部に設えられた“船橋”に、船長の指図が飛ぶ。帆に風を受けることで進む飛空船は、自前の推進機関である“起風装置ブローエンジン”の他に自然に起こる風も力とすることができる。

 それにより速度を上げることができるが、それも良いことばかりではない。移動時間の短縮にはなるが、進路を変更しづらくなるなど操縦がより困難になる。加えて船体への負担が増し、船の寿命を縮めることにもつながるのだ。


 大西域戦争ウェスタン・グランドストームにおいて登場した史上初の航空機械である飛空船。それが生まれ出でてより、まだ数年とたっていない。空を飛ぶ船を操る知識など誰も持っておらず、まだまだ不具合は多く残っていた。その中でもこの船長は、何度かの飛行経験よりわずかな知識を蓄積してきた。

 建造技術も十分ではなく、飛空船はとにかく数に乏しい貴重品である。この船を国王直下の近衛騎士団のみが所有しているのはそのためだが、他にもいくらかの理由があった。


「このまま何事もなければいいが……」


 船長の憂慮も無理からぬことである。これまでの空の旅、つまり定期便が順調無事に終わったためしはない。そしてまた、今回の仕事もやはり例外ではなかった。

 船の外周部、監視に立つ兵士たちが空の中に異常を見つけていた。彼らは伝声管の蓋を叩き開けると、間髪入れず怒鳴り声を上げる。


「……進路上に魔獣らしき影を確認! 翼付きで飛行してます。それぞれ決闘級と推定、数は……十と、もう少し!」


 青い空の一部にわだかまる、蠢く影。不気味な鳴き声を放ちながら飛翔するそれは、“剣舞鳥ブレイドダンサー”と呼ばれる決闘級魔獣の一種である。

 飛空船からは距離があるように見えて、それは対比物の少ない空という場所による罠である。互いにそのスケール感にふさわしい速度を得ているため、この程度の距離は一瞬にして縮まってしまう。


「速度落とせ、急ぎ回頭!! 進路を変えて、この場所を迂回するんだ!」


 船首像フィギュア・ヘッドが起風装置を操り風の向きを変える。片側の帆のみを膨らませた飛空船が舳先をそらし始めるが、自身の重量ゆえかそれはいかにも鈍重な動きであった。

 それでは剣舞鳥たちの嗅覚からは逃れえない。船長の素早い判断もむなしく、魔獣たちの一部が首をめぐらし、縄張りに侵入してきた異物へと牙を剥いた。


「逃げ切れないか。ならば、法撃戦仕様機ウィザードスタイルは攻撃準備。応戦せよ! ただし欲張るな、追い払うだけでいい!!」


 船の上部甲板にある装甲の一部が、がしゃりがしゃりと動き出す。それは船そのものの装甲ではない。蓄魔力式装甲キャパシティブレームによって構成された高い魔力貯蓄量マナ・プールを持つ追加装甲――ウォール・ローブだ。

 その中心に収まっているのは、多数の魔導兵装シルエットアームズを備えた特殊な幻晶騎士シルエットナイト。その名を法撃戦仕様機ウィザードスタイルという。


 荷物の輸送を主とするこの船に載せられた法撃戦仕様機は、わずかに3機。それらは命令を受け背面武装バックウェポンを起動すると、迫りくる群れに向かってそのか細い切っ先を向けた。

 近衛騎士団のみが飛空船を所有する、最大の理由。それがこの最新鋭の幻晶騎士である、法撃戦仕様機の存在にあった。

 飛空船を操るにはただ船の知識があればいいわけではない。空という未知の状況のただなかで戦うだけの度胸と技量が必要とされるのだ。国内でも高い練度を誇る近衛騎士団が当たるのは、ごく当然のことと言えよう。


 迎撃の準備を整えつつ、飛空船は懸命にその場を離れようとする。そこに風に乗って、空を舞う翼竜型魔獣の鳴き声が届いてきた。もはや逃れることは叶わない、交戦距離だ。


「……法撃開始!!」


 向かいくる魔獣の群れに向かって、飛空船から輝く法弾が撃ち放たれた。法撃戦仕様機の十八番である、戦術級魔法オーバード・スペルによる弾幕攻撃だ。

 魔導兵装とは基本的に、陸に住む頑健な魔獣を相手にするための武器だ。身軽に空を舞う翼竜型魔獣など、当たれば一撃で倒すことができる。そう、当たるならば。身軽ゆえにすばしっこい空の魔獣に、法撃を当てるのは至難の技だ。

 弾幕を張ることによりいくらかは撃ち落したが、大半は怯むことなく至近距離まで寄ってくる。


 剣舞鳥たちはひときわ大きく羽ばたくと急上昇をかける。そして飛空船の上空へと回り込むと、次は翼を畳んで降下へと移った。

 重力の力と強力な羽ばたきにより急加速した魔獣は、一直線に飛空船へと襲い掛かる。一見して無謀な突撃も、強靭な強化魔法の恩恵により必殺の攻撃と化していた。自身を鋭い槍の穂先と化した魔獣たちが、飛空船の甲板を穿つ。


「くっ、やってくれる! 法撃続け、何としても振り切れ!」


 破壊された船体から荷物が零れ落ちる。船員たちにそれを気にする余裕はない。鈍重な飛空船は、身軽ゆえにすばしっこい翼竜型魔獣からは、そう簡単に逃れることができない。

 船長の指示が矢継ぎ早に飛び、法撃戦仕様機は魔力が涸れるまで法撃を放ち続けた。


 彼らの必死の抵抗が実り、なんとか剣舞鳥の群れを振り切った頃には、船は無視しえない損害を受けていた。かろうじて墜ちる前に逃れることができたのは、ひとえに早期に発見できた彼らの練度と、幾ばくかの幸運の賜物である。


「……この“航路”は、駄目だな。魔獣の縄張りが多すぎる」

「また航空図を書き換えねばなりませんなぁ」


 広げた地図を前に、船長は頭を抱えていた。すでに、地図の上には×印がつけられた場所が数多く存在する。


 フレメヴィーラ王国内を飛行することによって持ち上がった、新たな問題。それが、飛行魔獣との遭遇頻度の激増である。

 幻晶騎士という巨人の騎士によって守られてきた国。しかし陸戦兵器である幻晶騎士が活動することのできる範囲は、限られたものだ。街や村、それらをつなぐ街道。これまで主に護られてきた場所は、人が活動する場所についてのみである。理由はもちろん、そのほうが効率的だからだ。


 そこから外れる場所については、魔獣がいようとも放置されてきたが、飛空船はその移動能力ゆえにしばしばそういった危険地域に突っ込んでいくことになった。できる限り安全に空を行くためには、魔獣の縄張りを避けるような形で航路を設定せざるをえない。

 新たな時代の進路は、新たな障害と交錯する。この国にはいまだに、人の存在を受け入れない場所が数多く残っているのであった。




 銀鳳騎士団の拠点、オルヴェシウス砦へと一通の文が届く。フレメヴィーラ王族の紋章を象った封蝋が、その出所を明確に示していた。


「陛下から、何か命が下ったの?」

「いいえ。しかし、あまりよい知らせとはいえませんね」


 封をあけ内容を確かめるエルの隣で、アディは覗き込むべきか迷いひょこひょこと不自然な動きをみせていた。

 仮にも国王から直接下された手紙である。内容によっては彼女が知るべきではないことが含まれていることもある。


「建造された飛空船を用いた東部への定期便が、魔獣と戦い被害を受けたそうです。防衛用につまれていた法撃戦仕様機が迎撃にあたり、窮地はきりぬけたそうですが」


 エルは苦笑しながらひらひらと手紙を振った。アディは精一杯の難しい顔で、腕を組む。


「空を飛ぶ魔獣は苦手ね。あんまり戦わないし」

「ええ。空の上ではなかなか逃げられず、かといって魔導兵装だけで倒すのは厄介すぎる。このままでは安定した航路を維持するのは難しいでしょう」


 空を飛ぶ魔獣は、基本的に一回り上の等級に分類されている。防御的に弱いものが多いが、攻撃を当てることが難しいからだ。よほどのことがない限り、これまでは相手をすることも避けられてきた。


「それで、何か対策をしてほしい、ってこと?」

「かも知れませんが、手紙には何も。さて、これはばれているのかな? ともあれ、僕たちは空戦仕様機ウィンジーネスタイルの完成を急ぎましょう」


 険しい表情のエルが、決然と呟く。



 エルが空戦仕様機の基礎設計を固めてから後、銀鳳騎士団鍛冶師隊は精力的に機体の組み上げを進めていた。

 エルの突飛かつ先鋭的な設計を実際の存在たらしめるのは、彼らの力あってこそと言える。何しろ、およそ幻晶騎士に関係する技術者の中でも、彼らほど恐ろしい試練に見舞われ続けた者たちは他に存在しないからだ。そこで鍛えられすぎたその能力を、また次の試練で発揮するという循環に陥っているのである。

 さらに幻晶甲冑モートリフトの導入は、巨大な部品を扱うことの多い彼らの生産能力を飛躍的に向上させていた。


「それでは、ひとつずつ動作試験をおこないましょうか」


 エルは、工房の天井から吊り下げられた巨大な人型へと満面の笑みを向けている。

 ずいぶんと形を成し始めたシルフィアーネ(テイク2)であるが、明確に完成しているのはその半分程度である。完成形に近い上半身とは対照的に、下半身は金属内格インナースケルトンも剥き出しに、内部機構の組み込みが続けられているところだった。

 これは幻晶騎士としての基本的な技術の延長線上にある上半身に対し、その重要で革新的な機能の大半は下半身に集中しているためだ。


 これまでに類例を見ない形状、魔力転換炉エーテルリアクタ源素浮揚器エーテリックレビテータといった重要部品はいうに及ばず、その燃料となる源素晶石エーテライト貯蔵庫を合わせた心臓部。可動式装甲、蓄魔力式装甲、さらにマギジェットスラスタまでも組み込んだ最新式の外装アウタースキン。そこに機体に機動性と安定性を与えるための最新機器類を合わせると、それは奇妙奇天烈なパズルと化す。


 エルが編み出した設計図はそれらを綱渡りのような慎重さで組み上げてあった。それをなぞりながら、鍛冶師たちは製造途中で細かく発覚する問題点や微調整を再び設計へと反映する。大胆な新技術の投入と、細かな試行錯誤。未知なるものを創り上げるには、その均衡を欠くことなく進めなければならなかった。


「おお……可愛らしくなってきたわね」


 今は亡きテイク1を前にした時とは異なり、アディは上機嫌であった。

 重量軽減のために余計な部品をこれでもかと省き、さらに大きめの下半身との対比もあってテイク2はかなり細身に見える。抵抗を減らすために外装の形状には流線型を多用しており、そこには独特の麗しさが漂っていた。

 どのような基準かは不明だが、今度はお眼鏡にかなったようである。


 ある程度は既存の技術に立脚した上半身であるが、ここにも変化はある。既存機から大きく配置レイアウトを変え、シルフィアーネの操縦席は背中側に存在するのである。

 それは、追加で搭載された“とある重要な機能”のために必要なことであった。


「よっ、と。うーん、操縦席の広さはそこそこだけど、さすがに甲冑ギアを着たままだと狭いわね」


 試験騎操士テストランナーであるアディが、固定された半身へと上ってゆく。この半分しか完成していない機体にいったい何の用事があるのか。

 奇妙なことに、台詞の通りに彼女は特殊な幻晶甲冑を身に纏っていた。それは、戦闘用モートラートとも作業用モートリフトとも異なる形状をもった、新型の幻晶甲冑だ。

 まず大きさがやや小さく、全高で二m少々といったところである。装甲は全身を覆う形式ではなく、部分的で軽量に仕上げられている。やや均衡バランスを欠くような平べったく長い腕を有しており、あまり格闘には向いていないであろうことがうかがえた。


 シルフィアーネの操縦席は、この奇妙な幻晶甲冑を着て乗り込むことを前提に作られている。

 もとより、幻晶騎士の操縦席というものは広さに余裕があるとはいいがたい。そこに小なりとはいえ幻晶甲冑まで持ち込めば、さらに狭くなるのもやむを得ないことであった。


「少し慣れないと思いますが、甲冑ギアの両腕は横に接続してください。……そうです、これで機能を直結し、甲冑の腕が幻晶騎士の操縦桿として、脚は鐙として用いることができます。ええ、動かすときはそのまま。それでは、あとはお願いしますね、アディ。……皆も離れて、準備してください!」


 慣れない手順に苦労しながら彼女が乗り込んでゆくのを手伝い、しっかりと接続されたことを確認してエルは操縦席を閉じる。それから周囲に注意を促して、自身も素早く機体から離れた。

 十分に離れると、そこでは鍛冶師やほかの団員たちが身を隠して待っていた。彼らの前には大盾が置かれ、完全防御の体勢だ。まるでいつ何時、何が飛んできても大丈夫なように備えているかのようである。


「よーし。アディ、『甲冑射出機構ギア・イジェクター』起動試験をはじめてください!」

「りょーかい!! とうっ」


 エルの指示を聞いたアディは、操縦席に追加されたボタンを弾く。

 とたん、うつぶせの体勢で置かれた幻晶騎士の背中がはじけ飛んだ。装甲がばらばらに吹き飛び、その内部にあったもの――乗り込んだ騎操士ナイトランナーと幻晶甲冑がともに、空へと向かって勢いよく射出される。


「うっわぁぁぁぁっ!? け、結構な勢いねコレ! えい!」


 空中に飛び出したアディは身を捻り姿勢を整えると、甲冑射出機構の次なる機能を明らかにする。

 やたらと大ぶりに作られたこの幻晶甲冑の手足には、ある特殊な術式を刻んだ紋章術式エンブレム・グラフが内蔵されていた。それは大気を噴出し勢いを得る、“圧縮大気推進エアロスラスト”の魔法だ。

 アディが魔力を送り込めば、刻まれた図形が活性化し魔法現象を発現させる。手足から噴き出した圧縮大気が、落下の勢いを目に見えて緩めた。


「そーれっと」


 地面へと到達する直前、さらに仕上げとばかりに“大気衝撃吸収エアサスペンション”の魔法を展開し、緩やかに着地を決める。空へ向かって放り出された騎操士と幻晶甲冑は、無事に地上へと帰り着いたのである。

 手ごたえを感じた鍛冶師たちの間に、喜びが走った。


「うんうん。まだ粗削りではありますが、悪くはないですね。これで、この間のように空中で駄目になった時も甲冑射出機構を使って逃げだすことができます」

「まぁおめぇや嬢ちゃんなら身一つで飛び出すこともできるんだろうがよ、その辺の騎士にゃあちいと酷な話だ。空ぁ上がろうってんだから、これまでより格段に危険が増えてやがる。脱出のためにゃあ専用の装置が必要んなるか」


 甲冑射出機構、それは騎操士がまとう幻晶甲冑と幻晶騎士を連動させる、新機軸の操縦機構である。

 その最大の特色は、これが脱出を意図して作られた機能であるという点だ。これを発動させると、魔導演算機マギウスエンジンは意図的に一部の構造強化の魔法を停止し、操縦席周りの装甲を自壊させる。さらにそれを圧縮大気の強烈な噴出により吹き飛ばし、騎操士自身も同様に射出するのである。


 このために新規に設計された幻晶甲冑は、操縦者の強化鎧というよりも“着る紋章術式”というべき代物になっている。

 “圧縮大気推進”や“大気衝撃吸収”といった魔法を、習得していなくとも使用可能とすることがその主眼だ。もちろんある程度の強化能力も有しており、投げ出された後の騎操士の行動を助けることができる。

 シルフィアーネ(テイク1)の悲惨な事故への対処と、それをさらに発展させ騎操士の生存性を高めるために考え出されたものだ。


 ひとまず最初の試験に成功し、エルはご満悦の様子でアディをねぎらっていた。


「うまくいきましたよ、アディ! 騎士も甲冑も問題は感じられませんし、着地も大丈夫です。さすがはアディ、だてにこれまでも訓練をしてきていないですね。後は万が一にも失敗しないように、何度も脱出の訓練をつんでおきましょうか」

「えへへへへへへへ……へっ? それって、もしかして」


 エルに褒められ有頂天でふんぞり返っていたアディが、慌てて振り返る。彼の言葉の中に、聞き逃せない単語を発見したからだ。彼は甲冑射出機構の訓練をすると言った、つまりそれが意味するところは。


「というわけで、これからアディをどんどんと射出します」

「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってエル君……。さすがに何度も吹っ飛ばされるのはごめんよ!」


 彼女だけでなく、毎回バラバラに吹っ飛ぶ装甲を直さねばならない鍛冶師たちも、わりと面倒くさそうな表情でいる。

 そこでエルは表情を真剣なものにすると、しっかりとアディの手を握った。顔を赤らめた彼女がつい怯んだところで、間髪入れず畳みかける。


「アディ。シルフィアーネは、これまでの幻晶騎士とは違ってたった一人で空高くへと上がります。落ちればあなたでも大丈夫とは限らない。これから様々な駆動実験をするのに、常に危険が付きまとうのです。ですから、何があってもあなたが大丈夫であるように、訓練はしておきましょう」

「エル君……そんなに、私のことを真剣に想っていてくれたなんて! ええ、わかったわ! どんな状況からでも何があっても、絶対にエル君のところに帰ってくるから!!」


 感極まってがっしりとエルを抱きしめるアディ。その腕の中で、エルはふむふむとうなづきながら今後の予定を組み立てている。


「まぁあれだ。嬢ちゃんも楽しそうだし、いいんじゃねぇか。おめぇらも、事は騎操士の命にかかわるこった。この間にしっかりと腕ぇ磨いときやがれ」


 微妙に呆れ気味だった周囲の鍛冶師たちも、親方にどやされ考えを改める。

 こうして、これからしばらくの間、やたらとやる気に溢れたアディが操縦席から打ち出されたり高い建物から飛び出したりと、安全に着地するための訓練を積んでいった。


 そもそもモートルビートから始まる幻晶甲冑に親しみ、さらにエルの直弟子である彼女のこと。その辺の建物程度ならば落ちてもさしたる問題にはならない。そこで、これは彼女の訓練と甲冑射出機構の試験も兼ねていた。

 実際に上空で問題に遭遇した場合はどうなるか。シルフィアーネの建造と並行して、甲冑射出機構も何度も改良がくわえられていった。途中で何度か、彼女以外にもその辺の騎士を捕まえて発射してみたりと試験を重ね、甲冑射出機構の完成度は上がっていったのである。



 上半身に遅れることしばし。ようやく待ちに待った下半身が完成し、シルフィアーネ(テイク2)はその全身を露わとした。

 やや背中側の盛り上がった上半身に、すっきりとした流線型を見せる下半身。途中に一対の鰭翼フィンスタビライザを左右に備えたそれは、まさに“人魚”という言葉そのものの形をしていた。


 誰も乗っていない状態では源素浮揚器の出力を最低限とし、シルフィアーネは地表からわずかに浮き上がって安定している。飛行能力を最優先にした空戦仕様機は、脚部を有していない。それは設計したエルに曰く。


「源素浮揚器の特性上、これは機能が生きている限り比エーテル高度を維持します。つまり毎回着地する必要がないのですよね。むしろ着地するために高さを変更するほうが手間がかかります」


 そのため普段は固定器につながれて地表に係留されることになった。

 いちおう鰭翼が降着器ランディングギアを兼ねているため、これを使うことで疑似的に歩くことはできる。それでも地上では不器用な動きしかできないことに変わりはない。


「源素浮揚器、濃度微上昇。エル君、準備できたわ」


 シルフィアーネの拡声器から、アディの声が準備の完了を知らせる。エルは頷くと、背後にイカルガがあることを確認したのち、周囲へと指示を出した。


「これより、推進試験を始めます。シルフィアーネ、固定器解除トリガーアウト!」


 モートリフトに乗った鍛冶師たちが操作すると、金属の擦れあう甲高い音を残して固定器が外れてゆく。

 戒めから解き放たれたシルフィアーネが、浮揚力場レビテートフィールドに支えられて浮き上がった。安全のために源素浮揚器へのエーテル流入量を抑え気味にし、上昇速度はゆっくりだ。

 わずかにそよぐ風の中、機体の平衡バランスをたもつために鰭翼が盛んに微動している。


「それじゃあ、マギジェットスラスタ起動するわ! 最初は絞って……ゆっくり……」


 スラスタの影響が周囲に届かない程度に上昇すると、アディは鐙を踏み込む。

 それに応えて機体の後部が熱で揺らめき、マギジェットスラスタが徐々に咆哮を高めてゆく。シルフィアーネは滑るように前進を始めていた。

 抑え気味の速度ではあるが、そこに不安定さはない。鰭翼だけでなく、全身に沿って流れる気流も機体の安定に貢献していた。


「……いける、かな? よし! シーちゃん、ちょっと本気出して泳いでみよっか」


 テイク1の苦い記憶から出力を抑え気味にしていたが、シルフィアーネの安定性を見たアディが調子に乗り始める。

 だんだんと慣れるにしたがって動きが大胆に、というよりも大雑把になりだしたのだ。鐙の踏み込みを深くするごとに、マギジェットスラスタから轟く爆音が高まってゆく。


 シルフィアーネが大気を切り裂いてゆく。細長い形状は適度な抵抗を生み、テイク1のように急激に体勢を崩すことはない。

 推力方向を前進に限定することで挙動を単純なものとする、その目論見は成功したといえよう。左右への動きは、全身の挙動と鰭翼によっておこなう。前進により機体周囲に発生する気流を利用し、鰭翼が大気の流れを捕まえ揚力を生む。

 下半身も可動部にそって曲がり、軽やかな動きを見せていた。


「うーん、乗る感覚はほとんどツェンちゃんと同じなのね。これなら、いけそう!」


 前進を主体とし時折身をくねらせて進む姿は、まさに空中を泳ぐ魚としてのそれであった。

 操るアディにとっての理解としては、騎馬に乗ってのそれに近いものがある。機構形状のみならず、運用方法からもツェンドルグに連なるものといえよう。それならば、彼女にとっては非常になじみ深いものだ。さほどのこともなく彼女は操縦に慣れ、シルフィアーネは自在に空を泳ぎ始めた。


 上空を遊弋するシルフィアーネの姿をみて、地上では安堵と歓喜が広がっていた。

 テイク1の失敗は、かなり手痛いものとして彼らの記憶に刻み込まれていたのだ。名誉挽回を期して、テイク2にかける意気込みは大きい。

 髭をなでさする親方も、心なしか上機嫌であった。


「もうちっと調整はいるだろうけどよぅ、まずはいい具合じゃねぇか。前のアレみてぇなことにならなくて、胸をなでおろしたぜ」

「ええ。これはそのうちに、陛下にもお伝えしないといけませんね。……それはともかくとして、僕もあとで乗ろう」


 周囲が成功に沸き返る中、エルはまったく別の決意を固めていたのであった。

 その後、ライヒアラ学園街の上空をかなりの速度でブッ飛ぶ、未確認の奇妙な形をした何者かが目撃されて街中が騒然となるのだが、それは余談である。

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