#35 反撃に出よう

 魔獣が岩石を咀嚼する、甲高い異音が地中から響いてくる。

 それは周囲の雨音を圧し、騎士団と学生を包囲していた。

 完全に足止めを喰らった格好の彼らは、動きの取れなくなった馬車から脱出し、足元の様子に注意しながらも攻撃陣形を取っている。

 魔獣が地中にいる間は攻撃することが出来ないため、襲い掛かってきたところで反撃するつもりだった。

 

 緊張に喉を鳴らす彼らの中に、一際小柄で、両手に奇妙な武器を構える学生の姿がある。

 エルだ。

 

地砕蚯蚓シェイカーワーム……また厄介な魔獣が現れましたね」

 

 地砕蚯蚓シェイカーワーム――簡単に言うと巨大な蚯蚓みみずの魔獣である。

 その先端部は大量の小さな甲殻にびっしりと覆われており、一面に並んだそれを互い違いに回転させることにより、地面を破砕して体内に取り込んでいる。

 その姿はさながら生体掘削機と言うべきものだ。

 取り込んだ土中の生物を、体内を貫通する長い腸で消化して養分をとっており、またそれを排出する際に推進力として利用することで、地中をかなりの速度で移動することが可能である。

 そして何よりも、防ぎづらい地中から襲撃してくるため、魔獣の中でも極めて厄介な部類として認識されているのだ。

 

 魔獣の情報を簡単に思い出しながら、エルは疑問に首を捻った。

 

「しかし、シェイカーワームは最大でも直径2mもいかなかったはず……。

 あの巨大なのはなんなのでしょうね? ヌシ?」

「知るか! つうか何故おめぇはそんなに落ち着いてるんだよ!」

「まぁまぁ、そう怒鳴らないでください、親方。やつらは地中にいることが厄介な魔獣。

 しかしその移動にはかなりの騒音を伴うので、音を調べればある程度の位置がわかります」

 

 ギリ、と音がしそうなほど歯を食いしばり、親方ダーヴィドがその口を閉じる。

 その表情は怒気に染まり、今にもその手に持ったハンマーを振り回して暴れだしそうな雰囲気だ。

 最初の襲撃で学園の生徒達が何名か負傷している。できることならば彼は、自らの手で魔獣の頭を潰して回りたい気分だった。

 

「そう、ですから親方、少し下がっていてください。ここへと、来ます」

 

 目を伏せるエルの呟きを聞いた親方は、返事すら返さずに、彼に可能な最大の素早さで走った。

 その間にも地中の振動は急速に接近し、今やエルの足元では溜まった水溜りが盛大に跳ねあがっている。

 走りながら振り返った親方が何かを言うより早く、エルの足元から土砂を噴き上げながら魔獣が出現した。

 さすがの親方もその光景に肝を冷やす。

 シェイカーワームの接近を把握していたエルが、まさかそのまま喰われはしないだろうと思ってはいるが、それでも心臓に悪い光景だった。

 

 親方の心配を拭うように、シェイカーワームが飛び出してくる瞬間、エルは圧縮大気推進エアロスラストの魔法を炸裂させ、吹き飛ぶように宙へと舞い上がった。

 エルを追うような形でシェイカーワームの細長い身体が伸び、空中へと躍り出る。

 その勢いはかなりのものだったが、空中で加速できるエルには届いていなかった。

 

 エルはシェイカーワームのほうを向いた姿勢のまま、両手に構えた銃杖ガンライクロッド・ウィンチェスターをまっすぐに構える。

 

「いらっしゃいませ」

 

 シェイカーワームは地中ならば自由に掘り進むことが出来るとは言え、空中に飛び出した後では向きを変えることができない。

 まるでおろし金のように、甲殻がびっしりと並んで回転する魔獣の先端部へ向けて、エルは猛烈な勢いで魔法を連射する。

 二挺のウィンチェスターから火線が延び、次々にシェイカーワームへと突き刺さった。

 

 撃ち放たれた徹甲炎槍ピアシングランスの魔法が、着弾と共に炸裂する。

 シェイカーワームの甲殻がいかに岩石すら砕く威力を持つとはいえ、連続して飛来する魔法攻撃の前に耐えることはできなかった。

 指向性を持つ爆炎の魔法が、びっしりと並ぶ甲殻を吹き飛ばし、穴を穿つ。

 数発の徹甲炎槍があけた穴へと、後続の魔法が続々と飛び込んでゆく。

 それは柔軟性の高い魔獣の体内で炸裂し、爆発による激しい圧力で周囲の組織を吹き飛ばした。

 細長いシェイカーワームの身体が先端から2割ほど短くなり、千切れとんだ先端部の後を追って地面へぶつかり、しばらく滑ってその全ての活動を停止した。

 

 シェイカーワームの先端部が吹き飛ぶのを確認したエルは、そのまま身を翻して地面へと着地する。

 大気衝撃吸収エアサスペンションの魔法が泥と水たまりを吹き飛ばしつつ、エルの着地の衝撃を吸収する。

 彼はそのまま、他のシェイカーワームに襲われる学生達を援護すべく、駆け出していった。

 

 

 地中から襲い来る魔獣を相手にするため、騎士団も学生も密集隊形を取らずに、ある程度ばらけて構えていた。

 シェイカーワームの攻撃で何より恐ろしいのは直接下から襲われることだ。彼らは予兆の知覚に全力を注いでいた。

 

「地響きに気をつけろ! 近いと思ったら立ち止まらずに走れ!!」

「来たぞ、右手だ! 注意しろ!」

 

 飛び退った彼らを掠めるように、次々にシェイカーワームが地上へと飛び出してくる。

 地中でこそ凶悪なシェイカーワームだが、地上の生物を襲うためには土から出なくてはならない。

 その時に自身の移動速度が仇となり、一瞬空中で無防備になる瞬間がある。そこに攻撃の機会がある。

 

「ミミズ野郎がぁ! 調子に乗るなぁ!!」

 

 奇襲を受けてこそ怯んだ騎士と学生達だったが、一度体勢を立て直した後は、彼らは猛然と反撃に出ていた。

 彼らが杖を振るたびに爆炎球ファイアボールの魔法が飛び、雨中に紅蓮の花を咲かせる。

 爆発の衝撃で空中で姿勢を崩したシェイカーワームが地面に激突し、中には多数の魔法に直撃し空中で爆散するものもいる。

 騎士と学生達は、シェイカーワームが地中に逃げないうちに素早く止めを刺していった。

 

 シェイカーワームの皮膚は、地中の摩擦に耐えるためにある程度強靭ではあるが、先端部の甲殻と比べると耐久性は落ちる。

 親方は爆炎球の衝撃で地面へ衝突したシェイカーワームのうち1匹に駆け寄り、両腕に渾身の力をこめて手に持つ槌を振り下ろした。

 

「よくもうちのモンにかましてくれやがったなぁ!!」

 

 ドワーフ族の強力な筋力をいかんなく発揮した槌の一撃が、甲殻に覆われていない部分へと打ち込まれる。

 金属製の槌は、それが持つ破壊的な運動エネルギーを存分に魔獣へと振舞った。

 耐え切れなかった魔獣の皮膚が即座に潰れ、その内部へと槌の先端が埋まってゆく。

 浸透し、拡散する衝撃が内部組織をずたずたに潰し、槌を打った部分で魔獣の身体を分断した。

 発声器官をもたないシェイカーワームが、しかしまるで断末魔の叫びを上げるように一際大きく痙攣し、力を失いその身を横たえる。

 

 親方は魔獣の身体に埋まり、体液にまみれた槌を力ずくで引っこ抜くと、それを軽く振り回してから構えなおした。

 

「おうらあ! 次だ! じゃんじゃん持ってこい!」

 

 その気迫溢れる姿に、魔獣よりもむしろ学生達が恐れをなしていたのは余談である。

 

 

 

 小型のシェイカーワームは騎士と学生の反撃により討ち取られつつある。

 彼らが落ち着いて小型魔獣に対処することが出来たのは、幻晶騎士シルエットナイトの奮戦によるところが大きかった。

 

 彼らが居る所から少し離れた場所では、エルに“ヌシ”と称された巨大なシェイカーワームが大暴れしていた。

 幻晶騎士部隊は、ヌシが小さな人間よりも、巨大な幻晶騎士を目標にしていることを悟ると、即座に人のいるところから引き離しにかかった。

 シェイカーワームにはろくな知能がない。ヌシはまんまと誘導に引っかかり、森の中へと誘い出されていた。

 

 幻晶騎士の半分以上の直径を持つ、ヌシの巨大な口吻が地面も、森も関係なく破砕しながら突き進む。

 木々が移動の邪魔になり、幻晶騎士にとっては必ずしも有利な場所ではなかったが、ヌシは生身の人間では間違っても相手に出来る存在ではない。

 不利は承知でも、彼らから離れた場所で戦う必要があった。

 

「こんのぉぉぉぉ!!!」

 

 雄叫びを上げながらヘルヴィの駆るテレスターレが突進する。

 両肩の上に展開された背面武装バックウェポンが唸りを上げ、矢継ぎ早に発射された法弾が宙に光芒の尾を残す。

 法弾は狙い過たずヌシの胴体に直撃してゆくが、巨躯を誇るだけあってヌシの耐久性は通常のそれの比ではなく、十分な効果があったようには見えなかった。

 

「なんなのこれ! ちょっと反則じゃない!?」

「多少当てたところで、びくともしないな」

 

 ヌシの全長は100mを越そうかというものだ。

 長大な体躯をうねらせながら泳ぐヌシ相手には、攻撃を集中させることが出来ず、散発的なものに留まっている。

 これほどの質量を持っていては、小型シェイカーワームに使ったような方法は使えないだろう。

 魔導兵装シルエットアームズによる法撃の効果が薄いなら、とカルダトアが剣で斬りつけるが、幻晶騎士の剣をしてすらヌシには十分なダメージとはいえなかった。

 

 

 幻晶騎士に比べて、ヌシからの攻撃はその大半が致命的な威力を持っている。

 ヌシの突撃に捕まりかけたカルダトアが、とっさに盾でそれを防いだ。

 金切り声のような音が響き渡り、接触面から盛大に火花が舞い散る。

 盾の表面を、高速で回転する甲殻がやすりのように削り取り、紙を千切るより容易くそれを破砕した。

 カルダトアにとって幸運だったのは、ヌシの突撃に吹き飛ばされ、盾と左腕を粉砕された代わりに胴体は無事だった事だ。

 

「無事か!?」

「ぐぬぅっ、盾と左腕を失ったが、まだ動ける、剣は振れるぞ!」

 

 ふらつきながらも腕を失ったカルダトアが立ち上がる。

 それに乗る騎操士ナイトランナーの表情には、衝撃と状況による苦しさが滲んでいた。

 

 

「テレスターレ、全員俺のところに集まってくれ!」

 

 ヌシが全てを粉砕する凄まじい轟音が響く中、機体に設置された拡声器を使ってエドガーが叫ぶ。

 うねり暴れるヌシの身体をかいくぐるようにして、4機がエドガー機の元に集まった。

 

「おい、何をするつもりだよ」

「ばらばらに攻撃しても効果は薄い。法弾を集中するんだ。

 全員で4連装形態を取って、やつを正面から叩く。動きを止めないと」

 

 火力を集中させるためとは言え、真正面からの攻撃を提案するエドガーの言葉。

 カルダトアに乗る騎操士達ならば、その言葉に正気を疑うか、そもそも提案されることすらなかったであろう。

 だがテレスターレにはそれを為しうる能力があることを学生達は知っている。

 操縦席でぎらつくような笑みを浮かべた彼らは、力強い頷きと共に了解の返事を返していた。

 

「ようし、いっちょうやっちまうかね」

「テレスターレの全力、とくとご覧あれってね」

 

 テレスターレ全機が構えていた近接武器を収納し、盾を投げ捨てた。

 そして腰に挿した魔導兵装を両手それぞれに持ち、さらに背面武装を展開する。

 計4門の魔導兵装を構えるこの状態は、文字通りに4連装形態と呼ばれ、魔導兵装を同時に多数運用可能なテレスターレの真骨頂ともいえる構えだ。

 

 幻晶騎士が一箇所に集まったことにより、ヌシは惹かれるようにそこを狙ってきた。

 のたうつ巨躯の進路上にテレスターレが集合しているのを見たカルダトアが、慌てて警告する。

 

「何をする気だ! 危険だぞ、散開しろ!」

「魔導兵装を集中させて撃ちます! ヤツが怯んだら、追撃をお願いします!!」

 

 ヌシを迎えるように横並びに展開したテレスターレ部隊が、魔導兵装の照準を近づいて来るヌシの口吻、そのど真ん中に合わせる。

 

「撃てぇーーーーーーー!!!」

 

 テレスターレ5機で計20門、通常の幻晶騎士にして10機分以上に相当する魔導兵装が、一斉に火を噴いた。

 蓄魔力式装甲キャパシティブレームに板状結晶筋肉を追加搭載したことによる、莫大な魔力貯蓄量マナ・プールに支えられた凄まじい密度の弾幕が、降りしきる雨を灼いて撃ち放たれる。

 

 煌く尾を曳いて飛翔する法弾が、ヌシへと殺到した。

 十分に照準を合わせて放たれた法弾は、狙い通りにヌシの口吻へと直撃する。いかに悪食極まりないヌシとは言え、戦術級魔法オーバード・スペルによる法弾を食べることは出来なかった。

 一拍の後、ヌシの先端部が咲き乱れる爆発の花に包まれる。

 テレスターレの全力を懸けた絶え間ない法弾の嵐が、凄まじい勢いで前進していたヌシの速度すら減殺し、そしてずらりと並んだ甲殻のいくらかを吹き飛ばす。

 

 さしものヌシも、苦痛から逃れるように身を捻った。

 爆発の衝撃にあわせて、先端部を地面へと向けると地中へと逃れようと掘削を開始する。

 しかし地面を破砕するはずの先端部は、先の法撃によりかなりの損傷を負っていた。

 一部が欠損したことにより思うように地面を掘れず、その巨体が大地に突き刺さったような格好でうねる。

 

「今だ! 逃すなぁぁぁ!!!」

 

 それほどの大きな隙を見逃す者は、その場にはいなかった。カルダトアが剣を振り上げ、槍を構えて突撃する。

 テレスターレ部隊も相当量の魔力マナを消耗していたが、ここが正念場であるとばかりに、残る力を振り絞り、近接武器を構えて走る。

 法撃により負った傷へと何度も剣がつきたてられ、構えられた槍が突き刺さってゆく。

 地中へと逃れようともがくヌシが見る間にぼろぼろになっていった。

 

 テレスターレが、その両手に持つ斧槍ハルバードを振るう。

 その身体に張り巡らされた綱型結晶筋肉ストランド・クリスタルティシューが、弦楽器の如き調べを奏でながら、強力無比の力を発揮する。

 激しい勢いと遠心力を与えられたハルバードの先端が、唸りを上げて魔獣の身体へと叩き込まれる。

 それはついに、限界近くに達していたヌシの身体を裂き、致命傷となって刻まれた。

 

 活力を失った巨躯が大地に倒れ、魔獣から流れ出した体液が雨土と混じって撒き散らされる。

 強大な魔獣を退けた騎操士達が機体の腕を振り上げて雄叫びを上げた。

 

 彼らが勝利の喜びに浸るのも束の間、すぐさま騎士や学生の援護に戻るべく、最初の襲撃地点へと向かう。

 森から出る頃には、すでに大半のシェイカーワームは騎士と学生の怒涛の反撃の前に駆逐されており、ほどなくして街道は元の静寂を取り戻すのだった。

 

 

 

「やれやれ、クソミミズめ、厄介なことしてくれやがって」

 

 大小ミミズの襲撃を退け、一息ついたところで親方はしかめっ面でぼやいていた。

 彼の目の前には残骸と化した馬車があり、ごっそりと身体の一部を食われた馬の死骸がある。

 

「全員が移動するだけの馬車は確保できそうか?」

「無理だな、とても応急修理で直る状態じゃねぇ。頑張っても半分が動けば恩の字よ。

 そもそも俺達は鍛冶師で、木工は専門外だしな」

 

 質問した騎士にも、ある程度予想が出来ていた答えに悩ましげに腕を組んだ。

 魔獣との戦いで移動手段である馬車をいくらか潰されたのは、彼らにとって一番の痛手といってもよい。

 

「負傷者の搬送を優先するぞ。動ける馬車は怪我人を乗せて先にカザドシュ砦へ向かってくれ。

 車体は無事だが馬がいない? 幻晶騎士で牽け。

 ここから少し街道を進んでそれたところに村がある。我々は一旦そこへ向かうぞ。

 代わりの脚が調達できればいいんだがな……」

 

 その騎士の指示に従って、全員が行動を開始した。

 親方が忌々しげにシェイカーワームの死骸を蹴り飛ばすが、それで何かが好転するわけでもなく。

 唯一、雨が随分と小降りになってきたことだけが、これから徒歩で移動する彼らにとっての救いだった。

 

 

 

 結局、近隣の村では移動手段を確保できず、カザドシュ砦から迎えの馬車を出すことで事態を解決した。

 あの後も何度か魔獣との遭遇があったが、さすがにヌシほどの大物が早々現れるはずもなく、問題なく幻晶騎士の戦闘力の前に蹴散らされてゆく。

 予定から遅れること数日、ようやく学生とテレスターレがカザドシュ砦に集結していた。

 

「おうし、テレスターレの点検をはじめんぞ! 特に背面武装周りは念入りに見とけ!!」

 

 砦内に設置された工房へとテレスターレを運び込んだ親方達は、早速機体の点検を始めている。

 予定外の大物との戦闘を行ったテレスターレは、それだけ十分な整備が必要だった。何しろ、この場所を訪れた本来の目的はテレスターレのお披露目である。

 学生たちは、あくまでも整備班である自らの作業に手を抜くことはしない。念入りに機体の整備を行っていた。

 

 その様子を、砦付きの鍛冶師や騎士達が興味深げに見ている。

 彼らも簡単な事情は把握している。テレスターレを実際に見るまでは、学生が開発した新型機体ということで期待半分、疑念半分といったところだったが、ここに来てその評価は大きく変化を見せていた。

 特に実際にその戦いを目にした護衛の騎士の間では、テレスターレが制式量産機として普及することを望む者が、少なからず現れ始めていた。

 少なくとも同様の機能を組み込まれた機体が普及することになるだろう、彼らはいずれ来るその時へ期待し、今は目の前の作業を見守る。

 

 

 さすがに砦と称されるだけあり、工房の広さは学園のそれよりもはるかに広い。

 朱兎騎士団所属のカルダトアが並ぶ中、さらにその横にテレスターレがおり、壮観な眺めを作っていた。

 

 林立する機体の間を、銀色の残像を残して何かが駆け抜けてゆく。

 今にも踊りだしそうな様子で、エルネスティは小粋なステップを刻んでいる。

 エルネスティは鍛冶師ではないため、整備中はやることがなく、周辺を探索して無聊を慰めていた。

 学園よりもはるかに規模の大きな工房、そしてずらりと並ぶ幻晶騎士の姿に、彼の顔にはいつもより十割り増しの笑顔が浮かぶ。

 

「(やっぱり格納庫ってなぁええなぁ。出撃シーンからみてなんぼやねー)」

 

 妙な方向でこの世の春を謳歌するエルの元へ、騎士がやってくる。

 傍目からは幻晶騎士をみて喜ぶ子供そのままの姿に、彼は微笑ましいものを見たという笑顔を浮かべながら告げた。

 

「公爵閣下が君のことを呼んでいるよ。一緒に来てもらえるかな」

 

 振り向いたエルは、例えるならば部長に報告に行く開発主任のような、自信と不安と熱意と面倒さを混ぜ合わせた表情をしていたという。

 

 

 

 時は学生がライヒアラ学園街を出発したしばし後にさかのぼる。

 ライヒアラ学園街は、ライヒアラ騎操士学園を中心として街を形成している。

 そこには住宅があり、商店がある。

 そんな比較的整然と立ち並ぶ町並みの中を、足早に進む一人の男性がいた。

 

 天候はやや落ち着き始めているものの、未だその雨脚は強く、男は難儀しながらとある建物へとたどり着く。

 街の一角にある、ごく普通の建物。商店というわけではなさそうなので、住宅なのだろう。

 男は手馴れた様子で鍵を開けると、家の中へと駆け込み、そこでようやくと言った雰囲気で一息ついた。

 

 彼は雨具を脇に置くと、雨に濡れた服もそのままに家の奥へと進む。

 奥の部屋では、数名の男女が何事かを話し合っていた。

 彼らは突如として入ってきた男に対し、特別驚いた様子は見せなかったが、それでもその常にない慌てた様子に訝しげな視線を返す。

 

「どうしたんだい、こんな雨の中急いでさ」

 

 部屋の一番奥にいた女性が、不審げな様子で男へと問いかけた。

 男はそれに対する返答として、前置きもなく本題を切り出す。

 

「伏せ鼠から緊急の報告が上がっています」

 

 女性の、元からきつめだった切れ長の目つきがさらに引き絞られ、その雰囲気はまるで鋭利な刃物を連想させるものとなる。

 思わず相対する男も、周囲にいる彼女の部下たちも急に息苦しくなったような錯覚を受けていた。

 

「どうした? 学生が革命でも起こしたかい?」

「ディクスゴード公爵が、例のものに目をつけたようです。

 学園から大急ぎで引き上げ、手元に呼び寄せたとの報告が入っています」

 

 一瞬、その表情に苦々しいものがよぎる。

 彼女はそれ以上感情をあらわにすることはなかったが、椅子に深く腰掛けると腕を組み、考え込むしぐさを見せた。

 

「……先手を打たれたようだねぇ。

 未完成の部分があるって話だから悠長に静観してたツケが回ってきたってことかい」

「アレはすでに一部の学生と共に公爵領へ出発したとのこと。やられましたね」

 

 幾分、しわの目立ち始めた彼女の表情に、さらに深い皺が追加される。

 彼女は些か忌々しげな様子で机の上の書類の束を手に取ると、横にいた部下へと乱暴にそれを投げつけた。

 

「フン、そんなことをぼやいても始まらないさ。

 この報告は急いで本部の連中に回しな。あと連絡だ、最優先で陛下に報告を上げるように、とね」

 

 いつものことなのだろう、部下は手馴れた様子で飛んできた書類の束を掴むと、了解を返してすぐさま部屋から飛び出していった。

 

「……さて、あんまり悠長には構えてられないね。

 陛下のご判断次第では、私らが動かないといけないかも知れないよ」

「我々が、直接、ですか……陛下も、そこまで……」

「覚悟はしておきな。あと、準備が必要だ、全員呼び戻しといて」

 

 強い視線と共に返された言葉に、男は無言で頷くと、踵を返して部屋から出てゆく。

 ほどなく部屋に残っているのは彼女一人になった。

 腕を組み思考に沈む彼女はいかなる予定を見ているのか。

 目を閉じ、厳しい表情を浮かべたその様子からは、恐らくは愉快な想像ではないのだろうと予想がつく。

 

「さぁて、忙しくなりそうだねぇ」

 

 言葉の内容とは裏腹に、意外なことにその響きは多分に愉快そうなものを帯びていた。

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