誠実 二〇二〇年 十月三十一日 ②
マスクを買った後は、駅の近くをぷらぷらしていた。渋谷まで出て時間を潰そうかと考えたが、人の多い場所に出るのは躊躇われる。この時間になると、駅南口は会社帰りのサラリーマンが多くなり、その中で明りをてかてかと反射する真新しいリクルートスーツを着た学生が、やけに目立って見えた。彼らとすれ違うと、「今日のインターンは楽だったね」、「一緒のグループの子は可愛かったな」と楽しげな会話が聞こえてきて、なんだか彼らが作った影に、俺がいるような気がしてならない。耳を閉じていないと、体を支えている背骨が重力に負けそうになる。元から腹の中には鬱屈としたものはあり、光に当たる場所に出ただけかもしれない。気をつけないと割れたガラス片のように傷ついてしまう細かい粒を、ひとつひとつ回収していく。
そもそも今日は、拓実にESや面接のことを教えてもらおうとしていたのではないか。そしたらあいつが映画観ようとか言い出して、最近断り続けてきたから少しくらいいいかと思ったら、頭にくることを口にされて。必要のないものまで一緒に出て、結果的に怒らせたんだ。
大体、どうして今日なんだ。わけがわからず頭を小さく振ると、スマホが鳴った。もしかして拓実からの連絡かもしれない。少なからずの期待を手にスマホを開く。
スケジュール イベント一日前リマインド
明日十七時から『演劇』のイベントが入っています。
開始時間 二〇二〇年十一月一日十七時
場所 下北沢劇場
明日だったのか。
最近人のことまで考える余裕がなくて、今の今まで忘れていた。同時に、拓実のジンクスを思い出した。
だから、ここのところ誘っていたのか。前ならすぐに察しただろうが、外に出れる時間が限られてからは、ジンクス関係無しに映画を観ていたから忘れていた。
去年の今頃は『ローマの休日』を観て、その足でコンビニにアイスを買いに行った。それで当日、何を差し入れに持っていこうかと同じコンビニで迷っていたら、開始時刻ぎりぎりになって、一緒に観に行った友人に遅いと言われたんだった。
その友人にはもう会えないだろう。確信めいたものを感じていると、頭の中で粒が揺れるような音がした。
「健太郎」
記憶の底に触れるような声。魔法だろうかと思いながら顔を上げる。
同じゼミだった金本夏彦が、腰に手を当てていた。この半年、ゼミの授業にも当然出ていなかった友人。休学した友人。何をしているのか、SNS上でしか知ることのできなかった友人。
「何固まってんの。置物の練習?」
シャカシャカと、夏彦の鞄の中で聞こえるフリクスの音が、凄く懐かしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます