五  夢 朱雀門

 夢の中の街は、現実世界の何処にも無い街だ。しかし、夢を見ている間、当人は自分がその街並まちなみに馴染なじみがあると信じて疑わない。

 アーケードを、僕は若い女性と並んで歩いている。

 僕はその商店街を隅から隅まで知っている。六メートル幅の街路は僕の通勤路だ。学生時代は通学にも使っていた。

 アーケードの中ほどに間口まぐち二間にけんばかりの店がある。その店は、むかし僕が通った中学校だ。ひと月に二回くらいしか登校しなかったが一年間で卒業したと、僕は記憶している。店の中では二人の生徒が皿洗いをしている。

「陽が落ちたらどうせ暇だろう」

 毎晩、学校に来い、と担任は僕に命令する。

 たかに似た鳥が学校のグランドに降りようとする。しかし、着地する寸前、鳥は赤い炎となって燃え尽きる。

「燃えたわ。死んだのかしら」

 連れの女性が、悲しげに言う。

「夏になればよみがえるさ。火の鳥みたいに」

「そうね。きっと成るようになるわ」

彼女の顔に僕は見覚えがない。

「俺にこんな美人の知り合いがいるわけないじゃないですか」

と、僕は誰かに言う。

 商店街の店はいつの間にかみな飲食店になっている。ファミリーレストラン、定食屋、カレー屋、焼鳥屋、寿司屋。だが、ラーメン屋が無い。食べたいと思っていたのに。何てラーメンだっけ? 僕が好きなラーメン。

「タアケラーメンよ」

 タアケラーメン? 

 たしかにたわけ者の僕が好きなラーメンはタワケたラーメンかもしれない。僕はカップラーメンを作るのに九分もかかるタワケ者だからね。

 いつの間にか、ベンツのキャブリオレを僕は運転している。その新型のオープンカーを僕が九十四万円で購入したのは確か昨日だ。パッセンジャーシートには美子が座っている。商店街を一緒に歩いていた女性はどこに行ったんだろう。

「やっぱり車はトヨタよね」

 ハンドルにTOYOTAと刻まれている。あれ? この車ベンツじゃなかったっけ。まあいいや。ベンツでもトヨタでも、走ってまがって停まれればそれでいい。

 車は狭い商店街を抜け踏切の手前で止まる。踏切の向こう側には中華街がある。原色で彩られた門が線路の向うに建っている。左右両門柱さゆうりょうもんちゅう天辺てっぺんにはしゃちほこのように鳥の像がのっかっている。

 鳥を飾った牌楼ぱいろうは何ていうんだっけ。そう、朱雀門すざくもんだ。朱雀は南方を守護するから、ここは中華街の南側にちがいない。でも、よく見ると門柱の上にいる鳥は朱雀じゃない。

「カモメよ。昔はコウノトリだったけど」

 昔? 昔は朱雀門なんて無かった。

 カモメが変身してコウノトリになると、門の上から大きな倒福タオフゥが落ちてきて燃え上がった。

「コウノトリが子供を運んでくるって本当かな?」

「昔はそうだったみたいね。今はペンギンが天使を連れて来るわ」

 常識よ、と美子が言う。

「よう、好い車に乗ってるじゃねえか。クラウンかよ。やっぱり学校の先生と機屋はたやはトヨダにのらねえとな」

 トヨダ? トヨタだろうよ。

 左を見上げると父の顔がある。父は立派なスーツを着ている。ロータリークラブの帰りだな、と僕は思う。

「紹介しろよ」

 美子に目をりながら、父はさり気なく言う。

「美子だよ。僕の嫁さんだ」

「お前、いつ結婚したんだ」

「知らなかったの?」

「結婚式に呼ばれてないからな」

「だって、父さん、僕の結婚式の時にはもう死んでたじゃないか」

 父は、無粋ぶすいな奴だとでも言いたに短く溜息をつく。

「お父様?」

 美子が不信ふしんに満ちた顔を僕に向ける。

「すごくダンディじゃない。あなたのお父様」

 貧乏職人なんて、私に嘘をついたのね、と美子は怒る。

「お嬢さんこそトテシャンだぜ。それに若いなあ。こいつの娘かと思った」

「二十三歳も年下なんです。二十五歳だったかな?」

 美子は機嫌好きげんよく応える。

「そうか、おない年か」

 同い年?

 美子は二十三歳年下と言ったのに何故僕と美子が同い年だと言うのか、僕は父に訊こうとする。しかし、

「俺にも運転させろよ。この四三型車」

 口をひらこうとした僕を制して、父はクラウンのハンドルを軽く叩く。

「ああ、いいよ。父さん。九四型だけどね」

 僕が車から降りようとすると、

「やっぱりいいや。落ちるかもしれねえ」

「落ちる? どこから落ちるのさ」

父は僕の眼を覗き込むように見る。そして僕らに背を向けると、「グッバイ」と右手をあげながら踏切を渡り、向こう側の不思議な異人街いじんまちに入っていく。

 そうだ、美子とって、中華街でラーメンを食べようと思っていたんだ。

「父さん、一緒にラーメンを食べに行こう」

 大声で呼ぶが、父は振り返らない。

 助手席に美子が居ない。彼女は走って踏切を渡っている。やがて父に追いついた美子は父と腕を組んでチャイナタウンの中に入って行く。

 路に飛行帽を被った戦闘機乗りが立っている。父が敬礼をすると、彼も敬礼を返す。

 美子と父を追おうとするが、丁度踏切の遮断機が降りる。車を走らせることができず、僕はいらつく。警報機が鳴っている。

「六人でラーメン食べに行くね」

 六人? 父と美子の二人しかいないじゃないか、とバックミラーに映る自分の顔を見ながら僕は首を傾げる。

 僕が二人を見失いそうになると、大きな中国獅子舞ちゅうごくししまいの獅子が線路の上を走って来て僕の目の前で立ち上がり、空中から釣り下がった紅い祝儀袋しゅうぎぶくろくわえとる。

 踊る獅子の向こうから、美子の声だけが聞こえる。

「ういたわ」


「貧乏職人なんてイメージを私に植えつけようとしたから、お父様、怒って夢に出てきたのよ」

 夢のストーリーを語ると、美子は笑った。

「親父の奴、美子に格好良かっこういいとこを見せたいのなら、美子の夢に登場すればいいのに」

「お父様が私の夢に出るわけないわ。私には夢の素材がないもの。あなたのお父様の写真、私、一枚しか見たことがない」

 父の写真は新潟の実家に何十枚もある。しかし美子が見た父の写真は一枚だけだ。古いアルバムは納戸の奥深くしまってあって、美子を実家に連れて行った時には取り出す暇がなかった。美子が見た一枚は、実家の仏間ぶつまに飾ってある父の遺影いえいだ。

 他界する五年前、従姉いとこの結婚式で仲人なこうどを頼まれた父を僕がニコンで撮影した。

紋付もんつきなんか羽織はおるのは、かあちゃんとの結婚式以来だぜ」

 僕がシャッターを押したのは、父がそう言ってはにかんだ瞬間だった。

「モナリザの微笑みたいね」

 照れを含んだ父のあいまいな微笑みを、美子はそう評した。

「夢に出てきた中華街って、横浜の中華街かな」

「私があなたと一緒に行った中華街は、横浜の中華街だけよ。隼人がお腹にいたときに、クーハンを買いに行ったわ」

 クーハンという語感から、僕らはそれが中国由来ちゅうごくゆらいの育児用具だと思っていた。クーハン(couffin)がフランス語だと知ったのは、どんな漢字を書くのかと中華街の雑貨屋で中国人店主に訊いたときだ。

「皆、中国語だと思っているよ。語感がチャーハンに似ているからだね、きっと」

 店主の説明に、二人は中国製のクーハンを抱えて大きく笑った。

「貴方、中華街に一緒にラーメンを食べに行くような人がいたの?」

 いたかもしれない。僕は一応、記憶を探ってみる。

 美子はねた顔で僕の眼の奥を覗き込んだ。

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