二  夢 アフガン

 この頃よく父の夢を見る。あまり楽しい夢ではない。

 四坪ほどの土間に力織機りきしょっきを置いて、父はつむぎを織っている。

「父さん」

 電動織機がガシャンという大きな音をたて小さな風をおこす。モーターの音が、その風に溶けるようにスーッと消える。しばらく静寂が続く。わずかな響きさえない。

 しかし、織機しょっきは無音で布帛はたを織り続ける。

「何だ」

 しわがれた声で返事をするが、父は振り向かない。織られてゆく濃紺無地のうこんむじの紬を、黙って見つめている。

 経営していた織物会社が倒産した。その後、亡くなるまでの半年間、友人から借りた古い百姓家ひゃくしょうや土間どま織機しょっきを置き、父は紬を織り続けた。だが、その土間で紬を織る父の姿を僕は一度も目にしていない。

 農家に織機を貸し出し、そこで織らせた生地きじ金銀糸きんぎんし刺繍ししゅうほどこして絵羽織えばおり仕立したててる。それが父の会社の仕事だった。工場に反物たんものを織る機械は一台もなく、僕は機屋はたやせがれのくせに布帛はたが織られてゆく様を目にしたことがほとんどない。ドイツ製の刺繍機ししゅうきが何十台か並んだ明るく広い工場と、会社のユニホームを着て工場長と話す父の姿なら確かな記憶として残っている。だが最近、僕の夢に登場する父は何時も、機械油の臭いがする暗い土間で布帛はたを織っている。薄汚れたデニムのシャツの袖をめくりキャンバス地のエプロンを首からぶら下げるように掛け、織機の前に立っている。

 夢の中の父は、うらぶれた貧乏職人のようだ。

「父さん、死んだんじゃなかったっけ」

 僕が訊くと、無粋ぶすいな質問をする奴だとでも言いたに短い溜息をして、父は「ああ」と、応える。

「その紬、何時織りあがるの?」

 上下する綜絖そうこうに父は一瞬目を遣る。

じきだ」

 しかし、その紬は永遠に織りあがらないと僕は思う。

 緯糸よこいとを吐いていない。くだの糸が絶えている。緯糸を織り込むことなく虚しく交差するだけの縦糸たていとの間を縫って、空のが織機の右端みぎはしと左端を往復している。

 地面に杼が落ちて、転がる。

「父さん、シャトルが落ちたよ」

「ああ、落ちたな」

 土間に転がった杼を、父はじっと見る。

 何かを思い出そうとしている。そんな顔だ。 

 織場おりばの奥には畳敷きの居間がある。そこに、アフガンに包まれた赤ん坊が寝かされている。旧いテレビがきっ放しで、ブラウン管の画面から出る赤い光が赤ん坊を照らしている。

「しまった。子供がほったらかしだった」

 僕がそう言って居間に向かおうとすると。

「男親なんて、そんなもんさ」

 父はボソッと言う。

 辛い夢だ。僕は夢覚めの微睡まどろみの中で、泣きたいほど痛い罪悪感にさいなまれる。

……父さん、ごめんよ。また格好悪い父さんの夢を見てしまった。

 短躯たんく禿頭とくとうで決して美男子ではないが、商売敵からさえ「伊達男」と云われていた洒落者の父だった。銀座英国屋にあつらえた背広を着込みロータリクラブのパーティーで颯爽さっそうとスピーチをする父を、誰もが恰好かっこういいと言った。しかし、このごろ僕の夢に出てくる父は、そんな粋人すいじんとはとても思えない。

「悲しい夢でもみたの?」

 美子に訊かれ、僕は織場おりばの様子と布帛はたを織る父の姿を絵に描いて彼女に見せた。

「お父様の横顔、貴方そっくり」

 何もしないでじっとしている時の僕の顔に似ていると美子は言った。

「この子、隼人かしら」

 美子はアフガンに包まれた赤ん坊を指さした。


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