13時限目 白銀の垂氷

「……?」

「あぁいえ、何でもありません。――――――すみません、私はその問いに答えることはできません」

「どうして……?」


 震える水面のように、心に不安感が募る。

 急激に身体の内側が冷えていく感覚に陥る。まるで、眼の前の彼女は私のことを、前とは違うただの別人として捉えられてしまっているのではないかと疑うほどに。


「―――――さ、行きましょう?」



 ◇◇◇


『お前は今、嫌われている』

「……わかってますよ」

『再三言うぞ、お前の好感度は今最底辺だ。並の男子より低いと思って行動しろ』

「だからわかってますって! 僕はただ、ムカついてるのを発散したいだけなんですから!!!」

『…………♪ それでいい』


 耳に残る先生の嫌味な発言に何度も心を撃たれる。沸々と湧き上がる苛立ちに全身を力ませた。

 今は午前中。選んだコースでそれぞれの体験をしている最中だ。

 ちょうど僕は水上競技の体験と言う名目でボートの上でくつろいでいた。

 後方には雷斗が釣りをしている。


『日中は近づくな。……といっても、コースが違うせいで会う機会も少ないか。怒りをぶつけるなら夕方か、それこそ花火の時にでもしたらどうだ。望むなら完璧なシチュエーションを確約してやる』

「…………」

『ただの意趣返しじゃつまらんとほざいたのはお前だろ』

「そうですけど」


 この人の考えていることはやはり分からない。

 何かと裏で工作しているのは分かるが……恐らく常識の範疇を軽々と超えているだろう。


 僕自身、おかしな人の手をとってしまったとは重々に理解している。

 最初はただ雷斗に相談しただけだった――――




 ◇◇◇



 ただ、なんとなくだった。人が人を好きになる理由なんてその程度で良いだろう。周囲から異質な眼で見られていた人間だった。


 校則はほぼ自由と言っても過言ではない校風。漫画や二次元でしか男装する女子なんて居ないと思っていた僕は、その光景に酷く不思議がっていたのを鮮明に覚えている。


 ちょうどその時の僕も、自分のことを少し珍しい人物だと思っていたのだ。何の気の迷いか、ただテストの点が良いだけだというのに、それだけで内心は浮かれ全能感に浸る。外面ではとても器用に、清廉さを醸していた。

 今となっては恥ずかしいことこの上ない。

 が、僕はその時、彼女と自分に何らかの親近感を抱いてしまった。

 それまで僕は、恋愛なんて何が楽しいのか、リソースの無駄でしかないと考え込んでいた閉塞的な人間であった。

 他人が、知人が相手を求めることに何の面白みがあるのか。僕のような同じステージにすら見られてない人間にはそのようなことに接点が発生するのか。


 なぜ、何故、どうして。


 猿だと思っていた人間に何故興味を抱いてしまったのかは分からない。


 ただ、僕は同じ『異質』という名の親近感を、この情動を勝手気ままに『恋愛衝動』と位置づけ、自分を騙したのだ。

 そこからは、僕は史実に書かれぬ類人猿と何ら変わらないだろう。


 馬鹿見たく相談し

 馬鹿見たく視線で追い

 馬鹿見たく告白し

 馬鹿見たく振られている


 全く我ながら何をしているのだか。ほとほと疑問である。

 だが。だけれども、この心中に溢れる怒りは、それ以上に不思議でならなかった。


 興味の失せるどころか、別の烈火感情が燃え盛っている。

 親近感はとうに離れていて、それどころか彼女は僕よりもずっと遠い所にたった一人で立っていた。

 意図せず、また意図されて孤高に立つ様に、劣等感でも浴びせられたのだろうか。

 そんなことは分かりやしない。

 分かるのは、僕が奇妙にも我意で動いてるということだけだ。


「……先生」

『…………?』

「変ですよね、人って」

『何を今更。お前ら挙って全員変だ』

「ふっ、はははっ。何ですかそれ」


 予想外の返答に思わず笑ってしまう。

 後方で釣りをしていた雷斗が疑問符を飛ばすほどだ。

 するとノーマルトーンで先生は続けた。


『人を好く嫌うは心情から発露する尊重すべきものだ。が、それだけだ』

「…………それだけ……?」

『行動原理とそぐわないだろ大抵。同調圧力に負けて自分の感情を表に出さない輩と比べたら、お前はまだマシだがな』

「そんなの……先生は自由だから言えるんですよ。上に立ってるから、誰にも負けないから。悠然と、峻厳と」

『……俺は少し、違うがな』


 やけに余韻の残る声で独りごちると、先生は咳払いを一つ吐いた。

 まるで感慨に耽っているような。

 僕はインカムより外から聞こえる雷斗の声に耳を奪われ、振り向いた。


「いい加減体験終わるから戻るぞ~」

「はいはい…………って、その魚何だ」

「海辺の近くに捌いてもらえるらしいから」


 だから──────食う、と。

 どれだけ自由奔放なのだろうか……。雷斗は少し先生と似てきた気がする。

 僕は嘆息を一つ吐いて、オールを手にした。



 ◆◆◆



 ─────だ。

 この御時世に珍しいと感じながらも、私はスマホを開けて中身を見た。

 差出人は不明。だというのに、私をはっきりと名指ししての文書は、酷く私を混乱させた。


『卯月咲夜。今夜八時、以下の場所へ来て下さい。さもなくばあなたの秘密を全校生徒へ晒すこととなるだろう』


 なんとも形の汲み取れない、嫌な文章だった。すぐ下にはマップのURLが貼られており、調べるとそれはホテルからとても近い、海辺の一角であることが分かる。


 だが一番に不可解なことは、差出人が男か女かすら分からないということだった。

 呼び捨てに脅迫文だというのに、命令ではなく、


 口内に溜まる唾を飲み下す。冷たい汗が頬を伝う。恐らく友人に相談すれば有事になるだろう。犯罪紛いも良いものだ。


「さーやー? 咲夜~?」

「う~ん!」


 不意に友人からの呼び掛けが飛んでくる。

 スマホの画面をふっと消すと、何事もなかったかのように私は小走りで彼女らの元へ向かった。


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