出会い その4
翌日、秋人はまたしても寝不足のまま学校に来ていた。
「ね、眠い」
午後最後の授業を目前にして、机に突っ伏しながらひたすら眠いと連呼していた。結局あの後事務所に戻ってすぐ仕事を再開したが夜遅くまでかかってしまい、なんやかんやで帰宅できたのは夜十二時過ぎ。そこからベッドに入っても翻訳という頭脳労働をしていたため逆に頭がさえてしまい、そのまま寝れずに朝を迎えてしまった。
眠そうになりながら授業を受けるなど完璧でありたい秋人にしてみればあまりしたくないことだった。しかし秋人が一日二日眠そうにしたところで周りからの優等生評価は消えたりしない。むしろ「昨日も夜遅くまで勉強していたのかな」と事情を知らないクラスメート達は都合の良い勘違いをしていた。
「そんなに眠そうで大丈夫? 早退したら?」
「う~ん、授業終わったらさっさと帰るよ」
心配そうに見つめる莉緒を横目に、昨日のことを思い出す。どうやら雪菜は誰にも英語が話せることを言っていないようだったが、そもそも何故英会話の広告なんて見ていたのか。それに今日一日ずっとこちらを伺うように視線を送ってきていたが、何か用事でもあったのか。そんなことを頭の片隅で考えていたが、脳の大部分は眠気と戦っていたため適切な回答は出せなかった。
「今日最後の授業はじめるぞ~」
授業開始のチャイムと共に教師が入ってくる。秋人は眠気を無理やり振り払い、最後の授業へ臨んだ。
帰りのホームルームが終わり次第秋人はさっさと教室を出た。もう眠気の限界で頭の中は「寝る」の二文字で埋め尽くされていた。
学校から部屋のあるマンションまで徒歩二十分。とにかく早く帰りたかったので早歩きで下校すると、体感的には割とすぐにマンション前の横断歩道に着いた。
赤信号で信号待ちをしつつまともに動かない頭でぼんやりと「早くベッドに入りたいなぁ」と考えていた。しかし突如、秋人の身に激しい立ち眩みが襲う。
「あっ、これはヤバい」
そのまま前のめりになって地面に近づく。アスファルトに頭から落ちる勢いだ。下手すると死にかねないその状況に心臓がバクバクと動く。
だがすんでのところで体ががくっと止まった。何者かによって右手を引っ張られたおかげでギリギリ地面との熱いキスを逃れたようだ。振り返ると、そこには雪菜がいた。
「大丈夫? 今すごい危なかったわよ」
起き上がって姿勢を直すと、雪菜はその冷静な表情に若干の焦りをにじませていた。
「ごめん、ありがとう。ちょっと昨日徹夜しちゃって」
「そう。でもいくら何でもさっきのは危なかった。家どこ? まだ距離あるならタクシーでも使ったら」
「大丈夫、目の前のマンションが俺の家だよ。すぐそこだから」
秋人は「じゃあ」と力なく言って横断歩道を渡ろうとすると、また雪菜に止められた。
「待って、まだ信号赤でしょ。何渡ろうとしてるの。……これはさすがに放っておけない。肩貸すから、部屋まで案内して」
「いや、いいから。大丈夫だから」
同年代の女の子を部屋まで連れて行くのは気恥ずかしいし、何より完璧な優等生を演じている秋人にとって、自身の部屋は絶対に見られたくなかった。
「赤信号で平然と横断歩道を渡ろうとした人が何言っているの? 黙って肩につかまって」
雪菜が有無を言わさず迫力で体を支えてくる。眠気で考える能力のない秋人はもう黙って雪菜の言いなりになることとした。
エレベーターを使って部屋のある階まで行くと、広々とした廊下が広がっていた。二人が肩を並べて歩くには十分な広さだ。「秋月」の表札がある扉の前まで来ると、秋人はカバンから鍵を取り出し、ドアを開けた。
「うわっ」
雪菜から思わずといった感じで声が漏れる。ドアの先に写ったのは、まさしく汚部屋であった。
そう、秋人は完璧な優等生として学校で通しているのにも関わらず、こと家事に限っては大の苦手だった。
「ごめん、ちょっと散らかってて」
「これをちょっとで済ませるのは秋月君が男の子だから? それとも秋月君が異常なの?」
「結構キレッキレの質問してくるんだね。……俺の感性が狂っている方で間違いないよ」
呆れた表情で雪菜は秋人を見つめていた。
「あんまり人様のお家事情を聞くのは良くないと思うんだけど、お父さんとお母さんは? 部屋の掃除とかしないの?」
「二人ともとっくの昔に死んでるよ。前は叔父さんと一緒に住んでいたけど今は一人暮らし中」
雪菜が気まずそうに「そう……」と声を漏らす。頭が回っていないせいで失言したことに秋人はまだ気づいていない。
「ごめん、眠い、限界。寝室はすぐそこだから。エントランスはオートロックだし鍵は気にしなくていいよ。それじゃあ、おやすみ……」
部屋についてもう限界だった秋人は、雪菜を見送らないまま寝室のベッドにもぐりこんだ。礼を言い忘れていたことには気が付いていたが、眠気には抗えずそのまま五秒もしないうちに深い眠りへと落ちていった。
◆◇◆
「鍵は気にしなくていいって言われたけど、どうしよう」
ほとんど話したことのない同級生の、しかも男の子が一人で住んでいる部屋の玄関で、雪菜はボソッとつぶやいた。
昨日のお礼をしようと一日タイミングを見計らっていたが、なかなか学校では二人になれなかった。秘密にしてほしいと言われたので二人だけの時に言った方がいいのだろうが、秋人は終始体調が悪そうで余計話しかけ辛く、気が付いたら帰りのホームルームが終わっていた。
今がチャンス、と思って秋人が座っている後ろの席の方を見たら、もう教室の外に出ていた。慌てて追いかけたけど早歩きでなかなか追いつけず、やっと話しかけられる距離に近づけたと思ったら倒れかけているし、部屋に入るなり死んだように寝てしまった。
そのまま帰るわけにもいかず、とりあえずリビングの方へ入る。
「これは……」
玄関と廊下も大惨事だったが、リビングも汚れていた。さすがにゴミ屋敷レベルではないが全体的に埃っぽく、コンビニの袋にくるまれたゴミや洗濯してからたたまずに放置したであろう衣類が散乱していた。これでは健康を害してしまう。
「二人ともとっくの昔に死んでるよ」
寝る前に秋人がつぶやいた一言が胸に刺さる。雪菜と同じで秋人も複雑な家庭なのかもしれない。
「まぁ、迷惑かもしれないけど、昨日のお礼もかねて色々やってあげましょうか」
同類の者に対する共感と昨日のお礼をしなければという義務感から、腕まくりをして掃除の準備を始める。掃除道具を探していると、リビングにある立派な本棚の近くに掃除道具が放置してあった。
こんなに部屋が汚れているのに、どういうわけか掃除道具はきちんとそろっている。しかも新品でそこそこ質の良いものが。
どうにもこの高校生一人には立派すぎる部屋といい、部屋に置いてある新品の道具といい、妙なアンバランス感を雪菜は感じていた。お金にはあまり不自由していないのかもしれない。普通両親が死んだら逆だと思うのだが、一体どういうことなのだろうか。
ふと本棚の前にあったローテーブルの上を見ると、パソコンと難しそうな英語の資料が乱雑に置いてあった。明らかに高校生が英語の勉強で使う教材ではない。もっと高度で専門的な内容だ。
「昨日の様子から結構英語話せると思っていたけど、結構なんてレベルじゃないのかも。でもこの部屋の散らかりよう、これなら交渉の余地があるかも……」
秋人が起きた後どう提案するか考えつつ、雪菜は掃除を始めた。
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