保健室のオトナな先輩、俺の前ではすぐデレる

滝沢慧

一章 保健室の聖母様

プロローグ

 プロローグ


「――ありがとうございます、先輩! 先輩のおかげで、彼と仲直りできました!」

 昼休みの保健室に、女子生徒の明るい声が響く。

 真山まやま恭二きょうじはベッドに横になりながら、そのやり取りを聞いていた。カーテンが閉められているから、向こうは恭二の存在に気付いてはいないだろう。盗み聞きするようで居心地が悪いのだが、今さら出ていくのも微妙すぎる。

「本当に、先輩に相談に乗ってもらって良かった……。あの! ま、また、困ったことがあったら、話を聞いてもらっても……」

「ええ、構いませんよ。いつでもいらしてください」

 女子生徒の声に応じるのは、これまた少女の声。ただし、はしゃいだ様子の女子生徒よりも随分大人びて、知らない人が聞いたら、保健室の先生と勘違いしたかもしれない。

 でも、恭二は知っている。カーテンの向こうで、女子生徒にお礼を言われているその『先輩』が、自分達と一つしか年が違わないこと。

 そしてもう一つ――他の誰も知らない、彼女の秘密も。

「それじゃあ、失礼します……! 本当に、ありがとうございました!」

 ガラッとドアの開く音。そして閉まる音。

 女子生徒の足音が遠ざかるまで待って、恭二はカーテンを開ける。

 そして、言った。

「見栄張ってると痛い目見ますよ」

 その言葉に。丸椅子に腰掛けていた背中がビクッと反応。

 ……しばしの間を置いて、彼女はゆっくりと恭二を振り返った。

「人聞きが悪いですね。私がいつ見栄を張ったというんですか」

「本当は男と付き合ったことなんかないでしょう」

 『うぐ』、と、柚月の顔が露骨に強張る。


 彼女の名前は白瀬しらせ柚月ゆづき。この学校の二年生で、一年の恭二にとっては先輩に当たる。


 学校一の美人にして優等生。同級生からは高嶺の花として、下級生からは憧れの先輩として、羨望の眼差しを一挙に集める有名人。そのモテっぷりは誰もが知るところで、『この学校に通ってる男なら一回は彼女に惚れる』なんて噂が立つほどだ。


 ……一体誰が想像するだろう。そんな彼女が、実は一度も男と付き合ったことがないなんて。ただ子供じみた見栄を張って、『自分はオトナの女です』、とか言い張っているだなんて。


「失礼な。いいですか。私は真山くんのようなお子様と違ってオトナなんです、オトナ」

「はぁ」

「何しろ年上ですし。一年も長く生きていますし。日数に換算すれば三百六十五日。つまりはそれだけ経験を積んでいると言うことなんです、わかりますか」

「そっすか」

「……だから、こんなことだってしてあげられるんですよ?」

 すっと、不意を突くように柚月が動く。長い髪が揺れるのが視界の端に映って、気付いたときには、端正な顔がすぐ目の前にあった。


 学校一だとか日本一だとか世界一だとか、そんな噂も大袈裟じゃないと思えるくらい、美しく整った顔立ち。キスでもされそうな距離で見つめられて、動揺しないなんて無理だった。

 途端、柚月の顔に、それはそれは得意げな笑みが浮かぶ。

「ふふふ。何を驚いているんですか? ほんのちょーっと顔を近付けただけじゃありませんか。こんな些細なことで動揺してしまうだなんて、やっぱり真山くんは子供ですねー」

 『悔しかったら言い返してみるがいい、できるものならな!』とばかりに、ドヤみ溢れるツラで、柚月がこちらをチラ見。

 実に、露骨な挑発である。

 が、だからって、大人しくスルーしてやれるかと言ったらそれは別の話だ。

「言いましたね。いいですよ、だったらどうぞ。いくらでも見つめてください。俺、全然動揺とかしないんで」

 離れていこうとする柚月の手を掴んで、もう一度、今度は自分から顔を近付けた。「へ?」と、まん丸に見開かれた瞳が、すぐ間近に迫って。


 ――次の瞬間、柚月の顔が、ゆでだこのように真っ赤になった。


「な、なんですか。そ、そんにゃ、そんにゃ簡単に挑発に乗っちゃって……ややっ、やっぱり真山くんはこ、こど、こどみょももも……」

 もつれた舌が、もごもごと謎の言語を紡ぐ。ぷしゅぷしゅ、と湯気の噴き出す様が見えるようだった。

 さすがに不憫になって手を離すと、柚月は一歩後退。ぷるぷると両肩を震わせながら、真っ赤っかの顔を伏せる。そして。

「き、今日のところは、これで勘弁してあげましょう……」

「なんでそう、いつも自爆しにくるんですか。先輩は」

「じ、自爆とはなんですか!? 私は何も爆発していません!」

 理屈も何もなく、勢いだけで反論してくる柚月に、『はいはい』と頷く。


 保健室で。彼女とこんな風に過ごす時間も、恭二にとってはもう、珍しいことではなくなった。


 始まりは、ほんの一月前。

 やっぱり、この保健室での出来事だった。



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