第11話

「君のおじいさんは面倒くさいな!」


 実の祖父を目の前で罵倒されたジャックは何度か目をぱちぱちと瞬かせた。気難しい人だなとは思ったことがあるし、伯爵のあることないことの区別がつかない悪評を耳にすることはあっても、目をあわせてはっきり言われたのは初めてである。どう対処すればいいのかわからず突っ立っているしかなかった。

 アウルは伯爵の別宅を出てから、授業に戻ることもなくジャックが出席している授業を探し出した。六限目は必修科目の精霊学で座学だった。その教室の前でアウルは神経を逆立てて、つま先で激しいリズムをとっていた。授業が終わり教室から出る殆どの生徒と見るからに機嫌の悪いアウルと目が合う度に直ぐそらされたが、ジャックだけはそうしなかったのである。


「マーティン、これからの予定は?」

「何もありませんけど」

「それなら付き合ってもらいたいんだけど」


 首を横に振らせるつもりはなかった。ジャックにも断れない雰囲気が伝わったのかもしれない。アウルがこっちに来いと視線で促すと頷いて黙ってついてきた。



◆◆◆



 中庭の木陰にどかっと座り込み、手に持っていた茶色い紙袋を地面に置いた。伯爵の邸宅を出てから無性にイラついていたのは、伯爵と言い合いをしただけでなく空腹だったからだと気付いた。街の屋台で買ったホットドックを取り出してジャックに差し出した。どうすればと戸惑っているジャックにアウルは視線で隣に座るように言うと、素直に従ってまだ温かいそれを受け取った。


「ありがとうございます…」


 伯爵と何があったのかはわからずとも関係が良好でないことに、自分が発端であることが申し訳なくてジャックは遠慮がちに礼を言う。そんなジャックを後目にアウルは軽く頷いてから、もうひとつ取り出してかぶりついた。ハードなライ麦パンを咀嚼して、口の中に残ってる状態でソーセージに食らいつくとパリッと音を立てると同時に肉汁があふれ出した。肉汁は食欲を増幅させアウルは夢中になって噛み砕いた。パンと肉とそして苛立ちを小さく小さくしていく。

 ジャックはそんなアウルの様子を伺いながら同じペースで食べた。確かに美味しいのだろうけれど、これから何を言われるのかと思うと味わう余裕はなかった。

 アウルは腹を満たすと気持ちは少しだけ落ち着いた。


「手帳の件だけどな、依頼料をとらないって言ったらどうする?」

「どういうことですか?」

「別に国家機密を知ろうというわけではないんだ。今なら『トモダチ』割引で良いってことで…」

「それはいけません。正当な労働には正当な金額を払うのは当然です」


 お堅いなとアウルはため息をついた。


「それじゃあ、例え話ならいいだろう?もし僕が今、この場で門を開けると言えば乗るかい?」


 ジャックは何も言わなかった。正確には少し口を開き何かを言おうとしたが、すぐに唇をぎゅっと縫い付けた。


「祖父に会いに行ったんですか?」


 アウルの質問に適当な答えが見つからなかったジャックは無理矢理に話をそらした。アウルは例え話としてもジャックが本心を明かさないことに少し呆れたが、それを咎めることはしなかった。


「会いに行ったんじゃなくて、呼び出されたんだ。ランチ前に連れていかれておかげで腹ペコだ」

「それは…すみません…」

「君が謝ることじゃないだろう」

「はい…いや、えっと…」


 ジャックは膝を抱えて肩をすくめ背中を丸める。項垂れるとまるで大きなボールのようだ。


「君は身体が大きい割りに気は小さいな」

「祖父にも、そう言われます。もっとはっきり言えとよく叱られます」

「あの眼力の前だと誰だって委縮するのはわかるよ。でも君の場合、遠慮が過ぎるというか、あまりにも自我がないというか…いや自分を抑え込んでいるというのかな。でもどうしてそんなに伯爵に遠慮する必要がある?父親の手記を見たいなんて子供のわがまま程度で取るに足らないような願いだ。伯爵が止めることも、君が伯爵に言われたからと言って諦めることも僕には理解できないな。それに君が僕に依頼をしに来た日、あんなに必死に頼んだじゃないか。だから僕は依頼を受けることにしたんだ。なのに、どうして?どうして祖父に言われたからと言って諦められるんだ?」


 ジャックは眉根を寄せた。今にも泣きだしそうな顔だった。まずいと思ったアウルはふいっと顔を背けて中庭の景色を眺めるように視線を動かした。中庭にはランチ時程ではないが、ちらほらと生徒が寛いでいる。誰もが穏やかな時間を過ごしているように見える。反面二人の間には重くるしい空気が満ちている。まるでここだけが別の空間に隔離されたような気がした。長い沈黙にアウルは心が折れそうだった。「変なことを訊ねてごめん」と謝罪してその場を後にしようと思った時、ジャックは漸く口を開いた。


「先輩が言うように遠慮しているのかもしれません。父が行方不明になって祖父が迎迎えにくるまで決して裕福とは言えない生活をしていたんです。父が残したお金は大事に使うと言って母は仕事を始めました。しかし収入は微々たるもので父のお金を崩しながら生活をしました。母は全く辛そうではなかったけれど、俺は外で働くと言ったんです」


 いつ頃の話だと訊ねるとジャックは顔色変えず十歳の頃だと言った。それくらいで働く子供は特に珍しくはなかったが、同じ年齢の時のアウルは不自由なくのほほんと暮らしていたので感心するばかりだった。


「それから一か月も経たないうちに祖父がやって来ました。祖父はマーティン家の人間が惨めな生活をしているのは赦せないと言って、住んでいた家を引き払いサンタナルへと連れて行ったのです。金の工面をする代わりに俺をエーデル皇立学校に入学させ行く行くは跡を継がせるつもりなんですよ」


 諦めの色が滲んでいた。しかしアウルはどこかひっかかりを覚えた。


「それは伯爵が言ったのかい?」


 ジャックは目を丸くした。暫く考えた後に首を横に振った。

 誰かに言われた。それは間違いなかった。しかしそれは特定の誰かではなかった。サンタナルの屋敷に迎え入れられた頃にはメイドの話に上ったし、学校の初等部に入学した頃には同級生の家族、教師から言われた。「おじい様の為にもしっかり勉強して跡を継がなくちゃね」そのようなことを様々な大人が擦り込むように口々にしていた。恐らく皆に悪意があったわけではないだろう。庶民育ちの孫を引き取った理由付けをするとそれしかないという世間の思い込み、そしてゴシップ記事がそれに拍車をかけたのかもしれない。

 ただひとつ間違いないのは祖父は一言もそのようなことを言ったことはなかったのだ。


「伯爵は面倒くさいけれどジャックの言葉なら聞いてくれるさ。一度ひざを突き合わせてごらんよ」


 ジャックは立ち上がりアウルの方へ一礼して走り去った。重苦しい空気は疾風と共にどこかへと飛んで行った。

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