第5話
ナタリーは行きつけのお店があると言って、近くのレストランへアウルを連れて行った。。店内は満室だったのでテラスに案内される。ナタリーは何度も通っているのか、席につくなり注文を受ける中年の女性に「いつもので良い?」と訊かれた。
「そうしてちょうだい。あと、この子に甘いものでも出してくれないかしら」
「おや、あんたの良い
「やだ、おばさん。この子は私の弟!エーデル皇立学校の生徒に通ってるの」
「あらそうなの。おばさんったら変な勘繰りしちゃったわ。ごめんなさいねぇ。チーズケーキサービスするから許して頂戴ね」
大口を開けて店中に響き渡るような声で笑ってカウンターへと歩いて行った。
「お、面白い人だね…」
下品、がさつといった本音にオブラートを二重三重にして褒めるとナタリーは喉を震わすように笑った。
「あの人、ゴシップネタ大好きだからねぇ。この店も街の人なら一度は通ったことがあると言われる比較的安価で美味しい有名なお店だし、色んな情報が集まるのも相まっているのかもしれないわ。情報の内容はともかくとして、記者もびっくりの情報量よ。皇都の住民のことなら彼女に訊けばいいって言われるくらい。たまに私もお世話になってるわ」
注文をとった女性とは別の人がやってきた。「おまたせしました」とはにかんでナタリーの前に肉や卵が挟まったサンドイッチを、アウルの前にチーズケーキを、そしてそれぞれの前にマグカップに入ったお茶を置いた。お茶は湯気にのって鼻の奥を突くような独特な香りがする。
彼女は無駄口は一つも付かず「ごゆっくり」とお辞儀をするとすぐに店の中へと戻っていく。長い髪を一つに編み込んで後ろに流している艶やかなブロンドの髪が、西に傾いた日差しで小麦畑のようにキラキラと輝いていた。
待っていましたとナタリーはすぐにサンドイッチを掴み両手で口に運ぶ。アウルはすぐにでも用件を切り出したかったが、ナタリーがあまりにもニコニコしながら咀嚼するので、食事が終わるのを待つしかなく、目の前のチーズケーキと向かい合うしかない。頭の中でどう切り出すか考えながらフォークで少しずつケーキを切って食べた。濃厚なチーズの香りと砂糖の甘さが口いっぱいに広がる。アウルには少し甘すぎる。強い香りのお茶で流し込んだ。次の一口に手が進まないアウルに比べてナタリーは次々とサンドイッチを口にして、ついには付け合わせのサラダやポテトフライもぺろりと平らげた。最後にお茶をぐいっと飲み干す。
「はぁ…生き返った」
「どれだけ食べてないの?」
「昨日の夜かな。原稿仕上げるために徹夜して今まで何も食べてない」
「人間の生活じゃないね」
ナタリーはあははと大袈裟に笑った。本気で笑っているようにもみえたし、空笑いにも見えた。ひとしきり笑うとはぁと息をついて残っているお茶をちびりと飲む。
「私のことよりアウルはどうなの?ちゃんと食べてる?寝てる?元気にしてる?」
「姉さんよりはずっと健康的だよ」
「それは何より」
ナタリーは何事もないように笑う。特にさっきの頭ごなしに叱られている姿をみると仕事がうまくいっていないのではないかとアウルもわかったが、だからといって口を出すには自分がまだ子供だということも理解している。それでもなにか励ましたくて言葉を探した。
「それで?今日はどうしたの?」
自分のことを気遣ってくれているのを知ってか知らずか、自分に向けられた話題をそらすようにナタリーが切り出した。アウルは考えるのをやめて「うん」と呟きながらお茶を飲む。
「一年前にサンタナルのマーティン家についてゴシップ記事書いたでしょう?」
ナタリーはきょとんとしてから左上の空を眺めて思い出そうとした。時折目を閉じたり首を傾げたりしてアウルの言う記事を記憶の中から探っている。ナタリーは記者になって九年か十年目に入っていた。その間に書いた記事は、新聞に載せて貰えたものも、そうじゃないものも多くあるのだろう。
思い出したのか「あっ」とシャボン玉が弾けたような声をあげた。
「マーティン家の娘さんのことね。一人息子を連れて帰って来た時の」
「姉さんはマーティン家のことについてどれくらい知ってるの?」
「なに?どういうこと?なんであなたがマーティン家について知りたがるの?」
「えっと…その息子と最近友達?になって…」
アウルは視線を左にそらした。口を閉じたまま舌を歯で軽く噛む。言いづらそうにしているアウルにナタリーは訝しんで語気を強めた。
「まさか脅されたりしているんじゃないでしょうね」
「そうじゃないよ。ただ友達になったからには知りたいことってあるじゃん?好きな食べ物とか趣味とか…家族のこととか?」
「そんなこと本人に直接聞けばいいじゃない。もう。嘘が相変わらず下手ね。内情が知りたいってことは、やっかいなことを抱えているんでしょう」
アウルは返事をしなかった。反論は意味をなさないと解っていたからだ。ナタリーはマグカップの取っ手を掴みながら側面をトントンと指で叩いた。
「あの記事以上に知っていることなんてないわよ。書いた通り駆け落ちした一人娘が大きな子供を連れて出戻ってきたことだけ。旦那と死別したのか、離別したのか判らないし、親の反対を押して駆け落ちした割に、連れ戻されたからと言ってあっけなく戻って来た理由もまた判らない」
「マーティン伯爵が無理矢理連れて帰ったからだよね」
「それは私の憶測よ。マーティン伯爵が言ったわけじゃないわ」
「そんな曖昧な記事でよく掲載が許されたね」
「そうね。普通なら圧力がかかってもおかしくないわ。でもあれは伯爵自身が掲載を了承したのよ」
「え?どうして」
「そこは明かさなかったけれど、私が書いた通り跡継ぎが欲しかったんじゃない?もし違っていたり、伯爵にとって都合が悪かったら直させるか掲載を止めると思うわ。伯爵って娼館のお得意様だし、私生児が出てくる前になんとかしたかったとか。どんな孫より正妻の間に出来た愛娘の子供の方が体裁もいいでしょうし」
アイビスが言っていた娼館の常連客っていうのは本当のことなんだとアウルは頷いた。ナタリーが言うように体裁を保つためなら出て行った娘を連れ戻してでもジャックを欲しがったのは納得がいく。
「伯爵の娘が駆け落ちした相手っていうのは判っているのか?」
「いいえ。取材時に調べたけれど、漁師の子とか商人の子とか眉唾ばかりよ。意図的に隠しているのだと思ったけれど、それに関しては上から書かなくて良いってお達しが出たから調べるのも難しくて」
(圧力か。ライゼン氏が夫ということは
ふとアウルは疑問がわいた。何故ジャックの母親は父親の言うことを素直に聞いたのだろう。ジャックは確かにまだ大人とは言い切れないが、親の保護下にある年齢というわけではない。働きに出ることもできるし、実際そうしていたと本人も言っていた。母一人でジャックを育てたのだから充分暮らしていけるのではないか。それともライゼン氏が稼いだ金が尽きたのだろうか。
「さて、あなたが訊きたい情報は渡したわよね?」
ナタリーはひじをテーブルにつき指を組んでにっこりと笑った。アウルがわざと何のことと惚けてみるが、引こうとはしなかった。
「私のお願いはひとつよ。アイビスにデートの約束を取り付けて頂戴ね」
「ええ…なんでアイビス?」
「綺麗な男と向かい合って食事するのって最高じゃない。いいレストラン予約するからって伝えて」
あのおばさんが言っていた『ヒモ』まんまじゃないかとアウルは唇を尖らせた。自分の友人が姉とデートする光景を想像し思わず顔を顰める。
ナタリーはカウンターに向かって「ご馳走様」と言い二人分のお金をテーブルに置いて立ち上がった。若い女性がテーブルを確認しに来たので、邪魔にならないようにとそそくさと店を後にしてナタリーの後を追いかけた。
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