0051 主の隣に這い寄る脳髄
【35日目】
一炊の夢という言葉もあれば、胡蝶の夢という言葉もある。
夢の中の俺は俺であって俺ではなく、しかし目を覚ましてみれば、俺は確かに俺として見聞き匂い触れて口の中に【闇世】の空気を噛みしめる俺自身を感じている。
遠い記憶は急速に褪せていきつつも――久しぶりに「先輩」と会えた懐かしさがほんのりと胸に灯ると同時に、それを
だが、今の俺は【エイリアン使い】オーマである。
【闇世】に招かれし『
――浸潤嚢からずるりと頭から、まるでもう一度胎児にでもなって生まれ落ち直したかのように、俺は吐き出されていたらしい。その俺を、いつの間にか【眷属心話】によって連絡を受けていた
その後、血相を変えてやってきたであろうル・ベリの指示で、
正直なところ、
"現象"と役割を担い、再現するためには生命の理を冒涜的なまでに激しく変容させる
だが、俺は理解している。
そこで俺は何度、技能【強靭なる精神】や【欲望の解放】によって、己の中の己を押さえつけてきただろうか。
だから、改めて、この世界に来てからもう一度、それも俺自身の権能を通して"生まれ落ち直した"ことが、俺にとってはきっと本当の意味で「この世界にやってきた」瞬間であったかもしれない。
元の世界の俺を否定したり、忘れようとしているものではないのだ。
むしろ今の俺こそは、オーマとしての俺こそは、その延長線上にあると言えた。
***
俺が眠っていた間の"報告"は迅速に行われた。
まず、眠っていた間に徹底的な"因子狩り"が進められ――【心眼】持ちのソルファイドもそれに加わった――因子の収集に難航していた海棲生物系のものも含め、
特に、
だが、これらを「今」次々に
"解析酔い"でぶっ倒れる前に、確認し、そして処理すべきことがいくつかあったからだ。
俺は報告の吟味に戻る。
次の報告は、ソルファイドが"温泉"を力技で作り出したというものであった。
戯れの言葉ではあったが……
ちょうど、最果ての島の地下を全て掘り抜くかの勢いで俺が『土木班』の
……肝心の「湯」自体は、ソルファイドが『火竜骨の双剣』を使って、ソルファイド自身が
さらに特筆すべき報告としては、ル・ベリより、
確かに指摘されてみれば当然だが、
喩えるならば、一般的に動物の「幼体」とは、「成体」と比べて頭でっかちでずんぐりとした体型であるが――それをそのまま
そしてル・ベリが、己の【弔いの魔眼】を
いささか"廃棄"する個体が多いことが気にはなるが――適切な「栄養分」さえ与え続けるならば、種となる雄雌の
そこに、ル・ベリ自らの処置によって「死の経験」をマトリョーシカさせることで、肉体の急激な発育になんとか帳尻を合わせた「経験」を積み重ねさせることで、
ただし、難点が1つ。
それは、このやり方ではル・ベリを『ゴブリン繁殖巣』に張り付け続けなければならない、ということである。
島の地上部の開発もそうであるが、ル・ベリは高すぎる忠誠心……もとい俺への信仰心から、いささか俺の指示を絶対視しすぎる傾向はあるものの、頭の働き閃きもあり、事務能力と実務能力が高い。今後、彼に任せるべき事柄は増えていく。
そうなった時に、たかが
――そして。
俺が目覚めるのに合わせて、
***
○
『因子:強筋』にさらに『強筋』とおまけに『伸縮筋』をかけ合わせた――一言で言えば"筋肉の化け物"である。大抵の難問は、その強靭な筋肉で「なんとかする」ことができてしまうとまで言い切れるほどの圧倒的な説得力を持った図体、とでも言えばいいだろうか。
――だが、それは某パイルドライバー的な筋肉ダルマのような、縦にも横にも巨大化した、という意味ではない。
確かに、図体だけで言えば、確かに
さも、狂信的カルト集団に所属する彫刻家が、ギリシア=ローマ的な彫刻を作ろうとして"ちょっと間違った邪悪な電波"を受信してしまったかのような――「モンスター」的な意味で、もはや悪魔的としか言いようがないまでに洗練された「筋肉による造型の
それは、単純に四肢を成す筋肉が「太い」、ということとは全く異なる。
「圧倒的な暴力」という
その"名"である『螺旋』を思わせる複雑な形状で、上腕と下腿を形成する筋肉が極太のバネの"知恵の輪"の如く複雑に絡み合い、さらに互いに引っ張り合い――常に異常な張力を蓄えている。ただ、そこにたたずんでいるだけでも、どんな方向にでも文字通り
まさに筋肉という
……だが、そんな風に様変わりした姿となっても"名付き"としての個性の差が現れているから面白い。
アルファは俺の第一の護衛として、全身をやや広げて身体を大きく見せようとする意思がラマルク的な肉体変化を指向させたか、やや
一方で、俺の"矛"たるデルタは、ソルファイドによって断たれた状態のまま再生した複雑な「四腕」がそのまま"ねじれ筋肉"となっており、刃物でも鈍器でもない「筋肉」という凶器の新ジャンルを開拓せんという威容となっているのであった。
○
アルファが護衛であり、デルタが矛であるならば「盾」という言葉はむしろガンマにこそ相応しくなりつつある。その特性をさらに活かしてやるために、ガンマを進化させたのが『
その役割として求められるのはまさしく"壁"となることであるが――この系統は進化前の
とにかくも見た目通りの重量級であり、そして特筆すべきなのが、『因子:硬殻』による分厚く重厚感のある皮甲に全身が
身長では
素人目にも、たとえ洞窟全体が落盤してもけろりと生存しそうなほどの頑丈さであると確信できたが、
なんと、その
この「盾」は、単純な
○
鈍重な"巨大足無しカバ芋虫"とでも命名できそうな存在である
そしてそれが影響したかはわからないが、結果的に、そんなベータの進化先として選んだ『
進化組の"名付き"達の中では、進化に必要な魔素も命素も時間ももっとも少なかったため、最初に目覚めて島中を
噴酸蛆の頃からは考えられないぐらいその「本体」は
どういうことかというと、
その大きさは実に本体の十数倍ものサイズ。
――そして「爆酸」と書いて「アシッド」と読ませることからも想像できた通り、この"殻"は爆破する上に、中に詰まっているのは、進化前の
だが、
この系統は単なる
そうした「指向性炸裂」を利用することで、何が起きるかというと、自分自身を
つまり「自爆特攻兵」ではなく「
……しかも、本来は
これによりベータは、安全圏から"爆酸殻"を空間転移で放り込み、しかも本体は回転爆走によって逃げ去るという、迎撃する側からしたら悪夢としか思えないヒット・アンド・アウェイ型の頼れる"名付き"の
○
『連星』の連携を誇る3兄弟であるゼータのエイリアン系統である
その姿は、蛇体部分の下半身が
しかし、その"体勢"には、大きな変化があった。
かつての
――そして、特徴的なのはその攻撃手段である。
頭上に大上段で構えた「蛇尾」を、まるで"
そして首尾よく狙った標的に絡みつけば――そのまま、さながら"釣り師"の如く、一気に手元まで引き寄せるのである。
なお、進化前の擬態系の
その状態で、標的が付近へ現れるや、瞬速の「拉致術」によって伸縮する尾を繰り出し、相手が動物ならば的確に頭部を絡め取る。これが限りなく無音であることも恐怖であるが……伸ばしきられた『伸縮筋』であることから、巻き付く際に伸縮が戻ろうとする力で、蛇尾がメリメリと標的に食い込むようにして強く絡みつき、摩擦力が働いて容易には外せなくなる。
間違いなく、初見で顔面に巻き付かれた場合、大抵の標的はパニック状態になるであろう。
拉致にも暗殺にも向いた能力であるが――それは迷宮外での集団戦闘に向いていない、という意味ではない。敵集団の中に混じる厄介な後衛や、周囲に影響を与える
またその反対に、前へ出すぎて孤立した味方や、負傷して動けなくなった味方を迅速に「回収」することもできる。『連星』の連携能力を持ち、さらに"仲間"を護るという視点を得たゼータとのシナジーは、非常に高いと言えるだろう。
○
同じ
なお、進化に新たに必要となった因子は『強機動』であったが、
だが、代わりに純然たる戦闘系の能力が開花したエイリアン系統である。
ただし、登攀能力は衰えたわけではない。
むしろ進化前以上に、鋭く鋭利な全身からは細かな突起が突き出しており、
無論、それは「鎌」を「斬撃武器」として存分に活用するための"進化"ということだろう。
しかし、正面からの打ち合いが苦手というわけではない。
『因子:強機動』により、両腕の鋭い鎌によって熟練の剣士が相手でも切り結ぶことができ、また斬撃が通らない重装甲の相手であったとしても――"回避盾"としての運用が期待できる程度には、少なくとも閉所での敏捷性は
"名付き"の末席であるイオータの称号【嗜戮の舞い手】とも相性は良い、と言えるだろう。
***
さて。
それではいよいよ本題だ。
俺は、自分が這い出てきた
――"進化"を命じた記憶は無かった。
そう、記憶は無いのである。
しかし、ル・ベリの証言によれば、俺が
この系統、いや、
そんな天啓にも近い直感が、俺の中で渦巻いていた。
『
増大するエイリアン達の数に比例して指数関数的に増大する【
――「第3世代」が新たに誕生して。
新たなる「役割」を果たすために激しくかつ冒涜的に肉体を変異変容させ、進化前の姿からもまた生物的にまた一段階、
「世代」が進むごとに、『エイリアン語』が複雑化する――薄々感じていた"制約要因"であったが、しかし、ならば尚更のこと、それを間で"仲介"してくれる「エイリアン」にして
そして。
そのことが意味するのは、
「さぁ、今こそ起きろ、俺の分身達。お前達を、俺は待っていた」
"名付き"達と、ル・ベリと遅れてやってきたソルファイドが静かに俺の一挙手一投足を見守る中で、俺は万感を込めてそう告げる。
そして、次の瞬間。
まるで正しく予定調和された贈り花のように、俺の前で今まさに孵化の時を待っていた雛であるかのような6体の
「……うん?」
思わず俺は首を傾げた。
――思わず反射的に【強靭なる精神】に技能点を振ってしまうところだったが……なんとか、思いとどまった。
そして俺は思考が固まったかのように戸惑っていた。
そのあんまりな造型に、度肝を抜かれたからである。
何本もの触手が肢みたいに生えた"脳みそ"である。
誰がどう見ても文句なしの"脳みそ"が6体、押し合いへし合い、ずるずると這っていた。
「いや、俺は正気だ、俺は正気だぞオーマ。あぁ、大丈夫だル・ベリ、俺は全然、もっと恐ろしいものの片鱗なんぞ味わっちゃいない、目の前の事実を淡々と述べているだけだぞ」
でかい。
人間の小学生ぐらいの大きさはある巨大な脳みそが、脳みそにはあるはずのない触手達をぷるぷる必死に動かしながら、俺の元まで這い寄ってくる。それと全く同じ速度で、俺も後ずさり、一定の距離を保ったまま無言で観察を続ける。
(なんだ? 『副脳』ってもしかして
それだけではない。
下半身、というよりは「下半分」と言うべきか。
この6体の這い寄る脳みそどもは――なんと割れた頭蓋骨の天蓋部分かと思しき謎の殻を"おむつ"みたいに
そして、必死にぷるぷる震わせながら這い回るのに使っている、その肢の役割を果たしているのであろう複数の触手は、この狂気の"頭蓋骨型おむつ"の亀裂からはみ出るようにして生えていたのである……つまり"肢"として造形されたものでは、ない。
触手と木の根の中間的肉塊であり、大きさどころか太さもバラバラ。
いや、その
だというのに、だというのに――。
じわじわと俺ににじり寄るように迫り這いずりながら、その"頭蓋骨型おむつからはみ出た海草もどき"どもが、まるで生まれたての子鹿のような頼りなさで、ぷるぷる、ぷるぷるぷるぷる、ぷるぷるるんと蠕動しているのである――。
「それでもお前、やっぱりそれが"肢"のつもりだとでも言うのかよ!?」
ぷるぷる、ぷるぷる。
ぷるるるん、ぷるぷるるるんるんるん。
と、何かとても純粋で邪悪な電波のようなものに
"剥き出しの脳みそ"たる上半分は、かつて医療ドキュメンタリーなどで見たことがある、リアルな人間の頭の中に入っているそれそのままに。薄ピンク色の、人間で言うと「頬」に当たる部分が――俺は自分でも何を言っているのかわからないのだが――その部分が、まるで顔文字で「(////)」と表現されるかのように
馬鹿な、頬を朱に染めるだと!?
なんなんだ……この
目も耳も鼻も無いにも関わらずどうやって頬を朱に染めているというのか。
思考と口から出る言葉と「心話」がごちゃ混ぜの状態で、俺は、あぁ、ものの見事に『肥大脳』だなぁと現実逃避のように混乱する。
(何なんだ、この全身ヘッドショット生物は……いくら"肥大"ったって限度があるだろ)
"頭蓋骨型おむつ"を穿き、そのひび割れた隙間から海草のように貧弱で頼りない「肢」と主張するぷるぷるを震わせて這い寄り、しかも何故か「頬を染めている」小学生ぐらいの大きさはあるリアル脳みそ。
「お前達が、俺の"分身"かぁ。俺の
ようやく理性が追いついてきて、心の動揺が鎮まってくる。
俺は意を決して後ずさりを止め、頬を引くつかせながら腰をかがめて6体の這い寄る
「「「きゅぴぃ!」」」
おい待てちょっと待て。
お前ら今どこから声を出した。
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