【濁り男】 下

ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ユカちゃんが目覚める少し前。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ユカちゃんの目が覚めれば、怪異の噂は否定されて事件は解決する。


 その可能性が高いと思うのに、新谷先輩の口からは不吉な言葉が止まらない。


『これは僕の予想だけど。

目覚めたユカちゃんが、【濁り男】の存在を肯定してしまったら、怪異は実体化して実際に被害を出すと思うよ。

そう簡単に、この事件は終わらない。』


 嘘の怪異を被害者が肯定?


 そんな意味の分からない事をするとは、とても思えないけど。


 新谷先輩も意外と心配性だなぁ。


「どちらにしろ、やっぱり俺達にはどうする事も出来ないんじゃないの?

だって、新谷先輩の話が本当ならユカちゃん次第じゃん。」


 既に怪異として実体化しているなら兎も角【濁り男】は、あくまでも現時点ではタダの噂だ。


 実体が無いんじゃ、どうしようもない。


『いや、僕たちにも出来る事はある。

噂が原因だからこそ、出来る事がね。』


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ねぇ、聞いた?【濁り男】の噂。」


「うん、怖いよね。小さい女の子が襲われたんでしょ?」


「そうそう、その濁り男なんだけど。

実は塩が苦手で、バスソルトを掛けると助かるらしいよ!!」


「え!?本当っ!?」



[濁り男はバスソルトに弱い]


 これらの噂は、俺と新谷先輩が【釘子さん】の能力を使って生徒達の声をコピーしたものを、トイレ前で会話調にして故意に広めたものである。


 新谷先輩いわく、噂を広めるにはトイレが一番良いらしく中等部は勿論、高等部にまで足を運び、休み時間を犠牲にして噂を広めまくったのだ。


 勿論、バレるリスクを減らすために中等部の生徒の声を高等部のトイレの前で流し、中等部のトイレでは逆の事をするなど工夫も忘れない。


(なお、それだけでは広まらないだろうから、羊山さんや西岡くん、柊さんなどの知り合い達にも声を掛けて広めて貰った。本当に良い友達を持ったと思う。)


 怪異は怨霊と近いから塩が効くだろう、と適当な理論で作り上げた噂だったが、怯える幼い弟妹や親戚に困っていた生徒達には謎の説得力があったようで、バスソルトを多くの生徒が買っていたらしい。


 ユカちゃん救出時には、何とか十分に噂は広がり彼女は助かった訳である。


 まさに、間一髪だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 洗面器にホカホカの湯を張り、その中に霧呼をゆっくりと浸ける。


 麻生先輩の家から帰った後、俺は霧呼を風呂に入れていた。


 お風呂で綺麗になった霧呼の毛並みは、ふわっふわのサラサラで最高に触り心地が良く、彼に騒動の疲れを癒してもらう為である。


 霧呼もお風呂が好きなようで、お湯の用意をすると喜んで駆け寄ってくるのだ。


 今もキュウキュウと鼻歌の様なものを歌いながら完全にリラックスしており、俺は霧呼が溺れない様に注意して眺めながら、新谷先輩と今回の事件を振り返っていた。


「まさか、噂から怪異が産まれるなんて思わなかったなぁ。」


『別次元の怪異でも、思念だけは世界線を渡って存在できるって言ったでしょ?

奴らは弱い力ながらも日々狙っている。

この世界でも実体化するチャンスを虎視眈々と……ね。』


 そして無事大勢の人間から認知を得た思念は、怪異として牙を剥く。


「ユカちゃんは【濁り男】が、この世界に誕生するのに必要だった。

だから一旦生かされて、今度は生存例が出来たら困るから消されかけた訳か。」


 新谷先輩いわく、上手くいくのは稀で、殆どは実体化に失敗するらしい。


 極限状態で奇跡的に助かった人の話とか、すごく高いビルから落ちて無傷だった奇跡の話とかも、怪異の実体化を狙う思念の仕業だとか。


 正直、今回は詳しい状況や時刻が不明なため、運良く川岸に流れ着いたのを人の目から隠されていただけなのか、溺れた所を取り憑かれて助かったのかは分からない。


 ただ、間違いなく【怪異になり掛けの存在】から接触はあったのだろう。


「でも、そんな都合良くいく?

嘘から発生して、流れた噂が[たまたま]思念と適合するだなんて。」


『別の次元……並行世界って別の選択から生まれるからねぇ。

現時点で既に、何兆、何億と存在しているんだよ?

そして、今も分岐しているんだろうさ。』


 実体化に成功する確率自体は低いとはいえ、何だか頭痛くなってきた。


『はい、暗い話題はおしまい!

【濁り男】を吸収した事によって、また新たな能力を手に入れたんだ。聞きたい?』


「…………どんな能力?」


『透明な液体を濁らせる能力』


「……霧呼、お前って結構優秀な怪異だったんだな。」


 あれだけの騒動を起こしておいてコレかよ、と無念を誤魔化す様に霧呼を撫でると、意味が分かっていないながらも嬉しそうに「あおーんっ!」と鳴いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る