【濁り男】 中の三
「…………う……ン……??」
重い瞼をゆっくりと上げると、一面の白。起き上がっても、白、白、白。
数秒後、やっと此処が病院だと気がつく。
「……!?ユカちゃんっ!!!」
「ナナお姉ちゃん?」
びっくりしたような声がしたので其方を向くと、病室の入り口で親戚のお姉ちゃんが驚いた顔で此方を見ていた。
しかし、すぐに破顔して。
「ナースさん!!ユカちゃんが!!ユカちゃんが目を覚ましましたっ!!」
と、ナースコールを押す事も忘れて廊下に飛び出してしまった。
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「ユカちゃん!!良かった……よかったよおぉ……!!」
「お、お姉ちゃん!!くすぐったいよぉ!!」
泣きながら私にしがみ付くナナお姉ちゃんは、いつもの大人っぽくて、しっかり者な姿と全然違う。
でも、それだけ自分の事を心配してくれていたと分かるから、あったかいような凄く申し訳ないような、複雑な気持ちだ。
「あ、そうだ!!ユカちゃん。
【濁り男】……水の中で男性のオバケが出たって本当?お友達のルミちゃんから聞いたんだけど。」
「えっ!?」
にごりおとこ?だんせいのおばけ?そんなの知らない。
ルミちゃんは何でそんな事を言ったんだろう?
そう言おうとして、頭の中で何かが呟く。
[本当の事を言うと、彼女が怒られてしまうぞ]
ハッとした。
私が病院に運ばれるくらい大変な事になってしまったのだから、本当の事を言ったら、きっとルミちゃんは沢山沢山怒られてしまう。
そもそも、私が紛らわしい事をしたのも悪い。
ただ映画のチケットを悠介くんに譲り、彼がルミちゃんを誘うよう説得していたのだけど、側から見れば仲良さそうに見えていたのだろう。
ちゃんとルミちゃんに説明して、仲直りがしたい!!……だから。
「うん!濁り男は居るよ!!私見たもん!!ルミちゃんは嘘をついてないよ!」
口にした瞬間、何かがズルリと身体から出て行く感覚がした。
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『…………あはっ、あははははっ!!!』
突然、心底呆れるような、しかし何処か愉しげな声で、新谷先輩が口元を歪めて笑う。
『状況が変わった。
莉玖くん、【濁り男】は存在する。』
かと思えば、そんな突拍子のない事を言い出すものだから、流石の俺も面食らってしまった。
そのままスマホの画面を見るように促される。なんて事だ!!!
「えぇー!!!こっちは【まだ全然広まってないのに!!】」
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学校から、ユカちゃんが目を覚ましたと連絡があった。
お母さんは泣きそうになりながら「友達が助かったのよ!! 良かったわね!!」って言ってたけど、私の心臓は凍り付いたように冷たく、バクバクと大きく鳴る。
目を覚ましたばかりだから、詳しい話は後日ユカちゃんの体力が回復しきってから聞くらしいけど、きっと、そしたらバレてしまう……!!
【濁り男】が嘘だと言うことが!!
朗報にも関わらず、あまり喜んでいない私の様子を見て、お母さんが怪訝な顔をしている。
だから慌てて、お風呂に入ってくると誤魔化した。
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ちゃぷん、と水音のする浴槽に浸かり、水面を眺める。
カタカタと身体の震えが止まらない。
どうして、どうして助かったんだろう。
昏睡状態で見つかった時は、まだ冷静でいられた。
罪悪感を感じつつも、ユカちゃんは頭の先まで水に浸かっていたし、助からない可能性の方が高いと思って安心していたからだ。
最低な事を考えているとは分かっている。
けど、全て嘘だとバレてしまったら、お母さんや学校の先生に酷く怒られるだろうし、みんなから軽蔑されるだろう。
それに、悠介くんにも嫌われてしまう。
「……目覚めなければ、良かったのに。」
思わずそう呟いてしまった。
答えるように、ぴちゃり、と水滴が落ちる音が風呂場に響く。
…………あれ?
何だか、お湯から変な匂いがする。
変に思い自分が浸かっている浴槽の中をマジマジと見つめていると、入浴剤を入れていないのに全体的に少しずつ白っぽく濁り始め、異臭は更に強くなってゆく。
ますます変に思って、お湯の中をジッと良く見てみると、白く濁り見にくい筈の湯の中で何故だかハッキリと姿形が見えた。
揺れる短く黒い髪、ヒラヒラと海藻のように骨に纏わりつく肉、此方を見るとろけた目、色素の薄い大きな身体。
濁った水、水中に現れる男のオバケ。
…………【濁り男】
その名前が思い当たり、ゾッとした。
だって、だって濁り男は私の作り話なのにっ……!!!本当に居るはずないのに!!
慌てて浴槽から上がろうとしても、水中で腰を掴まれて動けない。
お風呂に入っているのに、ゾゾゾッと寒気が全身を走った。
「おかあさっ!!!たすけてっ!!!おかぁっっ!!」
声を張り上げ、大声でお母さんに助けを求めるものの、男は私の腰や胸辺りを掴んだまま沈み始める。
直ぐに浅い浴槽の底に着くはずが、まるで底なし沼の様に身体はドンドン引き摺り込まれて沈んでゆく。
抵抗し男の腕を払おうとするが、骨周りの肉を剥がすだけで、力は一切弱まらない。
舞い散る肉片の中、ゴボゴボと大きな水泡が口から溢れて、もう声など誰にも届かないだろう。
苦しい、くるしい!!!!
だれかっ……!!!
朧げになる意識の中、お化けが醜く嗤うのが見えて、私の意識はプッツリ途切れた。
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「もー!!どうしたのよ。
お母さん、ご飯を作るので忙しいんだから、あれ?ルミ…………?」
駆けつけた浴槽には誰も居らず、ただ薄紅色に染まったお湯だけが、水面を静かに揺らしていた。
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