第7話 妖の在り方と締結師の在り方

 どうみても可愛らしい女の子にしか見えない月牙は、男の子だった。

 その事実を納得させるためか、彼はスカートの中身を男子生徒に披露している。


「実は男だったことにショックを受けてるとこ申し訳ないんだが」


 ひとしきり笑った後、露払は真顔を作ってその場を仕切りなおした。今さら真面目ぶられても、どうしようもない空気は変えようがない。


「いつまでも普通の男子高校生の精神状態でいられても困る。そろそろ自分の名前ぐらい思い出してくれないか?」

「名前?」

『お前は誰なんだ?』


 正体を尋ねる最後の言葉に、露払は力を込めていた。

 意識しなければ、一般人として見逃してしまいそうになる外見。敵対していた月牙たちのことばかり意識していたが、彼の正体については村雲から道すがら教えてもらっている。


「オレ? おと、なし?」

「しっかりしろよ。それは、お前が人格写したやつの名前だろ?」

「……写した?」

「ああ、『高地湖たかちこ』。もう公園に戻れ」


 たちまち、男子生徒の姿が消え失せた。


 屋敷の庭には、立ったままのわたくしと月牙、縁側で胡坐を組む露払のみが残される。


「彼は一体なんなのですか?」


 秘密にしたいなら彼への処遇もわたくしに見せなかったはずだ。

 だから、質問には答えてくれる気がした。


「あー、妖」


 簡単に、男子生徒の本性が明かされた。


「近くにある公園の湖の主でな。ちょっと人間社会に毒されすぎて、よく家出するんだよあいつ」

「家出」

 普段対峙していた妖たちからは露ほども連想できない単語だった。


「でも、妖というより場所から生じた精霊に近いから、本体である湖から離れると自我とか無くしてくんだよ。それでよくその辺ふらついて、己を保つために人間の人格とか記憶とかコピーして安定化しようとするんだ。めんどくせえことに」

 言葉通り厄介そうに露払は語る。

 彼にとっては日常の煩わしい出来事のようだが、わたくしとしてはあまりに新鮮な妖の有り様だった。


「……危険ではないのですか?」

「あの妖は少年漫画主人公に憧れる一般人みたいな性格してるから特に何も。自分のことは忘れてもわりと本質は残るみたいだからな」

「害はないけど、突然知り合いそっくりの妖がおったら普通の人びっくりするやろ? 露払せんせの知り合いの教師から『欠席連悪があった生徒が普通に登校してる!?』って連絡あってな。そやから速やかに穏便に回収するのが、うちらの仕事やったんやけど」

 半目の月牙がじろりと露払を睨んでいる。彼は不満の全てを露払にぶつけることにしたらしい。

「ややこしいことするから……」

「あーもう、俺が悪かったよ。ていうか、もう昼も過ぎたし腹減ったろ? 好きに増量していいから弁当買って来いよ! はい、金!」

「ほんまに!?」

 不貞腐れていた月牙の態度は一転して、露払の手から黒の財布を引っ手繰ると元気よく走り出す。

「俺のからあげ弁当と、こちらのお嬢さんの分もだぞ!」

「わかった! 姉ちゃん好き嫌いとかある!? 何弁当がいい?」

「好き嫌いは特にありません。その……よくわかりませんので、お任せいたします」

「よっしゃ!」


 あっという間にセーラー服姿の少年は立ち去ってしまった。

 忙しない場面の転換に戸惑っていると、露払から家に上がるように言われ大人しく従う。流石に玄関からお邪魔するべきだろうとわたくしも庭から出ようとするが、「居間が目の前なのになんでわざわざ遠回りするんだ?」という家主からのありがたい一言で、村雲と共に縁側から訪問することになった。

 この家の正式な出入り口が使用される日が来るのかは、甚だ疑問だ。




「結局、月牙さんたちとはどういったご関係なのですか」

「んー端的に言うと、弟子」

 居間の中央にある座卓を挟んで、わたくしと露払は向かい合う様に座っている。先ほど彼から提供された緑茶が湯呑の中で穏やかに湯気を上げていた。


「あいつが帰ってきたら自己紹介させるけど、月牙って名前は知ってるんだな」

「ご自身で月牙と名乗っておりましたわ。あと月華という名も聞きましたが、お名前が複数あるのですか」

「締結師によくあることだよ。『仮名けみょう』ってやつだ」


 仮名けみょう。締結師が妖と式神契約を結ぶときに使用する名前だそうだ。

 わたくしたち破邪師の戦うための力、『破邪の力』は妖たちに忌み嫌われているが、締結師の『霊力』はその逆で妖から非常に好まれている。

 そのため、締結師の家系では己の魂の防衛すらできない子ども時代に本名とは別の『仮名』を付けて、妖に付け込まれないようにする昔からの習わしがあるらしい。最近では、保護のためのお守りや他の術者にまじないをかけてもらうことで仮名を使わない場合もあるそうだ。しかし締結師としては見習いの月牙は仕事で妖と接する機会が多いため、仮名を使っているらしい。

 そして、月牙が女性用の服を着用しているのも、締結師の風習であることが判明した。悪意を持った妖に取り込まれないよう幼い間は肉体とは逆の性別の恰好をする。締結師にとって異性装は、できるだけ妖に本質を理解されないための仮の姿なのだ。


「ほんとは俺が月華って決めたんだけどな」

 どこか遠くを見るように、露払は自身の緑茶を啜っている。

「名前に牙とか入れたいって理由で、月牙って呼べって言いだして」

「仮名とは変えてもいいのですか?」

「ああ、ちっちゃいころに親や他の締結師が与えるが、別に自分で決めてもいい。妖と複数式神契約しているやつは、契約する妖によって仮名を変えて縁を繋いでいる者もいる」


 身近な契約者として、大須賀ミチルと村雲を思い出す。彼女たちはそんなまだるっこしい契約はしていなかった。村雲はミチルのことを「主さま」と呼称するが、ミチルの本名を彼はもちろん知っている。


「どんな名前を教えるか、で式神との契約の深さが変わるんだ。それによって引き出せる力やこちらが与えられる補助の量も変わってくる。だからまあ、妖に関わる生業のやつらは名を教えるとか、名を与えるとか、そういったことに敏感になるが、締結師は特にだな。他人に紹介する時もそいつの名前を先に教えるのは失礼だったりするから気を付けろ」

「本家の書庫で名付けについての古い記述は読んだことはありますが、そこまで気にされるものだったのですか」

「締結師はそういう奴が多いって話だ。正直もう全く気にしてない同業者もいるし、すげー嫌がるやつもいる。知っている方が上手く立ち回れる知識、ぐらいの認識でいい。普通に生きてたら名前を言わないといけない場合なんていっぱいあるから、潔癖締結師なんかだと日常生活やってけないしな」


 露払からの名についてのあれこれをありがたく拝聴する。

 陰陽寮からの指示で彼の元へとやって来たが、どうして彼だったのか、ここ数時間で分かった気がした。

 月牙たちとの出会わせ方などから、無茶を言う・やる人物なのは判明した。それでも、月牙や陽炎たちとのやりとりから信頼の情は感じられたし、反発はされるが侮られてはいない。それに、わたくしへ締結師の教えの他に振舞い方まで指導しようとしている。

 彼はわたくしを『この世界で生きていける』段階まで引き上げようという気らしい。

 裏で何を考えているかは知らないが、表面上はありがたい大人だった。


 しばらくお茶を飲みながら、今後の予定について確認する。

 まず陰陽寮からの依頼に露払同伴で向かい、彼にわたくしの現状をみてもらう。それから実力にあった仕事を振るようにする、とのことだ。並行して締結師や陰陽寮についての勉強や修行もやっていくらしい。


「俺も仕事あるから、空いてる時間に修行な。……あーそれと学校の手続きもしないとな。通えるようになるのは来年以降になると思うが」

「……学校に、行っても良いのですか」

「当たり前だろ。高校卒業ぐらいはしとけ」

「でも、わたくしは、……逃げてきた身で」

 恐らく、大須賀家からは死んだと思われている。仮に生きているとバレていたら、必死に探されている、はずだ。八重の神が死んだ状況で、わたくしのことを放置はすまい。


「そこを何とかして欲しいから、陰陽寮に駆け込んだんだろ? 櫛笥の推察通り、上のジジババ連中には、死人に新しい人生を用意して社会に紛れ込ませる権力なんて余裕である。――だからほどほど注意して、ここで生きていけばいい」

「……は、い」

「なんだ不安か? お前が行くことになるのは普通の高校じゃなくて、月牙も通ってる中高一貫の特殊な学校だ。俺らの仕事については配慮してくれるから気にすんな」


 生きていい、と言われた。


 露払はその言葉に特別な意味なんて込めていない。

 けれど、わたくしと村雲だけになって張りつめていた虚勢まみれの心が、少し締め付けられた。

 隣で大人しく座っていた村雲のしっぽがぱたりとわたくしの膝に当たる。俯いたわたくしを心配そうに見上げる妖狐の顔に、大丈夫だと微笑んで見せた。


「たっだいまーー!!」


 飛び込んできたのは高揚した様子の月牙だった。


「あーー、お腹減った」

 庭から縁側、そして開け放した居間にそのまま上がり込んできた月牙は、座卓に大きなビニール袋を2つ置いた。


「は? え、なんでこんな量?」

「露原せんせが好きに増量していいって言ったし。手ぇ洗ってお茶取ってくる!」

「いやいやいや、え?」

 財布を受け取りながら動揺する露払など意に介さず、月牙は家の奥へと消えてしまった。そしてお茶の入ったコップを片手にすぐさま戻って来ると、ビニール袋の中身を取り出し始める。


「はい、露払せんせのからあげ弁当」

「……おう」

「で、姉ちゃんのからあげ弁当」

「ありがとうございます」

「うちに乗っかって来た、そっちの妖狐は?」

「お気遣い感謝するでありまする。ですが拙者には必要ありませぬので」

「そか。じゃあ残りのこれは、うちのからあげ弁当ってことで。いただきます!」


 ここにいる人間に弁当がいきわたったことを確認し、月牙は勢いよくからあげを食べだした。醤油とニンニクの混ざり合った食欲をそそる匂いが、わたくしの方まで漂っている。


「……まあ、とりあえず食うか」

「はい、いただきます」


 月牙から少し遅れて、わたくしと露払はようやく付属の割りばしに手を伸ばした。

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