第14話  ずっと一緒にいる『友達』



第二章



 朝食を米からパンに切り替えて、もうすぐ三年だ。

 部屋探しの際これだけは譲れないと粘ったシステムキッチン。そのせいで家賃は少々高くなったけれど、やはりこだわってよかった。コンロの数が違うだけで調理効率は段違いだ。

 ベーコンを軽く焼き、目玉焼きと一緒に皿に移してサラダを添える。よく焼きのトーストにバターを塗り、上からグラニュー糖をまぶした。朝は糖分を摂りたいらしいオミに合わせて、最近はジャムを作ってみようかとも考えている。

 完成した朝食を食卓に並べ、開けっ放しのドアの向こう側に声をかける。


「オミー。起きろー」


 2LDKの古い賃貸マンション。上京してから三年、ここでオミと二人暮らしをしている。優李はカフェレストランでキッチンのバイト、オミは音楽スタジオやライブハウスの手伝いをして生計を立てていた。

 お互い仕事以外の時間はスタジオにこもって練習漬けだ。おかげで三年なんてあっという間だった。けれど、メジャーデビューへの道はまったく前進していない。

 簡単でははないとわかっていても、こうも進展がないとさすがに焦りが芽生える。高校生のころ想像した「失敗した自分」の姿がより鮮明に描けるようになってきた。もしかすると、半身くらいはもうその姿に変貌しているかもしれない。


「おはよ」


 のっそりと現れたオミは、もにゃもにゃと口を動かした。


「……んあよ、ゆーり」


 オミは相変わらず朝に弱い。スウェットの隙間からポリポリと腹を掻き、どうしたらそんな惨状になるのかと問いたくなるほど四方八方に散らかった寝癖を揺らして食卓についた。寝ぼけ眼でボケっとした顔は少し可愛い気もするけれど、総じてみれば小汚い。全身からだらしなさが溢れ出している。

 オミは朝食の前で手を合わせ、いただきますと言ってからトーストに齧り付いた。食べ進めるにつれて意識が覚醒し始めたのか、さっきよりははっきりした目力で優李を見る。


「今日何時?」

「十七時上がりだから、十八時には行けるよ」

「俺も夕方に終わるから、同じくらいだな」

「了解。仙道どうする? 声かける?」


 問うと、オミは渋い顔をした。


「ドラムあったほうが助かるけど、このままだとなし崩し的にメンバーみたいになりそうだよな」

「別にいいと思うけど」


 そう言うと、オミは不満げな顔のまま黙り込んでしまった。

 仙道とは上京してすぐに再会した。デビューしたバンドの練習に忙しくしていたようだけど、しつこいほどシーレイのドラマーに立候補し続け、去年ついにオミが折れて練習に参加するようになったのだ。そもそもシーレイのメンバーは優李とオミしかいないのだから、そこまで明確に線引きする必要はないと思うのだけど……。


「ねえ、そろそろちゃんと決めてもいいんじゃない?」


 切り出してみると、オミはミニトマトを口に放り込んで首を傾げた。


「決めるって? 仙道のこと?」

「いや、それもそうだけど。それよりまずは、ボーカルをさ……」


 オミは目を逸らし、そうだなと口だけで同意した。

 奏多が死んでもうすぐ三年。シーレイにはずっとボーカルがいない。

 曲を作るときは歌詞も考え、ライブでは助っ人をお願いする。だけどそれだけだ。一緒にデビューを目指してくれるようなボーカルには出会えていない。

 いや、探していないという表現のほうが正しいかもしれない。


 オミは奏多を待っている。二度と戻ってくることはないとわかっていても、そこに他の誰かが立つことをまだ許せないでいるのだ。デビューを目指すと大口を叩いて地元を出たくせに、バンドの形を保つことすら満足にできないまま時間だけが過ぎていく。そんな現状を不安に思っているのは自分だけなのだろうか。もはや不安に思うことさえも烏滸がましいような気がした。

 自分が歌おうかと提案したことや、いっそインストバンドへの転向はどうかと訊いてみたこともある。だけどオミはそれもまだ受け入れられないらしい。あれもこれも駄目だと首を振るオミに、いい加減にしろと言いたくなる日もあった。生半可な覚悟で成功する世界ではない。自分で進むつもりがないなら今すぐやめちまえと、心の中では何度もオミを詰った。けれど実際に口にしたことはない。オミに物申せるほど実力があるわけでもない自分には、そんな勇気は一切なかった。


「今日のスケジュール、仙道に連絡しとくね。練習のあと、ご飯でも行こうよ」

「ああ、そうだな」


 優李が話を逸らすと、オミはあからさまにホッとした顔をした。残っていたサラダを平らげ、ごちそうさまと呟いて食器をキッチンへ持っていく。優李も自分の皿を急いで平らげた。

 家を出る直前、ドアからひょっこり顔を出したオミに送り出される。


「じゃあ、気をつけて行ってこいよ」

「うん。オミもね」


 気をつけて行ってこい。三年間続いているこのやりとりに、優李は毎度喜びを感じてしまう。そしてすぐにそんな自分に呆れる。特別な意味なんてないのだ。勘違いするな。そうやって自分を窘めるけれど、それでも毎朝馬鹿みたいに同じことを繰り返す。そういうときは、奏多との約束を頭の中で反芻する。


 ──オミとシーレイをよろしくね。


 よろしくと言われたのだから、しっかりしなければ。

 捨ててきたはずの恋心は、優李の中にこっそり欠片を残している。気づいているけれど拾ってはいけない。見ないふりをして、いつか消えていくのをずっと待っている。

 この小さな幸せは本来、優李のものではない。

 オミは幼馴染。

 ずっと一緒にいる『友達』だ。

 オミを支えたいのなら、その線を超えてはならない。


「行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 外へ出ると、優しい青色の空が広がっていた。


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