第7話  誰しも失恋した側の味方


 講習も半ばまで過ぎたころ、他校の塾生に告白された。男子から可愛いとよく噂されている子だ。丁寧にお断りすると、まだ授業が残っているのに泣きながら帰っていった。

 教室に戻ると、好奇、羨望、興奮、それから軽蔑の視線を受けた。学校でも同じだ。誰かの告白を断ったと知られると、いつもこうして無言の攻め苦に遭う。納得いかないけれど仕方ない。所詮誰しも、失恋した側の味方なのだ。


「おい、安室。おまえまたフッたんだって?」

「また?」


 勝手に罪を上乗せされてムッとする。声をかけてきた男子に振り返ると、見知った顔だった。


「……中西、一緒の塾だったのか」


 小六のときに大喧嘩した中西だった。当時よりも少し大人びていて、坊主頭はおしゃれパーマへと変貌を遂げている。


「今頃気づいたのかよ」

「……なんか雰囲気変わってるから……」


 というか、変わりすぎだ。間近で見なければ気づけない。いや、これだけ近くで見ても違和感がすごい。


「まあいいけど。おまえ、ミナのことフッたんだろ」

「ミナ?」


 訊き返して、しまったと思った。流れ的にどう考えてもさっきの女子のことだ。中西を前に今の発言はよくなかった。こいつは人の揚げ足を取る天才だからな……。

 優李の予想通り、中西は人を小馬鹿にするように鼻で笑い、大声を上げる。


「あーそう。自分に告白してくれた女子の名前も覚えてないわけ。そりゃそうだよな、告白なんてされすぎて慣れてるんだろ」

「べ、別に慣れてるわけじゃない」


 周囲を見回して否定するけれど、中西の声が大きすぎて、優李の言葉は誰にも聞こえていない様子だった。針のむしろに放り込まれたような気分だ。告白を断ったくらいでどうしてこうなる。面倒くさくてため息が洩れ、それが余計に中西の癪に触ったようだった。きつく睨まれ、ガンッと机の足を蹴られる。筆箱が落ちて中身が散らかった。周囲はなんとも言えない微妙な空気に満ちていて、誰も手は貸してくれなかった。


 ──こいつ、ほんっとに変わんねーな。


 外見は全然違うけれど、中身はそのままだ。たぶんミナのことが好きだったのだろう。

 中西の睨め付けを無視して片づけていると、ふとポケットが震えた。振動が長いので、メッセージではなく電話だと気づく。スマホの表示を見ると奏多からだった。

 良い口実ができたと通話ボタンを押し、もしもしと喋りながら教室を出る。


『もしもし、優李? 今大丈夫?』

「塾だよ。あと一コマあるけど、今は休憩中。どうした?」

『あ、そうか。今日は講習日か。もしかしてオミも一緒?』

「違う教室だけど、終わる時間は一緒」

『何時くらいになる?』

「二十時くらいかな」


 そっかと呟いたあと、奏多は気まずげに続けた。


『本当は直接会って話したかったんだけど、その時間だともう親がいるからな……あの、ちょっと変な話していい?』

「変な話?」


 なんだろう。改まって言う奏多に疑問を抱きつつ、先を促す。


『家庭教師がきてるって言ったじゃん。大学生の男の先生なんだけど。なんかちょっと様子がおかしいというか……』

「おかしい?」


 よくわからず訊き返すと、奏多は声をひそめた。


『親がいないときになると、やたら距離が近いんだ。最初は机の横に座ってるんだけど、気づいたらすぐ隣で、身体が触れるくらいの位置にいたり……』

「えっ? そ、それって、痴漢ってこと?」

『ち、痴漢ってほどじゃないんだけど。でもなんか、髪とか脇腹とか触ってくるし、ちょっと気持ち悪くて』


 言葉を失った。戸惑いを隠せず、スマホを耳に当てたまま廊下でうろうろとしてしまう。


「い、今は? 家にいるの?」

『いや、さっき終わって帰った。だから今は大丈夫なんだけど』

「とりあえず良かった……いや、良くないか」


 現状の安全は確保できているとして、問題は次だ。


「家庭教師の日で親がいないのって、次はいつ?」

『金曜……かな』


 金曜は優李たちも授業があるけれど、夕方には終わる。オミも同じ時間に終わるはずだ。


「塾が終わったら奏多の家行くよ。他に人がいたら、さすがに自重すると思うし。今後のことはまた相談しよう」

『助かる。ごめんね、急に変な話して』

「全然だよ」


 変というほどでもない。奏多は中性的な美人だ。同性からそういう目で見られることもあるだろう。


『それから、できればオミにはまだ言わないでほしいんだ』

「え、なんで?」


 奏多がオミを頼らないなんて珍しい。なにかあったときは、いつも真っ先にオミに頼るのに。


『あいつ今、大事なときじゃん。僕だって同じ高校行きたいし、迷惑かけたくないんだ』

「……うん、わかった。でもオミは迷惑なんて絶対思わないから、よっぽどのときはちゃんと言いなよ。俺じゃ頼りないこともあるだろうし」

『そんなことないよ。ありがとう、優李』


 通話を切って教室に戻ると、中西はもう優李の席にいなかった。机を蹴飛ばして気が済んだのか、教室の前のほうで他の男子と馬鹿騒ぎをしている。優李は最後の授業の準備をしながら、奏多の話を思い返した。

 奏多は同性からも視線を集める容姿をしている。知っていたけれど、それは中学校という狭い世界でのことだと思っていた。相手は大学生の男。自分たちだけで対処できる気がしない。とりあえず金曜日に様子を見てみて、どうにもならないようだったら誰かの親に相談しよう。たぶん適任はうちの母さんだ。

 もし奏多になにか変なことをしたら、絶対に許さない。社会的に抹殺してやる。


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