【解決編】

(22)夕暮れて

 葬儀会館の白壁は、茜色の差す空の下で、夕映えの装いに変わりつつあった。

 昼の時点では火が消えたように静けさが漂っていた会館内にも、通夜の時間が刻一刻と近づくにつれ、葬儀関係者が次々に顔を見せはじめることで緩やかに活気づいていく。

 二階のお清め場では、仕出しの料理屋が〝通夜振る舞い〟の寿司桶をせっせといくつも重ねて運びながら、着々とお茶出しの支度を進めていた。

 葬儀専門の人材派遣から手配されたスタッフたちは、ロビーに集合して参列者の導線を念入りに確認しあっている。

 式場でひとり作業に勤しんでいるのは、配達業務を終えて戻ってきた花実生花店の彼女だ。昼間のラフな格好からジャケット姿へと着替えを済ませて、いまはハサミを片手に細かな作業に没頭している。社長の花実さんは、彼女を残して一足先に自分のお店に戻ったようだ。設営さえ終わってしまえば、最後の仕上げには人手もそこまで必要としないのだろう。

 祭壇の前には棺が安置されている。

 そのさらに手前側には経机きょうづくえというお寺様用の大きな机があって、そこにはお線香をあげてお参りができるように香炉鉢や燭台などが万全の状態で支度されている。

 ぽっかりと隙間の空いていた生花祭壇の頂上部には遺影写真が掲げられており、それによって、麗しき仮初かりそめの霊峰は、そのあるべき姿を取り戻していた。


 そして――


 葬儀会館の正面入り口。

 自動扉を背にして、ひっそりと横並びに佇む二筋ふたすじの影。

 そのうちの一つである僕が、耳目を引かぬようそっと呟く。

「遅いですね。喪主様……」

 言って、ちらりと横を見る。

 隣に立つ音喜多さんは直立不動の姿勢を崩さず、両手を腰前で重ね合わせたまま、

「渋滞につかまってるんだってさ。さっきその連絡があったばかりだから……たぶん、もうちょっとかかるかもね」

 そこで言葉が途切れたきり、凛として影の一つへと戻ってしまった。

 目の前を行き交う車の中に、未だそれと思しきものはない。

 まだかまだかと首を長くして待っていると、ほどなくして一台の車が僕らの目の前で停車した。乗りつけられた車窓から、何人かがこちらへ向けて会釈をする。

 田中家一同のご到着だ。

 ぐっと背筋に芯を通して、僕らはそれを迎え入れた。

 歩道に降り立った面々を残して、運転手はひとり駐車場へと車を移動する。その合流を待つことなく黒の装いに身を包んだ人々が、ぞろぞろと列を成してやって来た。

 その先頭に立つ、和装の喪服を召した女性が喪主の田中浩美さんだろう。

「田中様、お待ちしておりました。私は担当の音喜多と申します。こちらの宮田とともに、本日と明日みょうにちの二日間、皆様のお手伝いをさせて頂きます。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 折り目正しく挨拶する彼女に倣って、僕も丁重に頭を下げる。

「音喜多さんに、宮田さんね。ご丁寧にありがとうございます」

 喪主の浩美さんはとても腰の低い方で、後方に控える僕のほうにも深々と頭と下げて、柔らかく微笑みを返してくれた。目や口の端々には哀しみで気落ちしている感じがそこはかとなく表れていたけれど、その颯然とした立ち姿からは『喪主の役目をきちんと勤めあげてみせよう』と自身を気丈に奮い立たせているような印象も受けた。

「喪主の田中浩美です。主人ともども二日間よろしくお願いいたします。ええと、こちらは息子の――」

 言って、ゆっくり後ろを振り返る。

 そのまま親族一同を紹介していく流れになりかけたところで、

「母さん、まずは中に入ってからでもいいんじゃないか?」

 身内の一人にやんわりと諌められ、

「それもそうね。まずは、おとうさんに会いにいきましょう」

「では、皆様をお式場へとご案内させて頂きます。そこでお参りをお済ませ頂いたあとで、ご一緒に供花の順番のご確認を――」

 そうして音喜多さんが、ご遺族を連れ立って式場へと足を進める。

 遅れてやってくる運転手をご案内するよう仰せつかった僕は、その場に残って、最後の一人の到着を待った。

 やがて歩道から姿を現したその男性は、僕を見るなり深々とお辞儀をする。

 夕陽を背にした男性が、そのおもてを上げたとき。僕は口から出かかった挨拶の言葉を、思わず飲み込んでしまった。


     ♦


「――あっ!」

 時刻は遡って午後の三時を過ぎたころ。

 音喜多さんの呼び出しを受けて、ついに〝犯人〟がその姿を現した。

 その顔を見た瞬間、僕は驚声を抑えきれずに立ち上がる。

(そんな……どうして、この人が……?)

 まったくの予想外だった。

 僕にとって、最後まで容疑者の候補にすら挙がらなかった人だ。「この人だけは事件に関与できるはずもない」と頭から信じて疑わなかっただけに、それが犯人だと明かされてもなお、その事実を容易に受け入れることはできなかった。

 しかし、それ以上に驚いたのは、目の前で交わされる二人の会話に、まるで深刻さのようなものが感じられなかったことだ。

 自分で呼び出しておきながら、犯人と対峙した音喜多さんはこれといって彼を責め立てるわけでもなく、あたかも業務連絡の延長といった感じで淡々と受け答えを重ねていく。

 そんな事務的なやり取りが二人の間でしばらく続いて、僕はその成り行きを、狐につままれたような気分でただ茫然と眺めていた。

 やがて持参した荷物の中からおもむろに〝〟を取り出した犯人が、それを音喜多さんに手渡した。

 彼女はその中身を確認するなり「あらー」と眉を顰めて言う。

「やっぱり、こうなっちゃうわけね……」

 その顔は、どこか諦めがついたかのような表情だった。

「……いえ、喪主様もこれでご納得頂いてるそうよ。……ああ、いいのいいの。元はと言えばウチがね……」

 そんな調子で、またいくつか言葉が交わされる。そして彼女は、どういうわけか「お疲れ様でした」の一言を最後に、そのままあっさりと犯人を帰してしまった。

(なんだなんだ……どういうことだ……?)

 訳もわからず流されるままに、去っていく犯人を二人で見送る。

 そして、ドアの向こう側に気配が無くなったことを確かめると、こちらへ向き直った音喜多さんは事も無げに「さて」と切り出す。

「その様子だと、まだ状況が呑みこめていないみたいね」

「そ、それは……だって……」

 戸惑いを隠せず言葉に詰まる。

 そりゃあそうだろう。なにも小説みたいな大捕り物を期待していたわけではないけど、それでも犯人の自供による〝お約束の場面〟くらいはあるものと思っていたのだ。それだけに、この展開には大いに梯子を外された気分だった。

「まさかと思いますけど……いまので、本当に事件が解決したわけじゃ……」

「それが、その〝まさか〟なのよ」

 にんまり笑う音喜多さん。

「『これにて一件落着』ってやつね」

「詳しく、聞かせてもらえるんですよね」

「もちろん。でも、あと小一時間ほどで喪主様が来ちゃうから、手短にね」

 そうして新たに名乗りをあげた〝探偵〟が、真相について語りはじめる。

「じゃあ、まずは……あんたが引っ掛かった〝罠〟について話しましょうか」


(つづく)


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