(13)真夜中の訪客

 まぁいい。羊羹のことはさておき、だ。

 さっきの違和感はおおいに気掛かりではあるけど、ここで答えの出ない疑問にいちいち躓いていたって埒が明かない。

 こっちのほうは後回しだ。

 いまは彼女の気が変わらないうちに、一歩でも――

「話を先へ進めましょう。音喜多さん、昨夜から今日にかけて、閉館中に人が出入りした形跡がないか調べたいんですが、なにかわかりませんか?」

 すると彼女は眉根を寄せつつ「まったく、人使いが荒いわね」と嘆息して、渋々パソコンを操作しはじめた。

 やがて目当てのデータを探し当てたらしく手招きで僕を呼び寄せる。

 背後にまわりこんで、肩越しにその画面を注視した。そこに映し出されたのはタイムカードのような一覧表で、日付ごとに何らかの時刻が詳細に記録されていた。

「なんですか、コレ」

「半人前のあんたはまだ知らないと思うけど、ウチは交代制で夜勤があるの」

「知ってますよ、それくらいは。夜間に亡くなられた人の搬送と打合わせは、その日の宿直の人が対応してるんですよね」

「そう。――で、コレはその夜間業務の際の入館記録なの。ここの会館は通夜が無ければ五時に閉館して、そのあと朝まで無人になるでしょ? だから夜間に出入りする社員は、正面玄関の鍵のほかにセキュリティを解除するためのカードキーも持たされてるの。入館時と退館時にカードを切る必要があるから、それに紐づけされて、出入りのあった時間もここに記録されてるってわけ」

 なるほど。そういう仕組みがあったのか。

 監視カメラには録画機能すらないくせに、また変なところに金をかけたもんだ、と呆れつつも食い入るように顔を画面に近づける。

「……すみません、見方がいまいちわからないんですが、このデータだと、昨日の夜から今朝まではどうなってるんですか?」

「昨日は……ほら、ここ。夜の十一時と、それから、日付をまたいで七日の午前一時に、二回カードが切られてる。夜間に一件だけ〝ご依頼〟があったからね」

「夜の十一時にご遺体が搬送されてきて、そこから納棺やら葬儀の打合せやらがあって、その二時間後の午前一時に退館したってことになるわけですね」

「そうみたいだね」

 ということはつまり、そこには人の出入りが可能な時間帯が存在したわけだ。逆に言えば、セキュリティが解除されていたその時間帯を避けて館内に侵入するのは、関係者であっても難しい。だとしたら犯行時刻は、葬儀の打合せがあった、その二時間の内のどこかと捉えるのが正解だろうか。

 画面を注視しながら、しばし考えに耽る。

 ふと横を見ると、すぐそばに音喜多さんの横顔があった。

 いまにも吐息がかかりそうな距離だ。

 それで目が合った瞬間、顔がぶわっと熱くなる。

「ちかすぎ」

「あっ! す、すみません!」

 脇腹に肘鉄をどすんと入れられ、そそくさと自分のデスクへ戻る。

 席に着くなり手近なバインダーを引き寄せた僕は、仄かに赤らんだ顔色を隠すため、それを衝立ついたてがわりに目の前に広げた。

「そ、それで……昨日搬送されてきた、そのご遺体っていうのは――?」

「それだったら、あんたがいま持ってる受注書に書いてあるよ」

 見ると、僕が手にしていたのは五十嵐家の資料だった。

「昨夜ここへ搬送されてきたのは、その五十嵐公康いがらし きみやすさんって人みたいだね。打合せを担当したのは、たしか……」

「……『坂城真司さかき しんじ』と、書いてありますね」

「ああ、そうそう。坂城さんね」

 坂城さんは葬儀業界に二十年以上も勤めている大ベテランだ。温和な人柄だが判断力にも長けており、社員のみならずお客様からの信頼も厚くて、もしものときには坂城さんを指名するリピーターも少なくない。

「坂城さん……坂城さんか……あの人に限って……いや、でも……」

「ぶつぶつうるさいわね。あんた、まさか坂城さんがご遺体をとでも言いたいわけ?」

 冷ややかな視線を遮るように、バタバタと何度もおおきく手を交差させる。

「い、いえいえ! そんな滅相もない!」

 とは言ったものの、その言葉とは裏腹に、このとき僕は、

(なるほど〝すり替えた〟か。その可能性もアリっちゃアリだな――)

 内心では、ちゃっかり彼のことも容疑者の候補に入れていた。

 邪推に過ぎないだろうけど、この考えは不思議と心にしっくりきた。


 


 ――どうだろう。

 いかにも「推理小説の読み過ぎだ」なんて失笑を買いそうな考えではある。

 でも僕にとって、これは充分に検討の余地があるように思えた。

 誰かの〝うっかりミス〟なんかではない。

 これは、悪意が絡んだ犯行なのだ――と。


――」

 音喜多さんが何かしゃべった。

 もぐもぐと動かすその口元には、なにやら白い粉が付いている。

(この人、また何か食べてるよ……)

 羊羹が品切れになったので、その代わりに大福をお茶請けにしているようだ。

 さすがに食い過ぎじゃないだろうかと思わず注意したくなったけど、そんなことでいちいち話の腰を折りたくもなかったので、そこにはあえて触れなかった。

「……すみません。いま、なんと?」

 聞き返すと、唇に付いた打ち粉をぺろりと舐めて、

「――『』って言ったの。いくらなんでも、その推理は乱暴すぎじゃない? 坂城さんが人としてどうのって以前に、状況的に無理があると思うけど」

「状況的に、というのは?」

「だって、ウチの寝台車にはじゃない。もし本当に『坂城さんがご遺体をすり替えた張本人だ』って話なら、昨夜の搬送時には五十嵐さんの他に、熊男のご遺体も同時にここへ運び込まれたことになるでしょ」

「まぁ、そうなりますかね」

「坂城さんが『どこから熊男を調達してきたか』についてはこの際、目を瞑るとしましょうか。それでも、やっぱり二人分のご遺体を寝台車で一度に運ぶってのは、いくらなんでも、ねぇ……」

「じゃあ例えばですけど、どちらかのご遺体はストレッチャーに乗せておいて、もう一人のご遺体をシートに座らせることで『同乗者を装った』っていうのはどうです? 亡くなってすぐなら死後硬直も始まってないので、手足を器用に折り曲げれば何とかいけそうな気もするんですけど」

 自分で言って、『我ながら気味の悪い発想だなぁ』と思った。

「そりゃあ物理的には可能といえば可能だけど、申し送りをよく見てみなさいよ。昨夜の搬送時は『五十嵐家の喪主と長女も寝台車に同乗した』って書いてあるでしょ? 寝台車は運転手も含めて三人乗りだから、そうなると遺族のどちらか一人はご遺体の膝上に座ってもらう必要があるわね」

 そう言って、音喜多さんは皮肉めいた笑みを浮かべた。

 まぁ、そりゃそうか――といった感じだ。僕だって、さすがに今のは無理筋だったと自覚はしてるし、それについては元より反論の余地も無いのだけれど……それでも、ここはあえて突っ張ってみることにした。

 瓢箪から駒ということもある。

 もう少しだけ掘り下げてみる価値はありそうだ。

「いや、でも……ちょっと待ってください。たしかに音喜多さんの言うことはもっともなんですが、それでも『絶対に無理』とまでは言い切れないんじゃないですか」

「どうしてそう思うの?」

「よくよく考えてみれば、ですけど。寝台車で熊男を連れてくるのに、必ずしも『二人分のご遺体を同時に乗せる必要がある』とは限らないと思うんですよ」

「なにそれ。二人のご遺体を『一台の寝台車で別々に搬送した』って言いたいの?」

「だとしたら、また話は変わってきます。いいですか。もし、ご遺体が二回に分けて運び込まれたのだとしたら、最初に搬送されたのは、もちろん五十嵐家のほうでしょう。坂城さんが夜の十一時に彼のご遺体を搬送して、そのまま深夜一時まで葬儀の打合わせをしていたことは記録上でも確かですからね。であれば、その打合せをしている合間に、どこかのタイミングで席を外して、そこで熊男を運んでくることだって――」

「それは無いでしょ」

 話の途中でバッサリ切られた。

「あのね。あたし自身も経験があるから言えることだけど、搬送から打合わせを終えるまでは基本的に葬家と付きっきりなの。だから途中で抜けてご遺体を取りに行くだなんて、そんな暇あるわけないじゃない」

「だけど、少なくとも二時間の余裕はあったわけですよね。なら途中が無理でも、打合せを予定より早く切り上げて、その分の空いた時間を利用した……とかは?」

「それが直葬ちょくそうだったら打合せも一時間くらいで終わるでしょうけどね。でも受注内容を見るに、かなり綿密に打合せをしたみたいよ。見積金額だって二百万円を超えてるし、そんな余裕なんて無さそうだけど?」

「そう、ですか……そうですよね……」

 いや、でも待てよ。

 それって逆に言えば、トリックを使うことで時間はいくらでも捻出できたかもしれないと、そう考えることもできるんじゃないか。

「……そうだ。この方法ならいけるかもしれません。外との行き来が時間的に無理だったのなら、ご遺体を〝事前に用意〟しておけばいいんですよ。五十嵐さんを搬送する前に、あらかじめ館内のどこかに熊男を隠しておくんです」

「あんた、よっぽど坂城さんを犯人に仕立て上げたいのね……」

「そういうわけじゃありません。あくまでも可能性を検討しているだけですから」

「なんでもいいけど……それで? ご遺体を隠してどうしたって?」

「はい。打合せを終えて館内が無人になったところで、坂城さんはどこからか熊男を取り出してきて、そのご遺体を霊安室の田中さんと入れ替えたんです。そして、五十嵐さんを乗せてきた寝台車に、帰るときには田中さんを乗せて、そのまま会館を後にした。……どうでしょう。この方法なら、犯行自体は充分可能ではないでしょうか」

「ちょい待ち。あのさ、ご遺体を『事前に用意した』って言うけど、それって、いつの話なの? 坂城さんが普段抱えてる業務の量を考えたら、日中にわざわざ会館に足を運ぶ暇なんてあるわけないでしょ」

「夜間に、こっそり来ていたかもしれないじゃないですか……」

「少なくとも、ここ数日は閉館後に不審な出入りをした痕跡は見当たらないけどね。……第一、ご遺体を前もって隠すにしても、そんな都合の良い場所が会館ここにあると思う? 備品倉庫とかリネン室とか、そういう『いかにも』な場所なんかは、あたしら社員や清掃業者なんかが毎日巡回してるし」

「れ、霊安庫の中、とかは……」

「はぁ? 霊安庫なんてもってのほかでしょ。ただでさえ人目に触れる機会が多いってのに、いつ新たなご遺体が搬送されてくるかもわからないじゃないの。 何かの拍子にうっかり開けられでもしたら一発でアウトじゃん。いくらなんでもリスク高すぎ。未使用の霊安庫にご遺体を忍ばせておくだなんて、あたしが犯人ならそれだけは絶対にやらないね」

 音喜多さんが「それに――」と、トドメの一言を放つ。


「そもそもの話、そんなことして?」


 それを言われては、ぐうの音も出ない。

 ご遺体を入れ替えて、それで「何の得があるか」だって――?

 僕が訊きたいよ、そんなこと!


(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る