いっぱい満たしてあげるから

お餅。

1 終わり

 寒い。寒い。寒い。寒い。寒い。

 誰か、助けて。

 足が痛い。腕が痛い。胸の辺りも、そういえば蹴られたのだった。

 ああ。

 こんな時でも腹って減るものか。

 そうだったのか。

 ・・・死にたくない。


 かみさま。どうか、助けて。

 もうこんな人生のままでいいから、殺さないで。


 まだ、生きてたい。




 死にたいのに、生きてたいんだ。






 変だよな。死ぬ直前になって、やっぱり生きてたいだなんて。








 は、はは。ゴウマン、だよな。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 アメジストの月、13日、月曜日。

 ポルシエの田舎町、小さな宿の裏側で、一人の少年が瀕死の状態で倒れていた。


 彼の名前は、ラット・ブラウン。

 生まれつき体が小さくて切長の目をしていたために、酒癖の悪かった父親からそう名付けられた。悪趣味なことに。


 真冬だというのに、一枚の布切れしか身につけておらず、腕も足も枝のように細い。

 ラットはまるでどぶねずみのようだった。

 煤や泥をかぶっているせいで、元々焦茶色の髪は更に汚れている。

 体から泥っぽい悪臭がするし、爪の先に鼠や蝿が集り始めている。

 それでも茶色い瞳だけは半分開いていて、何かにすがりつく様に、僅かな光を残していた。


 ラットを近くから観察している十人以上の野次馬の中に、ある男がいた。

 背が高くスラリとしているが、必要なだけの筋肉はついていると傍目でもわかる。そんな体つきだ。

 男はラットを心配げな顔で見つめていた。


 濃い蜂蜜の様な金色の瞳と髪色、長い髪を一括りにして背中の辺りまで垂らしている。その隙の無いただ住まいときりりとした顔立ちは、例えるなら、鷲。


 男の名は、ストライダー・イェーゴー。

 ポルシエの町の外れにある、巨大な屋敷の執事であった。


「こりゃあ、もうだめだな」

 イェーゴーの隣で、中年の男性が呟いた。その顔には同情が浮かんでいる。

 イェーゴーは、真っ黒なコートを脱ぎ片手で持つと、その男に尋ねる。

「・・・失礼。だめ、というのはどういう意味でしょう」

 男はイェーゴーの顔をチラリと見、執事と気づくと小馬鹿にした様な口調になった。

「みりゃあわかるだろうよ。顔は青白いし、棒切れみたいに細いじゃないか。もうこいつはおしまいだよ。まだかろうじて生きてるみたいだが」


 同じ様に思ったのか、野次馬達は一人また一人と自分の仕事に戻っていくようだ。

 イェーゴーとて、今晩の食事の買い出しにと市場に向かう途中だったのだ。長居はできない。


 中年の男も野次馬の群れの中から消えた。十分、二十分、三十分が過ぎ、もう野次馬は誰もいなくなった。

 たった一人、ストライダー・イェーゴーを除いては。


 イェーゴーはラットをずっと見下ろし続けていた。

 ラットの頬の、もう乾きかけた涙の跡から、目が離せなくなってしまった。

 あまりに無惨なその姿から逃げることは、許されないような気がしたのだ。


 ここで一つだけ、イェーゴーの名誉のために記しておきたい。

 元来彼は優しい心の持ち主だ。

 そしてこの行為も、全てイェーゴーの優しさから来るものだった。


 イェーゴーは、片手で持っていた分厚いロングコートでラットの体を包み込んだ。そして自身の手袋やシャツが汚れるのを構いもせず、ラットに触れた。ラットの長すぎる前髪を撫で上げる。小さな鼻と口が見えた。息はかろうじてまだある。

「・・・ぃ」

 何かが小さく呟かれる。

「痛・・・い・・・」

 ラットがか細い吐息を漏らしている。


 イェーゴーはラットの骨の様に軽い体を、ふかふかしたコートに丸ごと包んで持ち上げた。

 空っぽの買い物籠を肩に下げながら、イェーゴーは元来た道を戻り始める。




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