第二五話 召喚 三 食レポは無理だね


「着いたよ」

『ようこそ、熊野丸一等大食堂へ』

「お~」


 鏡の間の次にあった小部屋を抜けて、大きなガラス扉の向こう側に私が足を踏み入れると、真綾ちゃんと熊野さんがほぼ同時に、ここが目的地だと教えてくれた。


 目の前にあったのは、映像でしか見たことのないような超高級レストランだった。


 鏡の間が白大理石を大量に使って明るい感じだったのとは対照的に、この大食堂の内装には暗い色合いの木材が使われていて、とてもシックな雰囲気だ。内装の様式が鏡の間とは全然違うのが素人の私でもわかるよ。


 鏡の間と同じくらいの幅があるエリアが、やはり三階ぶん吹き抜けになっているんだけど、一階の両側には吹き抜けになっていないエリアもつながっていて、フロア面積がすごく広い。

 お高そうな絨毯が敷かれた床の上には、真っ白なテーブルクロスをかけられたテーブルが、ゆったりとした間隔で並んでいる。ひとり当たりのテーブル占有面積も広く取られているのに、それでも、ざっと見渡しただけで、百人以上のお客さんが一度にこのフロアで食事できそうだ――。


 むむ、ほんのかすかに、おいしそうな匂いが漂ってきたぞ。


「行こう」

「う、うん」


 セッティングしてある中央のテーブルに向かって、スタスタと真綾ちゃんが歩き出したので、私も横に並んで歩いた。


 テーブルに到着した私たちがそれぞれ向かい合った席に分かれると、オシャレなデザインの椅子が音もなく引かれた。

 その前に立った私のふとももの裏あたりにそっと椅子が触れたので、そのまま腰を下ろす。お~、便利だ~。


「いやぁ~なんか、気分はセレブなレディだよ。……あ、あれ?」

「あ……」


 椅子に座ったのはいいけど、このテーブルちょこっとだけ高くないかしら? 足もなんだかブランブランしているし……真綾ちゃん、そんな目で私を見ないで。


『これはたいへん失礼いたしました。すぐに代わりをお持ちいたします』

「…………」

「…………」


 熊野さんが謝ると、すぐに子供用の椅子がフワフワとこちらへ浮かんで来た……。


「……なんか、複雑な気持ちなんだけど……まあ、いいか。――よっこらせと」


 私が子供椅子によじ登って腰を下ろすと、どこからか優雅な音楽が聞こえ始めた。


「あ、音楽……」

「あっち」


 真綾ちゃんの指差すほうを見ると、私たちの入ってきた扉がある壁の中央二階部分にベランダがあって、そこで生演奏をしている。……うん、空中に浮かんで勝手に演奏しているバイオリンたちの姿は、なんというか、まるでポルターガイストだね。


『お待たせいたしました、アペリティフでございます』


 スピーカーから熊野さんのアナウンスが入ったので幽霊楽団から顔を戻すと、氷の詰まったクリスタルガラスっぽい容器からフヨフヨと浮遊して来たボトルが、目の前のワイングラスに紫色の液体を流し込んだ。


「あの、お酒はちょっと……」

『大丈夫でございますよ、これは葡萄ジュースです』


 ワインだと思って心配してたら、熊野さんが優しく教えてくれた。これなら安心だね。


「それでは、ふたりの友情に」

「ふたりの友情に」


 私がカッコつけてグラスを掲げると真綾ちゃんも合わせてくれた。

 ちょっと照れくさい気がして私が笑うと、真綾ちゃんもちょっとだけ照れくさそうに笑った。

 よく冷えた葡萄ジュースは甘ずっぱくて、いい匂いがしたよ。


『アミューズでございます』


 私たちが葡萄ジュースを頂いていると、それぞれの前に長方形のお皿がやってきた。

 お皿の上にはひとくち大の赤い玉と、黄緑色の立方体、紫色の三角錐がちょこんと並んでいて、きれいな模様を描くソースと、カットしたライムやミントの葉っぱで飾られている。


「かわいい!」

「うん」

『こちら、スイカとハネデューメロン、葡萄のゼリーに、ヴィンテージワインソースとライムを添えております。アミューズとしては少々デザート寄りになりますが、今日は花様をおもてなしするということで、真綾様のご意見を参考にいたしました』


 可愛いひと皿を見て喜んでいる私に熊野さんが説明してくれた。そっか、真綾ちゃんが私のために用意してくれたんだ。


「ありがとう真綾ちゃん、私がフルーツ好きなのを熊野さんに教えといてくれたんだね」

「うん、私も好きだし」


 こうして、私たちの豪華で幸福な昼食タイムが始まったのだった――。


      ◇      ◇      ◇


「う~ん、もう食べられないよ~」

「満足……」


 最後に出された紅茶とお菓子をきっちりたいらげ、私たちは、大食堂の椅子の上でポッコリ膨らんだお腹をさすりながら、幸福な余韻に浸っているところだ。


 葡萄ジュースに始まったコースは最後の紅茶に至るまで、そりゃあもう、すごくおいしかったよ。テーブルの向こうでチラチラ見える『海が好き』の文字がどーでもよくなるくらい、今までの人生でダントツ一位のおいしさだったよ。

 途中で口直しに出てきた〈完熟パインのシャーベット〉と、最後の紅茶の前に出てきた〈ショコラプリンアラモード季節の果物とともに〉以外、料理名をまったく覚えてないんだけどね……。

 熊野さんがひとつひとつ丁寧に説明してくれたんだけど――。


『ポワソンは、スズキと鮑のポワレ、クルジェットのピューレと青紫蘇のピストゥ……』


 ――ごめんなさい熊野さん、私には無理です、全然覚えられません。


「私、ひとつだけわかったことがあるよ、私たちに食レポは無理だね」


 なぜなら、何を食べたって私の口からは「何コレ、おいしい!」しか出てこないし、真綾ちゃんに至っては、姿勢や所作こそ見惚れるくらい美しいんだけど、何しろ終始無言で食事に集中しているんだよね。テレビでコレやったら、ディレクターさんに大目玉を食らうだろう。


「あっしには、関係のねぇこって……」

「…………真綾ちゃん、……それも昭和ギャグ?」

「違うよ、『木枯らし紋四郎』」

「知らん」

「……」


 そんな感じでくだらないやり取りをしていた私は、瞬間移動してきてからずっと船内が暑くなかったことに、今さらながら気がついた。


「ここは涼しいですね~」

『はい、わたくしは世界で初めて、全公室と全客室に冷暖房が入った船なんですよ』


 私が何げなく口にした言葉に、スピーカーを通して答えてくれた熊野さん……なんだけど、今、自分のことを船って言ったよね。

 私の頭の中で、パズルのピースがピッタリ嵌まった。

 ――うん、そういうことだよね。


「熊野さんって、ずっと昔に羅城門財閥が造った豪華客船ですよね?」

『はい、そのとおりです。ですが貨物も積みましたので、正式には客船ではなく、貨客船ですね。――花様はご聡明でいらっしゃいますね』

「花ちゃん賢い」


 真綾ちゃんがパチパチと手を叩く。でもね、今までの流れでそこに気がつかない人がいたとしたら、真綾ちゃんくらいじゃないかな?


「そりゃわかりますよ、羅城門百貨店なんかが入っているうえに、今どきのクルーズ船とはいろいろ違うし、自分のこと船って言っちゃってるし」

『そうですか~、やっぱり今どきの子とはそんなに違いますか~。わたくしは昭和十二年生まれですもんねぇ……あ、でも、おばあちゃんとは言わないでください、沈んだ時はまだ生まれて七年ちょっとしか経ってませんでしたから』


 熊野さん明るい人だな~、船だけど。……でも、私には彼女に聞きたいことがいろいろあるんだよね。


「では、……熊野さん、契約について教えてもらってもいいですか?」

『はい。――契約とは、真綾様の求めに応じ、わたくしの本体が現世に召喚されるために必要な、いわゆる召喚契約のことです』

「じゃあ、見返りとか、真綾ちゃんにリスクは?」


 ここだよ、私が一番知りたいのは。いくら熊野さんがいい人そうでも、もし真綾ちゃんの身に何かあったら、私、絶対許さないからね!


『ご安心ください、真綾様にはなんのご負担もございません。わたくしへの見返りがあるとすれば、真綾様にご奉仕できる喜び、それに勝るものはございませんよ』


 熊野さんの優しい声を聞いて私は一気に力が抜けた。そうか、真綾ちゃんは無事なんだね……。安心したら、ちょっと涙が出てきたよ。


「よかったよ~」

『あらあら、真綾様は良いご友人に恵まれましたね』

「はい。……花ちゃんありがとう」


 熊野さんのすっごい優しい声のあとで、真綾ちゃんが少し微笑んだ。

 いつも表情があまり変わらないもんだから破壊力がハンパないね、真綾ちゃんのその顔は。


      ◇      ◇      ◇


 しばらくしてすっかり落ち着いた私は、熊野さんに質問を続けた。


「でも、そもそも召喚って、なんなんでしょう?」

『そうですね~、たとえば、この世界の万物を記録した本を集めた図書館のようなものがあって、召喚契約者はその中の一冊だけを閲覧する権利を持っている? とでも申しましょうか……』

「閲覧? じゃあ、異次元空間にある物質がこちらに転移して来るんじゃなくて、世界の図書館……ていうか、データベースみたいなのがあって、契約者はその一部へのアクセス権限と、それによって得たデータを基に現世で具現化する能力を持っている、ってとこでしょうか」

『花様は難しい言葉を知っておいでなのですね。――もしも現世で本体が大破してしまっても、積載物資を使いきったとしても、召喚解除後に一定の時間が経てば、気醸や暖気暖管といった本来なら一日がかりの準備作業も、物資の補充も完了した、傷ひとつない万全な状態での再召喚が可能なことを、不思議なことにわたくしは自我を得た時から存じております。ですで、おそらく、花様のおっしゃるとおりかと……』


 熊野さんが私の意見を肯定した。――思ったとおりか。異次元空間から転移して来るっていう説なら、現世で大破したものを万全な状態で再召喚なんてできないからね。やっぱり召喚するたびに再構築してるんだろうな……。


「でも、具現化するためのリソースはいったいどこから……」


 召喚の仕組みについては、正直、私じゃよくわかんないよ。そもそも、この世界の法則を完全に無視してるっていうか、無から有を作り出すって、どんな無茶理論だよ!


 それに、謎なのは召喚の仕組みだけじゃないんだよね。――私は大食堂の高い天井を見上げながら熊野さんに聞いてみた。


「それから、熊野さんは、真綾ちゃんを守るために生まれてきたって言っていたらしいですけど、熊野さんを建造した人は、真綾ちゃんのおじいちゃんがまだ幼かったころに、真綾ちゃんが将来誕生することも、その真綾ちゃんを守らなければいけない理由も知っていたってことですか? でも、どうやって……」


 そう、ここがまず、わからないんだよ。


『わたくしをお造りになったのは当時の羅城門家当主ご夫妻ですが、おふたりがどのようにして真綾様のご誕生を予見されたのか、なぜお守りする必要があるのかは残念ながら存じません。わたくしが存じているのは、真綾様をお守りしなくてはならない、ということだけなのです。申しわけございません……』

「あ、そんなに落ち込まないでください熊野さん、別にあなたは悪くないんですから」

「そう、熊野さんは悪くないです。それに、ヒグマが襲ってきても槍が降ってきても、私はきっと大丈夫です。お腹いっぱいのときの私は、峠八十郎くらい無敵」


 しょんぼりした雰囲気の熊野さんを私が慌ててフォローしていたら、フンスと鼻息も荒く、真綾ちゃんがグッと拳を握った。

 ホントに大丈夫そうなのが怖いよ真綾ちゃん、峠八十郎って誰? それに、お腹いっぱいだからか、いつもよりよくしゃべるね。


 ――わからないことはまだまだある。当時の羅城門家当主夫妻は、将来誕生する真綾ちゃんが召喚能力に目覚めることも、建造した船が自我を持って真綾ちゃんの召喚対象になることも、みんな知っていたことになる。

 それと、内部を少し見ただけでもわかったけど、熊野さんを建造するにはとてつもないお金がかかったはずだ。それは当時の羅城門財閥にいくら財力があったとしても、ただの思いつきでポンと出せるような額じゃないよね。


「う~ん、何かはわからないけど、そこまでして守らなければならない状況が真綾ちゃんに訪れる、ってのは確実と考えといたほうがいいか……」


 よし、じゃあ、私にできることをするしかないね!

 でも、その前に、と……。


「あの~、熊野さん、ちょっと話は変わるんですけど、あの楽器や椅子なんかは全部、熊野さんが動かしていたんですよね?」

『はい、船外の一定距離内と船内にあるものは何でも意のままに動かせますので。もちろん調理もわたくしがすべて行いました』

「じゃあ、今は放送室みたいな場所のマイクに向かってしゃべってるんですか?」

『はい、さようでございます』


 ああ、やっぱりだ……。


「それって、船内の空気を振動させて発声してるだけですよね? 別にマイクとスピーカーを通さなくても……」

『……あ』


 熊野さん、やっと気づいてくれたみたいだよ~。回りくどいことしなくても、船内のどこでも空気を振動させて直にしゃべればよかったんだよね。私、気になってモヤモヤしてたんだよ……。


「もしも~し、聞こえますか~」

「はい、バッチリです」

「おおー」


 うん、音声がずっとクリアになった、ホントに近くでしゃべっているみたいだよ。クリアになったぶん、熊野さんの澄んだ声がますます際立つね。

 真綾ちゃんも手を叩いて感心しているみたいだし、これでやっと心置きなく本題に入れるよ――。


「さて、私のモヤモヤも解消されたことだし……。とにかく、真綾ちゃんに何があっても大丈夫なように、これからいろいろ検証するよー!」

「おー」

「お~!」



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