シーツボール

 俺がレク委員に任命されたのは、『木間暮の郷』に入職してから一週間後の事。

 昼休憩が終わり、ステーションに戻った時だった。

 「遊ぶの得意だろ?」

 フロア主任が、カウンターで排泄チェック表を確認しながら訊いた。

 「"遊ぶの”の得手不得手とか分かんないすけど、確かに昔は家でゲームばっかやってましたかね」

 「今は? というか、たぶん三宅君が言っているゲームとは違うと思うけど、ま、大丈夫だろう。もう誘導するのは二郎さんだけだから、三宅君が一緒に下り」

 「え、今日からって事?」

 白板に貼られたスケジュール表を指でなぞる。

 「うん。三階のレク委員になった女の子……ほら、君と同い年で丸顔の可愛い子」

 「ミキちゃん? 松永さんすか?」

 「そう。あの子も手伝うから安心しな」

 「はい! 行ってきます! 俺は出来る……俺は出来る……」

 自己暗示をかけながらフロアを出ると、廊下で車椅子に乗った二郎さんが待っていた。

 「これから下で何をするのかな?」 

 「レクリエーションです」

 「れくり?」

 「ゲームです。他の階の人とかも、もう集まってるんじゃないすかね。行きましょうか」

 「おお、そうかい」

 一階に着き、エレベーターから下りると、交流エリアからミキちゃんが声を掛けてきた。

 「三宅くーん! 車椅子介助の時は後ろ向きで出てー!」

 「あ、やべっ……ミ、松永さん今日はよろしくお願いします!」

 「こちらこそよろしく。で、何やんの?」

 ゆっくりと足が止まる。変な汗も出てきた。

 「そうか、今日の担当は二階……松永さん、ちょっと準備してきます!」

 俺は、近づいてきたミキちゃんに二郎さんの誘導を託してフロアに戻ると、リネン室からシーツを二枚引っ張りだし、再び交流エリアに向かった。

 「お待たせしましたあ! えっと、今日の参加者は……十一名か。人数的に問題はないかな」

 「お兄さんその白いの、敷布に使ってる布じゃないの?」

 四階入居者の定子さんが、右手を挙げながら訊いた。

 「そうです。今日はコレを使ったゲームをやります。名付けて」

 「シーツボール!」

 と、声をあげたのはミキちゃんだった。

 「あ、やっぱ知ってたんすか。実習先同じでしたもんね」

 「私も考えてたとこ。一番盛り上がりそうだもんね。取り敢えず、2チームでやろうか」

 それから俺達は、定子さんら独歩の方用の椅子を並べ直しビーチボールを二つ膨らました後、ADLを配慮したチーム分けを行った。

 「じゃ、皆さん。始める前に彼から挨拶があります」

 「はい、今日からレクリエーション委員になった三宅です、よろしくお願いします。皆さんには円の形に並んでもらっていますが俺、いや僕もそうやって円満な人生を送りたいなぁ、なんて思っております。ははは」 

 「はい、まずシーツの端っこを持って広げて下さい。その上にボールを乗せるんで、落とさないように波打たせて下さい。手の運動にもなります」

 まずは練習という形でレクが始まった。

 ミキちゃんは数合わせの為一方のチームに加わり、もう一方のチームにいた二郎さんは右隣に座る定子さんのフォローをしていた。彼女は左手に力が入らないのだ。

 「よし! じゃ、三宅君そろそろ」

 「はい。ウォーミングアップも済んだ事だし本番いきましょうか。なるべくボールを落とさなかった方の勝ちです。せーの!」

 

 俺の初レクは大盛況のまま終了した。

 掛け時計の針を確認し笛を吹いた瞬間、力が抜けた。

 「はい、もうすぐ三時になるんで今日はこのへんで。皆さんお疲れ様でした、そしてお兄さんに拍手を」

 「よくやったぞ!」

 二郎さんが、甲高い声をあげて両手を叩いた。他の参加者もそれに倣い、交流エリアに残ったのが、俺とミキちゃんだけになっても余韻は続いた。

 「良かったじゃん三宅君」

 ミキちゃんがシーツを畳みながら声をかける。

 「たぶん、両チームとも途中からボールを二個にした事でボルテージも上がったのかと。1セット三分という長さも丁度良かったんじゃないすかね?」

 「ううん、それもあるけど一番は三宅君が頑張ったからじゃない? その姿勢にみんなも好感を持って、盛り上げようとしてくれたんだよ」

 「そうですかね、じゃあ、皆さんのおかげっす。もちろん松永さんも」

 彼女の方を向いた時、収納棚に仕舞ったビーチボールが目に入った。

 「松永さん、いやミキちゃん」

 「はい?」

 「あのお、こんな俺で良かったら、いつか一緒に……ビーチバレーでも」

          ※

 「ゲームセット! なんだか今日良くないじゃん」

 「うん、久しぶりだからかな」

 憧れていた南の島でのビーチバレー。だが、ミキの水着姿に見惚れて集中出来ず、ゲームにはならなかった。

 「じゃ、せっかくだから泳ごうよ。あそこの小島までさあ」

 「うん。ちょっと休んでからね」

 砂浜にゴロリと寝転ぶと、太陽の白い光が一層眩しく感じられた。

 「本当にここに来られたんだね。ありがとう、ノブ君」

 ミキはビーチボールを置くと、俺の隣に寝転んだ。

 「こっちこそありがとう。ねえミキちゃん、俺達そろそろ……そろそろさ……」

 「ねえ、ちょっと……」

 「うん、そろそろ……うん?」

 「ねえ……これじゃね?」

 「はあ……? そりゃまあ、海だから波くらいは」

 「違う! じゃなくて! 見てみい!」

 ミキが勢いよく人差し指を下に向けた。

 彼女の言うとおりだった。波打っていたのは青く透き通った海ではなく、珊瑚の死骸や砕けた貝殻で出来ているはずの、白い砂浜の方だったのだ。

 「い、いやミキちゃん、これ砂浜ですらないよ! 白は白でも、白いシーツだよ!」

 「あ、あれ……」

 「そう、これコットン100パーセントの!」

 「違う! じゃなくてじゃ!」

 今度は勢いよく俺の後ろを指差した。

 振り向くとそこには、シーツになった島の端を掴んだ、巨大なが見えたのだ。

 「な、なんだえありゃあ!」

 「ミキちゃん落ち着いて! よくわかんないけど、取り敢えずあそこの小島へ逃げよう!」

 俺は彼女の腕を取り、海に飛び込もうとした。

 だが目の前でも、いつの間にか現れた数本の"手”が、同じように端を掴んでいたのだ。

 「ノブ君……もしかして、あの手が揺らしてんじゃね?」

 「うん、向こう側にもある。たぶん囲まれてるんだ……」

 「やだー! 怖いー!」

 「だ、大丈夫っす! 俺がついて」

 再び砂浜、元いシーツが波打った。今度のは更に畝りが大きい。

 バランスを失った俺とミキは、ビーチボールのように、ビーチボールと一緒に転がった。

 「離れないで!」

 俺は必死に彼女の体を掴もうとした。

 だがその姿は、白のワンピース水着だけを残して消えていた。

 彼女の顔を思い浮かべ叫呼する。

 「ミキちゃあん!」

 それに答えて水着から飛び出したのは、愛しい丸顔ではなく、丸いビーチボールだった。

 「どういう理屈だよ!」


 ─ボールを二個にした事でボルテージも上がったのかと


 「まさか……そんな……ねえ! やめてよお! もう三分過ぎたんじゃなあい? 一旦落ち着きましょうよお!」

 懇願したつもりだったが"手”の動きは止まるどころか激しさを増し、遂に俺は二個のビーチボールと共にシーツの端っこへと転がった。

 「とめてえ!」

 落下しそうになった俺を助けたのは、隣のあまり動かない"左手”の分まで躍動していた"右手”だった。

 だが、押し返そうとした力が強過ぎた為か、ボールが一個あらぬ方向へ飛んでいってしまった。

 「ミキちゃあん! いや、どっちだあれ……。というか、落ちた方が助かってたんじゃないのか……」

 「ぎゃー!」

 突如悲鳴があがり、見ると隣の小島もシーツになっており、ボールから人に戻ったミキが素っ裸で"手”達に転がされていた。

 今までのはウォーミングアップで、2チー厶になってからが本番ということか。

 進退窮まり覚悟を決めた俺は、最期の言葉として、言い淀んでいた彼女へのプロポーズを口にした。

 「ミキ結婚しよう! 二人で円満な家庭を築いていこう!」

 次の瞬間、こちらの"手”達の動きが上下から前進へと変わり、俺の体はシーツの真ん中に沈んだ。

 「よく言ったぞ!」

 甲高い声が青空に響いたあと、沈んでいた体が急速に跳ね上がり、まるで結婚式の新郎のように宙を舞った。

 

 ピンと張られていたシーツが海に落ち、万雷の拍手が鳴り渡る……。


 余韻は、帰りの機内まで続いた。

 俺はスヤスヤと眠るミキの手を取り、彼女が転がされていた小島の端を掴んでいた、十二の"手”のうちの二つを思い出していた。

 それは恐らく、数合わせの為に加わったのだろう。

 なぜなら、他の"手”よりも一際小さく皺もない、"子供の手”だったのだから。


(了)


初稿:カクヨム:2022/9/1

 


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