第16話 怪人あらわる
多くの人が寝静まる夜半、空には満天の星が煌めいていた。
黒というよりは灰色に近い墨を、一面に流し込んだような夜空は、隈なく光る月をぽつんと浮かべていた。
どこまでも明るく、どこまでも清廉。
潔白という言葉はこの月のためにあるかのように思われた。
方々でちかちかと光る星たちは、遥か何光年もの先から光を届け、今宵の目を貫いている。悠久の時に思い馳せざるを得なかった。
目の前を流れる川はごうごうと音を立てて、昼間の雨で溜まった水をどこまでも、どこまでも運び立てていた。男の座るベンチもそういえばうっすら濡れていた。
手元から薄く立ち昇る煙草の煙は、そのまま夜空へと吸い込まれていくようだった。このまま昇って昇って昇り切って、刷毛で薄く引いたような天の川の一部となればいい、そうは思っても揺らいだ煙は風に千々に吹きすさばれ、夜空へと溶け込んでいくしかなかった。
足元に投げ棄てた煙草を踵でぐりぐりと踏み散らかす。足を退けた後には黒く冷え切った吸殻が転がっていた。
ポケットに手を忍ばせ、くしゃっと潰れたソフトパッケージの煙草を引っ張り出す。少し折れ曲がった煙草を一本抜き出し、口元へと運ぶ。
かちっ、ふー。
飲み下された煙が咽喉を通って肺を満たす。
そこでふと、視界の端に変化を捉えた。
川を挟んで向かい側、対岸部分は天気の良い日には散歩者などで溢れる遊歩道となっている。今は時間が時間なので誰もいなかったのだが、何かが動いたように見えた。
狸か、鼬だろう。
なかなかこの街中で見かけることは少ないが、全くいないということはあるまい。ましてこんな夜中なら、本来いるべきでないのはこちらの方なのだ。
再び空を見上げて煙草をふかしていると、再び草むらが揺れるのを捉えた。
少し興味がわき、注視してみるとどうやら人間の子どもぐらいのサイズであるようだ。
おや、これはおかしいぞ。
あんなに大きな狸がいるもんだろうか。
それに、もし人間だったら、、、
男はそう考え背筋が凍ったように粟立つのを感じた。
これ以上見たいような、見たくないような、それでも不思議と目を離せない時間が流れた。気づけば煙草は根元まで燃え尽きてしまっていた。
男は2択に迫られていた。
今すぐ席を立ち、この場を去るか。
もう一本煙草に火をつけるか。
少しの間逡巡したところで、男はポケットに手を突っ込んだ。
かちっ、ふー。
その音に反応したかのように、草むらから一本の大きな手が伸びた。歩道へと投げ出された腕は、この距離では測りかねるが成人男性サイズのものであるようだ。筋骨隆々の逞しい腕は程よく日焼けをしていた。
男は焦って手元が震えた。煙草からは灰がぽろぽろと落ちた。
気を落ち着かせるために一口大きく吸い込む。それに応じて草むらからはもう一方の腕が飛び出た。その腕はどうやら女性のもののようらしい。細く色白い腕は横に並んだ剛健な腕と並べるとより一層弱く見えた。
男は益々震えた。口元に運ぶ手も震えてしまい、うまく煙草を咥えることができないほどであった。
なんとか咥えた煙草を深く深く吸い込む。次は何が飛び出すか、男は興味に心が急いた。
足が2本飛び出した。
それぞれ革靴を履いた右足と、ハイヒールを履いた左足だった。
気づけば対岸の草むらからは数多の四肢が投げ出されていた。みるみるうちに歩道を埋め尽くす夥しい量に、男は歓喜していた。
そして最後の一本に火をつけると、これまで殺めてきた多くの人々に対し、線香を立てるような心持ちでそれを川へと投げ込み、合掌した。そして考えた。
次はどの町へ行こうかな、と。
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