032.彼の答え
「付き合……う…………?」
わずかに見えていた太陽もすっかり隠れ、人工の光のみが世界を照らす冬の寒空の下。
俺は向かい合った少女の、告げた言葉を復唱していた。
漏れ出た口からは白い吐息がフワリと浮かび、霧散する。
まるで俺の心情のようにフワフワと揺れ動くその白さは、理解の及ばない俺の目の前を飛んでは消え、飛んでは消え。その思考の帰着点が無いことを表しているようだった。
付き合うってなんだ?来週、もしくは明日辺りにでもどこかに連れて行かされるのか?
…………いいや、彼女は明らかに、確実に。
まさにそのような勘違いを赦さないかのように、もう一言付け足していた。
『ニセモノじゃなくて本当の彼氏彼女として――』聞き間違いでなければ、たしかに彼女はそう言っていた。
俺に告げる言葉としては間違っているであろう、その台詞を。
「その顔、信じてなさそうね。 酷いわ。生まれてはじめての、一世一代の告白だったのに」
「っ――――!」
ズイッと一歩踏み出して覗き込んでくる彼女の思わずたじろいでしまう。
街灯に照らされ輝いて見える茶色の髪にシミ1つ無い肌。そして長い眉と小さな鼻と、パーツ一つ一つがどれも美しい少女。
そんな彼女がすぐ目の前に来たことで一歩下がるも、彼女の手が俺の手を取ってそれすら阻まれてしまう。
「それで……どうかしら……? 私じゃダメ?」
手首を捕まれ逃げられない状態。
そして同様に手を繋ぐほどの近くにいる上目遣いの瞳は小さく揺れ動いていた。
インフルエンサーとして慕う者も多い彼女。それ故に彼女自身も俺とは住む世界が違うと思っていたが、違うようだ。
彼女は普通の感性を持った少女なのだと、不安げな瞳を見て実感させられる。
「な……なん……で……」
その瞳を見てようやく絞り出せた言葉は、疑問だった。
何故彼女が俺を……まだ出会って1週間しか経っていないのに。
「なんでってそうね……。最初のきっかけは一目惚れ……っていうのかしら?」
「一目惚れ……?」
「ええ。ベッドを買う時は瑞希ちゃんしか認識してなかったからカフェで会った時ね。 あなたを見た時……何ていうのかしら。あぁ、私はこの人のことが好きになるんだなって直感したの」
一目惚れだなんて、そんな……。
まさか生まれてから二十余年、告白された経験が無い俺にとってその言葉はかなりの衝撃だった。
一旦落ち着こうとその場から離れようとしても掴まれている腕が固くて振り払うこともできそうにない。俺は早々に諦め、その場で目を閉じて深呼吸する。
「落ち着いた?」
「まだ……信じられない気持ちでいっぱいだけど、話せるくらいには」
これで目を開ければ夢で、ずいちゃんが来た日のことすら消えてしまうのかと恐怖したが、どうやら現実で間違いないようだ。
目の前にはさっきと変わらず美汐ちゃんが街灯に照らされている。
「ホントはね、カフェ友達としてゆっくり仲良くなっていこうと思ったの。でも、さっき困ってる私の事を助けてくれて、好きって気持ちが抑えきれなくって……つい……」
助ける。
それはファンの子たちに囲まれている時のことか。
ポツリポツリと告げる彼女は段々と視線が下にいき、掴まれている手の力が弱くなっていく。しかし決して、その手が離れる気配は見せない。それは絶対に離さないと言外に告げているようだった。
「私ね、ホントは人と話すのが苦手なの。 距離感間違えてるんじゃないかってビクビクして、あんまり自分のこと言えなくって」
言われてみれば、たしかに店での彼女はうまく言葉が紡げずにいた。
あれは単に驚きが勝っているだけかと思ったが、まさかそんな理由があったとは。
でも、それならばどうしてネットでは……それに俺たちの前では……。
「ネットは人の顔が見えないから自由に話せるの。それで手軽に発信できそうだったからちょっとやってみたら、いつの間にかどんどん人が集まってきちゃって……」
「じゃあ、俺達と話す時は……?」
「それが私にも不思議で、あなた達なら自然体で話すことができたわ。 だから舞い上がって店出てすぐ瑞希ちゃんのアカウント調べたら誕生日で急いで買いに行って……。帰ってからは距離感間違えたかもしれないって枕かぶって悶えてたほどよ」
あの時のずいちゃんは、かなり喜んでいた。
現に出かける時は毎回巻いて出かけるほどマフラーを気に入ってくれている。
ずいちゃんは優しい子だ。距離感なんて多少間違えたくらいで全く気にしないだろう。
むしろ年頃の異性なのに俺に対する距離感が間違っている気がする。近すぎない?
「でもその不安は幻想で、再会した時にホッとしたわ。 ……それで、どう?私と付き合うって話は」
「それは…………」
今回の話の本題はそれだ。
嬉しいか嬉しくないかと言われると、かなり嬉しい。でもそれと同等に困惑もある。
そもそも彼女はずいちゃんと同い年。つまりそれだけの年の差があるってことだ。
「でも、俺8つも上だよ? おかしいと思わない?」
「なんで? むしろ8つしか離れてないんじゃない?」
「…………」
そこはまぁ、価値観の差というやつか。
でも驚いた。俺にとっては一番の壁だと思っていたのが一蹴する程度のものだとは。
しかし、それ以外でも懸案事項はある。例えば………
「瑞希ちゃんのこと、考えてる?」
「………うん」
彼女にはお見通しだったようだ。
俺が第一に考えること、それは今も部屋にいるであろうずいちゃんのこと。
ずいちゃんと美汐ちゃんはクラスメイトだ。兄貴分がクラスメイトとだなんて気まずいことこの上無いだろう。しかも家も隣とか、俺なら逃げ出すレベル。
それに、俺のワガママだが彼女には気を遣わせたくない。彼女は自由で笑顔でいてくれるのが、俺にとっても嬉しいのだ。
「…………ならさ、こうしない?」
「うん?」
「私とお試しで付き合うの。 付き合うのは今日みたいにカフェ巡りするときだけ。それ以外は全部瑞希ちゃん優先でいいし、なんだったら他に好きな人ができたらそっちに乗り換えてもいいわ。もちろん、私はあなた一筋だけどね」
「なんで……そこまで……」
なんで、そこまで俺に都合のいい条件を。
そう口を開きかけたものの、彼女の指先がチョンと俺の口に触れて言葉が途切れてしまう。
「なんでってそんなの、あなたの負担にだけはなりたくないからよ。 もちろん私と純粋に付き合うっていうのならそれでもいいわ。でも、今はまだ無理でしょう?」
「…………うん」
「それなら、さっきのだとまだチャンスがあるじゃない。 もしよかったら……この手を掴んでほしいわ」
すっと手首を掴んでいた手を離して差し出すのは、握手するように求める手。
付き合うのはカフェ巡りするときだけ。それ以外はずいちゃん優先でも構わない。それにこんな可愛い子が、一途に俺のことを好きだと言ってくれているのだ。ならば、俺は――――
「…………あはっ……。嬉しい……嬉しいわ…………」
「その………こんな俺で、いいのなら」
ゆっくりと彼女と握手を交わすと、空いた手を震わせながら口元を抑える姿が目に映る。
ここまで冗談という可能性もあったが、それも違ったようだ。彼女は真剣な表情をしようとするも笑みが溢れて表情がグチャグチャになっている。
「そうね……よろしくって言いたいところだけど、何か印でも渡したいわね……。 何なら私の下着でもあげる?今着けてるのしかないけど」
「なっ……!? い、いらないからっ!脱ごうとしなくていいからっ!!」
「でも、好きでしょう? 引っ越しの時ジッと見てたし」
「あれ事故だったでしょ!?」
思わず腰回りに手をかける彼女を俺は慌てて止めさせる。
あれ完全に事故だったよね!?そもそもダンボールが入れ替わってたのが問題だったじゃん!!
「ふふっ。冗談よ。 でも本当に、これからよろしくね?」
「あ、あぁ……。 よろしく」
俺たちはもう一度、互いの手を固く握って握手を交わす。
街灯に照らされて見える彼女の表情は、いつもの大人びて美しいと表するものに加え、年相応の可愛さまでもが含まれていた――――。
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