#6:笑う死体

『大丈夫だった!?』

 スマホ越しに聞こえる林檎の第一声は、かなり狼狽したものだった。

「ああ、大丈夫だ」

 これは余計な心配を与えないために、爆発が起きたときに橋の傍にいたことは隠していた方がいいと思いながら、柳はテレビ通話を続けた。

 橋の崩落の後、すぐにロッジに戻り、子島側にいた子どもたち全員を揃えた。全員がいることを確認してから、柳は母島側の林檎に連絡をつけたのだった。

「全員揃っているし、誰も怪我していない」

『そう……ならいいのだけど』

 それでも不安が拭えないらしいのが林檎の声色でなんとなく察することができた。

「そっちの様子は?」

『こっちも大丈夫。ただ……』

「ただ?」

『え、猫目石くん……。ああ、そう、ね。うん、こっちは大丈夫だから、心配しないで』

「…………」

(今、会話に猫目石瓦礫が露骨に介入してきたな)

 何か、今の柳たちに聞かれるとマズイことが起きているのだろうか。もちろん起きていて、それは言うまでもなく北斎殺しの件なのだが、柳には知る由もない。

 ちらりと柳は欠片の方を見る。彼女は食べ損ねていた朝食のパンを黙々と食べているだけだった。

「これからどうする?」

『雨が止むのを待つしかないと思う。天気予報だと今日の夕暮れには止むみたいだから、そしたらヘリで警察が島にやってこれるから』

「ヘリとはいえ着陸できるのか?」

『それは大丈夫。奈央さんが言うには、母島にも子島にもヘリが離着陸できるスペースは確保されているって』

「じゃあ天候次第か。二泊三日の今回のキャンプで使う予定だった食料は……」

「こっちの島に全部あるぞ。倉庫には緊急災害用の備蓄もある」

 柳の疑問に正平が答える。

「そうか。じゃあ食料も問題なしと。天候が回復するまでロッジでじっとしているしかないか」

『そうしておいて。こっちでもできるだけ早く警察に来てもらえるよう連絡するから』

「分かった。……そうだ、そっちの島に景清さんはいる?」

『……景清くん?』

 林檎が顔をしかめる。この時点で、どうにも嫌な予感がしてくる。

「……いないのか?」

『分からないわ。奈央さん……ええ、そうなの? そっちの管理人棟に泊まってるはずだって奈央さんが』

「それがいなかったんだ。昨夜、管理人棟を出たのを見たからてっきり母島に向かったものだと」

 だが、母島にはいない。

 ならば景清はどこにいるというのか。

『母島は施設が多いから、そのどこかにいるかも……。こっちで探してみるから、あなたたちはロッジで待機していてね』

「そうする」

 電話を切る。

「なんか面倒なことになったねー」

 食事を終えた欠片が呑気に言う。

「あれ、母島でも何かあったと思うよ」

「……だろうな」

 さすがに隠し事をしているのは分かる。まさか人が死んでいるとは、柳たちも思ってはいないが。

「これからどうする?」

 正平が聞く。

「おとなしく待機するか?」

「いや……」

 柳は否定した。

「この島に景清さんがいる可能性も否定できない。捜索した方がいいだろう」

「それは危険でしょ」

 西瓜が反対を示す。

「単純に大雨で足場が悪いから、下手をすると崖から海に落ちるかもしれない。それにあんたが見た例の怪人はどうするの?」

 ここへきて、柳の目撃したホッケーマスクの怪人の存在感が増している。

「昨日は見間違いってことにしてたけど、橋が崩壊したとなったら話は別でしょ。その怪人が島に潜んでいて、昨夜のうちに爆弾を仕掛けたって考えるのが現実的にならない?」

「それはそうなんだが……。実のところ、怪人は母島の方にいると俺は思っている」

 柳は少し考え、言葉を絞り出す。

「まず橋を落としたことだが、これによって俺たちはふたつに分断された。だが同時に、犯人である怪人もふたつの島を行き来するのは不可能になったんだ。ではなぜ犯人は橋を落としたと思う?」

「そりゃあ、逃げられねえように、だろ?」

 健が答える。

「橋が落ちたら、俺たちは母島に行けねえ。母島に行けないってことは船に乗れないってことだろ」

「そう考えられるな。だがそれはあくまで俺たちの視点だ。狙われているかもしれないと不安になっている俺たちの視点だとそうなるだけだ。実際のところ、犯人に俺たちを狙う動機はない」

「動機?」

「そう、動機論ホワイダニットだ」

 聞き手の思考を埋め尽くすように、柳は情報を大量に与えていく。

「考えてみろ。今回の事件の犯人の動機はなんだ? まだ推理するための情報は不足しているが、三年前の事件しか考えられるものはない。だが三年前の事件に関連して、犯人が殺人を行うとして、俺たちは対象外だ。なにせ事件の当事者ではないし、事件当時はまだ小学生だからな。事件とはほとんど直接的な関係はない。犯人に俺たちを殺す動機はない」

 ただ、この指摘には大きな穴がひとつある。それに気づかれるより前に、柳は言葉を先に進める。

「つまり分断は俺たちを逃がさないためじゃないんだ。母島の大人たちこそ犯人の目的で、大人たちを逃がさないために分断したんだ。ついでに言えば、俺たちが母島に渡って犯人の計画が狂うノイズになるのを極力避けるためという目的もあるだろう。要するに俺たちはここから先、放置される可能性が高い」

「それは……そうか」

 遼太郎は納得したらしい。当然、この場にいる子どもたちに犯人から狙われる理由などまったくないからだ。

「当然、母島にある船も使えないよう既に工作されているだろう。豪雨自体は計画外だと思うが、結果的にこの島は今日の夕暮れまで、誰も逃げることができず、警察が立ち入ることのできないクローズドサークルと化している」

「だが連絡はできるだろう。仮に犯人が暴れても、隙をついて連絡すれば正体はバレる」

 正平の言い分はもっともだが、少し的を外していた。

「クローズドサークルの最大のメリットは、標的を逃がさないことだ。逆に犯人がその正体を隠すのには向いていない。閉鎖された空間内だとどうしても容疑者が絞られてしまうからな。だから今回、犯人は自分の正体を隠すことを第一に活動はしていないだろう。とはいえ、ホッケーマスクで顔を隠して混乱を巻き起こせば、結果的に正体が分からなくなる可能性も高いが」

 さらに、紫郎が指摘するように何らかの隠しルートを使い島に犯人が潜入していたなら、状況はさらに混迷化する。クローズドサークルにおける閉鎖された空間という前提を、犯人だけは共有していないということになるからだ。閉鎖空間内の誰かが犯人だと思っていたら、外部犯でしたというオチになりかねない。

「で、母島に犯人が潜伏している可能性が高いから、こっちはひとまず安全だろうってことね」

 西瓜が話をまとめる。

「それで景清さんを探すと……」

「景清さんがどうして行方不明になっているのか、今の段階では分からない。犯人に口封じをされたのか、単なる事故か。だがどちらにせよ、まだ生きているという可能性はある」

「犯人が目撃者を生かしておく?」

「案外あるんだ。動機が復讐だったりすると、目的外の人間は殺さず一時的に無力化しておくだけにするとかな。その場合、俺たちが仮にここで景清さんを見つけることができれば、犯人の正体に近づける。もし景清さんが単なる事故に遭い動けなくなっているとしても、助ける必要はあるし、いずれにせよ子島を捜索して損はない」

「よし、じゃあそうしようか」

 正平が最終的な決定を下す。

「雨が降っていて危険だし、犯人が潜伏している可能性もゼロじゃない。複数人で一組になって動こう」

 組み合わせはすぐに決まる。最初は女子をロッジに残そうとも考えたが、女子だけを残しておくのも結局危険だということになり、全員で手早く捜索を済ませた方がいいという結論になった。西瓜と棗の女子二人を正平が守りながら捜索し、健と遼太郎がコンビを組むことになる。

 残る探偵の弟子組である柳と欠片でツーマンセルだ。

「お前たちは施設とか建物とか、そういうところを調べてくれればいい。深入りしなくていい」

 柳が忠告する。

「森の中とか、踏み込まないと調べられないところは俺たちでやる。慣れているし、犯人と遭遇しても俺たちならまだ対処できるからな」

「分かった」

 それぞれ、雨具を取り出してロッジを出ていく。残った柳も、乾かしていたレインコートを手に取った。

「五分五分かな」

 唐突に、今まで黙っていた欠片がそんなことを言う。

「なんだ?」

「犯人――というか例の怪人がどっちかの島にいる可能性は五分五分だと思うよ。たぶん柳くんもそう思ってるでしょ」

「…………」

「確かに、犯人が三年前の事件に何らかの因縁があって事件を起こしているなら、わたしたち子ども組はその因縁から外れている可能性は高い。でもこういう可能性はあるよね?」

 にやりと、欠片は笑う。べたりと手に張り付くようなねばつく笑みだった。

「犯人が三年前の事件に感化されて大量殺人をやってみたくなった人だった、とか。それだったら、むしろ狙われているのはわたしたちだ」

「……そうかもな。それを言って連中を混乱させるか?」

「いやいや。後で推理が外れてましたとなって信頼を失う危険性を抱えても今この瞬間の平穏を確保することを優先する姿勢は、大変すっばらしいと思うよ」

 本心ではそう思っていないことが丸わかりの台詞だった。

「でもあいにくわたしたち探偵の仕事って、おためごかしのその場しのぎを言うことじゃなくて、真実を言うことなんだよね。適当なことなら誰にでも言えちゃうもん」

「事件がまさに進行しているとき、関係者の平静を保って事態を鎮静化させるのも探偵の大事な仕事だ。一時の探偵としての信頼程度を消費して平穏を保てるなら、そんなものは消費しまくっても構わない」

「うわぁお、自己犠牲的だあ」

「なんかやけに突っかかるな……。とにかく行くぞ」

「はいはい」

 欠片もコートを手にして、外に出た。

 雨で足場が悪く、また遠くもけぶってしまい視界が悪い。だが小さい島だ。捜索にそこまで時間がかかるとは思えなかった。柳と欠片は森に入って、何か痕跡はないか調べていた。

「雨だとぬかるんで足跡が付きやすくなるんだけど…………。森の中だと落ち葉や木の根が邪魔になって足跡が残りにくいなあ」

「それに人が通ったところの草が倒れていたりするものだが、この雨で草は全部倒れ気味だ。これは探すのに難儀しそうだな」

 実際、犯人のものであれ景清のものであれ痕跡を探すのは困難だった。昨日、森に準備なしで入って少し迷った反省を活かし正平から借りてきた方位磁針で進む方向を慎重に確認しながら、森の中を進んでいく。

「ちょうどこれくらい進むと、子島の中心部だと思うんだが……」

「あっ。見てあれ!」

 方位磁針を見ていて前方を確認していなかった柳が顔を上げる。正面に、大きな岩場があった。岩場が露出した場所はこれまで森の中では見ていなかったから、唐突な出現だ。

 だが何より、気になるのは……。

「洞窟、だと……?」

 岩場に、ぽっかりと口を開けた洞窟の入り口があったことだった。ご丁寧に杭とロープで立ち入り禁止の措置が取られている。ただ杭とロープは古く、朽ちかけていた。

「こんなところに洞窟があったんだね」

「ああ……」

 期せずして、紫郎の言っていたことが真実味を帯び始めていた。

「けっこう深そうだよ」

 スマホの懐中電灯機能で欠片が奥を照らす。なるほど、先が見えないほど深く、そして地下へ続いていそうな様子だ。

「しかし……見た感じ人は来ていないようだな。この杭も朽ちかけている。これくらいならキャンプ場を再開するときに新しいものに取り換えていそうなものだが……」

 奈央が本当に、この洞窟の存在を知らなかったという可能性もまた、現実味を帯びている。

「道が整備されているわけでもないからね。奈央さんも景清さんも知らなかったのかも。いくら島が小さいと言っても、わざわざこんな奥まで来る用事はないだろうし。でもこの中に犯人とかいたりして……?」

「……調べるのは後でいいだろう」

 少し考え、柳はこの洞窟の調査を後回しにすることにした。

「まずは景清さんを探そう。島中を探して、もしいなかったらあらためてここを調べればいい。俺たちはこの洞窟の調査を優先させるほど、まだ島全体を調べ終わっていない」

「そうだね」

 欠片もあっさり引いて、二人は洞窟の調査を中断する。

(しかし洞窟か……。また面倒な)

 仮に紫郎の仮説が正しかったとしても、調査に必要な潜水具などを持たない柳たちではそれを検証することができない。下手に洞窟の存在を明かせば、外部犯の可能性を子島にいる者たちに悟らせてしまい、それこそ混乱を生みかねない。扱いを慎重にする必要があるだろう。

「こっちは海だね」

 洞窟のある岩場を超え、森を出る。そこはちょうど、昨日初めて欠片と柳が出会った海岸があった。

「まさか景清さん、海に落ちたとか?」

「なぜ雨の降る真夜中に海岸へ出る必要があるのかは分からないが、単なる事故としてはその可能性はあるだろうな」

 岩崖は雨で濡れて滑りやすくなっている。転んで海に落ちないよう慎重になりながら、柳は崖際に近づいて下を覗き込んだ。

「さすがに、いな…………」

 いや。

 最悪なことが起きた。

 起きていた。

「なっ……」

 岩崖の崖下。岩礁で波が遮られ、かろうじて足場があるところに。

 大内景清はいた。

 それをいたと表現していいのかは、かなり議論のあるところだったが。

 なぜなら。

「…………」

「あーあ。これは」

 欠片が嘆息する。

「バラバラだ」

 そう。

 バラバラなのだ。

 四肢をバラバラの細切れに切断され、崖下に打ち捨てられていた。

 切り取られた腕や足が無造作に、そのあたりに散らばっている。まるで死体を隠そうとして、やっぱりやめたと言わんばかりの粗雑さで流木が死体の中央にかき集められているが、単に波と満ち引きの関係でそこに流木が溜まりやすくなっているというだけのことだろう。

 その鳥の巣のようにかき集まった流木めがけて細切れの四肢を放り投げ、流木の巣の中へ着地させるゲームを楽しんだ後であるかのように、死体は散らばっていた。

 唯一、頭部だけが奇跡的なバランスで天を仰ぐように転がっているように見えるが、その様子がむしろ妙なおかしみを覚えさせた。流木の巣からことりと落ちたような位置にあって、そこだけを見れば流木を掛け布団代わりに寝ているようにすら見えた。

「…………」

 まるで作り物のようだと、柳は思った。死体の写真なら、これまで幾度も見てきた。本物の死体もだ。だが今まさに自分が事件の当事者として巻き込まれる中で、見知った人間が死体になっているのを見たのは今回が初めてだった。だからなのか、妙な非現実感が柳を襲っていた。

 切断された四肢が、思いのほか出血していないのもそう思わせる原因かもしれない。おそらく切断されたときに、大半の血液や体液は流れ出てしまったのだろう。四肢は血色も悪いものだった。

 唯一、どうしてか景清の傷のある頭部だけは生々しく生きているかのような血色の良さがあった。それが逆に彼の「バラバラ死体となって死んでいる」という事実を強化しているかのように思えた。

 波しぶきが、岩礁で大きく砕け、死体にかかる。

 波に濡れた景清は、さらに生気を取り戻したようだった。

 そして。

 にいいぃぃっと。

 その死体は笑った。

「…………!」

 思わず柳はのけぞる。欠片の様子を見る。彼女はじっと死体を見ているだけで、何も反応がない。あらためて景清の死体を見ると、さっきの笑みは幻覚であったかのように唇を堅く結んでいた。

 死んでいる。

 ここから分かるのは、それだけだ。そりゃあ、四肢を切断されてあの状態で生きている人間などいるはずもないという身も蓋もない話だが。

「景清さんが、殺された……」

 南北斎に続き、二人目の死者が出た。

 徐々に、三年前の事件が今の事件として、顔を覗かせ始めていた。

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