第2話 自慢の姉

 帰宅後、ジャージを脱ぎながら、お風呂場へ直行すると先客がシャワーを浴びていた。


 脱衣カゴにはお姉ちゃんのパジャマがきっちり折り畳まれている。こういうところに律儀な性格の一端が見て取れる。


 六歳年上の「自慢のお姉ちゃん」であるエリサがつやつやの黒髪を濡らしたまま、浴室から出てきた。速乾性のバスマットに水滴がぽたぽたと落ちる。


「はい、お姉ちゃん」

「朝の散歩に行ってきてくれたんだよね。ありがとう」


 バスタオルを渡すと、お姉ちゃんは「サンキュ」と言いながら、あるてぃまの頭を撫でた。


 小、中、高とずっとバスケ一筋で、最高学年では常にキャプテンを務め、点取り屋のエースでもあった姉は、朝練後にシャワーを浴びる習慣がいまだに身体に沁みついている。


 バスケをやっていたときの髪型はベリーショートで、ドライヤー要らずだったけれど、大学生になってからずいぶんと髪が伸びた。シュシュで髪を束ね、ポニーテールにしている姿を見かけると、否応もなく時の流れを感じる。


「お姉ちゃん、髪伸びたね」

「そうだね、邪魔だからそろそろ切ろうかな」


 お姉ちゃんは均整の取れた裸身をほとんど隠すことなく、髪をごしごし拭いている。まるで部活後みたいな恥じらいのなさにバスケをやっていた頃の残り香があって、私の知っているお姉ちゃんがまるっきり消えちゃったわけじゃないと、ほんのり嬉しくなる。


 アリサはこそこそとすっ裸になり、二段になった脱衣カゴの下段に丸めたジャージを投げ入れる。首にバスタオルをかけたまま、仁王立ちで歯を磨いているお姉ちゃんをまじまじと見た。


「……なに?」


 十センチ以上も背の高いお姉ちゃんに、じとりと睨まれた。


「お姉ちゃん、おっぱいも大きくなったね」

「ばーか」


 お姉ちゃんは口をゆすぎながら笑った。


 現役時代は「胸なんてジャマなだけ」と男前なことを言っていたのに、今のお姉ちゃんは、溜息をつきたくなるぐらいに美しい蝶になってしまった。


 すらりとした長身、長い手足、引き締まった肉体、そして大きなおっぱい。


 不細工なパーツがひとつもなくて、五、六年後の自分がこうなるとは到底思えない。レベルが違いすぎると、ジェラシーすら感じないらしい。


「ちょっとさわってみてもいい?」

「ばーか」


 お姉ちゃんはそう言って笑ったけれど、興味が湧いたら試してみなくては気が済まない。


 あるてぃまを手渡してお姉ちゃんの両手を塞ぐと、背後からひしっと抱きついた。たわわに実ったおっぱいを揉みしだくと、お姉ちゃんが「ひゃっ」とやけに色っぽい声をだした。


 一瞬にして顔が真っ赤になり、内股気味になって半立ちになっている。


 羞恥心を覆い隠すように、お姉ちゃんの目がみるみる険しくなった。


 しかし、険しい目つきとは裏腹に、両手から伝わる感触はとてつもなく柔らかかった。


 これをなんと形容していいのか分からないが、とにかく修養日誌に書ける内容ではないのは、たしかだろう。


「お姉ちゃんのおっぱいを触りました。柔らかかったです」なんて書いた日には、担任やクラスメイトからどんな色眼鏡で見られるか、知れたものではない。


「お姉ちゃんもけっこうチョロいんだね。部活ばっかりで男に免疫がないんだし、へんな男にだまされないように気をつけなよ」


 へらりと笑って浴室へ行きかけると、お姉ちゃんに首根っこを掴まれた。


「あーーー、りーーー、さーーーーー」


 お姉ちゃんの左手に抱かれたあるてぃまも、がたがたと震えている。


 犬というやつは家族に序列をつける生き物で、この家の「ボス」がだれであるのかをきちんと把握しているようだ。


 あるてぃまは私を舐めているのか、いきなり背中に体当たりしてきたり、膝の上にちょこんと飛び乗ってきたりする。夜、寝ているときにも無遠慮にお腹目がけてダイブしてくる。


 お姉ちゃんのしつけは厳格で、悪いことをしたらきっちり叱るせいなのか、あるてぃまはお姉ちゃんに対しては、甘えにいくときさえも警戒しながらすり寄っていく。


「寄っていってもいいですか、大丈夫ですか、撫でてもらえますか」みたいな感じで、おそるおそる近寄っていくのを見ると、「おい貴様、私のときと態度が違いすぎだろう」と腹が立つやら呆れるやらだ。


 砂浜でフライングディスクを追いかけていたときは、あんなにも元気よく尻尾を振り乱していたのに、今は「逆らいません、全面降伏します」とばかりにしょんぼりとうなだれている。


 その露骨な忠誠心はちょっとずるいぞと思っていると、お姉ちゃんにグリグリ攻撃をされた。こめかみを拳骨でぐりぐりされ、あまりの痛さに昇天しそうになる。


「お姉ちゃん、ギブ! ギブ!」


 涙目になりながらギブアップを訴えてるのに、お姉ちゃんは素知らぬ顔だ。


 あるてぃまは尻尾をゆっくりと左右に振っている。食糧の尽きた陸の孤島で救援を待ち、手製の白旗を振っているみたいだ。


 本日の修養日誌に書くべき内容は、速攻で決まった。


 あとで覚えてろよ、あるてぃまのばーか。

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