私の憧れの意地悪な先輩

夏目綾

第1話 私の憧れの王子様

「和泉薫、10月4日生まれ。天秤座。B型。身長171cm。体重・スリーサイズは不明。その美しい容姿、ショートの髪型。そして身のこなしから「王子」と呼ばれ学園中の憧れの的。そう・・・私も例外ではないのです。この品行方正狂いなしの私が初めて焦がれた貴女!あぁ!初音の初めての全てを貴女にささげ~ます!!」

カールした髪。ビー玉みたいな瞳の少女が片手を空高く上げて言う。その横で彼女を白い目で見つめる少女。ロングの黒髪。透けるような白い肌。切れ長の瞳。左の目元には泣き黒子が一つ。先ほどの少女と打って変わって思慮深い顔立ちをしている。

「ご説明ありがとう、じゅん。でも途中からの妄想はやめて。」

「えぇ!?なによぉ!!本当じゃないの!!初音!!貴女が毎晩本を抱きしめて・・・。」

「やめて。そういうのじゃないから。」


先ほどから否定を続けるこの黒髪の美少女、名前を涼宮初音という。高校二年生。学年主席で教師からの信頼も厚く非の打ち所がない。だが、凛とした姿から彼女はどこか近寄りがたい雰囲気があった。そして、また生真面目な雰囲気もあった。これには本人も否定はしていない。

それゆえ、同級生から陰ながらついたあだ名は「絶対恋愛無縁美少女」。

これに対しても別に本人は怒る気も否定もしなかった。そう見えているのは仕方ないし、その方が色恋沙汰について何も言われなくていい。


それに対して、少しばかり初音を理解する少女。それは先ほど初音を散々茶化していた松風絢である。彼女はこの全寮制女子校野薔薇学園で初音のルームメイト。初音と同じく高校二年生。寝食を共にすると初音の本来の姿が少なからず見えてくるようで、愛想がない彼女にも嫌な気をせず付き合っている。

本当は、初音は誰よりもロマンチストなことを知っている。

小難しい本ではなく恋愛小説を好んで読んでいることも。そして、彼女の本にまつわる秘密の話も。


「帰りましょう。用事もないのにこんな芝生にいるのも馬鹿みたいだし。」

「あ、何よ!初音が和泉先輩を見たいかなって思ってわざわざここに連れてきたんじゃない!いつも先輩がこの木陰で本を読でいることが多いからって。」

「だから嫌なの。早く帰りましょう。」

文句を言う絢の手を引っ張って初音は彼女を寮へ連れ戻そうとした。


良かった・・・。今日はいなくて。


初音は振り返ると、いつも薫がいる桜の木の下を見つめた。

薫には会いたいようで会いたくない。

薫に会うと嬉しいようで辛い。


「初音・・・?」

「あ・・・いいぇ、何でもない。行きましょう。」


夜。夕食を終え寝る前に初音はいつも本を読む。

恋愛小説を読んで胸を高鳴らせる。全ては絵空事だ。わかっているが、それは初音をひと時の夢の世界へと誘ってくれる。

私も、この主人公たちのように素敵な恋ができたらどれほどいいことか。

なぜなら、大半はその恋は成就するから。たとえ悲恋であってもその想いは必ず美しい。


そして、初音は本棚の奥からぼろぼろになった本を取り出すと、それを抱きしめて目を閉じる。

この本は初音にとって大事な本だ。初音と薫が唯一触れ合った瞬間を繋いでくれた本。

初音は、いつもその本を抱きしめてはあの時のことを思い出す。


高校一年生の春の終わり。

桜も散りかけた頃。初音はお気に入りの本をどこかで読もうと、場所を探していた。

あまりにもきょろきょろしていたので前方を彼女は見ていなかった。

「きゃっ!」

初音は誰かにぶつかって本を落としてしまう。謝ろうと顔を上げると初音は声を発せず固まってしまった。

「ごめんなさい。」

そう先に言ったのは学園の王子で名高い一つ上の先輩、和泉薫であった。

実のところ、初音は入学した時から彼女の高潔な美しさに惹かれていた。遠巻きにずっと見ていた。しかし彼女の顔が今、間近にあるのだ。

薫は落ちた本を拾うと初音に渡す。

「これ、泉鏡花の『外科室』?私も好きな本だわ。」

そう言って彼女は初音に手渡すと二度と彼女を見ることなく去っていった。いや、二度とは間違いだ。本を見ていただけで初音の顔なんて一度も薫は見ていなかった。

しかし、初音はずっと薫を見ていたし今もそのことを忘れることはなかった。

「あなたは、私を知りますまい。」

初音はそんな外科室のセリフを何度もつぶやいた。


それから初音は毎晩、薫が拾ってくれた本を抱きしめながら彼女を想っていた。

薫はかっこよくて美しい。それはまるで初音が本で読むヒロインを愛してくれる男性の様。

でも彼女は女性なのだから、それよりもっとかっこよくて美しい。

清く美しくそして、きっと優しい。

薫は初音の理想。まさに「王子様」であった。


学校ではそんなそぶりを全く見せないクールな初音。

だが今日も夢見心地で本を抱きしめる彼女を見て、絢はくすっと笑うのであった。


しかし、そんな夢見がちな初音の想いが崩れる日がついにやって来た。

それはある日の放課後。夕日が眩しく差す放課後。


初音は図書室から本を借りていたことを思い出した。期限は今日までだ。

「遅くなってしまったけれど、まだ図書室は開いているかしら?」


初音は走って図書室へ向かう。急がなければ閉まってしまう。

急がなければ初音は絶望することもなかったのに。


図書室の扉に手をかけると開いている。

「よかった、間に合った。」

初音は夕日差す図書室へ足を踏み入れた。

すると、窓際で何か音がする。

「・・・?」


ガタリ。

いや、それは音だけではない。声もする。

初音は目を細めながらその音と声がする方をのぞき込んだ。


「あ・・・。いやっ・・・あ・・・。」

「じゃあ、やめる?」

「やめない・・・で、もっと・・・あっ・・・あ・・・。」


なにをしているの?


「・・・!?」

全てを目にした瞬間、初音は両手で口を押えてその場に座り込む。

夕日に照らされた窓際には女生徒が二人いた。

一人はブレザーを脱がされリボンはほどけ、シャツの下の胸は露わになっている。

スカートだって滅茶苦茶に。

もう一人もリボンは下に落として胸こそは見えていないがシャツを大きく開襟させている。片手ははだけた少女のスカートの中。

そして、初音が見たことのないような口づけを繰り広げている。


信じがたい行為。いやそれよりも、信じがたいことは・・・。


「和泉・・・先輩?」


そこにいたのは、初音が恋焦がれてやまない美しい和泉薫であった。


初音に気づき、薫に攻め立てられている女生徒は服を慌ててなおす。

薫はというと、ゆっくり顔を上げて初音を見つめた。


こんな認識のされ方ほど惨めで悲しいものはない。


初音は瞳に大粒の涙をためながらその場から走り去った。


残された薫は腰に手を当ててため息をつく。

「困ったわね。刺激が強すぎたのかしら?」

そして薫は「うーん。」と唸ったのであった。


初音は泣きながら廊下を走る。


あんな薫は見たくなかった。

あんなのは薫ではない。

薫は、どこまでも高潔で美しくて・・・かっこいい薫なのだ。王子様なのだ。

どんな恋愛小説に出てくる男性よりも。

汚れることなんてしない。決してしない。

甘く、優しく、清廉で。


初音の恋心は、憧れは、理想は・・・粉々に打ち砕かれた。


一心不乱に走り続けていた初音は、気が付くとあの桜の木の下にやってきていた。

そして、声を出して泣く。

学年主席「絶対恋愛無縁美少女」の名が笑う。

恋愛を大いにした結果、大失恋。美少女は顔をぐちゃぐちゃにして泣いている。

主席がなんだというのだ。一番馬鹿だ。誰よりも馬鹿だ。

勝手に想像して勝手に打ち砕かれて。


「ねぇ、何をそんなに泣いているの?」

びくりと肩を震わせ、初音が恐る恐る振り返るとそこには和泉薫が立っていた。

何も言えず、ただただ泣いていると彼女は初音に近づいて、そっと彼女の涙を指で拭う。

今度薫は初音の涙を口づけで拭った。そして舌で彼女の泣き黒子をなぞる。


「泣き黒子のある子って、すぐ泣くの。知ってた?」


信じられない薫の行為に初音の涙は止まる。


「でも・・・泣いているのは、きっと私のせいなのね。」

こんなことで声をかけられるなんて、理想の筋書きと全く違う。

初音は何も言えずにいると薫の顔はますます近づく。


「ごめんなさい。私もこんな風に泣かれる再会はあまりしたくなかったわ。」

初音は震えながらも何度も首を振る。


ただ泣きながらも引っかかった言葉は『再会』どういう・・・。


考える暇もなく薫はポケットからメモ帳を出してきて胸にさしてあるペンで何やら殴り書きする。

そしてそれを初音に差し出した。


「はい、これ。お詫びよ。」

初音は震える手で受け取る。

「これは・・・?」

そこには薫の連絡先が書いてあった。

何をしたいのか分からないまま初音がじっと薫を見つめていると、彼女は微笑んだ。


「だから、お詫びよ。私、貴女が思っている以上に貴女のこと気にしているのよ?だから、お詫びに何でもしてあげようと思って。」

「え・・・?それはどういうこと・・・ですか?」

「それは教えてあげない!」

薫は聞く耳を持たない。背を向けると初音に手を振って去って行ってしまった。

「じゃあね、泣き虫の女の子。連絡、待ってるわ!」


お詫び?

何でもしてあげる・・・?


ただ、そっと憧れていたかっただけなのに。

憧れの先輩に酷いことを言われて、そしてこんなことをされて。


「こんなこと望んでない。」


初音はメモを握りしめながら、また涙を流したのであった。

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