第25話 牧氏事件と足利一族(1)

 みなもとの義国よしくにの子義重よししげは、里見義俊よしとし、山名義範よしのり、新田義兼よしかね世良田せらだ義季よしすえ額戸ごうど経義つねよしと息子がいるなかで、義兼とともに新田に住むことになります。


 義兼のお母さんは「大和源氏」の出身で、お母さんの身分が高かった。だから義兼は最初から嫡男(本家の跡継ぎ)と決められていて、「本家の子なんだからお父ちゃん(とお母ちゃん)といっしょに住みなさい!」と……。

 で、大和源氏って?

 清和源氏は摂津源氏、河内源氏、大和源氏と分かれます。

 足利氏と新田氏を含む足利一族はこのうちの河内源氏に属します。

 河内源氏は関東に大きく発展しますし、摂津源氏も伊豆国や下総国(千葉県北部など)に権益を持っていました。

 しかし大和源氏は関東には勢力を持っていません。

 したがって、この奥さんとは、義重さんが京都に行ったときに京都で結婚したのでしょう。

 義季も同じお母さんの子のようです。歳が下なので本家の跡継ぎにはなれませんでしたが、本家の近くの世良田に本拠地を置いたのはその血筋の近さからでしょう。江戸将軍徳川家はこの世良田義季の子孫と称しています。

 兄の里見義俊と山名義範が、義重がもともと住んでいた八幡やはた荘方面を「名字の地」としているのに対して、義兼とそれより歳下の義季、経義は現在の太田市の近くを「名字の地」にしています。

 お兄ちゃんだけど嫡子ではない二人にもともとの本拠地を譲って、本家が開発中のニュータウンに引っ越したんですね。

 なお、世良田義季よりも下の弟の額戸経義の本拠地は現在は「強戸ごうど」と書き、現在の東武桐生線治良門橋じろえんばし駅周辺です。

 本家のお父さんが新田に住んだので、この兄弟から続く家系の全体が「新田氏」になったというわけです。


 本家を継承した新田義兼には息子が一人と娘が一人いました。

 ほかにもいたかも知れないけど、いたことが確実にわかるのはこの二人のようです。

 男の子は義房よしふさという名まえで、祖父の義重も父の義兼も存命しているあいだに亡くなってしまいます。

 義重と(新田)義兼のもとには義房の男子が遺されました。この子がやがて足利政義まさよしと名のります。


 新田義兼の娘のほうは足利氏の足利義兼の息子である足利義純よしずみに嫁ぎます。

 旦那のお父さんも義兼さん、奥さんのお父さんも義兼さん。

 本人たちはややこしくもなかったでしょう。当時は対外的には本名では呼ばれず、通称(太郎、次郎、三郎など。ちなみに私は「六」であって六郎ではない……って、どっちでもいいな)や官職名で呼ばれましたので、混同されることもなかったのでしょうけど。

 でも、後世の私たちにとってはややこしい!


 さて、1205年、まき氏事件という事件が勃発します。北条氏をめぐって起こった事件ですが、この事件が足利氏・新田氏にも影響を与えます。

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