piece 11. テイクアウト

 葵は今日、棗累の弟が入院していた病院に来ている。

 自分の通院ではなくお見舞いだ。


 「向日さん。もういいですよ。ここに来ても良い事はないでしょう」


 心配そうに声をかけて来たのは四十代後半に見える男性で、葵が見舞っているのはこの男性の妻であり、棗累の母親だった。


 「引っ越すとうかがいました。大学も転校すると」

 「はい。私より大学側が無理みたいです」

 「申し訳ありません。妻と息子のせいでこんな……」

 「いえ。経緯はどうあれ、私が先輩を弟さんから引き離してたのは本当ですから」


 葵はにこりと微笑んだ。

 棗累の父は申し訳なさそうに唇を噛み、申し訳ありません、ともう一度呟いた。


 「どうしてそんな優しくして下さるんですか。名誉棄損で訴えられても仕方ないと思っているんです」

 「そうですね。でも私二つ約束したから」

 「二つ?」


 葵は鞄からガラス瓶を取り出した。

 そこには星屑の浮かぶミルクティが入っている。


 リゼにオーダーを求められたあの時、葵はその手を取らなかった。



 「廃棄せず食べる事はできますか?」

 「食べてはいけないわ。一度消化したらもう取り出せない。あなたは一生辛い想いをする事になる」

 「食べる事はできるんですよね」


 オーダーケーキは葵の辛い気持ちだ。

 それと食べるという事は再びあの陰鬱とした気持ちが染みわたるという事なのだ。

 けれど葵はその辛さを捨てる事は出来なかった。その理由は棗累との約束だった。


 病院で争ったあの後、累と少しだけ話をした。


 「なあ、迷惑ついでに頼んでもいい?」

 「はい!何でも!」

 「また見舞いに来てくれない?そんで俺が大学でちゃんとやってるって話して欲しいんだ、母さんに」

 「お母さんにですか?弟さんじゃなくて?」

 「俺が結を優先するから大学でちゃんとやってるか心配しててさ。大丈夫って言ってもあの調子なんだよ。けど第三者が言えば信じるだろうし」


 葵はすっかりあの母親を憎らしく思っていたけれど、本人は困りながらもその心配を有難く思っているようだった。

 それでも一番大事な弟を後回しにする選択が存在する事自体は許せないだろうし、ならば母親の言う事に唯々諾々と従う事はできないのだろう。

 けどそこに一言添える事で家族が円満になるなら、それを任せてもらえるのは嬉しかった。


 「分かりました!先輩の武勇伝ならいっぱい知ってます!任せて下さい!」

 「武勇伝?何それ」



 あの時葵がお祭りに誘わなければ、あの時母親が余計な事をしなければ。

 そう思う気持ちはある。そうすれば葵が犯人扱いされる事はなかったのだ。

 それでも彼は母親の事も大事に思っていたし、追詰めたりせず円満である事を望んでいた。


 「先輩と約束したんです。自分の始末は自分でつけます」


 葵は毅然とリゼを見つめ返した。

 自分でオーダーケーキを廃棄すれば記憶は残り辛い気持ちだけ消える。そして土地を移れば何も無かった事になる。きっとそれが良いのだろう。

 それでも葵は家族を想いながら消えてしまった棗累との時間まで消してしまいたくはなかった。


 「食べたら一生消えない心の傷になるわ」

 「なりません。だって傷じゃなくて想い出だから」

 「今そう思えるのは生クリームを取り出しているからよ。食べたらまた辛い記憶に支配される」

 「なりません。リゼさんと過ごした記憶も残るんだから」


 リゼはこの数日で辛い日々を塗り替えてくれた。

 記憶と辛い気持ちがあっても、新しい何かに出会って変わっていく事はできる。

 葵は決心したけれど、それでもリゼは悲しそうな顔をしていた。いつも微笑んでいるリゼが初めて見せた表情だった。


 「……決めるのはあなただものね」


 リゼはすうと深呼吸して目を閉じて、改めて葵を見つめた。


 「オーダーは?」

 「テイクアウトで」


 リゼは何も言わなかった。何も言わず、ゆっくりと目を閉じながら杖を掲げた。

 すると杖から零れる星屑が棗累を象った生クリームを包み込み、リゼは踊るように杖を振り続けた。

 少しずつ生クリームは溶けていき、幾つかの瓶ケーキになっていく。そして星屑はリボンになり自らラッピングのために踊った。

 そして、プレゼントのような瓶ケーキが五つ完成した。


 「ホールケーキじゃないんですか?」

 「食べられないと思ったら溶かしたらいいわ」


 リゼがくれたのはミルクティの入った瓶だった。

 ケーキが小分けになっていれば、途中で食べるのをやめる事もできる。


 (これを食べれば私は一生この苦しみを抱えて生きる)


 リゼはまだ悲しそうな顔をしていた。

 オーダーケーキは食べてほしくない、とその表情が語っている。

 けれど、葵はいつものリゼのようににこりと微笑んで返す。


 「私一生忘れません。一生リゼさんを思い出します」

 「……約束してちょうだい。オーダーが必要な時はここに来るって」

 「はい。約束です」


 リゼはぎゅうっと葵を抱きしめてくれて、そして葵はオーダーケーキを持ってLizetteを後にした。


*


 「二つの約束とは何です?」

 「またケーキを食べようねって約束です」


 葵はにこりと微笑んで、リゼがしたように累の母の頬に触れる。


 「先輩の武勇伝いっぱいあるんで、早く起きて下さいね」


 彼女からは何の答えも無かった。けれどその代わりに夫が有難うと答えてくれた。

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