piece 6. オーダーケーキの廃棄は記憶の廃棄

 翌日、約束通り店へ行こうと着替えて部屋を出た。

 リゼの可愛らしい服に触発されて、フリルとレースがあしらわれたワンピースを選んだ。


 「お母さん。ちょっと出かけてくる」

 「え!?あ、ええと、どこに?」

 「昨日のケーキ屋さん。また行く約束したから」

 「そう、そうなの。随分気に入ったのね。気を付けて行ってらっしゃい」


 母は今まで見た事の無い笑顔を見せた。

 この半年引きこもっていた娘が自主的に外へ出る事を喜んでいるのだろう。

 今まで自分の事ばかり考えていて母の心配に気付きもしなかった葵は、リゼのようににこりと微笑んで家を出た。


 そして人目も気にせず大通りを抜け、足早にLizetteへ駆けこんだ。

 店内ではリンがテーブルを拭いている。生クリーム付けになったべとべとが取れていないようで大きなため息を吐いていた。

 しかしあの華やかで賑やかなお姫様の姿が見当たらない。


 「リゼさんどうしたんですか?」

 「所用で出てる。今日の捜索は私と二人だ」


 リンは腰に巻いたロングエプロンを外すと、オーダーケーキの柱の足元にある棚から短剣を取り出した。

 この前は長剣だったが、あれを外で振り回すわけにはいかないだろう。短剣でも銃刀法違反にはなるだろうが、そんな常識がこの店に通じるのかは疑問だ。


 「リンさんはどうして生クリームと戦えるんですか?」

 「訓練したからだ」

 「あ、えっと、スパって二つに切ったじゃないですか。液体なのに何でかなって」

 「訓練したからだ」

 「……はい」


 リゼがいる時も言葉数は少なかったし、意気揚々と会話を楽しむタイプではないのだろう。

 表情を崩さず何の説明も無く、二人で静かに店を出た。


 そして昨日と同じようにしばらく歩いて回ると、昨日と同じく道行く人の目線はリンに注がれた。

 特に若い女性はきゃあきゃあと叫び声をあげ、芸能人かな、と聴こえる程度のヒソヒソ越えで囁き合っている。

 そんなリンと二人で歩いている事に若干の優越感を感じた。


 (いや、そんなはしゃいでる場合じゃない)


 リゼとリンは強すぎるインパクトと魅了する容姿をしているので、ついそちらに気が取られてしまう。

 殺意を向けられている事もまるで嘘のように感じてしまうが、ぐいっとリンが自分の背に葵を押し込んだ。


 「何ですか?」

 「奴が出て来た。下がっていろ」


 ぴょこりとリンの後ろから顔を出すと、細い路地に生クリームが蠢いている。

 人の姿は無く、何故かそこから出てこようとはしない。


 「襲ってこないですね」

 「殺意を向けているのが人間ではなくあの場所なのかもしれないな」

 「そんな事あるんですか?」

 「さあ」


 全く答える気が無いようなそっけない返事だ。本当にリゼ以外には興味がないのだろうか。


 「逃げるぞ」

 「え?」

 「こちらに気付いた。肉体を持たない生クリームは肉体を手に入れるために襲ってくる場合がある」

 「えっ!?」

 「走るぞ」


 リンは葵の回答は待たず腕を掴んで走り出した。

 足の長さが違いすぎてリンのスピードに付いて行けず、あっという間に息が上がる。

 ひいひいと呼吸を荒くしながらぼてぼてと走ると、リンは脚を止め短剣を抜いた。


 「た、戦うんですか」

 「君の速度では追い付かれる。切って動けなくした方が良い」


 後ろから生クリームが追って来ていた。

 それは確かに葵が走るよりもうんと速くて、あと数秒すれば追い付いてくるだろう。

 リンは葵を置いて生クリームに向かって行った。普通なら切れる物ではないけれど、そんな常識は無視してリンは生クリームを切って捨てた。


 (訓練したって液体は切れないよね。リゼさんもだけど、ほんとに魔法みたい)


 リンの剣が通った場所は、どこからともなく星屑が溢れていた。

 星屑はリゼの杖と同じようで、よく見ればそれを浴びた端から固まっていくようだった。

 一体どういう事なんだろうと不思議に思っていると、ぽとりと何かが落ちて来て葵の頬を霞めた。頬を濡らしたそれは甘い香りのする生クリームだった。


 「……え!?」


 慌てて上を見ると、生クリームが二本の電線をまたいで乗っかっていた。

 このまま落ちてきたらきっと押しつぶされて死ぬだろう。

 葵はぽたぽたと滴り落ちてくる生クリームを浴びながら後ずさるけれど、それに合わせて生クリームも移動している。

 そしてついに生クリームはずるりと電線から落ちてきた。


 「きゃあああ!」


 頭を抱えてしゃがみ込むと、ぐいっと後ろから引っ張られた。

 後ろからも生クリームがやって来たのかと暴れたけれど、聴こえて来たのは女性の声だった。


 「落ち着いて。私よ」

 「リ、リゼさん?」

 「ごめんなさいね、遅れて。怪我は?」

 「無いです。べたべたになりましたけど」

 「帰ったら洗いましょ。これは実体に近いから蟻が湧くわ」

 「そういえばどうしてこれ触れるんですか?私の家のは触れないんです」

 「もうすぐ賞味期限が切れるからよ。あなたの生クリームもいずれこうなるわ」

 「賞味期限て、だって食べないんですよね」

 「食べないだけで食べる事はできるわ。でも食べるかどうかは本人次第。食べたら食べたなりの結末が待ってるわ」


 このクリームはオーダーケーキの材料となる殺意で、オーダーケーキはそれを形に仕上げた物だ。

 ならばそれを食べたら殺意を取り込むという事ではないのだろうか。


 (殺意を食べたっていい事ないじゃない。そんなの待たずに捨て――……あれ?引き取られなかったらどうするんだろ)


 保管期限があるという事は、保管が終わる日がくるという事でもある。

 リゼはくたびれた女性に「その間に願いが叶う事を祈っています」と言っていたけれど、それが彼女の言う結末なのだろうか。

 よく分からないな、と葵が首を傾げいてる間にリゼはいつものようにオーダーケーキを作り、瓶ケーキになったそれに星屑のラッピングを終わらせていた。


 「それまた保管するんですか?期限過ぎたらどうするんです?」

 「もちろん廃棄よ」

 「廃棄……?あ、もしかして殺意が無くなるんですか!?」

 「そうだけど、一緒に記憶も無くなるわ」

 「記憶?それは殺意を持っていた記憶をって事ですか?それとも殺したい相手ごと?」

 「全部よ。相手も自分も生きてきた全て」

 「……え?じゃあ先輩の生クリームを捕まえて捨てたら、先輩も全部忘れるって事ですか……?」

 「あなたはどうしたいの?」

 「私?」


 リゼはふわふわとした手のひらで葵の頬を撫でた。

 それはまるで母親が赤ん坊をあやすような手つきだ。


 「方法は二つあるわ。一つは今みたいに、賞味期限が切れて実態化するのを待って私達が廃棄。そうしたら生クリームを出した本人は殺意も記憶も消える。もう一つは生クリームを生み出してた本人が廃棄。そうすれば殺意だけが消えて記憶は残る」

 「つまり先輩が自分で廃棄しないと私は忘れられるって事ですか……」

 「そう。でもお勧めは私達が廃棄ね。記憶が残れば殺意は何度でも蘇るから」

 「でも先輩は私を忘れるんですよね……」

 「覚えていても良い事はないわ。彼は辛いしあなたは殺されるし」


 それはそうだろうけれど、なら記憶を消しましょうと即決できる物ではない。

 自分を含めて人生全てを忘れるという事は、命は助かっても自分は消えて死んだようなものだ。それは助かったと言えるんだろうか。

 葵に関しては助かるのだろうが、それは棗累を殺して生き延びるようなものだ。


 「まあ、今すぐ決める必要はないわ。でもどうするかは考えておいてちょうだい」

 「……今日はもう帰ります」

 「そうね。疲れたわよね。家まで送るわ」

 「いえ、大丈夫です。一人で帰ります」


 葵はリゼの優しく温かい手を振り払い、ふらふらと漂いながらその場を去った。

 その危うげな背を見送りながら、リゼはにこりと微笑んだ。


 「……そろそろオーダーが決まるかしら」

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