第6章-⑤ 暴勇、暴威、暴虐

 ミネルヴァ暦1395年9月22日。

 チャン・レアン将軍を大都督、トゴン老人を参謀とする44,500の大軍が、王都トゥムルを進発した。オユトルゴイ王国北部は夏は蒸し暑く、冬は寒気の厳しい土地柄だが、この季節、酷暑がようやく和らぎ、軍事行動に差支えがないとして、大動員にいたった。

 その軍勢は騎兵が中心で、特にチャン・レアンが自ら率いる鉄騎兵8,000は、王国最強の部隊と呼び声が高い。実際、チャン・レアン個人の並外れた武勇もあって、その部隊の士気は高く、戦場では勇猛に働くことであろう。

「だが無意味だな」

 遠征軍の兵力や陣容を察知したブリストル公国軍幹部の反応は冷ややかであった。なぜ無意味かといえば、戦場は原野ではなく、大河だからである。原野の戦いなら、チャン・レアンの鉄騎兵は無類の強さを誇るであろう。鉄騎の機動力、突進力、制圧力、攻撃力を遺憾なく発揮できるからだ。だが大河で軍船を操り水戦の妙を競うなら、騎兵は何の役にも立たない。水上戦には水上戦ならではの動きや戦い方というものがある。兵の数は劣っても、強大な船団と熟練の水兵を持ち、河川での戦いに絶対的な自信を持つブリストル公国軍からすれば、王国軍の意図はまさしく児戯としか思えない。

 正面からヨーク川を渡ろうとする限り、王国軍がいくら不退転の決意で挑んでこようと、これを跳ね返すのは造作もないことなのである。

 オユトルゴイ王国とブリストル公国の境界線を北から南に流れるヨーク川は、バブルイスク連邦のヴォストーク山脈を水源とし、全長は1,170km。長さも大陸有数の大河だが特にその幅たるや巨大で、両国の国境付近では幅5kmないし10km程度、スンダルバンス同盟領の河口幅は40kmにも達する。

 この大河にブリストル公国は大小800そうもの軍船を浮かべ、常に国境を監視している。陸では数で劣る公国軍は王国軍の敵ではないが、水上戦ではその優劣は逆転する。王国軍は長きにわたり幾度も公国への侵攻を企図してきたが、ヨーク川を渡りきる前に公国水軍に捕捉され、その都度、大打撃を受けて敗退した。いわばヨーク川は公国軍にとって天然の要害なのである。

 この河畔にチャン・レアンの将旗をはためかせた大部隊が到着し、勇んで水軍の調練を始めた時も、やはり公国軍で真剣になって心配する者はなかった。

 それだけ、ヨーク川は公国軍の心理に絶対の防壁として映っていたのである。

 10月が過ぎ、11月も越え、晩秋の落ち葉が消えてからも、飽きることなく王国軍は水軍の調練に励んでいた。通常、強力な水軍を育成するには短くとも3年はかかるという。川の戦いは、陸上は無論、海の戦いとも異なっていて、船の操縦、不安定な足場、川の流れの速さ、浅瀬の場所、敵味方の距離感、通信手段、弓矢による遠距離戦、船同士の接近戦、会得すべきことが数多くある。

 専守防衛が方針の公国軍は対岸にあって、王国軍の調練する様を眺めて暮らした。

 そのなかには、客将のウリヤンハタイもいる。

こらえ性のないチャン・レアンが、何年も水軍の調練なんぞで時を費やすものか」

 今は互いに仇敵としてたもとを分かったが、かつては戦友であり盟友だった者として、チャン・レアンの長所も欠点も、そして真価を知ること、彼以上の者はいない。そして彼のように、王国軍が気長に水軍の準備に時間をかけるはずがない、と疑った者がほかに誰もいなかったことが、公国軍の悲劇であった。

 ウリヤンハタイの警告は、無視された。亡命者の悲しさである。

 この調練の期間、チャン・レアンとその麾下きかで最精鋭と言われる鉄騎8,000は、少数の梯団に分かれ、毎日少しずつ、目立たぬようにヨーク川を南側、すなわち下流へと向かっていた。ヨーク川は中流をブリストル公国とオユトルゴイ王国に挟まれているが、下流はスンダルバンス同盟とオユトルゴイ王国の境界となる。

 彼らはスンダルバンス同盟を経由し、快速の鉄騎兵軍団で対岸の公国軍陣営を奇襲し、味方本隊を呼び込んで国境線を突破する計画を担っている。今や王国軍随一の軍師となったトゴン老人の知恵である。

 迂回作戦の開始に先立って、トゴン老人はスンダルバンス同盟の王侯のひとりイシャーンのもとを訪れた。スンダルバンス同盟は統一国家ではなく、四人の王侯が互いに自治権と不干渉権を持ち、強固な軍事同盟を結んで支え合う一種の連合体で、イシャーンはその一角ということになる。彼の領地は同盟領でも最も東側に位置し、つまりはオユトルゴイ王国とブリストル公国の双方に隣接している。

「イシャーンに領内通過を黙認させ、密かにヨーク川を渡ることさえできれば、あとは同盟領から公国領へ雪崩のように侵攻して、全土を蹂躙じゅうりんすることできる」

 イシャーンは野心家だ。いずれは連合体でしかないスンダルバンス同盟を平らげて、自ら統一王朝の王として君臨したいという密やかな望みがある。そのために、オユトルゴイ王国に貸しをつくってその後ろ盾を得れば、この上ない力となる。

 領土通行権を得たい王国側と、一時的に通行権を認めることで後日の支援を約束させたいイシャーンとで、利害は完全に一致し、今回の迂回作戦についての密約が成立した。

 チャン・レアンの鉄騎兵軍団はミネルヴァ暦1395年12月20日の夜陰にまぎれてヨーク川をスンダルバンス同盟イシャーン王領へと渡った。かねてからの約束の通り、昨日まで配置されていた国境の警備部隊がごっそりと姿を消している。

「してやったり」

 チャン・レアンは快哉かいさいを叫び、精鋭の鉄騎兵軍団を率い北上した。スンダルバンス同盟とブリストル公国の境界線にも警戒線は敷かれているが、ヨーク川沿岸に比べればその規模も練度も比較にならない。由来、同盟と公国とは政治的にすこぶる良好な関係を築いてきたからである。

 疾風のように駆け、まずヨーク川沿岸の第一の陣営を壊滅させ、第二の陣営を粉砕し、第三の陣営に突入して混乱に陥れると、それを今かと待ち構えていた遠征軍本隊が船団のいかりを上げ、強行接岸して続々とヨーク川西岸へと上陸した。

 上陸してしまえば、公国軍は奇襲で混乱している上に、陸上の戦いでは規模も強さも王国軍に及ばない。

 龍将ウリヤンハタイはヨーク川沿岸第四の陣営にあって、一度はチャン・レアンの猛攻をしのいだものの、逃げ腰になっている公国兵を指揮して守りきるのは不可能と判断し、抗戦をあきらめて公国首都のカンタベリーを目指して落ち延びた。

 ブリストル公国は国土の広さ、人口の多さ、経済的規模、軍事的規模、全てにおいて大陸七ヶ国のうち最も弱小である。隣接するオクシアナ合衆国、スンダルバンス同盟、バブルイスク連邦とは友好関係を維持する一方、要害たるヨーク川を挟んだ王国とは紛争状態が続いていた。しかしそのヨーク川を突破された以上、単独では王国軍の侵攻に対抗しえない。

 公国は背後のオクシアナ合衆国へと救援を求めた。もともと軍事同盟などを結んでいたわけではないが、王国がブリストル公国を吸収すれば、合衆国にも脅威が及ぶこととなる。

 合衆国大統領であるアーサー・ブラッドリー大統領はこの申し出を了承し、ベンジャミン・グラント大将を主将、カイル・フェアファックス中将を副将とする28,000の軍を組織して増援軍の派兵を決定した。

 だがチャン・レアンは攻勢を休めることなく、途中、いくつかの都市を攻略しつつ、10日間のうちに200km以上を走破して、公国首都カンタベリーを直撃し、激戦数時間で宮城きゅうじょうを陥落させてしまった。合衆国軍がまだ公国領内に入ることもできぬうちに、ブリストル公国は城下の盟を誓わされたのである。

 自領内に侵入を許してから、わずかひと月足らずで降伏の文書に調印したことになる。

 チャン・レアンの勇名と王国軍の屈強さは、大陸中に鳴り響いた。同時にその軍の暴虐ぶりも喧伝けんでんされ、世界は恐怖におののいた。

 王国軍はカンタベリー宮殿を陥落させたあと、市街へと侵入し、三日三晩にわたって略奪と破壊と殺戮をほしいままにした。カンタベリー市民は当時、30万人から35万人程度の人口であったと推測されるが、その7割は難民となって市外へ逃亡し、残る3割、すなわち10万人ほどが王国軍によって虐殺され殲滅せんめつされたという。気候の安定した山紫水明の地であることから「光の都」と呼ばれてきた歴史のある街が、わずか72時間で消滅したことになる。

「王国兵は猛禽もうきんのように娘を奪い、虎狼のように民を殺し、象のように家屋をなぎ倒した」

 と、幼少ながら難民の群れにまぎれスンダルバンス同盟へ流れた、のちの科学者ビリー・ハウエルは回顧録に記述している。王国兵は5名から10名ほどの班に分かれてカンタベリー市街に散らばり、家屋に押し入って財産や家財道具を奪い、娘を捕らえて通りに引きずり出し、家族の前で凌辱した。公国兵はおろか無辜むこの市民も構いなく槍で突き殺され、死体の山は火をかけられて焼き尽くされた。カンタベリーの西に流れるペイズリー川には王国兵から逃げ惑う市民が飛び込んで数万人の溺死者が発生した。市内からも血が川のように流れ、それがペイズリー川に流れ込んで、赤黒く濁った。

 時は冬だが、うずたかく積まれた遺骸からは腐臭が風に乗り、焦げた人肉や炭化した家屋のにおいと混ざって、宮殿の中にいてさえも息が苦しくなるほどであったとされる。

 王国軍は征服する先々で、ことごとく都市を破壊していった。彼らは敵地を手中にしても、その地を自文明に取り込んで自らを肥え太らせようとはせず、焦土に変えていった。彼らにとって文明とは奪い吸収するものではなく、破壊し灰燼かいじんに帰すべきもの、と解釈しているかのようであった。

 だが一方で早期に降伏すれば、破壊はしない。そのため、公国の降伏後も敗残兵を受け入れ徹底抗戦を期していた他都市も、多くの避難民から首都の有り様を聞き、押しなべて戦意を失い従属を表明した。

 公国侵攻のきっかけともなったウリヤンハタイは、腹心ら数騎とともに追跡から逃れ、公国北部のヴォストーク山麓の沼沢しょうたく地帯へと逃れ行方をくらました。

 チャン・レアンは肝心の宿敵の行方を見失ったものの、ブリストル公国を滅亡させ征服の実を挙げたことで満足し、執拗な反王国派残党をおおむね平らげてからは、占領行政の最高司令官として美酒や美食、女や音楽などを賞味しつつ、有頂天の日々を過ごした。

 翌ミネルヴァ暦1396年3月には部下のファン・チ・フン将軍の提言で、旧ブリストル公国領全域から奴隷兵を徴兵し、占領軍の麾下きかに組み込んだ。奴隷兵団は各都市ごとに強制的に連れ去られ、裏切れば出身都市を焼き尽くすと脅されたから、誰もが従わざるをえない。時に、なお散発する抵抗運動の鎮圧に駆り出されて、同胞同士で殺し合うこともあった。戦闘は奴隷兵団を使い、片付けば都市に突入して略奪、強姦など勝利の果実はすべて王国軍がむさぼるのが常となった。

 この奴隷兵団を吸収した時点で、チャン・レアン配下の士卒は8万を超え、これは言うまでもなく、単一の武力集団としては大陸最大の規模である。

 6月7日。抵抗運動も一掃され、占領地の治安も回復したと判断して、大都督たるチャン・レアン将軍と軍師トゴン老人は、王都トゥムルへ凱旋することとなった。

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