第3章-② 探索命令

 一晩を自室で休養して、プリンセスはすっかり疲れがとれたのか、早朝から馬場に出た。

「アミスタ、今日も走りましょう」

 無論、エミリアもそのそばにぴたりとついている。彼女はもはや近衛兵ではなかったが、黒のチョハをまとっている。彼女以上に、この近衛兵の正装が似合う者はいない。

 片腕でも、乗馬はできるのか。

 最初は苦労したが、運動センスの非凡なエミリアは、すぐに要領を得てしまった。乗馬は彼女らの日課で、特にプリンセスが愛馬のアミスタを手に入れてからは、朝から日が暮れるまで広い馬場をともに駆け回ったものである。

「ともかくプリンセスもマルティーニ兵団長も、ご壮健で本当によかった」

 馬場に設置された休憩所で、アンナがひとりごちた。

 既に三十路みそじを迎えている彼女は、征旅の疲労がまだとれず、全身に鈍い痛みがあるが、プリンセスの新しい世が始まるとあって、気分はいたって充実している。プリンセスを支持する者はこの時期、同じ精神的高揚や期待感を共有していることであろう。

 遠征に同行した近衛兵団は、全員に一日の休暇が与えられていて、彼女もその対象だったが、あえてその厚意を返上して護衛任務に就いている。この日、宮殿を警備しているのはアンナと遠征期間に宮殿に居残っていたフェリシア百人長以下100人のみである。

 しばらく乗馬の様子を見守っていると、後ろから「アンナ」と声をかけるものがあった。近衛兵団においては、エミリアが兵団長を退任して以後は、彼女をこう呼ぶ者は一人しかいない。

「兄さん、来てくれてありがとう」

「いや、どうせ暇な身だ」

 アンナの兄、アンドレアが自嘲気味に笑った。彼は近衛兵団の十人長で、戦役中はフェリシア百人長に従い、レユニオンパレスで留守番をしていた。この人事を聞いたとき、彼は自らの不運を嘆いたものである。宮殿に留まっている限り、戦功を挙げることはできないからだ。

 王宮における女王一家及び国賓の警護、王宮の警備と防衛を管轄する近衛兵団には、ロンバルディア教国という代々女性が王となる国ならではの特殊な慣習があり、百人長以上の幹部は全員女性とされている。百人長ともなると女王や王女と直接、接触することが多く、これほどの地位に男性を就けることは、王家の神聖性を保つ上でさわりがあるからである。

 十人長以下は無論、男性がほとんどである。近衛兵団は通常、宮殿を固く守るのが任務だから、功に恵まれる機会というのはまずない。

 その意味では今回の叛乱軍征討が絶好機で、アンドレアも腕をしていたところ、彼の部署は居残り組となった、という次第である。

 近衛兵団のなかには戦役で際立った功績を残した者が少なからずおり、なかには他師団へ百人長として転任することが内定していたりと華やかなものだが、アンドレアは当然、そうした動きとは無縁なので、妹としてはすまないという気持ちが多分にある。

 もっとも、残留部隊の選抜は彼女に代わってヴァネッサ近衛兵団副団長代理が行っていたし、個人的武勇も指揮能力も人並みに過ぎぬこの兄では、どれだけの武勲を立てられたかは疑問ではあったが。

「実は、プリンセスから極秘の任務を与えるに足る者はいるか、心当たりを尋ねられて。そこで、私は兄上の名を」

「極秘の任務とは」

「プリンセスの暗殺未遂事件、そこに居合わせた市民の捜索」

「暗殺の真相を確認しようと?国を二分した内乱も終わり、そのようなものは人手をかけるだけ無駄だろう」

「少し、事情があるの」

 アンナはその事情とやらを細かく説明した。

 第二師団が放った刺客によるカルディナーレ神殿参道での襲撃、そこからエミリアをはじめとする近衛兵団はプリンセスを護衛しつつ逃走を図ったが、山林を駆け回るうち、味方は散り散りとなり、ついに暗殺者の凶刃がプリンセスを捉えた。エミリアが己の左腕と引き換えに辛うじてプリンセスを守ったのだが、さらに刺客が迫ってきた。

 エミリアの腕を射抜いた刺客の矢には毒が塗られていたため彼女はついに昏倒して、プリンセスは護衛を全員失った。

 その時、見知らぬ盲人が一人、プリンセスと刺客のあいだに立ちはだかったという。

 一瞬、感じたことのないような浮揚感に包まれて、すぐあとには三人の追っ手がすさまじい悲鳴とともに転がっていた。彼らはすぐ近衛兵団に捕縛されたが、いずれも発狂したように自殺の道を選んだ。

「プリンセスが言うには、あれはまさに術者であったと」

「術者、術者だと」

 アンドレアは魂が消し飛ぶほどに驚愕して、慌てて声を落とした。

「まさか、何かの間違いだろう。あれはおとぎ話だ。伝説だよ」

「もちろん、私も信じられないけど、プリンセスが間違いないとおっしゃって」

「プリンセスは、術者が術を使うのを見たのか」

「いいえ。ただ、そうとしか説明がつかないと。近衛兵団が駆けつけた時には、マルティーニ兵団長は気絶していて、プリンセスお一人でいらした。その状況で、まるで両目をくりぬかれたような刺客が三人。確かにほかに説明がつかない」

「おい、その調査をしろと言い出すんじゃないだろうな」

「そうでなければわざわざ呼んだりしない」

 ばかな、という顔を、アンドレアは見せた。おとぎ話の調査など、子供の使いではないか。

「情報収集ならマニシェ諜報局長の仕事だろう。あのあがり症の太っちょの」

 アンナは不用意な発言を繰り返す兄を叩き出すようにして追い払った。厳しく口止めしたうえで、上官からの任務として捜索を命じたのである。

 ファエンツァの町はそう大きくはない。盲人は珍しいから町で聞き込みをすれば居所くらいはすぐに割れるであろう。簡単な任務だし、仕事を与えられるだけましと思ってもらいたかった。

 当のアンドレアは、鬱屈としている。どうせなら、自分も妹のように、部下を率いて敵と戦い武功を立て名を上げたい。しかも今回は極秘の命令で、部下も使えない。たった一人で、ファエンツァ付近から目の見えぬ謎の若者を探し出すのだ。孤独で、張り合いがない。

 何より、調査が長期に及べば、プリンセスの戴冠たいかん式やセレモニーに参加できなくなってしまう。近衛兵として最高の晴れ舞台であるはずが、自分だけは人探しなどせねばならないとは。

 ぶつくさと不平不満を呟きつつ、旅支度をして即日、国都を離れた。

 ファエンツァの町はそう遠くはないが、国都の華やかさからすれば田舎である。

 内乱の平定に伴い、新体制特需を見込んで多くの商人や旅人が国都を目指して流入するなか、彼は一人、その流れに逆らって心はずまぬ任務へと向かった。

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