第2章-⑥ 悲しき対面

 時系列の上では前後するが、レイナート千人長以下の第二師団が投降する前、7月10日時点で、カロリーナ王女もプリンセスに対面を果たしていた。

 ただし、無惨な遺体としてであったが。

 征討軍と遭遇し、雲散霧消したカロリーナ軍は、ロンバルディア教国の正規軍ではない。貴族家や王族家は、それぞれの分限ぶげんに応じて、私兵集団を抱えている。特に今回の内戦では、カロリーナ王女やトルドー侯爵はなるべく多くの戦力を至急に整える必要があったために、傭兵や山賊、札付きの犯罪者やあぶれ者など、雑多でいかがわしい者どもが多く参加していた。要するに、金目当てで集まってきた連中である。

 カロリーナ王女の膝元であるバルレッタ地方で幅を利かせていたフランキーニという山賊の親分も、その主要な一人であった。

 彼は280人の手下を引き連れ、カロリーナ軍の左翼後方に位置していた。カロリーナ軍全体が、緒戦から我先に逃げ出すのを見て、当然彼も逃げようと思った。すでに前金はもらっている。こんな馬鹿げた戦いで無駄に死ぬ義理もない。

 だが逃げる前に、火事場の荒稼ぎをしたい。

 そのため、彼は忠義を装って、カロリーナ王女や彼女に味方する貴族どもを巧妙にかき集めつつ誘導し、逃げに逃げて、彼が以前に仕切っていた山林へと案内した。混乱する敗軍のなか、部下を統率し、扱いづらい貴族や王族を操り、ごくさりげなく彼の庭とも言える地に誘い込んでしまうあたり、彼にはなかなかの才覚があったと見てやるべきかもしれない。

 日が暮れてから、フランキーニは王女や貴族たちが疲労のあまり其処此処そこここでぐったり横たわっているのを確認し、密かに仲間に命じた。

 番犬のふりをした狼は、突如として牙を剥く。

 フランキーニの手下が、一斉に貴人たちに襲いかかり、手にした剣で足首のみ狙って切り落としていった。足首を狙うのは、身に着けている衣服が血に濡れて売れなくなるからである。逃げられなくなったところを、首に荒縄をかけて絞め殺し、身ぐるみを剥いでしまう。

 それはまさに阿鼻叫喚の地獄絵図と言えた。つい先ほどまで犬ころのようにしか思っていなかった卑賎の賊兵に背かれ、殺されるのだ。カロリーナ王女に加担し、戦場に出て、ともに逃げ落ちてきた貴族やその私兵全員が、この暴徒どもに殺されてしまった。

 カロリーナ王女も、死んだ。

 彼女の場合は、装束を奪われ、さらにフランキーニに凌辱を受けているあいだ、いつの間にか息絶えていた。フランキーニは、本来ならば触れるどころか顔を拝むことさえできない王女を組み敷いて犯すよろこびに酔いしれていて、それが死体になっていることに最後まで気づかなかった。

 この凄惨な現場を第一師団の斥候せっこうが発見したのは、翌夕であって、死せる義妹とプリンセスが対面したのは、さらに次の日の昼であった。カロリーナ王女は戦陣ということもあって、簡素な遺骸袋に包まれて馬車に乗せられた。

 プリンセスは街道上を向こうからやってくる馬車を見つけると、馬のくらを降り、走って駆け寄った。その姿はまるで、母親を探し回る迷子の幼児のような寂しさと頼りなさに近衛将校らには見えた。

 アンナとヴァネッサだけが、下馬して彼女を追う。

「カロリーナ」

 馬車から下ろされた遺骸袋に、プリンセスは涙声で呼びかけた。無論、答えるはずもない。義妹の死相を求めて、プリンセスは土と埃にまみれた袋に手をかけた。

 ご覧にならない方が、とアンナが声をかけたが、一瞬の戸惑いののち、恐る恐る革袋の端がめくられた。

 中からは、それは暴徒に犯されるまま絶命したのであろう、目を大きく剥き、口元が歪んで体液もわずかににじんでいる、変わり果てたかつての王女の姿が現れた。季節はすでに夏で、天候も良く暑気が続いていたからか、腐敗が始まっているらしかった。屍肉のにおいがする。

 哀れ、と言うほかない。

 プリンセスはあまりに恐ろしい形相にはっと息を呑み、せめてまぶたを閉じようと手を伸ばしたが、目が乾燥しきっているためにち木のような感触のみで動かない。もはやそれは、気高き王女ではなく、人ですらもなくなっていた。ただ、腐敗しかけた肉塊でしかない。

「カロリーナ、ごめんなさい」

 何故か謝罪を口にして、プリンセスは崩れ落ちるようにして号泣した。のべつ幕無し泣いた。めそめそと寂しげに泣くのではなく、まさに慟哭どうこくであった。

 両脇をアンナとヴァネッサに抱えられて、ようやく陣頭に戻ったプリンセスは、幾分、感情が不安定ながら、生来の強靭きょうじんな理性を取り戻していた。

「ラマルク将軍」

「はっ」

「カロリーナを殺害した賊兵、行方は分かりますか」

「捕虜から聞くところによれば、正体は山賊フランキーニ。この一帯では名の通ったならず者です。ただし目下、行方は分かりません」

「追ってください。地の果てまでも」

「はっ…御意のごとくいたしますが、追っていかがされます」

「私のこれからつくる国に、生かしておくことはできない者です。始末をつけていただきます。これは第一師団の任務としてお預けしますので、人員、方法などはすべてお任せします」

「承知いたしました」

 この戦役において、これはプリンセスが発した最も激しく断固たる命令であったように、ラマルク将軍には思われた。そして、その命令に対してごく自然に戦慄せんりつし畏服している自分に気付いてもいた。プリンセスはこの戦いを通して大きく成長したのであろうか、あるいは本来の実力を知らしめたことによるものか、歴戦の将軍をして猫のように従わせる威望をおのずと身につけてしまったらしい。

 すぐ、次の指示が出た。

「ジュリエットはいますか」

「はい、プリンセス」

「あなたは私の代理として、カロリーナをこの地に葬ってください。簡素で構いませんが、くれぐれも丁重に、王侯の礼でお願いします。その際、彼女の髪と形見を持ち帰るように。時期を選んで、私自身が葬儀をり行います」

「お任せください」

 彼女はさらに重要な指示を出した。

「ヴァネッサ」

「はッ!」

「カスティーリャ要塞へただちに使者を送ってください。恐らくガブリエーリ将軍は不在でしょうが、留守部隊の指揮官に前後の状況を伝えて、降伏を促すのです。そして、降伏すれば決して罰を加えぬことを誓約するむね、伝えてください。戦いは終わりました。今は一致団結して、国をひとつにするときであると」

「かしこまりました!」

 そして、最後の命令である。

「アンナ」

「ここに」

「私は近衛兵団を率いて、即刻、国都へ帰還します。これ以上、王宮を留守にすることはできませんし、第二師団も放置できません。将兵は急行軍に耐えられるでしょうか」

「一同、どこまでもプリンセスにお供いたします」

「では直ちに出発します」

 (まったく、忙しいお方だ)

 ラマルク将軍は急速に遠ざかるプリンセスの背中を目で追いながら、心中で嘆息した。と同時に、自らに課せられた任務とやらを思った。一見、火事場泥棒を追討するというだけの汚れ仕事だが、性質はそれとはだいぶ違う。これは要するに、復讐である。プリンセスは彼に、復讐のつるぎとなることを命じたのだ。仇を追い、その息の根が止まったことを確認するまでは、彼は国都に戻ることは許されないであろう。

 そしてこれが、彼の将軍としての最後の務めになるはずであった。

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