第2章-④ 憂い深き夜

 戦陣にあって、プリンセスを取り巻く環境は宮殿に比べればはるかに粗末で、原始的である。王宮では高級な寝具で寝起きし、贅美ぜいびな食事、多くの護衛や女官、側近に囲まれて何不自由がない。兵士たちからすれば、雲の上の住人である。

 だが、戦時下の前線ではそうもいかない。野宿となれば、プリンセスの寝所は簡易な夜具に幔幕をめぐらせただけの実に簡素なもので、食事も兵と同じものが提供される。

 プリンセス自らのご出陣、ということで、プリンセスに陣中でどのような待遇が用意できるか、事前に近衛兵団にて議論がされたが、特別な配慮をプリンセスが拒否したために、最終的に専用の寝所のみ簡易的に用意することで決着した。

 それでも、陣中は劣悪な環境である。さぞご心痛がおありであろう、と側近らは胸を痛めたが、プリンセス本人は存外にもあっけらかんとしていて、この環境を心地よいとは思わぬまでも、楽しんでいる風であった。

 通常、この国の王族は軍とは距離を置き、高位の軍幹部や女性の上級近衛兵としか直接の会話をしないが、プリンセスは積極的に末端の兵のあいだに入り込んでいって、彼らとの交流を快く楽しんだ。兵たちからも、その屈託のない明るい人柄は大いに親しまれた。それでいて戦上手ときているから、日をてともに過ごす時間が増えるごと、将兵からの支持は熱狂の度を増していった。

 だがこの日、カロリーナ王女と戦場で相対して勝利した日の夜は、プリンセスはややしんみりとして、アンナ、ヴァネッサ、ジュリエットといった近衛兵団の最高幹部だけと食事をとった。食事とはいっても、四人で輪になって腰を下ろし、膝を抱え、バゲットなどの粗末な軽食を少しずつ口にするだけのものである。ロンバルディア教国は大陸内最大の小麦生産地で、主食といえばパンであった。

「カロリーナとは、同じ時期に先王の養女になった、いわば双子の姉妹のような間柄でした」

 彼女は自分の命を狙い、叛乱軍の頭目となった義妹のことを、骨肉の間柄に見られるようないつくしみを込めてそう表現した。

「宮廷に入ってから、私たちはすぐに仲良くなりました。カロリーナはとても優しくて素直な人柄で、彼女といると私はいつも楽しい気持ちになりました。ただ、一方で繊細で物事に感じやすい性格で、親元から引き離され、王宮の伝統やしきたりを守ることにはずいぶん苦労しているようでした。母王が、カロリーナには何故か特別厳しくしていたことも、彼女にはつらかったようです。そうした日々が続くうち、カロリーナの持っていた真っ直ぐな心根が、徐々に歪んでいくように感じられたのを、よく覚えています」

「プリンセスとカロリーナ王女の不仲には、そういった背景があったと?」

「そう思います。彼女は私を嫌い、憎むようになりましたが、私は彼女のことが好きです。きっと宮廷から離れて、平穏な暮らしを取り戻せれば、幼い頃の彼女が戻ってきてくれると思っています。だから、私は彼女を助けたいのです。無意味な戦いで失いたくはありません。こんな、無意味な戦いで」

 アンナらは、プリンセスの深い仁愛と志に、改めて尊敬の念を強くした。自分を殺そうとした者を愛することは、いかに寛容な人間でも容易ではない。命を奪わぬまでも、相応の復仇ふっきゅうを果たそうとするであろう。実際、女王の暗殺や叛乱は、未遂も含めて死刑が慣行である。それを、プリンセスは助命した上で、本来の彼女を取り戻し、幸福な生をまっとうさせようというのである。

 近衛兵団の幹部らは、それを甘い、とは思わなかった。素晴らしき慈愛と温情であると理解した。プリンセスの傍らで仕えることの長い彼女たちは、その人格に感化されることが深いのであろう。

「必ず、カロリーナ王女をお救い申し上げましょう」

 声は抑えつつ、熱烈な賛意をヴァネッサが表明した。やや小柄で、頬がふっくらとした童顔、暗めの金髪に黄褐色の瞳を持っている。プリンセスの絶対の信奉者かつ幼馴染でもあり、その傾倒ぶりは忠誠心というより信仰心に近い。プリンセスと同じ24歳でまだ経験は浅いが、弓術精錬で将来有望な将校である。

「えぇ、ありがとうヴァネッサ」

 プリンセスはこの信頼すべき幼馴染に微笑みを向けたが、戦役の疲労が蓄積しているのか、あるいは義妹と干戈かんかを交えることに憂いが濃いのか、その両方であるのか、珍しく表情にかげりがある。

 固いバゲットをともに食し、静かに語らううち、夜が深まり、当直の者を除いて就寝した。夜が明ければ、彼女らはカロリーナを追い、その身柄を保護して、この内戦に事実上の終止符を打つことになろう。

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