術士奇譚-⑤

 この三姉妹の術が敵味方に与えた影響は極めて大であった。

 こころみに新装備で固めた小部隊を繰り出したところ、小競こぜり合いながら終始優勢に戦いを進め、意気揚々と引き上げてきた。彼らの持つ剣や槍は、激しく打ち合っても刃こぼれせず、敵兵の血脂が巻いても切れ味が落ちない。それに即死は救えないが、負傷してもすぐに回復し、食料も無尽蔵にあるので、士気は天をくほど高かった。

 一方、敵軍の戦意はみるみる落ちた。

 そのように精鋭に生まれ変わった軍が要塞に籠もり、しかもその要塞は夜になっても昼のように大量の篝火かがりびが照り、しかも荒れ野だった要塞周辺の土地に見渡す限りの農地が広がっている。捕虜を通じて彼らの軍も疫病えきびょうの被害を受けていたが、同様に風土病に冒されているはずの要塞側の士気は大いに上がっているらしい。

 大軍勢が駐屯し、威を振るっていたのが、今ではみじめなほど狼狽ろうばいしているのが、要塞から小気味よく察せられた。

「どうだ、この機に我々は打って出て、敵を押し返し、息の続く限り駆けて、名を上げよう」

 要塞の上層部で積極論が上がるようになったのは、三姉妹の来訪からわずか10日後のことである。傷病兵はアルトゥの懸命の治療を受けて全員が快癒し、武具や甲冑かっちゅうも新調してほぼ全軍に行き渡った。食料も、穀物は収穫してもすぐにまた実り、家畜も殺したそばから増えるので、尽きる心配がない。

 つまり、彼らは半永久的に軍事活動を行うことが可能なわけである。

 敵を防ぐだけでなく、より積極的に仕掛けて戦果を拡大しようと考えたのは当然である。

 反対者はいなかった。アルトゥ、ムングも従軍を受け入れ、要塞には補給基地としての役割とともに、300人の守備隊が残ることとなった。

 多くの者にとって意外だったのは、その守備隊長にセトゥゲルが名乗りを上げたからである。本来ならこれほどの大掛かりな作戦、しかも勝利が確約されているような戦いに、才多しとうたわれたセトゥゲルほどの者が遠慮をするとは、武勲を自ら放棄するようなものではないか。

「疑いの余地なく、この征旅は長いものとなる。補給は何よりも軽視してはならぬし、この要塞も堅固に守らねばならない」

 その説明に、さすがは用兵の手腕をもって鳴るセトゥゲルよと感嘆する者もいれば、約束された武功をむざむざ捨てる物好きがいるのかと呆れる同僚もいた。なかには、機の見えぬ愚かな男だ、と露骨に冷笑する者さえいたらしい。

「愚かなのはお前たちよ」

 大挙して出撃する僚友の群れを城壁の高みから見送りながら、セトゥゲルはひとりごちた。偉大な力を手に入れたといっても、それは娘たちの協力を得られている間だけの話だ。彼女らが去れば、手元に力は残らない。彼が真に欲するのは自らが術者となり、自らが力を得る道である。力のある者を味方につけるより、自らが力を得る方が彼の野心を果たすためはるかに有益だ。

 そのためには、姉と別れ、この要塞に残されたあの娘から、術者と術についての秘密を余すところなく引き出し、自らが術者になるその方法を聞き出すか、見つけるのが肝要であろう。

 城壁から視線を大きく移すと、エルスが護衛の小隊を伴って、城外の農場を巡回している。部隊が彼女を護衛しつつ、米や小麦、芋などを収穫し、納屋で豚や羊を殺して要塞内に運搬し、補給物資として前線へと送るのである。

 エルスは、それら護衛の兵どもと時折笑いさざめきながら、あちこちで杖を振った。杖が舞うたび、刈り取られた稲穂はあっという間に蘇り、小麦は無尽むじんに生え変わる。

 まずはあの娘の心をつかみ、虜にして、必要な情報を手に入れねばなるまい。

「さて、どうするか」

 セトゥゲルは思案し、早速、腹心の部下をエルスの監視にあたらせた。そしてまずは彼女が一人で行動する時間を把握するよう努めた。やがて、彼女が毎朝と毎夕、正面城門近くに花を育てていると知った。

 ある朝、城門を出て脇を見ると、確かに少女がちんまりとしゃがみ込んでじっとしている。

 エルスは何事か、ひたむきに作業をしているらしく、すぐそばにセトゥゲルが近寄るまで、気付かなかった。

「花の面倒を見ているのか」

 ずいぶんと没頭していたらしく、少女ははっと顎を上げた。驚きのため丸く見開かれた瞳が、朝の光をたたえてまぶしいほどである。

「はい、水をあげていました」

「術を使わないのか」

「自然の力そのままで育てるのが楽しいのです」

「なるほど」

 どれ、とセトゥゲルは腰を下ろして花を眺めた。白や黄の彩り豊かな花がそのあたりに騒がしく咲いている。このような場所に、花が咲いていたろうか。

 セトゥゲルはしばらく黙った。ほとんど話したこともない間柄ながら、不用意なほどに近くで黙り込むこの妙な男に、エルスは明らかに落ち着かない様子だった。並んで花を眺めながらもちらちらと様子をうかがったり、さかんに動くなどして、視界の端でいじらしいほどに緊張しているのも分かった。

「あ、あの」

「どうした、エルス」

 さりげなく名前を呼ばれて、エルスはいよいよ肩を縮めた。二人の姉に囲まれて育ったので、男というものを知らないのであろう。

「お花が好きなのですか」

「詳しくはないが。この花の名前は?」

「ランというお花です」

「ランが好きなのか」

「はい。きれいでしょ」

「あぁ、そうだな」

 沈毅ちんきなセトゥゲルが珍しく微笑を浮かべると、エルスは一瞬戸惑ったように見えたが、すぐに精一杯の笑顔で応えた。

 素直で心の清らかな、いい娘だ。

 セトゥゲルは彼女をそのように評価しつつも、彼の目的を達するための道具として役立たせるべく、慎重に、だが確実にエルスとの親和を深めていった。

 彼のたくらみとその正体を察したなら、少女は必ずや心を閉ざしてしまうであろう。だから、この胸の奥底に秘めた不敵な野心に気付かせてはならない。一方で、稀代きたいの用兵家として敵の将軍だけでなく女とのことについてもあらゆる手練手管を知り抜いた彼が、箱入りのこの少女のけなげな心を手に入れることはいともたやすいことでもあった。

 とにかく、下心を悟られてはならない。そのために、彼自身ではなく、彼女の方から、二人の仲を親密にさせるため動くように仕向けるわけである。

 セトゥゲルはほとんど夢中になって、この工作に腐心した。

 結果として、わずかひと月も経過せぬうちに、エルスは彼を熱烈に慕うようになっていた。純粋無垢な彼女は、まさか自分がこの男の掌の上で踊っているに過ぎないとは夢にも思っていないであろう。

 ただ、色恋にうといエルスは、彼にその想いを伝えてはいない。むしろ隠しているつもりのようだった。

 対してセトゥゲルは、思い立ったようにエルスに声をかけるほかは、本来の職務に精励していた。彼の任務は、前線からもはや遠く離れた要塞の守備と、この要塞を補給拠点として本軍に食料を後送することであった。前線は破竹の勢いで戦果を拡大しつつあり、彼はその支援に回り、一見して愚なるがごとく勤勉に、実直に兵站へいたん業務をこなしている。

 自らの覇道のためには、ひと月どころか平気で数年でも雌伏へいたんの時を送れるというのも、野心家の共通項であると言えるだろう。

 そして、機が訪れる。

 その日は、夏から秋への天候が乱れる頃合いで、激しいにわか雨が要塞を襲っていた。兵はみな、屋根の下に身をひそめていたが、エルスの姿が見当たらない。セトゥゲルは雨に濡れながら探したが、ふと要塞を出て、エルスの花壇へと向かった。彼女がランの花を育てていたその場所は、周囲に貴重な煉瓦を置き並べて花壇のように造形していたのである。

 果たして、エルスはそこにいた。色鮮やかな蒼い絹のデール(この時代、この地方で使われていた民族衣装で、丈の長い上着に帯を腰の上に巻いて着る)に、赤い帯を巻いた姿で、背を見せうずくまっている。デールの裾から雨滴が滝のように流れ落ちている。

「無事か」

 振り向いたエルスの頬も鼻も顎も、あわれなほど濡れそぼっている。彼女はすぐに明るい笑顔を見せた。今では想う人の前で自然な表情を見せられるほど、彼女はセトゥゲルに安心の気持ちを持っていた。

「お花が心配で、流されないように見守っていました」

「これくらいの雨なら大事無い。花は存外に丈夫なものだ」

「でも、大雨に打たれるのはかわいそうで」

「お前が心配だ」

 瞬間、エルスは息さえも止めて彼女が秘かに想いを寄せるこの男を見つめた。

 そのはかないほどの瞳の美しさに、セトゥゲルは思わず心のうちに痛いようなあたたかみが生まれるのを自覚し、そして困惑した。エルスのその、一切の邪心もけがれもない純情は、野心と才能以外に何物も持たないこの男さえも感化しているのかもしれなかった。

「花はまた育てればいい。今はお前を守る、いいな」

 セトゥゲルは返事も待たず、彼女を抱き上げ、自らの居室へ連れ帰った。

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