第6話 ワクワク研究しホーダイ!
魔法、とは世界の法則を作り変える神秘の技だ。
一時的ではあるが、神が定めた自然の法則を己の思い通りの法則に作り変える。規則を書き記した文書の文言に線を引いて消し、代わりに好きな文言を書くようなものだ。
精霊魔法は、その書き換えを精霊に代行してもらう。天の使いたる精霊なのだから、それだけの権限と力がある。だから信頼や相性が重要となるのだ。
対して魔術は、術者自身が法則を書き換える。
その為には元の法則を知っておかねば話にならない。書き換えたくとも文書自体が手元になければ書き換えられないのだから。故に魔術師には知識が必要不可欠。
元々神の眷属のみが知る自然の法則。それを人が知識として蓄え、遂には人が扱える技術となるまで調べあげたのは、人の長年に渡る研究の結果。
人の技術だからこそ、魔術という。過去無数の研究者や魔術師から連なる、誇りだ。
過去から続くその誇りを次代へ繋げるべく、僕達現役の研究者は命尽きるまで探究を続けなければならないのだ。
と、いうのは事実ではあるが正確でもない。
僕が研究をするのは、悩みながら進む過程が、予想を覆す結果が、神の愛を知る一連の全てが、たまらない充実感を生むからだ。
「さあカモミール、今日中に合流出来るとよいな!」
「むうぅ……」
暁光を遮るもののない荒野。朝になり、日が登り切る前に僕達は一夜の宿を出発する。
しかし、量も少なく美味くもない朝食では一日の始まりに相応しくない。いつになく不満げなカモミールはこのせいだ。この状態では知識や推測を語っても身に付かないだろう。今日は会話も少なく、ただ歩く。
その内に日は高くなり、青空と白い雲も鮮やかになった。見上げれば気持ちが良い。語らずとも推論や想像が捗るというもの。魔界の環境に考えをはせる。
そうして四半日程の時間が経った頃。
何事もなく、森の前に着く。そこには、奇妙な特徴があった。
「……ふうむ。これはまた研究しがいがあるな」
「なにこれ……」
僕は全てを見逃さないよう集中して観察する。カモミールも不思議そうにキョロキョロしている。二人揃って、ただその場に立ち尽くし、動けない。
それだけの光景が目の前にあった。
荒野が終われば、急に森が広がっていた。
徐々に草木が増えていくのではなく、本当に急に森へと変わっていたのだ。更には草木だけではなく、魔力や精霊も、明らかに突然増えている。
死の荒野と豊かな森。綺麗に境目で分かれて、二つの領域が隣り合って存在している。
神罰の跡。神の正確性が目に見え、背筋が伸びる。神秘を前にして、ちっぽけな人間は神の偉大さを再確認してしまう。
「おお神よ。素晴らしい御業です。私にこの森を調査する事をお許しください」
それはそれとして森を観察する。
見慣れない樹木や花はどれも大きかった。大人数人がかりでも抱えきれないような大樹が多い。だからか樹間は離れており、歩くのに苦労はなさそうだ。花や実も色とりどりで独特の植生。想像以上に好奇心が刺激される森だ。
早く森へ分け入って全てを調べ尽くしたい。
だがそんな余裕はない。早速の手厚い歓迎があった。
「ほう。興味深い虫だ」
「いやあ……」
森の奥から、蜂のような蝿のような、人の顔程の大きさの虫が飛んでくる。
好奇心を刺激された僕とは反対に、カモミールは不快な顔で素早く後退りしている。仕方ない。男子ならともかく、幼い女子には厳しいだろう。積極的には前に出られまい。
それでいい。まだ子供なのだし、怖いものを怖いと言えるのも勇気だ。
とはいえ、僕の立場としては感情を抜きに判断を下さなければならない。危険な虫かどうかは不明。ただ大きく不快な見た目なだけで無害かもしれない。
だが、安全第一。守るべきカモミールがいる以上、排除が妥当か。
「ファズ!」
追い払うべく、ファズを突進させる。豪快に振るう腕は巨大な虫でも潰す力があるはずだ。
だが虫の群れはブンブンと飛び回り、簡単に避けてしまう。そしてこちらに押し寄せる。目立つのは針。予想されるのは毒。悠長に構えては危険だ。
「いぃやぁ……」
カモミールはすっかり怯えている。戦えと無理強いは出来ない。
当然僕が守る。翻弄されてばかりでは、ファズにも悪い。
「“
辺りに広がる多重の魔法陣。森だろうと関係なく、僕の工房を用意する。
魔法陣を通してファズに接し、発動。
「“
岩の体の形を変える。
体の中心部を痩せたように細くし、その代わりに、全身から鋭い針を生やす。数多く、広い範囲に。
結果、虫の群れは串刺しになった。
ギリギリまで引き付けてから変形させたので逃れたものはいない。速さと攻撃範囲の前に、虫の群れは標本と化した。
針が刺さって動けない虫にはまだ息があるものもいたが、一匹ずつ確認し確実に仕留めていった。
「彼らに安らぎあれ……さあて、調査だ」
祈りを終え、元に戻したファズから外れた虫の死骸を調査する。
やはり毒があり、しかもかなり強かった。致死性ではないが当分は身動きがとれなくなる種類の毒で、卵を産み付けられる事も考えられる。様子見せずに対処して正解だった。
ただ、毒は薬の調合に使えそうなので採取しておく。
「初めからこれとは……ああ全く先が楽しみだな!」
「うぅ……やあぁ……」
ワクワクした気分で僕は森へ乗り込み、カモミールはその後ろを恐る恐るついてくる。
対照的な態度で本格的に森へ分け入っていった。
未知の動植物を魔術により調査し、記録。
先を急ぐ事はせず、頻繁に立ち止まりながら少しずつ進んでいく。
なにせ、ここは手つかずの森なのだ。
「ははふふははふへふふふふひひはは」
未知の宝庫に自然と笑いが浮かぶ。
心が浮き立つ。カモミールに不審げな目で見られてしまったが、仕方ない。興奮は抑えきれないのだ。
探索は順調に進む。
食べられる実を集め、薬の材料となる植物を集め、生物を観察する。
収穫が多くなってきたので荷物持ち用のゴーレムも新しく造った。樹木を素材にし、カンディと名付けた。彼の背負う籠には集めた物が満載だ。
何度か初めにも出た虫が襲ってきたので、虫除けになる薬を作った。既存の製法を流用したのでここの虫に効くかは不明だったが、確かに数は減った。
カモミールは小動物や花や果実に喜び、虫には嫌悪。機嫌は大きく上下する。学びの場を提供出来ていれば、僕としても喜ばしい。
更なる未知を求め、好奇心のままにずんずんと突き進む。
そんな絶好調で夢中の僕は、楽し過ぎて警戒心が薄れていた。
後ろから、カモミールの鋭い声が届く。
「ペルクス!」
気付けば死の気配がすぐ傍にあった。
擬態した狩人。
油断していたところに、意識外からの一撃。
樹上から風斬り音が鳴った。巨大なカマキリのような生物が僕を獲物と見て、襲いかかる。
だが、
そして後ろから素早く影が飛び出す。
「カモミール。下がっていてもいいんだぞ!」
「ううん、頑張る!」
カモミールは勇ましく返事をして駆ける。
明確な危険を前にしては、他人任せにしてじっとしてなどいられない。それは美徳ではあるが、危うい。
頼もしくはあるが、僕が注意して見ておかなければならないだろう。
ファズが正面をしっかり抑えている。その間にカモミールは槍を手に背後へ周り、背中から突き刺した。力強い一撃が鋭く狩人の背を抉る。
噴き出す体液。ぐるりと振り返るカマキリ。敵を見据える目。鎌がカモミールを狙う。
「ファズ、潰せ!」
先手を打って、僕が号令を下した。
弾ける破裂音。岩の両手がカマキリの頭を挟み、潰す。命が形を無くし、地に倒れた。危険は消えた。
カモミールが渋い顔でそっと離れていく。戦意が消えれば残るのは後味の悪さだけか。
「よくやってくれた。助かったぞカモミール」
「……うん」
声をかければ、わずかに顔が明るくなった。完全には晴れないがひとまずはこんなものか。
それから僕はファズの脇を抜けてカマキリへと駆け寄る。祈り、そして魔術を展開。
「さて、早速調査と──」
「ペルクス、まだだよ!」
カモミールの声に顔をあげれば、奥から獣の鳴き声が聞こえてきた。低い唸りは肉食獣らしく思える。
急いで後ろへ戻りつつ、前を注視。気を引き締める。
現れたのは未知なる獣の群れ。濃緑と焦茶色の毛皮、狼に似ているが骨格から別物だと判別出来る。
慌てて逃げるのは悪手だ。逆に威嚇するように、正面から睨む。
いつの間にか囲まれていた。奥には一回り体の大きな、リーダーらしき個体を確認した。完全に統率された群れを率いる。
追われれば逃げ切れない。
リーダーと目を合わせ、睨む。獣の習性は理解している。引いては獲物と見なされてしまう。
戦士ではなかろうと、僕は胆力を頼りに張り合う。
「厄介だ。カモミールは下がれ」
「うん……」
ファズとカンディは腕を広げ、壁として立つ。
やがて、開戦。部下たる獣が飛びかかってくる。
牽制。撹乱。そして攻勢。安全な距離を保ち、ゴーレムの硬さを認識した上でじわじわと削るような動きをしている。
それぞれに役割を持ち、正確に果たしていた。人間の軍隊に近い。獣とは思えない知性の高さだ。
だが、それらは全て、陽動。
ファズとカンディの動きを縛っている間に、数体がカマキリの死骸を持ち去っていったのだ。
そして、リーダーの一鳴き。
すると瞬く間に群れは森の奥へ消えていった。あとには匂いすら残さない。初めから目的は獲物の横取りだけだったらしい。
「ははは! あれが目的とは賢い獣だ。全く、魔界は調べがいがあるな!」
「よかった……」
愉快に笑う僕。ほっと安堵するカモミール。命のやりとりに発展しなかったのは確かに喜ばしい。
この森は、興味深いのと同時に、命の危険も満ちている。研究だとはしゃいではいられない。反省すべきところだ。
なんとか好奇心を抑え、慎重に調査を進める。苦役にも近い難行。
それを覚悟していたが、またしても袖を引かれる。
カモミールの耳がピクピクと動いていた。
「ペルクス。人がいる」
「……そうか」
僕はすっと目を細める。
流刑の罪人。
この森の奥から来たという事は、この森を生き抜ける強さを持つという事。獣や虫以上に危険な可能性もある。
警戒心を高める。ファズとカンディを再び前に出し、カモミールも槍を構える。
更に魔法陣を展開しておいた。
準備万端。
その前に、何者かが飛び出してくる。
「ストップストップストォーップ! オレたち悪いニンゲンじゃないよぉ!」
両手を前に出して叫ぶ人懐っこい感じの青年。後ろには冷たい目の少女。敵意はなさそうな邂逅である。
演技の可能性も考えられるが、声や表情からはそんな気はしない。自分の人を見る目は確かだとの自信は、ある。
カモミールを見て頷く。
ひとまず警戒心を緩めつつ、友好的に歩み寄る。
「何者だ? 敵意がないのならこちらとしても同行者は有り難いのだが」
「あ、よかった待ってくれた? どーもどーも、オレたち妖精の姐さんカップルの知り合いです」
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