第6話 ユウイチロウ

 せっかくのお祝いのパーティーで、普段の生活と同じようにテレビを点けていたのは失敗だったとユウイチロウは思った。

 今見るべきものではないものを見せてしまった。

 ユウイチロウはテレビのボリュームを下げた。ただ、電源は消さなかった。今さら目を背けても仕方なかった。今は受け入れたうえで、日常に戻ることを心掛けた。


 幸い、ケーキとアルコールは気分を和らげてくれた。

 妻のサチ、長男のユウキ、次男のトモキ、末子のミユ、そしてユウキの妻のサオリさんと、家族はそれぞれに言葉を交わし、笑い合っていた。


 話題の中心は、ユウキとサオリさんと、これから生まれてくる子供のことだった。二人は、普段の日常とこれからについて、多くを語ってくれた。

「家にいるとずっとゲームやってますよ。しかもずっと同じのを」

「ユウキ兄ちゃん、まだあれやってんの? いい加減飽きない?」

「まぁ半分惰性だけどね。そういや、ミユはあれ買ったの?」

「もち。歴代最高傑作」

 子育てに不安を見せるサオリさんをよそに、ミユとユウキがゲームの内容について話し始める。園宮家の子供たちは三人ともゲーム好きだったが、サオリさんは妻と同じであまり詳しくなさそうだった。

 ゲームの話が落ち着いたタイミングで、トモキが話題を変える。

「そーいや親父、車何に買い替えるの?」

「家族がまた一人増えるし、今度もミニバンかなぁ」

「えー、またミニバン? もっと運転しやすそうなのにしてよ」

 スマートフォンで候補車を表示するユウイチロウの前で、ミユがぶーたれる。

「お前、大学には原付で通うんじゃねぇのかよ?」

「だって雨降ったら困るじゃん」

 どこまで本気なのか、トモキに目をやるミユが真顔で答える。そしてトモキのスマートフォンを横に、あれを調べろこれを調べろと指示し、画面に表示される車を見ながら、あれが欲しいこれが欲しいとせがむ。合わせて、ペーパードライバーの妻も、自動運転付きと自動駐車付きを要求してくる。


 久しぶりに家の中が賑やかになった。平穏な時を刻む家族の団らんに、ユウイチロウは心穏やかに過ごせた。


 今、戦争の映像は春の陽射しに薄れている。


 2022年2月24日、確かに衝撃はあった。しかしその衝撃は、日を追うごとに薄れていくのもまた事実だった。


 この戦争は日常になりつつある。日常になってしまえば、人は慣れてしまう。慣れてしまえば、人は忘れる。忘れてしまえば、人は過ちを繰り返す。


 ヨーロッパにおいては第二次世界大戦以来となる、重武装国家同士の全面戦争とは言っても、しかし戦争自体は決して珍しいものではない。

 ユウイチロウが生きてきた五十数年の中でも、戦争のニュースというのは定期的にあった──ベトナム、フォークランド、ユーゴスラビア、チェチェン、中東、パレスチナ、アフガニスタン、イラク、南オセチア、ナゴルノ・カラバフ、シリア、ミャンマー……──終わったもの、まだ続いているもの。それが絶えたことはない。

 しかし、時代は変わった。かつてはメディアを通して見ていた戦争は、今や一人一人の手元にダイレクトに届くようになった。

 だからこそだろう。ウクライナ戦争は、決して対岸の火事ではないことを日本は思い知った。


 背景で流れる崩壊したヨーロッパの街並みの映像が、日本近海の地図へと切り替わる。


 日本は今、次なる戦争の順番を待っている。


 首都キエフ陥落、ゼレンスキー政権崩壊、ロシアによるウクライナ併合宣言……──NATOは、アメリカは、ウクライナを助けはしなかった。もちろん、経済制裁や武器供与、義勇軍派兵という形での支援はした。しかし結局、彼らは国家滅亡の危機を孤立無援で戦い続けることを余儀なくされた。そして結果として、世界はウクライナを見殺しにした。

 あまりにシンプルな暴力は、日常に衝撃と畏怖を与えた。我々は、自らが血を流すことを恐れ、他人の流血を止めようとはしなかった。

 ロシアは決して忘れられた国ではない。歴史も、文化も、産業もある。国を富ませ強くするやり方は、もっといくらでもあったはずである。しかし彼らは暴力に訴えた。力を正義とし、一方的に振りかざした。今や彼らは核武装した無敵の狂人と化した。そんな連中に平和を訴えたところで、話が通じるわけがない。


 話が通じないのなら、戦うしかない。戦い、勝つしかない。負ければ、全ては失われる。


 世界は弱肉強食で成り立っている──できる者、できない者。得意な者、苦手な者。豊かな者、貧しい者。愛される者、愛されぬ者。持つ者、持たざる者──強者は弱者を守りなどしない。むしろ蹂躙する。どんなに綺麗事を並べても、強者は奪い、弱者は奪われる。

 逃げろと言う者もいる。しかし逃げた先でも人の本質は変わらない。相手が話を聞いてくれなければ、わかり合うことはできない。そして強者の多くは、弱者への聞く耳など持たない。

 ならば抗うしかない。些細な抵抗だとしても、その気概なくば、弱者は弱者でしかない。戦えることを示さなければ、生き残れない。


 だからこそ、人は負けじと努力する。次こそは自分が勝つと信じる。そして競い合う──その究極系が命のやり取りなのだとすれば、世界は悲劇でしかないのかもしれない。


 五十数年間、ありふれた人生をユウイチロウは戦い続けてきた。現実を見る目は冷めていた。しかしそんな現実の中で、ユウイチロウは家族の笑顔に未来を見た。

 日常には希望が満ち溢れている。今このとき、この家に広がる笑顔のように。

 ケーキを食べ終える。園宮家の家族を見渡す。みな、それぞれに違う。みな、それぞれがそれぞれの人生を生きている。

「サオリさんの出産が無事に終わったら、またこうやって集まろう」

 伝えたい思いはまだまだたくさんある。しかし今はそれだけを言うに留め、食後の乾杯をした。


 昼食が終わる。片付けも終わり、それぞれがリビングから出ていく。


 ユウイチロウは妻と共にそれを見送った。

 子供たちには自分よりもいい人生を歩んでほしいと願って育てた。夫婦で意見が割れても、その思いはお互いに変わらなかった。ただ、どれほどのことを伝えられたかはわからない。


 綺麗ごとだけで世界は説明できない。しかし、綺麗ごとさえ失ってしまう世界を、未来と呼ぶことができるだろうか。


 世界は大きくは変わらなかった。しかし、少しずつだが世界は変わってきた──これから自分には何ができるのか──ホッと一息つく妻の笑顔を前に、ユウイチロウは考えた。

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