第19話 吸血鬼、再び 2
ダグラスは素早く戦う準備を整える。
階段から降りるほうが早いと判断し、元暗殺者らしい身軽な動きで、下の階の隣の部屋――斜め下の部屋のベランダの手すりに飛び移る。
一階まで十秒とかからず辿り着いた。
周囲にいた人たちが、頭上から降ってきた人影に驚く。
だが、ダグラスは彼らの事など目に入っていなかった。
「早くホテルの中へ入れ! それと司祭たちを呼んでこい!」
「なんだ、なんだ?」
指示を出すが、周囲の者たちは事態を飲み込めていない。
そのまま立ち尽くすのみ。
しかし、ダグラスは違った。
墓場に面している門を閉めようと走る。
「新しい神様がすぐそこにおられるのよ」
「だから興奮するんだろ」
柵の近くでイチャついているカップルがいた。
彼らに怪しい影が近付く。
「もうどこ触って……、きゃあぁぁぁ」
「なんだ、こいつらは!?」
カップルがゾンビに捕まり、柵の隙間から噛みつかれている。
彼らの悲鳴で、パーティーの参加者は異変が起きている事に気が付いた。
(遅いっ)
ダグラスはそう思ったが、酒が入って注意散漫になっているかどうかの差は大きい。
しらふの彼だからこそ、一足早く気付けたのだ。
ゾンビが三体ほどホテルの庭に入り込んできている。
ダグラスは剣を手に取り、石の刀身でゾンビの頭を叩き割る。
(石を入れたままでよかった。アンデッド相手なら、このほうが倒しやすい)
ゾンビは頭部を破壊しない限り動き続ける。
切れ味のいい剣だと、切る事はできても
石という切れ味の悪い素材だからこそ、頭を叩き割る事ができた。
それにダグラスはカノンが使っているところを見ただけで、レプリカソードを使いこなしているというのも大きい。
――剣を振り上げる時は刀身を消し、振り下ろした時に刀身を伸ばす。
ただそれだけの事。
だがおかげで重い刀身に振り回される事なく、素早く正確に切りつける事ができた。
ダグラスは素早く三体のゾンビを倒すと門に向かう。
そこにも数体のゾンビがいたが、素早く突きを繰り出すと共に剣を最大出力にして岩を出し、まとめて吹き飛ばす。
邪魔者がいなくなったところを見計らって門を閉める。
かんぬきをかけたところで、ゾンビたちがワッと押し寄せる。
門や柵は鉄製だが、砦などとは違い、華やかさを重視した作りである。
長くは持ちそうになかった。
「ゾンビがくるぞ! 戦える奴は武器を持て!」
ダグラスが叫ぶ。
すると庭にいた者たちが皆、一斉にホテルへと走っていった。
「いないのか……」
ダグラスもゾンビが相手なら、十や二十は無傷で倒す自信がある。
だが、目の前にあるのは墓場だ。
文字通り、桁違いのアンデッドが襲ってくるだろう。
自分一人では対処しようがないので、彼もホテルへと向かう。
中に入ると、使用人に声をかけられる。
「なにが起こっているのですか?」
「わからない。ただ、墓場の死体が蘇っているようだった。ドアと窓の補強を。あと僧兵も呼んできてくれ」
「死体が!? わ、わかりました」
使用人が走り去る。
庭とパーティー会場は接していたようで、カノンを探す手間が省けた。
ダグラスは、カノンのもとへ向かう。
「ゾンビが出た! どいてくれ!」
人混みをかき分けながら、ダグラスは状況を知らせる。
この報告に人々は驚き、ダグラスのために道を開ける。
「カノンさ……」
「えー、なにー?」
――カノンは泥酔していた。
こんな時に頼りない。
そう思ったが、特別な力を持っている男だという事は認めねばならない。
素直に報告をする。
「カノン様、墓場から死体が蘇っています。何か対応できませんか?」
「ゾンビー?」
「そう、ゾンビです。なんとかできませんか?」
ダグラスが説明していると、門が倒れた大きな音が聞こえてくる。
パーティー会場にいた者たちから悲鳴があがる。
「客人が避難する時間を稼ぐために扉と窓をテーブルで補強するんだ! 急げ!」
使用人達は、冷静なダグラスの指示に従う。
テーブルを立てかけ、ソファーや観葉植物を積み上げて重石にする。
それと同時に、客人たちは表へ逃げようとし始める。
「聖水など誰かお持ちではありませんか?」
次に、ダグラスは教会関係者に問いかける。
しかし、カノンを歓迎するパーティー会場に、そんなものを持ち込んでいる者などいなかった。
「魔法は使えるのですか?」
「魔法? まだ無理ー」
司教の質問に、カノンが“まだ無理だ”と答える。
その答えに、教会関係者はもどかしい思いをした。
魔法が使えるのなら、アンデッドの相手は、この場にいる者たちだけでもできただろう。
なぜなら、彼らはアンデッドに対して圧倒的優位にある聖職者なのだから。
「聖水がいるのかー」
カノンが呟くと、手に持っていた空のジョッキを股間に持っていく。
彼が股間に手を入れて、もぞもぞと動かす。
すると、すぐにジャーっという音と尿の匂いが漏れだした。
(こいつ、まじか!?)
人前でジョッキに放尿するなど、とても野糞を嫌がっていた男と同一人物だとは思えない。
(師匠の言う通り、酒なんて飲むもんじゃないな)
ダグラスの師匠は、酒を飲むなと厳命していた。
注意散漫になるし、酒は人の本性をさらけ出すからだ。
ダグラスは師匠の教えが正しかったのだと、改めて実感する。
ガシャンとガラスが割れる音がした。
一応はテーブルで侵入を防げてはいるが、一か所補強が間に合わなかったところがあった。
そこに助力せねばならない。
「はい、聖水ー」
カノンがジョッキをダグラスに差し出した。
尿の匂いがするジョッキを“ふざけるな!”とカノンの頭に叩きつけたいところだが、一応は神を名乗る男である。
万が一の事を考え、ジョッキを受け取る。
ダグラスが苦戦している窓のところに向かおうとすると、先ほどより素早く、広く道が開けられた。
(俺だって嫌だよ……)
ジョッキの横についている黄金色の液体が、ビールかどうか判別がつかない。
指に触れないよう気をつけながら、窓まで辿り着く。
「そーい!」
窓に取り付いているゾンビに、カノンの小水をぶっかける。
ダグラスは“汚くて異臭がする近寄りたくないゾンビ”が“もっと汚くて異臭がする近寄りたくないゾンビ”になるだけだと思っていた。
――だが、違った。
小水をかけられたゾンビの体が透明になって浄化されていく。
わずかな飛沫がかかっただけのゾンビまでもだ。
――カノンの小水は、正真正銘の聖水だった。
ダグラスも驚きのあまり、しばしの間、体が固まる。
その間に、窓を塞ごうとしていた使用人達がテーブルを固定し、ゾンビの侵入を阻む。
「きゃあぁぁぁ」
ダグラスの背後――パーティー会場側で悲鳴があがる。
その声で、ダグラスは正気を取り戻した。
(違う場所から侵入を許したか!?)
ダグラスが振り返る。
しかし、そこにアンデッドの姿はなかった。
「私、洗礼の時に頭から聖水かけられたぁぁぁ!」
「私もぉぉぉ!」
「俺もだ!」
混沌とした状況はホテルの外だけではなく、中でも広がり始めていた。
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